―― 4.Fourth Stage 泡沫ノ夢 ――


 白い吸血姫は自身を否と認めない。
 『志貴はあの頃の私と同じ、『自覚なき吸血種』…なんだから!』
 
 月を背景にした彼女は冷厳な響きをもって宣告した。
 
 
 俺は、どうして自分で気がつかなかったのだろう。
 ああ、だから『自覚なき吸血種』なのか ――――
 
 先輩の目が変わる。
 昔、そんなにも昔じゃないけどあの頃見たあの無機質な狩人の瞳
 
「アルクェイド…それはどういうこと?」
 
 
 彼女はいまにもそれに跳びかからんばかりの気迫をもって吸血姫を睨み付け白
い女はそれを涼しげに受け流した。
 
 基本的なところで彼女はその吸血姫を信用していた。
 それが、裏切られた―――そのことへの怒り、謀られた自分への怒り
 そして、その存在自体に向けられる怒り
 
 さまざま怒りがその小さな身体から溢れ出さんばかりの激流を生み出している。
 
 血が滲むほどに噛み締められたその口から、苦渋の文句が吐き出された。
 対する吸血姫は笑っている。RANGEを振り切ってしまった機械類のようになにか
を欠いていた。
 
 
「本当は言うつもりはなかったんだけどね…まだ、」
 
 黙っていれば、志貴も苦しまずにいられる。
 人として、志貴は生きていける。

 
 そう思って黙っているつもりだった。
 知らないということは幸せにも繋がることがある。
 
 幸せを知らなければ辛さを知ることもないように
 現実がどんなに憐れでも、本人がそれ認知しなければそれは本人を苦しめるこ
とは無い。
 
 彼女は時間を置くつもりであった。
 ゆっくり、じっくり…自分には永遠があるのだから、
 じわじわと侵食し彼自身の理解が進み自覚症状とそれを受け入れられる頃合に…
 
 
 アルクェイドは微笑のままに俺を見つめる。
 怖いことはなにもないよ―と彼女はとても好ましいことであるように動かない
俺の頬を撫でた。
 
 
 
「嘘です。アルクェイド…真祖でもない限り吸血は必須…遠野くんは吸血衝動
の気配はないわ!」
 
「嫌に否定するわね…なんで?」
「あ、当たり前でしょうがっ!」
 
「嘘…当ててあげましょうか?」
 
 シエル視界の端にすら入れていなかったアルクェイドが初めてシエルを見る。
 
「あなたには心当たりがある。
 それは私の血、あなたは『彼の中にある私の血が怖い。』でしょう?」
 
 その吸血姫は楽しそうにそう言う。
 
「もう一度聞くわ…なぜ志貴を否定するの?志貴は志貴でしょう?志貴がどん
な存在でもね?」
「ロアが『生きている』とでも言う気?」
「もう、ロアは『存在しない』わ…志貴が消した。あなたも見たでしょう?
アレに嘘はないんだから…でも、死んだわけじゃない。」
 
 
 それが種明し
 
 志貴はロアを食ったのよ。
 それも仕方がないこと、志貴はロアを殺すわけには行かなかった。
 …ロアの命は自分の半身であるのだから
 
 ようするに、中身がわかるだけの話…彼はロアとして生きるか、志貴として生
きるか
 二つに一つ、そして『入れ物』は始めから一つしかない。
 
 わかる?
 
 ロアと半ば融合していた志貴は月夜の私と多少なりとも渡り合った
…それって、人間?
 
 ロアという存在は消滅した。でもロアは未だいる。
 ロアという名の原型質は志貴と名を変えて、ここにいる。
 
 そのことで問題が一つ提起される。それは志貴は死徒なのか?ということ
 答えは『死徒であって死徒ではない』
 
 なぜ、死徒は吸血を必然とするのか?
 身体が死にあって死に至らないのは崩壊する遺伝情報を常に補完する必要があ
るから、
 遺伝情報が崩壊するのは死徒に至る過程で、彼らが人間として死んでいるから、
 それは、死徒の吸血であったり、真祖の吸血であったり、
 また、吸血鬼であったものの転生体による乗っ取りであったりとさまざま。
 
 では、志貴はいつ死んだの?答えは死んでない。誰にも殺されてない。
 だから、『崩壊する遺伝情報』の補完は全く必要ない。
 もともと崩壊していないんだから必要無いわよね?だから吸血も必要ない。
 
 遠野志貴という潜在的な吸血鬼は吸血を必要としないけれど真祖ではない。
 吸血鬼として活動するにはエネルギーが足りないわ。
 
 
「だから、あなたの血と言うことね…?」
「あたり♪だから志貴は吸血鬼じゃないけど吸血鬼なの♪
 …どちらかと言うと相応しい云々語るなら私が一番適任なのよ」
 
 
 アルクェイドは永い永い語りを終える。
 完全に彼女自身を敵として映している先輩に向い合い、当たり前のように自分
の背面を俺の前に晒して先輩に距離を取らせることで俺と先輩を引き離す。
 あたかもシエルと言う存在は退けるべきであるというように。
 
