エピローグ





「まったく」

 鮮花は怒っていた。苛ついていたといってもいい。
 同室である瀬尾静音にとってはただの災難だった。
 礼園のお嬢様であるはずなのに、鮮花は歩く核弾頭と同じだったから。
 どうやってこのぴりぴりしたルームメイトを宥めればいいのか、静音は途方に暮れていた。
 もうこうなれば矛先が自分に向かなければよいとマリア様にただひたすらに祈っていた。
 でも今回は心強い味方がいた。
 遊びに来ている浅上藤乃である。彼女だけが瀬尾の心の拠り所、避難場所だった。彼女ならばなんとかしてくれるに違いない、と硬く信じていた。


「どうしたのかしら、鮮花?」


 心の拠り所はにっこりと完璧なお嬢様の笑みをうかべて、首を少しかしげて尋ねた。
 しかしそれはどうみても矛先をこちらに向ける行為。静音は戦慄した。
 入れたばかりの紅茶から芳醇な薫りがただよっているが、それを楽しむ余裕など静音にはまったくなかった。


「どうしたも何もないのよ、藤乃」


 苛つき、今にでも噛みつきそうな鮮花に怯える静音。
 でも藤乃はまったく動じていない。にこにこと微笑んでいるだけ。



――類友ってこういうこと?)



 こんなに苛ついた鮮花を前にして動じていない藤乃を見て、類は友を選べないという諺をもじった言葉を思い出してしまう。



――ということはわたしも、わたしもなの!?)



 静音は自分の考えに恐怖し、今日から毎朝毎晩マリア様に祈ろうと心に硬く誓った。



「いったいどうしたの、鮮花」



 怖じ気づくこともなく藤乃はにこやかに尋ねた。
 すると鮮花は不機嫌の理由を口にする。



「幹也ったら、あの二人ったらっ!」
「あら、先輩がどうしたのかしら?」
「別れただのなんだのと言っていたのに、蓋をあけたら1ヶ月もしないうちに元の鞘なのよ」
――まぁ」



 そのお嬢様そのものの反応に、鮮花はさらに苛つく。苛ついてたまらない。



「あの式さんっていう方と先輩はお似合いだと思うけど?」



 ――――――駄目。そんなこと言っちゃあ駄目よ。



 静音は藤乃の発言に戦く。
 その言葉に反応して、鮮花は枕にかかと落としを決めた。
 これはストレス発散のために鮮花が時折行うクセみたいなものだった。
 ボスンと枕がへこみ、ひしゃげた。
 ひぃと静音はガタガタと震える。



「あのときのわたしの決心は、いったいなんだったのよっ!!」



 鮮花の絶叫が礼園に響き渡る。
 そんな鮮花を見ながら、藤乃は美しい笑みをうかべたまま、まったく動じることなく優雅に紅茶を飲んだ。
 静音はガタガタブルブルと震えながら、そんなふたりを怖いものをみるような目つきで見つめ、ただひたすらにマリア様に身の安全を祈り続けるのであった。
























 式はそっと幹也の手に触れた。
 たとたどしく触れてくる指先に幹也は愛おしさがつのってくる。
 だから、彼の方から手をにぎり、指を絡める。
 式は目を伏して、その頬を羞恥に染める。
 刹那という永遠のひととき。
 安らぎに満ちた、無限大の一瞬。
 あまりにも柔らかくて心地よい刹那。
 伏した式の瞳には安らぎに満ちた輝きに。
 でもかすかに羞恥とそして強い決意に。
 濡れて、潤んでいた。



















 一度手放した手。
 その手をまた握れるという至福感。
 罪深いと思うけども、仕方がなかった。
 罪だと知りながら、その手を握りしめる。
 だからこそ、二度と手放すまいと、とまるで神様に祈るかのように、縋るかのように、自分の犯した罪に式は誓った。
 この温かい手さえあれば、いかような罰も、どのような咎も、受け入れられる、と。
 だって、あの『死』でさえ、やすらぎに満ちていたのは、幹也の手があったから、と式はそう確信した。
 だから、ぎゅうっと、でも優しく、とても柔らかく、恥ずかしげに、握りかえし、さらに指をからめた。



















 織という男をうしなった女のわたしのずっと側にいてくれた男。
 この真っ黒で、ファッションセンスの欠片もなく、黒縁眼鏡をかけた――とても優しい人。
 この罪(ゆめ)を一緒に背負おうと。
 一人ではないよ、と。
 独りではないって。
 そんなことを言うような――大莫迦野郎。
 詐欺師で、間抜けで、そして切なくさせるほど愛しい人。
 それが黒桐幹也というヤツで。
 織と同じぐらい大切な――ううん、織はなんだかんだいっても自分だから――自分の事のように、大事に思える人。
 わたしをメチャクチャにしてしまう人。
 完璧な両儀であるわたしをこんなにも犯して、侵しつくして、そして胡乱にさせてしまう人。
 この人が消せないのならば、わたしが消えるしかなく。
 そしてわたしも消えることができないのならば、その人と顔をつきあわせて生きていくしかない。
 完璧という揺り篭ではなく、不完全な生き方を選ぶということ。
 その人と一緒に生きるという不完全な生き方――それがわたしの選んだ道。
 だからその道に従って、この罪(ゆめ)を、この咎(こい)を背負おう。





 そしてはじめて、式は愛しい男に寄りかかり、女らしいはにかんだ笑みを浮かべることができたのであった。














雑記



 ……疲れました(笑)。
 最初のイメージではもっと軽い話だったのに……本当ですよ?
 娯楽作品としてはやや主題が重いですが、それでも楽しんでいただけるよう色々手腕をこらしたつもりです。
 読者の方はこむずかしいことを考えず、ただこの話を楽しんでいただければ、それにまさる喜びはありません。



 西奏亭のbbsのあとがきや作者の態度についての論をみて、ちょっと格好つけて書いてみました(笑)





追伸
 鮮花のストレス解消のためのマクラへのかかと落としは第四回人気投票のキャラ説明の記述にあります。けっして秋葉と混同したわけではありません。


 またエピローグの鮮花と式の話は時間軸が前後していますが、読後のことを考えて、この順番にいたしました。




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