同刻――
竹箒を片手に抱えた翡翠は、動く金色の影を見て手を止めた。
昼の下がりだというのに、メイド服のままで屋敷の庭を掃き清めていた翡翠
は、屋敷の窓の下に誰かが要るのを見いだしていた。
そっと足音を殺して近寄ると、窓の下に背を屈めて隠れているのが、志貴の
知人の一人、アルクェイドであると分かると、翡翠は目を細くしてその姿を見
守った。
アルクェイドは背を屈めて、こそこそと窓の向こうを眺めていた。そして、
悔しそうに溜息をつくと、頭を振ってどっかと腰を芝生の上に下ろす。
――なにをしているんだろう?
そう翡翠が思うのと、アルクェイドが植え込みの影から覗く翡翠を見いだす
のはほぼ同時であった。
アルクェイドは白いエプロンと竹箒を茂みの向こうに見付けると、自分がこ
こに居ることが発覚したと知り、なんとも困った顔になる。芝生の上に腰を下
ろしたまま、アルクェイドは親指の爪を口元に持っていき、噛むような仕草を
していた。
そんなアルクェイドは自分を見付けた翡翠に気恥ずかしげな表情を見せる。
一方、屋敷を覗くアルクェイドをさらに茂みの向こうから覗いていた翡翠は、
アルクェイドの視線を感じると、一瞬動揺を感じていた。が、それが表情や仕
草にはまったく現れない。ただ、この屋敷の使用人として隠れている筋合いは
ないので、すいと茂みから現れてアルクェイドの方に進んでいく。
自分の方にやってくる翡翠を見て、アルクェイドは何とも言いようがない、
困った笑いを浮かべる。そして、背中を壁に預けながら、片手を軽く上げる。
「や、翡翠ちゃん。御邪魔しているわね」
「……ようこそ。その、アルクェイド様、何をなさっているのですか?」
闖入してきたアルクェイドに対しての、奇妙に構えた翡翠の挨拶。アルクェ
イドは自分と窓と壁とを交互に目をやってから、肩をすくめて笑う。
「んー、今日も暇だったから志貴を追っかけてきたんだけどね……でも、あの
女がべったりだったから」
翡翠には、あの女というのがシエルだと言うことは容易に見当がつく。なに
しろ、このアルクェイドとシエルは主人である志貴を巡って恋の鞘当てを繰り
広げるライバル同士であり、両方とも常識はずれした人間であると翡翠は熟知
している。
ただ、翡翠はシエルへの論評を控えて黙っていると、アルクェイドは悔しさ
よりも苦笑いの多い、僅かに陰った表情で続ける。
「で、この屋敷まで追っかけてきたんだけど、今度は妹と三人でいい感じで……
いい感じだったから、ここでちょっかい掛けると志貴に嫌われそうだったら。
で、こうしているんだけど……翡翠ちゃんはどうしているの?」
「私は庭の掃除をしておりましたが……アルクェイド様もお越しになっていた
のでしたら、是非とも一声お掛けいただければ」
そう言って頭を下げようとする翡翠に、アルクェイドは手を降ってそんなに
仰々しくなくていいの、と止める。そして、アルクェイドは翡翠の様子を上か
ら下までじっと眺め、箒の柄までじっと眺めていた。
アルクェイドは背を壁に預けたままで、こう尋ねる。
「……翡翠ちゃんはいいの?」
「……?」
「妹と志貴とあの女と琥珀さんが一緒にお茶を楽しんでいるのに、一人だけ仲
間はずれにされて。あ、私はいいのよ、今日の所はおじゃま虫だから」
アルクェイドは無心にこう尋ねていた。普通、そうは思ってもなかなか気兼
ねなどがあって尋ねられないが、アルクェイドはその辺には無神経とも言える
図太さがある。
一方、そんな質問をされると思っていなかった翡翠は、きょとんとアルクェ
イドを見つめ、一体どこに質問の核心があるのか――といった顔をしていたが、
すぐに普段の翡翠の顔に戻っていた。
「私は仕事の最中ですので、お呼ばれしない限りは」
「えらいのねぇ、翡翠ちゃん。まったく、ずぼらな志貴には勿体ないから私の
