おり(織り/澱/檻)








 黒桐は顔をあげる。
 カーテンを離すと、ばさりと音を立てておちて、部屋が闇に包まれる。
 そのまま、まだ濡れたままのコートを着込む。
 ドアを開けると雨がしとしと降っていた。
 人を憂鬱にさせる雨。
 町全体を包み込む昏い雨。
 街灯の明かりが雨を浮かびあげる。それだけでかなり降っているのがわかった。
 大きく息を吐く。もう初夏に入っているというのに、息が白く結晶し消えていく。
 唯一の視界である右目で闇を見据える。
 そして微かに笑うと、出ていった。










 愚かだな、と式は思った。
 なのにすぐに理性が告げる、間違いじゃないと――
 なのにこのがらんどうなものはなんだろうかと思う。
 ほんの少し前に感じた喪失感。記憶の欠如。
 実際に自分が体験してきた出来事だというのに、式には実感がわかなかった。でもそんなことはどうでもいい。
 ただ――前に戻っただけ。
 元に戻っただけなのだから。
 式は眠ろうとしているが寝返りばかりうっていて、眠れそうもなかった。
 ただ想いが、こうまで束縛するものなのか、と思う。
 この重いものが胸の中にあってそれがごろごろとしていて、ざらついて、いても立ってもいられない。ただ辛いだけで。
 雨の日は嫌いだった。
 その日、わたしは死んだから。
 もうひとりのわたし、織が死んだ日は雨だった。
 白純が起源に目覚めて、殺戮を繰り返し、式は自分を見失った。
 この躰の中にある狂おしいまでの衝動、殺人へのとろけるような歪んで昏い欲望につき動かされて、幹也を襲おうとしたあの時。
 わたしは生きていてはいけない狂人なのだと理解した。
 狂っている人間は自分が狂っていることを知らない。
 だから生きてゆける。なのに、気がついてしまった。
 両儀として産まれるということに。
 それは狂っているということ。それは――生きていても仕方がない化け物だということに。
 だから死のうとしたのに。
 結果残ったのはわたし。身代わりに織が死んでしまった。
 もうひとりの半身。片翼。魂の欠片。
 それを失って、わたしは生き返った。
 そのときから、式は過去を失った。
 もともと気が狂っているのだから過去などどうでもよかったのに、それがないだけで不安だった。
 脚もとがふわふわとして地に着かない感覚。
 世界全体が歪んでいて、まっすぐに立っているのも辛い、この感覚。
 ゆらゆらと、ゆららと揺れては返し。
 世界は胡乱でこんなにも不安定で、そして死に満ちていて。
 化け物は片割れを失ったというのに、やはり化け物のままだった。
 ガランドウ。
 からっぽ。
 最初からわたしは人形だったのだと、式は思った。そしてそれは正しいと確信した。
 糸の切れた人形。
 自律し自戒し自由に動くことなど出来ない。
 両儀であるはずの式が片方の織を失った。それは糸が切れたと同じ。もう動けない。
 ただ――朽ち果てていくだけ。
 なのに世界は動き、時は流れ、生きることを強制する。
 このまま死に絶えればいいのに。
 糸を求めて、昔の完璧だった自分を捜して夜出歩く日々。
 それでも――



 考えてはいけない。



 理性が警告を発する。
 早くあの微睡みの中にとけ込みたかった。
 あの黒々として荒涼しきった、凍てつくような冷たい悪魔に心臓を鷲掴みされたかのようなおぞましい“死”とつきあって眠り続けた式にとって眠りはなんでもない。
 だから、あの安息にみちた世界に入りたかった。
 なのに眠れない。
 目を閉じても眠る事は出来ず、ただ幾度か苦しげに息をつき、ごろりと寝転がる。
 どうしても眠れなかった。
 ここは自分の部屋だというのに、眠れないだなんて――つい苛立ちの混じった吐息をはいてしまう。
 式は自分が眠っていい場所でないと眠れない癖があるのを充分知っていた。



――自分の家なのに、な)



