―― 3.Third Stage 泡沫ノ夢 ――
誰かが、俺を殺人鬼と呼んだ。
誰がそう呼んだだろうか…。
俺はその言葉を聞いてもなにも思わなかった。
否定も肯定もなく
ただ、受け止めている。それはごく自然であることのように思えた。
俺は俺という存在をよく知っている。
だからこそ否定などできるものか
俺は、――――
とても懐かしい、夢を、見た――――
懐かしい?
覚えが無い俺は、疑問を面に表す。
そいつは本当に懐かしそうに、幾分嬉しそうにしていた。
ああ、懐かしいよ。久しぶりだ。
なにが?
なに?そんなことをお前がいうのか?
なんだって、そんなこと俺にはわからないよ。
わからない。
わからないものはわからないのだ。
そのことは彼の機嫌を損ねることだったようでその叱責は語彙の厳しさを含ん
でいた。
なら、自分の手を見てみろよ。それだけで充分だ。
さも、つまらないことのように言い放つ。
人よりもよく『見えてしまう』目のせいか「一見にしかず」と言う言葉を他人
以上に充分理解している。
見ると手には七夜、今の自分を象徴するようにそこに貼り付いている。
握りは柄にも無くきっちり、むしろぎちぎちに握られていて離れないまるでそ
れが自分の一部であるかのようだ。
七夜が何かで汚れている。
――――それは、もう滴りもしない血潮だった。
―― 素人かよ。お前は、
血は外気に触れると凝固するんだ。油も拭き取ってない。
まったく無様だ。
俺ともあろうものが、そんな無様を晒すな。幻滅させられてしまう。
嘘だ。
嘘なものか。
路地裏にはなにがあったか…お前は知ってるはずだろう?
嫌だ、路地裏…そこにはいきたくない
なぜだ?
そこには、――――
はぁ、はぁ、はぁ、
息が詰まる、呼気と吸気が均等で定まらず。酷く、乱れていた。
熱い…季節に見合わぬ体温の上昇に身体がどうにかなってしまいそうだ。
路地裏に向う。
灯りもすくないそこはやはり薄暗かった。
当然、視界が悪かったが目の覚めるような朱…そんなものはどこにもない。
あいつが嫌なことばかり言うので過敏になっていたのだろう。なにもないとも
言えるその光景に安堵する。
なんだ、なにもないじゃないか。
本気で言ってるのか?飽きれるぜ。
息が荒いぞ?まぁ、深呼吸でもして落ち着けよ?
ああ、そうかもしれないな。
空気を吸い込む…途端に咽た。
生臭い。これは、――
懐かしいだろう?それとも、これも忘れちまったのか?
血の、匂い
咽るようなその匂いになぜ気付かなかったのか?
それよりもなぜそんな匂いがここに充満されているのか?
はははは、なぜ?そこに血溜まりがあるからに決まってるじゃねぇか?
腑抜けたか?愉快過ぎるぜ、お前
血は空気中で酸化し凝固する。血は酸化すると黒くなるんだよ、憶えとけ。
昏い朱は闇に熔ける
血を誤魔化すには闇が一番だって知っているはずだ。
なぜ、夜に誘われるのか?
なぜ、夜を好むのか?
それが答え。
だから、白い色は癇に障る。
光を一身に集めて、すべてを色を含みながらその色には染まらない。
全てをもつがゆえに色をもたないその色
―――― 穢してやりたくなるんだ。
違う、俺はそんなことは思わない!思ったりしない!
そうか?…まぁ、お前が言うならそうなのかも知れないな。
ゆっくり思い出すと良いさ。俺はお前なんだからな…
もういい!お前は消えろ!!!
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…
「酷いよ、遠野くん…」
女の声がした。
(被害者の声…また、幻聴か?)
俺は、いつになく醒めない夢に辟易していた。
夢を夢と認識すれば夢は醒めるものなのに
「おまえは誰だ?」
「酷い、酷いよ、遠野くん。約束したのに…」
約束?わからない
しかし、記憶に有るのはその姿、それは、――
「…弓塚さん?」
「約束したのに…」
『兄さん、そのときは私を、殺してください』
(え…?俺が、殺す?)