とこの使用人に欲しいぐらい」
そう言ってアルクェイドは茶化して笑うが、翡翠はそれに和さなかった。
「それに、今日は姉さんが新茶をテイスティングされる日でして――」
「あ、そうなの……」
「恥ずかしながら私はあまり味が分かりませんので、同席させて貰ってもお役
に立てません。ですので、私はこうしているのが一番なのです」
そう言って、翡翠は片手に持つ箒を軽く持ち上げてみせた。翡翠はごく当然
のことを話しているつもりであったが、我知らずが言葉に交じってしまう。
アルクェイドは翡翠の言葉を聞いていたが、はっとして翡翠を見つめるその
顔には悲しみの色が走る。孤独と言うことにひときわ鋭敏な、彼女の反応。
――寂しいのは、嫌……
しばらくしてから、アルクェイドはなにかを思い付いたらしくやがて腰を芝
生から上げて立ち上がる。そして、にまっと笑って翡翠の方に歩み寄ると――
「だめよ、翡翠ちゃん。もっと積極的にアタックしないと」
「……?」
「志貴はほら、ああいうトーヘンボクだから翡翠ちゃんが黙っているのが都合
良いかも知れないけど、やっぱり女の子は積極的にならないと」
アルクェイドはぽんぽん、と翡翠の肩を叩く。
一方、叩かれた翡翠はまたしてもアルクェイドの意図が分からずに、きょと
んとした顔になる。そんな状態ながらも、なおも翡翠はなんとかアルクェイド
に向かって喋ろうとする。
「志貴さまは……私の主人ですので、積極的とか仰られても……」
「翡翠ちゃんだって、メイドさんである前に女の子でしょ?だったら、志貴を
引っ張り回しているくらいが一番なの――ま、私は女の子と言うより、好きな
事を好きな風にやってるだけなんだけどね」
アルクェイドは続けてぽんぽんぽん、と両手で翡翠の肩を叩く。
「妹も、志貴の妹だけって感じじゃないし、あのバカ娘も……そうそう、翡翠
ちゃんも大人しすぎると、琥珀さんに志貴を取られちゃうかもしれないわよ」
「……ね、姉さんが、って、何を仰るんですか!」
姉の名が出た事でつい声が高くなってしまった翡翠は、改めて自分の動転を
思い知らされて両肩をアルクェイドに押さえられながら恥ずかしそうに俯いて
しまう。
姉さんが志貴さまを……と小声で呟く翡翠を、アルクェイドは見逃さなかっ
た。にまにま笑うアルクェイドは、翡翠の両肩から手を外すと、すぐに翡翠の
袖を指に絡めて手に取る。
「……?」
「ふふふ、じゃ、このアルクェイド・ブリュンスタッド様が志貴へのお手本を
見せて上げるから、ついてきて!」
そう言いながら、アルクェイドは翡翠の腕を掴んで、ぐいぐいと歩き出す。
その方向は、庭を横切って玄関や通用口に向かうわけではなく、目の前にある
居間に繋がる窓へとまっすぐに。
狼狽する翡翠は何とか踏みとどまろうとするが、勢いがついた超常生物であ
るアルクェイドの前ではあまりにも無力であった。ずるずると引きずられるま
まに進む翡翠が見たのは、錠が下ろしてある筈の窓を何事もなかったかのよう
に開け放つアルクェイドの後ろ姿だった。
手を引っ張られるまま、翡翠はその声を聞いた――
「やっほー、志貴、遊びに来たよーっ!」
「ぬわーっ!何でこんな所に乱入して来るんですか、このバカ吸血鬼!」
「なっ……何事ですか兄さん!」
「お、俺に聞くな、その窓からやってきたヤツに聞けーっ!」
「あら珍しい、翡翠ちゃんまでご一緒ですねー」
「姉さん……ごめんなさい……」
「あ、それ美味しそう。私の分もある?琥珀さん?」
「ぬーっ、私のことを無視しないでください!」
――いつもの、いつもらしい遠野家のティータイムの風景だった。
〈了〉
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