 呼吸音だけで笑う。
 その笑いも雨音で消える。
 寝れないのならばいっそ、と目を開けた。
 蒼黒い世界が広がっていた。
 記憶と合致する自分の部屋。でもここで安心して眠ったという記憶は少ない。
 そもそも記憶は織とともに消えてしまったから。
 耳に届く、耳障りな雨音。
 涼しいというより冷たく、空気全体が湿っていて、息するのもおぼつかない。
 溺れているかのように感じられて、つい大きく息を吸ってしまう。
 なんとなくカビ臭い。
 いくら掃除や手入れが行き届いているといっても、この部屋から出ていって生活していたのだから、生活の匂いはいっさいなく、ただカビ臭かった。
 俺に似合っているな、とも思った。
 使われていなくて、からっぽで、がらんどうで、ただあるだけという存在。
 じわじわと溺れていく感覚。
 水が肺の中に入っているというのに吐き出せず、ただ胸が熱く痛くて、苦しいだけ。
 原因はわかっていた。
 式はわかっていたが、認めたくなかった。
 この心の中が空っぽになっていく感覚。
 からっぽの感覚が広がって、どんどん広がって手や足が痺れていくような、貧血にも似た感覚。
 血の気が落ちてしまって、青ざめているのかも知れない。
 この眩暈や立ち眩みにも似た胡乱な感覚。
 だから、原因に対して、そっと呟いた。






 ――――――――――幹也、と。






 酷く――心が酷くわなないた。











「それは初耳だな」



 眼鏡を外し魔女の貌をさらけ出している稀代の人形師は煙草をふかしながら、弟子の話に聞き入った。


「しかし、式と幹也が別れるとは」


 興味が尽きないような声色に、弟子である鮮花は反論する。


「橙子師。そんなことはどうでもいいことです。それに幹也は式とはつきあっていません。訂正してください」


 あれをつきあってないというのかな、と橙子は目の前のよこしまな恋心を抱く弟子にむかって薄く嗤いを向ける。


「そうなんです」


 きっぱりはっきり言い切る鮮花に、くくくと喉奥で笑いながら、橙子は弟子をからかいはじめる。


「でも、それにしては浮かない顔をしているな」
――そ、それは……


 鮮花は目を伏せると、その長い髪で顔が隠れてしまい、その表情は読めない。
 揶揄するように、唆すようにしゃべりはじめる。


「今がチャンスだというのに、お前らしくもない」
……だって、橙子師」


 弱々しい鮮花の声。


「わたしの幹也があんなに明るくふるまうだなんて――
「まぁ失恋のショックというやつだな」


 見ていて痛ましくて、だからソソるけどな、と付け加えて鮮花に睨みつけられるが気にしない。
 煙草の灰を灰皿に落とすと、そのこってりとルージュをつけた唇にくわえてうまそうに吸う。


「まったくみていて飽きないな、お前さん方は」
「わたしたちは見せ物ではありません!」
「充分見せ物だがな」
……………………
「まぁそう睨むな」


 橙子は手をひらひらとさせる。鮮花はやや拗ね気味で口を尖らせながらぶつぶつ言う。


「橙子師は心配ではないのですか?」
「心配?」


 意外そうな顔をする。


「なぜしなければならない?」
「だって――
「たかが社員やバイトのためにか。わたしはヤだね」


 胸元の橙色のブローチが蛍光灯に反射して血の色に煌めく。
 唇がつり上がり、にぃと悪魔のような笑み。


「だいたい鮮花。まず魔術を会得しようというのならばそういった感情は捨て去るべきだ」
……………………
「まぁお前さんはそのために魔術を学んでいるのだから仕方がないがな」


 煙草をくわえ、顔を近づける。まるでキスができるまでの距離まで近づける。
 鮮花は煙草の火の熱ささえ感じられるほど。逆光で橙子の顔がはっきりと見えない。ただ見えるのは胸元の橙色の輝きだけが、イヤに目に入って。
 でもその双眸だけがはっきりと目に飛び込んでくる。いつもは魔眼封じで封じられている稀代の人形師の冷たい魔女の瞳。ギラついていて、背筋をぞっとさせるような狂気に似た輝きをはらんでいる。
 そのくせ澄み切ってキラキラと眩く輝いていて、まるで一対の宝石のようだと、鮮花は思った。
 それに心が囚われる。
 その瞳で見つめられるだけで、わかっていても指ひとつ動かせない。
 魅入られてしまったかのよう。
 魔力によって縛られて知って精神活動が停止してしまったかのよう。
 ふっと、それが和らぎ、すっと離れる。
 深く息を吐いたことで、鮮花は今まで息を止めていたのだと知った。