「酷いよ…ピンチの時は助けてくれるって言ったのに…」
ころす、あ…?
助け?
な、に…俺そんな約束、したか?
「知らない…。そんなの知らない!俺はそんな約束していない!」
「どうして、そんなこと言うのよ!」
吼える弓塚の口元から発達しすぎた犬歯が覗いていた。
(なんだよ、それ…なんでそんなことになってるんだよ、弓塚!)
『ほら、見たことか…』
誰かが俺を嘲笑う。
煩い、黙れ!
「遠野くん…」
「くるな!」
なんで、弓塚が吸血鬼なんだよ
殺人鬼はロアじゃなかったのかよ?ネロじゃなかったのかよ?
ゆっくりと距離を詰める弓塚、それは襲い掛かるといった様相ではない。
ただ、擦り寄ってくる子犬のような気がした。
でも、違う。
俺の中のなにかが、それは違うモノだと警鐘を鳴らし続けていた。
くるな、くるな、くるな、くるな!
「どうして?近づかないと遠野くんに触れないよ。」
くるな、くるな、くるな、くるな!
くるな、くるな、くるな、くるな!
「俺に近づくなっ!」
「そう、やっぱり私を見捨てるんだ…。遠野くんは」
伏せ目がちに頷く、再び彼女が面をあげたときに覗けた目にあるものは―
かつて見たことのあるものと非常に似通った光を宿しており、俺はそれをよく
知っていた。
考えるよりも早く、理解するよりも的確に、
俺は行動していた。
「やっぱり、酷い人だよ…遠野くんは、また…私を殺すんだね?」
―――――― 誰も、いない
いないじゃないか。
誰も
はは、あははは、
いないじゃないか
あはは、あはははは!
「――貴さん、志貴さん!」
「…あ?」
琥珀さん…?
「翡翠ちゃんから聞いて…もう、驚いちゃいましたよ。」
「いや、心配掛けた…かな?」
「ええ、それはもう♪」
琥珀さんは水の入ったコップそして薬包紙に折り入れられた粉薬が乗せられた
お盆を抱えていた。
「あ、薬…用意してくれたんだ?」
「はい、一応お薬は用意しましたけど…どうされますか?」
琥珀さん、薬…
思い起こすなにか。俺は、―――
やめろ、俺はなにを聞こうとしている!?
手に取った薬は粉薬で市販のものではない
こくり、喉がなった。
手元には水がある丁度よいじゃないか。
薬の封を解いて、琥珀さんから受け取った水を口に引き寄せた。
そして、止まる。
やめろ
「ねぇ、琥珀さん…これなにかな?」
彼女の様子に不審な点は見当たらない。
当たり前だ。琥珀さんはいつだって俺に笑いかけてくれていたじゃないか。
「はい?なにっていっても、解熱と鎮痛のお薬ですよ。酷く辛そうにされてま
したので」
「いや、気にしないでただ、ちょっと気に掛かっただけだから。」
「そうですか。うふふ…なんなら元気がでるお薬も用意しましょうか?」
琥珀さん、そのフレーズは退くような、惹かれるような
いや、これ以上、俺を堕とさないで下さい。お願いします。
「ふふ…残念です♪」
なぬっ、冗談ではないとなっ!?
…って、残念ってなんですかぁ!?