 んふふふ…
 
 『もう、彼は自分の物』、そう言っている。
 
 金糸の髪が風に、頬を掠めて流されていた。
 月光は吸血姫に淡い光明の恩恵をささげ、シエルには蔭を落としていた。
 月を背にしたアルクェイドの薄い陰法師がシエルに掛かる。
 
 シエルは服の内から抜き出した短剣を突き立てた。
 アルクェイドの影は地に縫い止められる。
 
 
 
「え?」
 
 月夜の彼女にはなんてこともない束縛であっただろう。
 それはたんにちょっとした引っかかり程度でしかない。
 引っかかり程度であっても、彼女の神速を妨げる引っ掛かりにはなるのだ。
 
 『くすくす…』
 
「結局はあなたを『始末すれば』遠野くんは普通でいられる。…彼の『吸血鬼』
は発動しない。そうでしょう?」
 
「え?…あ、あれ?ん、と…そう、なるのかな?」
 
 
 あははは、と笑うアルクェイド…そんな問題なのか?
 間髪要れずに黒鍵がうなりをあげて強襲する。
 
 
「私と遠野くんの平穏な未来のために殲滅されてくれません?」
「シエル…あんた、埋葬機関辞めるとか言っておきながらなんで…」
 
 アルクェイドは当座動きを封じられているためかその場をもって黒鍵を絡めと
り、叩き落とし、地面に突き立てる――
 
「―― なんで、黒鍵とか…常備してるかなぁ?」
「そんなのあなたがいるからに決まってるじゃないですか?あなたがいる限り遠
野くんが心配で私は常時万全の警戒体勢を敷く必要があるんですよ。」
「うわっ、腹黒っ!?まったく腹黒い女よね、シエルって…」
「あなたに言われたくありません。」
 
 
「なんでー?私が志貴に血を分けたのは自然な流れ内に生まれた経過による必然
よ?」
 
「駄目です。もう今の時点であの時の感謝は立ち消えです!今すぐにでも私に殲
滅されて時折夜空一面に大写しにされるだけの想い出の登場人物に成り下がって
ください。」
「ふふん、シエルなんかに出来るかなぁ?まぁ、これも正統防衛って奴よね…シ
エルが突っかかって来るんだもの」
 
 
 しばらく見せなかったアルクェイドの一面
 
 掌で顔半面を押さえて、半眼で獲物を見据える立ち姿。
 半歩未身を引いて正中線を相手より隠した半ば屑し気味の自然体
 ただ立っているだけのようでいて余分な力の入らない―如何様にも対応できる
「構え」である。
 
 対するシエルもどこか清々しい笑い貼りつけたままどこから出したのか長剣と
も取れる投剣を幾本も手中に納め、黒鍵の第二投を行う前姿勢を取っていた。
 
「私の遠野くんを返してもらいますよ、アルクェイド」
 
 
 
 
 『あなたたちが勝手に潰し合うのは大いに結構ですが、兄さんを巻き込まない
でほしいものです。』
 その声は、夜の闇によく透る。
 
 ちいさな舌打ちとともに「…なんだ、妹か」とアルクェイドが零した。
 月が朱いせいか、秋葉の髪が心なし赤らんで見える。秋葉らしくも無く表情を
消した相貌はどこか怒気を孕んでいた。
 三つ巴とでも云うのだろうか、秋葉は二人のどちらの前に立つでもなく、第三
の頂点を自ら形成するように二人を相手に立ちはだかる。
 ぶつぶつと呟いている文句に聞き耳を立てると「私の兄さんを私以外が勝手に
『私の』とか云わないで欲しい物です。」とか言っていた。――って、
なんだよそれ?
 
 
 
 
 秋葉は満を持したとばかりに揚々と言葉を切り出す。
 しかし、その意見はかなり主観的だろう?―― 『兄として、人とし
て自由が欲しい』…そう思う。
 
「私の兄さんを無断で連れ出すとは良い度胸です、偽シスター。」
 
「誰が、偽ですか!」
「なら神様の花嫁でもやってなさい。」
 
「…私、シスターじゃないですから。」
 
 
 先輩…その切替っぷりが素敵です。
 それよりも、秋葉がなぜここにいるのだろう。
 門限破りは俺であって秋葉じゃなかったような?―論旨がズレている気がする。
 
 そもそもこの場で先輩とであったのは偶然であって、ついでにアルクェイドに
逢ったのも偶然であって、さらに秋葉がここに居るのも偶然?
 ――――いくらなんでもそれは出来すぎだ。
 
 
 
「秋葉…?なんで、ここに?門限は…」
「兄さんに門限云々言われる云われはありません。」
 
「まぁ、それはそうかも…しかし、じゃ、なんで」
「兄さん…私、兄さんをロストしたっていう報告を受けて、心配したんですよ?」
 
 
 秋葉は両手を胸に服を掴んでかき抱くようにしてようやく自らを所在を確かな
ものに感じているようだった。俺は…、妹の瞳は潤んでいて、その瞳は『本当に
心配したんです。』と言外に語り、秋葉の全てがその、なんというか庇護欲をく
すぐるものだった。―― って、なぜに報告!?
 