「さぁ今日の講義はここまでにしよう」


 そういって眼鏡をかける。とたんあの底冷えするような凍えた感覚が消え去る。
 この女性にはまだかなわないわ、と鮮花は思った。
 魔術というものを学べば学ぶほど、目の前の師がどれだけの実力者なのかわかってくる。
 それほどのキャパシティと魔術回路をもち、溢れるばかりの知性と理性と、それをも上回る狂気をもつ稀代の魔女。
 まるで深淵のようだも思った。
 冥い淵を覗き込んだよう。
 覗き込んでも、ただ昏い穴が広がっていて、底なんてとても見えない。ただその深さに、ただその広さに、魂までも吸い込まれていくような本能的な恐怖と畏怖の念を覚えるだけ。


「さぁ未成年は早くお帰りなさい」


 ウキウキとした声。
 どうしたのかしら、と見てみると、ようやく橙子の服がいつもと違うことに気づいた。
 いつもと同じくマニッシュだから気にしなかったが、ただ男物のワイシャツとパンツだと思っていたが今日はきちんとスーツを来ている。
 深い青色で、胸元の橙色のブローチが映えて見えた。
 よくよくみればメイクをきっちりしている。気怠げにかかれた眉、うっすらとアイシャドウに紅く塗られた唇は、大人の女性特有の熟れた色気を感じさせた。
 そんなことにも気づかないなんて、とほぞを噛む。幹也のことばかりに気を取られていたから。


「橙子師、これから――
「ああデートよ」


   にんまりと大人の余裕の笑み。たっぷり塗られているルージュが色っぽい。


 何時の間に、と鮮花は見つめる。この人いつの間に恋人だなんて――
 不審がって見つめる鮮花の視線に気づいたのか、橙子はけらけらと笑う。


「デートといってもそういうのじゃないわよ」


 そうじゃないといってもぴしっとスーツを着込んでいるのはどうみても怪しい。
 式もそうだが、橙子もどちらかというと凛々しいタイプだ。きちんとスーツを着込めば男装の麗人となって、周囲から賞賛を浴びるだろう。
 ちらりと自分の髪を見る。
 長く女らしい髪。
 でもこれは間違いだったのかもしれない。もしかしたら幹也は女っぽい人ではなくて、そういうマニッシュな凛々しい女性の方が好みなのかもしれない。


「クライアントとのお食事よ。ただの打ち合わせ」


 それにしては声が弾んでいると思った。
 まぁそんなことは――先ほどの橙子の言葉ではないけど――どうでもいい。
 それよりも幹也が心配だった。
 うわのそらのくせに空元気ばかりみせて――それが痛々しくて見ていられない。
 式と別れればいいと思っていたのに。あの刃物気違いでは直死の魔眼という神域といってもいい力をもつバカ女が側にいないだけで幹也があんなになるなんて。



 わたしじゃダメなんですか――幹也。



 ついそう言いたくなる。そう思うと目頭が熱くなる。でも食いしばって涙を堪える。
 哀しくて、切なくて、涙を流すなんて、そんなのわたしらしくない。幹也に告白して受け入れて貰えて感動で流す感涙の涙ぐらいじゃないと、流す価値なんてない。
 なんとか堪えた鮮花は深くため息をついた。



 あんな純情な男の人が失恋したのだから、そこにつけこんで甘やかして、わたしのものにするんだから。



 鮮花は立ち上がると、ではお先に失礼いたします、と完璧なお嬢様言葉で伽藍の堂からしずしずと出ていった。
 そんな様子を眺めて、橙子はくすりと大人の余裕の笑みを浮かべた。










 蒼白い世界に、ため息をひとつ。
 式は寝ようとしてごろごろしているのに、逆に目が冴えて仕方がなかった。



――このままじゃ寝不足で死んでしまうかもな)