「秘密です。」
琥珀さんは凄い。掴みようが無いと言うか、俺に微塵も隙を見せない。
「琥珀さん、俺で遊ばないでくださいよー。」
「んー、考慮しておきますね。」
くすくす、と変わらぬ笑みを浮かべながら盆を胸に部屋を出た。
また一人になる。
いや違うここには琥珀さんもいるし翡翠も、秋葉だっているはずだ。
しかし、この場には俺一人、また夢の世界に陥るとも限らない。
ギシ…体を持ち上げる。
重量の局所集中によりベッドのスプリングが軋み音を立てた。
日が落ちてからまでそう時間が経つでもない。
夜の帳は完全に空を覆い切らず、西の空を朱紫に染め上げていた。
落ち着かない。
じっとしていたくない。
それは衝動や強迫観念に近いものだった。
意識しないまでも先ほどの夢が効いているのだろう。
夢見がわるいではなく、悪夢だ。
俺は人を殺すし、弓塚は吸血鬼だ。
一連の騒動…いかに印象深すぎた経験とは言え、日も経っている。
神経が高ぶっているという節は適用し難いだろう。
「いったいどうしたんだろうな、俺は…」
一人愚痴るが、どうしようもない。
俺は上着を手にとって立ち上がった。
翡翠から受け取った通用口の鍵は実のところ返していない。
気付いていないことはないだろうから、俺が自分から返すのを待っているのだ
ろうか? それとも俺の息抜の道として残してくれているのだろうか?
わからない。
落ち着かないから、外に出る。
それはどうにかなってしまいそうな自分を持て余す俺の他愛無い足掻きにすぎ
ない。
幸いにして秋葉にも翡翠にも見つかることなく外にでることができた。―今は
なんとなく二人には逢いたくない。 琥珀さんならば、俺の行為を汲み取って
容認してくれるが翡翠と秋葉は如実に顔に出る。
そんな目で見られると本当に俺自身が壊れてしまいそうだった。
怯えることはなにも無い。屋敷に戻れば琥珀さんが
『志貴さん、駄目ですよー?そう頻繁にお屋敷から抜け出ちゃうのはいけませ
んねー♪』
なんて向えてくれるのだろう。その隣には物言いたげな翡翠と
『今度こそは勘弁なりませんよ、兄さん!』など突っかかってくる秋葉がいる。
現金なもので外にでる途端その帰るときの情景が思い浮かぶ。
『俺が帰る場所はここなんだな…』そう思える一瞬だった。
(ここは…こんなにも人がいたっけか?)
夜の繁華街を歩く俺の印象はそれだった。
日々暮らす日常の人々の前では、殺人鬼の恐怖は知らない世界のものでしかな
い。
現金なもので人はたった数ヶ月で夜の恐怖を忘れていく…。
かつてのようにこの世界では何処かで『行方不明者』が生まれているのだろう。
人の世界で『行方不明』は事件ではなく、日常のよく有ることの延長としか捉
えない。
誰もがそれが違う世界へ繋がる日常にぽっかりと口を開けた一方通行の門であ
ることを思いよらないのだ。
誰もが同じだ。誰もがそんなことを考えて生きてはいない。
そんなことに囚われ続ければ、人は狂うしか道は残されていないだろう。
いうなれば、俺が先生に出会わない――――
人差し指で眼鏡をずらす。悪戯にすることではないと思ってはみるもののそん
な気分にしたがって俺は視界の端に死の線に張り巡らされた世界を眺める。
―出来の悪い落書きの世界で埋め尽くされた世界。
if...「もしも…、ならばの世界」で俺は確実に壊れていたことだろう。
先生の約束がなければ、俺はこの壊れやすい世界の中で自分自身を壊して行く
に違いない
世界には俺が辿らなかった遠野志貴の可能性が至るところに散りばめられてる
――――そんな気にさせるほどの経験を俺は身をもって体験させられた。
その点に関しては俺自身も同類だ。日常の方がなによりも重いし、大切である。
そうそんなものよりも、なによりも大切なものがあればこそ、そんなことに気
を割く気はない。
――優先順位とでも言うのか、前を向いて生きていくべきではなかろうかと俺
は考えるのだ。
俺はいつの間にかいろいろと想い出深いあの公園へと自然に脚が向いていた。
なぜか、人の気配はない。未だこの地にはなにかがあると言わんばかりに人と
いう人の気配が排除されている。
夜の冷え冷えとした空気がチクチクと肌を刺す。
ここでは、いろいろなことがここにはあった――――
あの時、物理的な衝撃とも取れる衝動に、自分を失いそうになったこともある。