 
 
 俺だけじゃない。世界のなにか自体が狂ってきているような気すら、していた。
 
 秋葉という大切な妹の存在にすら疑問視する俺はもうとっくに狂いきってしま
っているのかもしれない。
 ここ最近の兆候はあったのだ。もう、俺は俺自身を信じきれなくなっている。
 
 
 
「ともあれ、兄さん…あなたを地下牢です。」
 
 
 はい ―― はぃ!?
 その用法になぜか途方もなく懐かしいものを感じつつも、その使用された物騒
な単語に突っ込みを入れたい。
 
 『なぜに、地下牢!!』
 …しかし、その突っ込みは声にならず、何故か非常に納得してしまう自分にそ
れこそ納得がいかなかった。
 
 なぜか嬉しそうな秋葉
 『そんなに俺が悪いのかー♪』―― 誰か俺に突っ込みを入れてくれ。
 
 
 
 
 
「ち、地下牢?また、なんで!?」
「そりゃ、8年も離れてたんでしょ?
 妹も良家お嬢さまなんだから『良家のお嬢さまな趣味』もそこそこ育ってるん
じゃないの?」
 
 
 違う!それもなんか違う!
 やめろ!アルクェイド、俺の秋葉をそんな風に壊さないでくれ!
 
 で、一つ訊ねてもいいですか?
 アルクェイド、おまえの情報源はどこの誰?
 
 
「兄さんは兄さんで…やはり首輪をつける必要があると判断しました。」
 
 
 秋葉はさも遠野の当主らしく毅然としており、さも当然のようにのたまってし
まうところアルクェイドの魅惑的な秋葉論が俺を苦しめる。そうなのか!?本当
に…そうなのかっ、秋葉ぁ!!!?
 
「志貴は妹のものじゃないよ?」
「いくら妹さんでも、それは遠野くんにあんまりだと思います!」
 
 俺の葛藤をよそに普通に援護してくれる二人。
 なにかが渇いていた…いや、血が渇くとかじゃなくて、心のことなんだけどね?
 
 
「いいえ、兄さんは私の兄さんなんだから私のです!」
「来たねぇ、独占欲バリバリかぁ…それって志貴にはマイナスなんじゃないかなぁ?」
 
「…た、たしかに兄さんは鬼畜ですから、それは否定しかねますが…」
 
 
 な、なんですと!?
 お、俺は、妹にすら断定されてしまうほどの鬼畜なのかー!?
 
 
「な、なんの話ですか!?」
「え?志貴が鬼畜だって話だけど?」
 
 先輩はともかく(謎)、アルクェイドにまでさらっと鬼畜されてしまうくらい
俺は鬼畜なのかー!?
 
 
「遠野君には私が居ます!他の方には手出しさせませんし、遠野くんだって私を
放って浮気なんてしません、させません!…そのときはそのときで遠野くん殺し
て私も、(私は死ねないかも知れませんけど)死にます!」
 
 言っていることは果てしなく物騒だ。
 そんな処もいとおしく思える。そんな先輩だけが俺の味方だった。
 ささやかな幸せに浸るも秋葉に一刀両断される
 
「…知りませんでしたね。シエルさんはこんなにおめでたい人だったんですか?」
 
 秋葉、君ってば、極悪人だよ。
 
 
 
 
「あー、妹、シエルも覚えてないみたい。」
「あなたに妹呼ばわりされる云われはないですが、敵が一人減ったと考えれば問
題ないですね。」
「うん…そうかも。」
「なに和んでるんですか、秋葉さん!」
 
 
 
「このあーぱー吸血鬼は遠野くんの吸血鬼化を目論むでるんですよ!!!」
「んふふ…私、志貴げっちゅー♪」
「なんですって、どうやって…兄さんを!?」
 
 
「お弁当作戦とかー♪」
「「なん、ですって?」」
 
 先輩の魔眼(?)が俺を射貫く。ついでに秋葉の視線も痛い。
 だって、カレーが掛かってないご飯とか、カレーが入ってないパン(サンドウ
ィッチ)とかが、俺を惑わすんだよ。
 人はカレーのみに生きるに非らずなのです。
 
 ―― ごめんなさい先輩。だって…断れないじゃん?
 