 それでもいいかと思う自分に気づいて、笑ってしまう。
 空っぽだった自分を埋め始められたのは幹也のおかげだとわかっている。
 織を失って、過去を失って、ただこの狂おしい衝動が澱のようにたまっていく自分がうとましかった。
 血で血を洗う戦いでなければ、生きている実感が得られなかった。
 あの溢れんばかりのアドレナリンが、毛穴から吹き出そうなど。
 沸騰する血液が駆けめぐって、なのに頭はつめたく冴えわたって。
 今生きているのだという充実感。
 怪我も痛みもよかった。その痛みは両儀式が生きているのだと告げているようで。
 痛みだけが、この世界の証だった。
 痛みだけが、いることを実証しているのだから。
 だから橙子の話にのって戦った。ビルの幽霊にも、藤乃にも、あの坊主にも、幹也に似てでも全然似ていない玄霧にも、そして白純とも。
 手は真っ赤だった。
 殺人を犯してしまった。
 もう戻れない。
 独りでは一人しか支えられないのに、それ以上殺してしまった。
   幹也の声が聞こえたような気がする。あの日も雨だった。



 ―― 一生、許(はな)さない。



 幹也らしい告白だったと思う。
 もしかしたら熱に浮かされて見た夢だったのかもしれない。
 ただのわたしの都合のよい勝手な思いこみなのかもしれない。
 それでも――嬉しかった。
 その言葉が、独りではなく一緒に歩もうという決意の告白で。
 痺れてしまった。
 でも、わたしは幹也とともにいられない。
 だから幹也の家のポストに封書とともに鍵を返したのだから。








 幹也は暗い夜道を歩いていた。
 前もこんな時間に歩いたがそのときは両目であったし、なにより脚が不自由でなかった。
 もっと早く移動できたと思う。その思いが焦りとなる。
 コートの中でガサゴソ紙がなる。
 式の書いた手紙が受け取ったときからずっとそこにあった。
 捨ててしまえばよかったのかもしれないけど、捨てると二度と式に会えなくなるような気がして、怖くて捨てられなかった。
 封書の中には便せんと鍵がひとつ。



「逢えない」



 とただ一言だけ。式らしい達筆な文字があっただけだった。
 それをみた途端、胸騒ぎがして、式のアパートへと急いだ。部屋はまだ両儀式が賃貸している契約になっていたし、服もベットもなにもかもそのままで。
 だからこの手紙は冗談だと思って、帰ってきたら笑おうと思って待っていたのに。
 夜いないのは、いつものクセで夜歩きしているからだと言い聞かせて。
 もしかしたら大学でなにかあって、たとえばレポートとかがあって図書館にいるとか。
 そんなことばかり思ったけど。
 終電の時間も過ぎ、夜更けとなっても戻ってこない。
 時計の針は容赦なく時を刻み、空がしらけはじめ、雀が鳴いても、朝刊が届いても、そして隣から朝のニュースの音声が流れてきても、外で集団登校する小学生が騒ぎながら通り過ぎても。
 式は帰ってこなかった。
 ずっと帰ってこなかった。
 そして時計の針がぐるりと一周した時、ようやく事実がじわりじわりと心のにじんできた。
 信じたくないのに、認めるしかなかった。
 式は出ていったということを――


 でもそれは信じられなかった。
 式がいなくなるのは赦せなかった。
 胸が熱くなる。息が出来ないほど、苦しくなる。
 自分でもこんな心があったのかと驚く。
 幹也自身穏やかな性格をしていると思っていたしまわりもそう評価していた。
 なのにこの胸の中にある荒れ狂う感覚に、幹也はいてもたってもいられなかった。



  一生、許(はな)さない
 


 式に直接いった言葉でない。先輩を殺したあの夜。今日のように降りしきる雨の中、気を失っている彼女を抱きしめていったセリフ。
 心からの言葉。
 思えば式には告白してないな、とも思う。



(好きだときちんといったけ――?)



 いった覚えはない。けとも、式にいう必要はなかった。
 式が最近穏やかで、あのイラついたところもなくなり、少しずつ女らしくなっていった。
 それをみつめていればよかった。
 言葉なんていらなかった。
 伽藍の堂にいけば橙子さんが煙草を吹かしていて、鮮花はまぁ魔道書なんか読んでいて、式はソファーに座っていて、どうやって暇を作ったのかかわらないけど大輔兄さんが来ていて、そしてそこにボクが入る。
 いつもの風景。いつもの場所。
 式がいてもいいところだった。
 目を醒めた式がようやく手に入れたいつもの場所。
 過去を失って、織を失って、そして殺人を背負ってしまった式がようやく手に入れたもの。
 ただの平凡な世界。

