街中まで来て、車を停めた。
そこからは歩いて行く。
もう少し先まで行って、目の前で横付けという事も出来るけど、それではあ
まりに情緒が無い。
やっぱり、一歩一歩近づいて相手の姿を見つけのが良いと思う。
ええと、待ち合わせ場所はこの辺よね、兄さんは……。
そう、せっかくのデートだから外での待ち合わせにしたのだ。
家から一緒に出るのは、何か違うから。
だから別々に出掛けて、時間と待ち合わせ場所を決めて、外で出会いたい。
こんな変なお願いを、兄さんは文句をつけずに同意してくれた。
先に行って待ってるから、少し遅れるくらいで来てくれればいいよって。
私が兄さんのくるのを待つと言うのも、ちょっぴり憧れるけど、秋葉みたい
な女の子が一人でぽつんと立ってると心配だって、兄さんが。
ふふふ。
普段もこの一万分の一でもいいから、私の事気遣ってくれたらいいのに……。
……いた。兄さんだ。
何処にいたって、兄さんはすぐにわかる。
たとえ兄さんと同じ顔をした人が何百何千人といたとしても、私は絶対にす
ぐに本物の兄さんがわかるんだから。
まして、こんな普通の街中でなら少しも迷うことは無い。
ほら、雑踏の中にあっても一際輝いている。
……少なくとも、私にはそう見えるんだから。
埋没なんてしていないわ、絶対に。
さあ、行くわよ。
「兄さん、待ちました?」
「秋葉。いや、全然。今来たところだよ」
二人とも真面目に話している。
兄さんが私の姿をじっと見ている。
どうだろう。
兄さんの目にはどう映っているだろう。
「秋葉って何着ても似合うと思っていたけど、その中でも特にはまる格好って
のはあるんだな」
「え……」
「可愛い……、と思うよ」
そっぽを向きながら兄さんが言う。
頬が少し……。
私も同じ様に真っ赤になる。
よかった。
これを選んで本当に良かった。
「行こうか」
「はい」
映画。
こういうものには疎いから、兄さんに何を観るのかはまかせていた。
あらかじめ決めてあったのだろう、迷う事無く兄さんは足を進める。
腕に手を回したいな、と思ったけど勇気が出ないうちに着いてしまった。
こういうのは男の人の方から……、兄さんですものね。
暗い映画館の中。
何度か蒼香たちと出掛けた事もあるけど、あまりこういうものを観る事は少
ない。
でも、この独特の雰囲気は決して嫌いではない。
それに、周りに人はいるけど、兄さんと一緒だし。
人の入りは半分少々といった処だろうか。
始まった。
とりあえずは、暗がりに浮かぶ兄さんの横顔でなくて、スクリーンに目をや
ろう。
……。
ふうん、面白い。
けっこうストーリーに引き込まれる。
ある物語の一節がある。
でもその原典を誰も知るものはいない。
目にした者はその断片的な台詞に既知感を抱くのに、誰一人、何からそれを
知ったのかを答えられない。
いろんな候補を挙げて確かめるも答えは見つからない。
そんな謎めいたミステリー。
さまざまに探求が続き、ついにそれは明らかになる。
虚実が入れ替わり、やがて語られる真の物語。
−−−あたし、あなたのことが、好きだったよ。知ってた?
−−−ちゃんと言えなかったこと、すごく後悔してたんだよ。知ってた?
−−−誰にも渡したくないって、今でも思ってる。知ってた?
−−−じゃあ、さよなら。もう逢えないけど。……これは知ってたでしょ?