そのときは先輩がいてくれて良かった。さもなくば俺は自分の線を自分で切り
裂いていたかもしれない。
アルクェイドとともにネロと戦ったな…。あの時は死にかけた。
先輩とアルクェイドが殺し合いしていたのもここだ。先輩のもう一つの姿を見
たのもここ…
先輩は普段の先輩とはまるで違っていて…でも、先輩は先輩だった。
我が身を間に身を刺し入れたはいいが、ここでも死にそうだ。
アルクェイドに襲われたのもここ。
アルクェイドの奴俺をロアなんて言って…そのときは怖かった。冗談抜きで殺
されるかと思ったよ。 結果として見れば、アルクェイドはアルクェイドなり
に俺を助けようとしてくれたみたいだった。
俺だってあいつが嫌いなわけじゃないんだから。
もうすこしわかりやすくしてくれると嬉しいんだけどな…
(――――同時におとなしくそんな状態になれば、かなりの高確率で俺が先輩
に殺されるけど)
アルクェイドを先輩が止めに来たあと、ロアと身体の占有権を争った。
アルクェイドの一押しがなければ、俺はロアに負けて取り返しのつかないこと
になってしまっていただろう。
アルクェイドにも、先輩にも、俺は頭が上がらない。
「それはこれからも、ずっとそうなんだろうな…」
(なんだか今纏めて振りかえると殺されかけたり、死にかけたりしてばかりだ
ったけど…)
それでもここは大切な想い出が濃い場所だ。
クスクス
知らずに笑みが零れた。
大丈夫だ。…今、ここで俺は笑える、笑えるのなら、俺は大丈夫さ。
「なにをそんなに嬉しそうにしているんですか、遠野くん?」
暗がりから浮びあがるような人影
「ここでいろんなことがあったなーってね…。」
俺は別段驚いた風貌もなく自然に答えていた。
夜の空気が、とても澄んでいる気がして、俺の笑みはなお色濃くなっていく。
そんな俺を彼女はとても不思議そうに眺めていた。
「驚かないんですね…、私がここにいること意外じゃなかったですか?」
「充分驚いてるさ…今、『先輩に逢いたいなぁ』
―なんて思っていたから特にね。」
臆面もなく、そう言った俺に先輩は恥ずかしそうに頷く
「私も、私も遠野くんと逢いたいってずっと思ってます。」
「逢えるさ」
「いいえ、逢えません。学校でも、家でも…、必ず邪魔が入ります。
なかなか二人きりにはなれません。」
その言葉に俺はなにも言えなくなる。
もとよりアルクェイドとシエル先輩は犬猿の仲だった。
加えて秋葉とも仲が悪い。 それはすさまじいばかりで改善の余地はなんじゃ
ないかとすら思ってしまいそうなほどだ。
それは、三人そろえば事態は改善する…筈も無く、
それどころかネロじゃないけど混沌が召還されたんじゃないかとすら思えるほ
どのもので…(もしかすると、その表現すら生温いかもしれない。)
みんなが大切―と言うことは、贅沢で傲慢なことなのだろうか?
でも、俺は誰かを切り捨てて考えるなんてことはできないし――――
俺は、
「それは――――」
「『しょうがない』で済ませたくないです。ずっと、ずっと一緒にいたいです。」
先輩は胸がぐっとなるようなことを言ってくる。
俺は、申し訳なさと愛おしさで胸が一杯に満たされていく…。
「ごめんなさい、遠野くん。私、凄く焼き餅焼きです…。」
俺はそんな先輩にノックアウト寸前だった。
そんな気持ちを前面に出そうと言葉を尽くそうと思うのだが巧く言葉が纏まら
ない。 結局はなんの飾りも無くただ、思ったことを口にしただけだった。
「いいよ、先輩。…そんな先輩もかわいいと思う。」
「そう…、ですか?私、本気にしちゃいますよ?」
覗うように見つめてくる先輩、未だ赤らんだ頬は色づいたままで
照れて頬を朱く染めている先輩はすごくかわいいと思う。
「ほら、すごく可愛い。」
先輩は照れて、紅くなって、嬉しくて、どうしようもない自分を誤魔化すよう
に語り出した。
「…本当のことを言うとですね…、虫の知らせなんです。
『ここに来れば遠野くんに逢える。』 ―― そんな予感がしました。
それは正しかったです。」
先輩はなぜ――
そんな、なんでもないようなことを、
「そしたら、本当に遠野くんがいるんですよ!?」
本当に嬉しそうに、
「私、うれしくなってしまって…、思わず考え事している遠野くんに声をかけち
ゃいました。」
俺に、語り掛けてくれるんだろう?