 ここでくすりと幹也は笑う。
 魔術師の橙子さんと魔女に弟子入りした鮮花がいる世界を平凡っていうなんて――ついついかぶりをふる。
 式の日常。
 失ったものを埋めようとして足掻いていた式がようやく手に入れたもの。
 だから式にはずっといて欲しかった。
 そこにある平凡。そこにある日常。



 また笑う。
 ずっと昔から式に関してはイカれていたのだ、と思う。
 式のためになら何でもしてあげたかった。
 橙子の言葉が思い出させる。



 ようやくお前は人間になれたのだな。



 意味がわからなくて尋ねると、橙子は眼鏡を外してこういったのだ。



 黒桐、覚えておけ。人間には一番というものがあるのだ。今までそれがなかったお前は異常だったんだぞ。
 だからお前は誰にでも優しく、誰にでも接してこれた。しかしだな、お前は残酷になれた。
 一番大切なものがあるからこそ、人間はどこまでも優しくなれるのだし、人間はどこまでも残酷になれるのだ。
 ――その一番のためにな。



(式のためならば、僕は人を殺せるだろうか――?)



 この雨の中ふと空を見上げる。
 厚い雲に覆われていて、月も見えない。
 ただ雨が天から降り注ぐ。
 世界すべてを濡らすために、世界すべてを溺れさせるために。
 しばし幹也は足をとめ、空を見上げたまま。



 答えは出なかった。
 人を殺すという考えさえ幹也には思い浮かばない。
 もしかしたら逆に無抵抗で殺されてしまうかもしれない。
 白純先輩のときも止めるだけで何も出来なかった。
 でもそれは後悔していない。
 目を失っても、走れなくなっても、生きている。
 だから、後悔なんてしていなかった。
 そして。
 式ととも生きられるのだから、と幹也は思った。
 それだけで人生の望みの半分以上は叶ったようなものだから。
 今叶えつつあるのだから。
 幹也はいつしか笑っていた。
 式がいなくなってから浮かべることが出来なかった柔らかい笑み。
 それはとても温かく人を和ませるものだった。
 そしてまた歩き出す。
 前に煌々と灯りがついている店が目に入り、幹也はそこで買っていくことにした。










 幹也


 と、式は愛しくて切なくなる想い人の名を呼ぶ。
 それだけでこんなにも切なくなる。胸の奥がふるえて、その震えで喉へつながって、声さえも震わせていく。
 切なくてたまらない声が、蒼白い世界に広がっていく。
 広がって、霧散して、消えてしまう。
 式は呟いた唇にふれる。その唇は瑞々しく、薔薇のように朱い。
 幹也の顔を思い出すだけで躰が熱くなる。
 躰の奥の芯からじんわりとした蜜がこぼれてくるのがわかる。



 幹也が好きだ。



 式はその当たり前ともいえる事実を噛みしめる。
 幹也のことを思うだけで、この躰も、いえ心までも熱く昂ぶっていく。
 熱く粘ついた息が、部屋に放たれる。
 自分でも躰が熱くなっているのがわかる。
 妙に醒めた自分がて、でも同時に熱で浮かれた自分もいて。
 熱がじわりじわりと躰を犯していく。
 そっと襟元から手を入れてまさぐってみる。
 


――ヤだ……勃ってる……



 式の指先はたしかに尖っている自分のそれを探り当てていた。
  熱く尖っていて、張りつめている。
 それに冷たい指先が触れただけで、躰にふるえが走る。
 甘くジンジンとしたものが閃光となって走り抜ける。



……あぁ……



 躰の奥でじんわりと蜜がでてくるのがわかる。
 どろりとした蜜がじわじわと花芯に迫っているのが感じられた。
 太股をかすかにこすりつける。
 愉悦が走る。
 左手でそっと乳房を掴む。
 張りつめていてやや硬い。なのに柔らかくて、気持ちいい。
 五本の指で掴み、こね回す。
 そのたまらない疼きは式を喘がせる。