スタートの一幕がラストに転じる辺りには、すっかり涙ぐんでいた。
幻想的なストーリーと優しくも哀しいラブストーリーの融合。
兄さんがそっとハンカチを出してくれた。
目尻を拭う。
返しかけて、兄さんの手を握った。
兄さんはちょっと驚いた顔をして、でもそのままさせてくれた。
二人で手をつないでクライマックスを迎え、その余韻に浸った。
◇ ◇
「よかったよ、気に入ってくれて」
映画館から少し離れた品の良い洋食屋。
次に入ったのは、兄さんのお勧めだというお店だった。
「兄さん、よく来る処なんですか?」
「一度だけね。有彦に教えて貰ったんだ。でも雰囲気も良いし当たりだったかな」
「そうですね、良いお店ですね」
そう大きくは無いが、なんとも言えず落ち着く雰囲気。
内装とか、浮ついた感じの無い上品さが心地よい。
注文を取りに来た店員の応対なども洗練さを感じさせる。
湯気を上げたお皿が運ばれた。
「とりあえず食べようか」
「はい」
さっきの映画の事など話しながら、ナイフとフォークを動かす。
美味しかった。
食事を楽しむなんて、久々のような気がする。
こうして兄さんと二人きりでお喋りしているだけで、この上の無い極上の食
事に思えてくる。
「何か飲むもの頼もうか? それともデザートでも?」
話が弾んでいるうちに皿は下げられている。
既にティーカップも空だった。
「そうですね、もう一杯、今度はダージリンにします」
「うん」
兄さんが女給さんを呼んで注文をする。
また、とりとめのない会話。
そしてしばらくして、お盆を片手に注文の品が運ばれた。
「で、兄さんはそれを注文なさったんですか」
「うん」
「なんでまた」
「いや、お勧めって聞いたから。一人で来てこんなの頼めないし、有彦と来て
一緒に食べるのも嫌だしさ」
プリン・ア・ラ・モード。
兄さんが頼んだのは、生クリームとフルーツを従えたプリンだった。
美味しそうと言えば美味しそうだけど。
「兄さん、甘いものは苦手……、じゃないですね、そう言えば」
「プリンにはちょっと思い入れというか、昔の思い出があるんだ」
少々恥ずかしそうにしながら、兄さんは食べ始める。
スプーンが動き、ぷるぷるとした山を崩すのを、眺める。
う……、なんだか兄さんが可愛い。
「何だ、秋葉も食べたかったのか?」
じっと兄さんを見つめていると、訝しげな顔をされた。
別にプリンが欲しい訳では……。
「ほら」
え?
一匙しゃくると、兄さんは手を伸ばして私の口元に差し出す。
そんなに物欲しそうに見えたのかしら。
反射的に口を開けて、それを咥えた。
うん、この生クリームと混ざった味がなんとも言えない。
確かに美味しい。
……って、味わってる場合じゃなくて。
これって。
間接キスよね。
兄さんと……。
かあっと頬が熱くなる。
兄さんも自分の行為に気づいたのか、頬を紅潮させている。
わ、わ、恥かしい。
「兄さん、私、ち、ちょっと化粧室へ」
「あ、ああ」
緊急退避。
逃げる必要はないけど、不意打ちみたいだったから。
びっくりした。
鏡を見ると、あーあ、真っ赤。
本当に、中学生のデートみたいだ。いや、小学生かしら。
なんでこんな事くらいで。
意外と免疫ないものね……、私。
まあ、いいわ。
少し間を置いた方が兄さんも落ち着くし。
このままだと変にぎくしゃくしちゃうものね。
せっかく来たんだし。
どうせだから……、紙はあるわね。
こういう処も綺麗にしているのは一流ね。
さて、と。
ええと。
あれ?
……。
なんで?
嘘?
どうして?
なんで、私何も穿いていないの?
ぱんつはどうしたのよ。
途中で脱げた?
まさか。
良く考えるのよ。
冷静に、落ち着いて。
冷静に事を運べばいつもうまくいくものなんだから。
……。
もしかして、朝から?
慌ててお風呂にもう一回行って、その後で……。
あああああ。
バカ。
私のバカ。
気付かれてないわよね。
兄さん、気づいてないわよね。
大丈夫よね。
うん、それは大丈夫だわ。
でも気を付けないと。
こんな街中でのーぱんでいるなんて、絶対に気付かれる訳にはいかない。
とりあえず戻ろう。
長居するのは変だし。
平静に、落ち着いて。
さっきまでのように自然に。
うう、意識するとなんだかすーすーするように感じる。
なんでさっきまでは平気だったんだろう。
「どうしたの、秋葉?」
「え、な、何ですか、兄さん」
「いや、トイレ行ってから何か変だから」
「そ、そんな事はありません」
「そう……?」
ダメ、兄さんを正視できない。
そんな様子が、より兄さんに不審がられるのはわかるけど。
《つづく》
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