そんなことをされたら俺の方も、どうにかなってしまいそうで――
視界に降って来たのは夜目にも白い女の影だった。
その姿を確認すると同時に、気の抜けたような自分の吐息が漏れるのを聞いた。
な、なんか凄くアレな展開の予感が…
「ふっ、ふっ、ふっ…志貴、みぃ〜っけ♪」
「だから、不吉な予感もしてたんですかね?ああ、こんちくしょう!って感じ
ですよ……この『あーぱー吸血姫』」
くすくすくすくすくすくすくすくす…
ああっ、先輩!?
「逢えて言っておきますが猛烈に嫌な予感も…、してたんですよ?くすくす、
それも当たっちゃいました…そんなのは当たらなくても良かったんですけど、
ねぇ…アルクェイド?」
「凄い、凄い♪ 私、なんとなくここにくれば志貴に逢えるんじゃないかって
思ってたんだよ!?」
やっぱり話を聞かないし…
アルクェイドはもう何事にも変え難いかのような喜びようで、
シエル先輩の口から漏れる笑い声が、なんだか何かの呪詛の如く聞こえて、そ
れが怖くて…、
ただ無力な俺は仰ぐように空を見上げるんだけど、そこには白い月が浮んでい
て、なんだかその白いはずの月が朱く見えるような気がするのが気のせいだっ
たら嬉しいなぁなんて思ったりするんだけど、それが気のせいであっても現状
は変わらなかったりする。
「アルクェイド?そろそろ国が恋しいとはおもったりしないんですか?
城主が城を空けるのは感心出来ないことだと、真剣に思うのですが…」
夜なのに蔭を背負った先輩がこめかみ押さえながらアルクェイドにゆっくりと
言い聞かせた。もちろん通じないだろう。
「あれ、シエルがなんでいるの?」
「あなたみたいな野生動物が私に気付かないはずが無いでしょうがぁ!」
「だって、シエル黒いじゃん?」
「くっ黒?今日は私服です。黒じゃありません!何が言いたいんですか、
あなたは!」
確かに先輩の法衣姿はいずれも黒ではあるが…
でも、今夜は私服…ちょっと至福なんて良い感じ
「先輩の私服姿…、ちょっと斬新」
「遠野くん、どうもありがとう♪」
で、『ぎろり』と擬音語で飾り立てることしかしようがないような視線を投げ
かけ、敵意とも取れそうな警戒心を剥き出しでアルクェイドに応対
「――――で、あなたはなんのようなんです?」
「え?私、シエルになんか用はないよ?」
「なら帰ればいいでしょう!」
「そんなわけいかないよ。私、志貴に逢いに来たんだもの」
「不許可ぁ!」
「なんでシエルにそんなこと言われなきゃならないの?」
「せっかく良い雰囲気だったのに…せっかくの二人きりだったのに…久しぶり
の、だったのに!」
面白くなさそうなアルクェイド
先輩の呟きにも違った意味で胸が詰まる。
あっけらかんと俺に逢いに来たと言うアルクェイド
先ほどまでは本当に喜んでくれていた先輩
どちらをたてることもなく俺はただ二人の平行線な言い合いを聞いている。
「なんで?いいじゃん、シエル学校で志貴と逢えるんでしょ?」
「たしかに逢えることは逢えますが…」
これはちょっとやそっとじゃ終わりそうにもないな…
俺は気軽にそんな風なことを思って、息を付いた。
「私だけだよ…妹だって、シエルだって、志貴と逢えるじゃない?