……ぅん……っぁあっ……



 その唇は半開きとなり、喘ぎが漏れる。
 その白い肌はゆっくりと興奮で朱色にそまりはじめている。
 右手はそろりそろりと下半身のはしたないところに伸びていく。
 裾をわって、太股の付け根にそっと触れる。
 熱かった。
 蕩けていると思った。
 茂みの下で息づくようにひきつく粘膜が、ちょっとふれただけの指先にからみついてくる。
 とたん、花芯から蜜がこぼれ落ちて、指先にからみつく。
 その熱い感触に、躰をぶるぶると震わせてしまう。
 式の瞳は胡乱となり、熱く潤み始める。そのたゆんだ甘くただ痺れていく感覚に浸ろうと、目を閉じた。
 左手はゆっくりと胸をもみ上げる。
 柔肉を握り、こね、混ぜる。
 乳首が勃ち、こりこりとしている。
 尖りすぎて痛いぐらいなのに、つまむと傷みではなく閃光が走る。
 右手の中指はゆっくりと陰毛からお尻まで淫裂にしたがって撫でる。
 そろりそろりと撫でているだけ。
 愛撫とはいえない繊細なタッチ。
 なのにこんなにも感じていた。
 指がふれる度に躰の奥が疼き、そろりとおりるたびに甘くわななく。
 指にからみつく愛液。
 時折ふれる陰核に、腰をよじらせるような疼きがはしる。
 いやらしいと思う。
 思うのに止められない。
 じんわりとじんわりと広がる甘い疼きは躰を灼いていく。
 じりじりと、じりじりとゆっくりとゆっくりと、とろ火で焙られているかのように。
 なのに火元である淫靡な花芯は熱かった。
 紅く充血しきった淫花は、いよいよ淫らに咲き誇り、熱い蜜をこぼし始める。
 とろりとこぼれ、指さきを熱く濡らす。
 体温よりも熱く、火傷しそうなほど。
 それが指先をどろりと汚す。



――ダメ、ダメよ)



 式は何がダメだかわからなかったが、とにかくダメだということだけがわかっていた。
 この熱い疼きが。
 この疼くとろみが。
 このとろみにも似た熱い愉悦が。
 ただ式の躰を、女の躰を、牝の躰を熱く昂ぶらせていく。
 熱く、ただひたすらに熱く、逃れようもない熱さだけが式の女の躰の中を駆けめぐり、全身を熱くさせていく。
 式は躰をひねって、幾度も走る快感から逃れようとこねくりまわす。
 しかしそれからは逃れようもない。
 白いシーツを皺だらけにしながら、式の今まさに熟れたといえる牝躰がうごめく。
 寝間着ははだけ、裾をわって乳房もその茂みも外気に晒しだしていた。
 それでも式は目をつぶり、その形の良い眉を潜め、快楽に耐えようとしている。
 雨音は遠くなり、今はやらしい牝の喘ぎだけが聞こえる。
 空気さえもその躰の熱さに焦がしてしまうかのように、熱く粘ついた吐息が吐き出されていく。
 いやいやしながらも、その指は、その手はいやらしくはいずり回り、快感を引きずり出していく。
 なぞっている指はいつしか2本となり、筋を広げる。
 充血しきって真っ赤な肉襞がわれて、蜜をどろりとこぼす。それがゆるゆると内股を伝わっていく。
 蜜で汚れた指をぬちゃぬちゃと弄り回して、さらにいじくりまわす。
 爛たような匂いが部屋に満ちていく。
 女のあの匂い。
 その匂いにさらに式は興奮していく。
 自分がこんなにも興奮しているのだという事実が、ますます式を昂ぶらせていく。
 汗をかいていて不快なはずなのに、それさえも心地よい。
 躰の毛穴という毛穴からこの熱いいやらしさがじんわりとにじんでいるようで。
 肌が粘つき、吸い付いてくるようだった。
 太股を擦り逢わせて隠すかのようにするが、その間の手は執拗に弄り回す。
 爛れた花はいよいよ乱れ、いやらしく啼いていた。
 淫蜜をこぼして牡を誘う。
 その花を散らすかのように激しく弄る。
 花弁をひろげ、こすり、ぐちゃぐちゃにする。
 淫水の音が響く。
 蒼白い世界がほのかに桃色になったかのよう。
 聞こえるのは、雨音と喘ぎと淫水の音。乱れた牝の音だけ。
 腰を右に左にとゆすり、シーツを愛液で汚していく。
 空気をいやらしい牝の匂いで汚していく。
 心をやらしいオンナで汚していく。
 汚して堕ちていく、この愉悦。
 その愉悦にわななきながら、式の指はいよいよ激しくなっていく。
 指は攻め続け、式のオンナを責め立てる。



 ……じゅぶ……ぢゅぶ……



 淫水の音がはっきりと聞こえる。
 その音が聞こえると、式の顔はさらに羞恥に染まっていく。
 悩ましげに、震える吐息を吐く式は、オンナの貌を見せていた。
 肌は上気し、薄桃色に染まり、艶めかしい。
 蒼白い世界にうっすらと青く輝くシーツ。
 その上で官能にわななき、全身を薄桃色に染める女体。
 爛れたような牝の匂いがつきはじめる。
 式は羞恥に顔を歪めながらも、花弁をなぞるだけではなく、はしたなく指を埋没させた。
 入ってくる感触に、喉を震わせるが、声はでない。
 空気をただ震わせて、声なく喘ぐのみ。
 淫蜜をかき出すかのような激しい指使い。
 入れては出し、そしてまた入れる。
 そのくせ掌でぷっくりと膨らんだ陰核をこすっている。
 中と外をいじられて、どうにかなりそうなほど。
 淫悦に、爛れていく。
 ぐちょぐちょと粘膜と淫水の音がやらしく響く。
 媚肉は完全にひらききり、牡を受け入れられるようにひくついていた。
 それを指で激しくいじりまわす。
 躰の奥からこみ上げてくる強い疼きに従って、指をさらに激しく、いやらしく、狂おしく。
 強い牝の香りに溺れていく。
 牡を求めてわななく牝躰を慰める指はいよいよ激しさを増していく。
 乳房を虐める手はいよいよ強くなり、握りしめるかのよう。その次の瞬間にはやさしく触れるかのような愛撫。羽根でなでるようなタッチにかえる。
 弱々しいタッチに思わず喘いでしまう。
 乳房全体がじんじんと痺れていく。
 とたんぎゅっとつねる。
 頭が白くなる。
 口を大きく開け、舌まで突き出す。
 声はない。
 ないのに、甘い嬌声は聞こえた。
 喉が震え、全身がさらに紅く艶やかに濡れぼそっていく。
 やらしいオンナの躰が震えて、嬌声をあげていた。
 全身をつかって。
 その目が。
 その喉が。
 その指先が。
 その陰核が。
 その淫花が。
 その乳首が。
 そのやらしい声をあげていた。
 躰をひねり、腰を突き上げ、指をさらに奥へといれようとするが、それを焦らすように指はさがっていく。
 自分の指だというのが式は信じられなかった。
 入れたいと思っているのに、それに逆らう指。
 でもそれによってじれったい疼きがさらに痒みにもにた苛立ちを産む。
 躰の中につまってく牝。牡を求めてひくつく女でいっぱいになっていく。
 男を、硬いソレを、強いソレを、男根を、陰茎を、おちんちんを欲しいと。
 欲しくてたまらないと。
 腰をつきあげ、指でひらき、求めてしまう。
 こんなにも愛液を流して。
 涙さえ流して。
 顔を歪めて。
 挿入してほしい、と。
 貫かれたい、と。
 やらしいオンナになっていく。
 なのに指は逃げていく。
 だけど、それが気持ちよくてたまらない。
 粘つき溺れていくような心地よさ。
 じれったいほどの疼きが淫悦となる。
 えもゆえぬ淫悦が全身をわななかせ、ひくつかせる。
 チロチロと淫靡な火であぶられていく感覚。
 追い詰められていって息さえも出来ない。
 欲しい、欲しい、欲しい、とはしたなく言ってしまいそうになる。
 男が、雄が、牡が――――――――――幹也が欲しいと。
 幹也と別れたというのに。
   もう二度と逢わないと決めたというのに。
 なのに――――――はしたなく求めてしまう。
 幹也が欲しいと。
 見たこともない幹也の勃ったおちんちんで貫いて欲しいと。
 触れたこともないのに、その熱ささえ感じられる。
 その熱くて逞しいソレで、貫いて欲しい。
 この躰にみっちりと入れて欲しくて。
 躰のもっとも奥深いところで、いやらしく繋がりたいと。
 ただ淫らにひとつになりたいと。
 そう願ってしまう。
 そう昂ぶってしまう。
 指があそこをぐちゃぐちやに弄る。
 ぬちゃりというやらしい音がする。
 ぬちゃぬちゃとかき乱す乱れきった音。
 やらしいこの感覚。
 それに委ねてしまう。
 それに蹂躙させてしまう。
 ただ蹂躙されて、犯されていく。
 その愉悦をもっと味わいたくて。
 その肉の悦びをもっと知りたくて。
 その奥にある、秘密の性の奥を見たくて。
 性のだた淫蕩で、ただ淫靡な秘められたものを知りたくて。
 こんなにわなないてたまらないのに。
 こんなにひくついてたまらないのに。
 頭が白くなってなにも考えられないのに。
 幹也のことで悩んでいたはずなのに。
 幹也の、男を思うだけで、こんなにもはしたない気持ちになってしまって。
 躰が疼いてたまらなくて。
 どんなにイヤイヤしても。
 どんにも唇を噛みしめて堪えても。
 どんなに顔を歪ませても。
 どんなに熱く粘ついた息を吐いても。
 もっと深く。
 もっと昏く。
 もっと潰されるような感覚に。
 もっと、もっと、もっと――こんなにもあふれる官能の渦に巻き込まれてしまって。
 爛れた肉欲に溺れてしまって。
 そして股間をはしたなくまさぐる指先は、陰核にふれる。
 それだけで震えて、切ない喘ぎをあげるというのに、そっと皮を剥く。
 外気にふれただけで、びくんと躰をよじってしまうというのに、それに指でつまむ。