私だけ朝も駄目、学校も駄目…夜も駄目、
そんなこと言われたら…私、全然志貴と逢えないよ。」
アルクェイドの吐いた台詞に俺はおろか、先輩まで言葉を失った。
そんな風に切なく言われると二の言葉がない。
先輩も、俺も、アルクェイドにかける言葉を見失っていた。
「私、なるべく志貴に迷惑かからないよう我慢してる――我慢してるんだよ!?
なのになんで? なんでシエルが…? シエルにそんなこと言う資格ない!」
ああ…
そう言えばそうだ…。
こいつはただ、純粋でどこまでも白くて、子供で…
でも、どこか、猫気質のような奴だった。
こいつは真剣に俺の言葉を聞いて、迷惑をかけないように…
そう言えば、こいつ、はじめは先輩と顔合わせただけでも殺し合いを演じてい
た…。 なのに最近は言い合いだけで先輩と死闘演じることは無い。
――ああ、こいつはこういう奴だった。どこまでも純粋で素直な…
『すまない』
言葉にすることすら出来ず、俺は心の中だけでアルクェイドに詫びる
「アルクェイド…済みませんでした。私の言いすぎです。前言は撤回します。」
「志貴はいいよね…?嫌じゃないよね?」
「ああ、もちろん嫌なんかじゃないさ」
それでも俺に確認を取る辺り、俺は胸が痛かった。
「やっぱり遠野くんは遠野くんですね。」
先輩が俺に優しげな目を向けながら、それも仕方ないか…と、肩をすくめる。
先輩の目に写っているのは、どんな遠野志貴なんだろうか?
「『シエルと二人きりにしてくれないか、アルクェイド』なんて甘い夢
でしたか…。そんなことはないとはわかっていますが、私も女ですし多少の望
みをかけていたのです、しかし惨敗でしたね。」
少しだけ恨めしそうにする目が俺の申し訳無さを誘う。
アルクェイドは自分が俺に邪険にさえされなければ御機嫌になるらしい。
そのしおらしさがまた…って、なんて奴なんだろう、俺。
自分でもそう思うぐらいなんだから他人からはどんな風に写るのか聞くのが怖
いくらいだ。
「志貴が文句無いならシエルも文句無いでしょう?」
「いいえ、おおいにあります。アルクェイド…本当にこのまま遠野くんと付き
合っていくつもりですか?」
「もちろんそうだよ?…私、志貴以外に興味なんかないもの。」
こんな俺の傍のどこがいいのだろう?
アルクェイドはそれだけで本当に喜んでくれる。
先輩はいつになく真剣でいつもアルクェイドや秋葉と口喧嘩している姿とはま
ったく違った雰囲気を纏っている。
それにはアルクェイドを排斥しようとか、そう言った攻撃的な色が全くなかった。
ただ、淡々と事実をいうだけの…
そう、埋葬機関の刺客としてのシエル先輩に似て非なる雰囲気
「個人的主観だけじゃなく、あなたに言います。遠野くんを巻き込むつもりですか?
遠野くんを普通の世界に返してあげる気は有りませんか、アルクェイド?」
厳しい口調がアルクェイドに掛かる。
なんだか、不穏な空気が其処に有る。
このままいくと取り返しがつかなくなりそうで、
ただ、怖かった。
「私は死徒退治を志貴に強要するつもりはないよ。」
その通りだ、もともとアルクェイドに俺の助力など必要ない。
アルクェイドが弱らせていたのは誰でもない…この遠野志貴だったの
だから…。
その言葉通りに力を取り戻したアルクェイドに俺の助力は必要無いだろう。
「わかってません!あなたは全然遠野くんをわかってないです!」
…なのに、先輩はその答えに激昂をもってアルクェイドに当たった。
それは凄い剣幕で、嘆きのようであり、叫びのようだった。
「シエル…何を怒っているのか私にはわからないよ。」
「遠野くんがあなた一人に押しつけるはずが…ないじゃないですか。」
ああ、彼女たちはいつだって俺を思っていてくれる
彼女達のためを思っても、それは心配かけるだけに過ぎないのか?