――――――――っぁあっ!」


 式の躰が嬌声とともにのけ反る。
 脳髄が直接舐められたかのような感じ。
 ザラりとしたもので擦られたような、たまらない感覚。
 硬く閉じた目から涙がこぼれる。
 大きく開いた口からは涎が漏れる。
 なのにかまわず、そこをつまむ。
 さらに強くつまむと、そこから電流が走る。
 もの凄い電流で狂ってしまいそう。
 全身がのけ反っていく。
 そのまま尖っている硬い乳首をつまみあげる。
 閃光が走る。
 たまらない。
 何もかも真っ白になっていく。
 愛液がどろりと胎内からあふれ出る。
 陰毛も愛液でべったりと抜けて肌に貼りつき。
 その肌からいやらしい液がしみ出てきて、ぬめっているかのよう。
 たまらない熱さに身悶える牝がそこにいた。
 股間をはしたなく淫蜜で濡らし、性欲で惚けた貌をした牝が。
 こみ上げてきた愛欲が、式の意識を飲み込み押しつぶしていく。
 狂おしいほどの愉悦が全身から放たれ、バラバラに引き裂いていく。
 くらくらするほどの官能の波で。
 式の意識を追い詰めていく。
 式の中で燻っていたいやらしい火は一気に燃えさかり、奔流となって。
 こみ上げてくる熱い愉悦が全身を幾度も貫いていって。
 そのたびに身体がびくんびくんと痙攣してしまって。
 それでも指ははしたなく、いじりまわしてしまって。
 勃った乳首をつまみ、勃った陰核をつまみ、さらに快感を貪る。
 こんなにも貪ってしまう。



――――――ぁぁああぁっ!」



 式の口から絶叫ともとれる淫蕩にまみれた牝の喘ぎがもれた。
 それは蒼白い世界を切り裂いて。
 背をのけ反らして、躰をこ刻みに震わせる。
 数巡のちに、力がぬけて、しわくちゃのシーツの上でぐったりと横たわる。
 聞こえるのは荒い吐息と雨音のみ。
 淫蕩にまみれ、淫靡な肢体を晒したまま、法悦に酔いしれ、牝の貌をしたまま、胡乱な頭で――男の、幹也のことを考えていた。



(幹也のことを考えるだけで、自慰に耽れるほど、愛しているのに)



 式は呟く。


「みきやぁ」


 愛欲で上気していても、その声は切なくて、たまらなかった。
 その声も、この蒼白い世界の雨音にかき消えていく。
 幹也のことが、式の心に澱のように溜まっていく。
 逢いたくて、せつなくて、くるおしくて。
 なのに――逢えない。



――わたしが両儀だから、もう逢えないんだ――



 自ら決心したことだというのに、式の心はにがく、息が詰まっていく。
 この灰色で蒼白い世界にたゆんで潰されていくような、そんな気が、した――――

To Be Continued Next Episode.
両儀

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