自分の気質に愕然とする。それは考えるにあまる情景
その状況が訪れることがあるなら俺は恐らく確実に七夜を抜いただろう。
そのことはアルクェイドにも重々思い当たるのだろう言葉を失っている。
厳しすぎる、未来視野…先輩の言葉はアルクェイドを容赦なく刺した。
先輩は理路整然としていて、無け無しのアルクェイドの抵抗も、なにも無いか
のように却下してしまう。
情け容赦無き断定、有無を言わさぬ決定事項のように先輩は――
「あなたはそれだけで遠野くんを普通の日常から遠ざけでしまいます。」
――アルクェイドを断罪した。
「それは埋葬機関のシエルだって――」
―ささやかな抵抗
「辞めます。ロアだっていません。私の復讐はあのときに終了しました。
埋葬機関に未練はまったくありません。遠野くんに害成すならば、そんなもの
いつだって抜けてあげます。」
「抜けられるの?」
「抜けて見せます、『空の弓』の名にかけて」
―それも、なんなく回避される。
「本気…なんだ、シエル」
「当たり前です。私は遠野くんにはいつだって本気でした。」
「志貴…私は迷惑――」
アルクェイドはそれだけで泣きそうな表情を映す
「『迷惑だ』なんて遠野くんが言うわけないでしょう…。」
「…なんたって、志貴だもんね?」
―おかしい。
アルクェイドがおかしい。
それは漠然とした予感であった。
「話は志貴くんだけじゃないです。アルクェイド、あなたにも関わります。
種族の違いは軽い物ではありません、必ずあなたも辛い想いをします…。傷が
浅いうちに…」
先輩はアルクェイドを憎んでいるわけではなく、本当に心配しているんだ。
それは人と人非なる者を渡り歩いた先輩だからこそ言える台詞だったのかもし
れない。
おかしい、警鐘が鳴り響いていた。
先輩は気付かない。
「嫌、それは話が別」
「辛い想いをするのはあなたなんですよ?」
先輩は残酷で優しかった。
しかし、アルクェイドには絶対にわかり得ない優しさだろう。
そんな中でアルクェイドは微笑む。
そんな泣きそうな台詞で、泣きそうな声で、見せる表情では、無かった…。
「戻れないよ…なにも考えず、ただ、死徒を狩るだけのころになんか…もう、戻
れない。」
それは一度、知ってしまったから…
「志貴に出遭う前になんか戻れない、私、戻りたくない!」
「ですが、遠野くんは人間です。
あなたがいくら真祖といえど夜の住人であることに変わりは――」
「決めつけないで、シエル」
その響きは痛覚を伴うほどの冷気をもって肌を刺すような鋭さをもっていた。
瞳の輝きも、声質も、立ち姿も全てが彼の知る彼女とは一線を画していた。
『同族狩りの真祖の姫君』、その姿を知っている筈のシエルですら目を剥くほ
どである。彼女の異形はそれほどのもの…誰もが魅入られずにはいられなかった。
『だから、嫌な予感がしたんだ…。』
月夜に吼えるアルクェイドは――
狂気に駆られていたとしてもこれほどに美しい…。
「あなた、まさか…」
「違う、誤解しないで…私は経過に関わった要因の一つに過ぎない。」
どんな言葉で飾っても、結果は同じである
「志貴は、私と同じ…」
「アルクェイド!」
「志貴はあの頃の私と同じ、『自覚なき吸血種』…なんだから!」
それはなんと甘美な響きだったろうか…全てがわかってしまう。
「 ―――――― 」
俺はなにかを言おうとして、言葉にならない。
酷く納得してしまう自分がここに居た。
ああ、なんてことはない…、自分が酷く滑稽だった。
俺は、―――― だったんだ…。
(To Be Continued....)
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