 
「私、妹とは違ってそこそこ料理できるんだけど…」
「放っておいてください。そもそも泥棒猫が作った得体の知れないものなんて兄
さんの口には合いません!」
 
 秋葉は料理下手なのを気にしているのを隠しているつもりであるのだが隠し事
の向かない性格ゆえかそれとも家族には気が緩むのか結構見え見えだったりする
のた。
 アルクェイドは思いのほか、器用で結構なんでも出来たりする。
 
 あいつの弁当は言葉にできないカレーへの苦しみを癒してくれる一品でもあっ
たのだ。
 ことが発覚したからには俺に朝日は無いかもしれない。
 
 こんなことになってしまったけど、アルクェイドを責める気なんでさらさらな
く。
「できれば秘密にしていて欲しかったなぁ」という心の声も無視して…ただ、
『今までありがとう』、と―――
 
 
「まぁ、聞きなよ。私、志貴のお弁当作る時、嬉しくて浮かれちゃったりするん
で、結構 ―――― 、そそっかしかったりするんだよね?手とか、刻
んじゃったり?」
 
 
 ただ、感謝 ――――出来なくなってしまったよ。
 
 (なぜですか?なぜそんなことするですかー?)
 アルクェイド、お前どうしちゃったんだよ?
 
 わからない。
 俺には、わからない。
 
 
「あ、あなたという人は…、まがりなりにも真祖の姫を謳われる存在が、そこま
で堕ちますか!?」
「どっかの新参死徒じゃないけど、やっぱ私も志貴に相応しくならなくちゃねぇ
♪」
 
 
「なっ!? あなた、まさか…兄さんレベルにまで堕ちる気ですか!?」
 
 それはどういう意味ですか?我が妹よ。
 
 
 先から言われたい放題の俺だが、突っ込むことは出来なかった。
 
 俺にも理由はわからないのであるが、突っ込むと死ぬ―となにかが伝えてくる。
 また逃げれば良いじゃないかという誘惑もあるにせよ援護してくれている先輩
を見捨てて逃げようものなら、おそらく俺は先輩の想い出にされてしまうことだ
ろう。
 
 
 
「お、堕ちた真祖は、魔王です…遠野くんを脅かす魔王は、一刻も早く討たねば
なりません!」
「ま、まちなさい…偽聖職者!」
 
 
「また、偽っていうし…」
「おかしいです…この泥棒猫に暗躍するような脳みそがあるとは思えません。」
 
「そういえば、このあーぱー吸血姫にはこんな捻った展開を筋書くことができる
とは思えません。
 それも…所々、ぽかもしてますし、怪しいです。…裏が居ますね、アルクェイ
ド?」
 
 
 
「んふふー♪それはどうかなぁ?」
 
 とぼけているのか、わかっていないのか微妙なところと判断する。
 そこに聞きなれた声が耳に入ってきた。
 
 『やはり、アルクェイドさまに黒幕の役は無理でしたか』
 
 日常的に聞きなれたその声は俺の自虐心を加速させた。
 琥珀さん、―俺が、彼女にしてしまったことはただ、誤って済む問題ではない
ことは充分理解している。
 
 恨んでくれてもいい。そう思ったし、態度でも示したつもりだった。
 琥珀さんはそれでも、普段通り俺に接してくれた。
 
 ―――――― でも、アルクェイドを引き込んでまで、こんな形でま
で、俺に報復したかっただなんて…
 
 
「やはり、琥珀なのね…」
「やっぱりわかる人にはわかっちゃいますね…秋葉さま。」
 
 声の主は琥珀さんだった。
 いつもの割烹着ではない琥珀さん。俺はそれをどこかでみたことがあるような
気がしていた。
 
 もちろん気のせいだろう。
 俺は遠野の屋敷以外で彼女を見たことはないはずである
 
 
 
「琥珀、これはどういうこと?」
「どういうこと?秋葉さまはわかってらしたのではなかったのですか?」
 
「わかってるわよ。あなたは、遠野に復讐したかった…でも、それとこれとは話
が別でしょう?」
「いいえ、秋葉さまはまったくわかってらっしゃいません。全然駄目の零点です。」
「そんなはずはない!確かにあなたは…!」
 
「そう、でした…。」
 
 
「秋葉さまはこの『重複する記憶』をどう思われますか?」
 
 秋葉が小さく震える。
 秋葉が琥珀さんの言葉に怯えていた。
 
 『重複する記憶』
 
 その言葉に大きな引っ掛かりを覚える。
 
 『あー、妹、シエルも覚えてないみたい。』
 
 アルクェイドの先輩に向けた言葉
 シエルも…「も」ならば、もう一人以上いるはずだった。それは誰を指すのだ
ろうか?
 
 
 
 
「秋葉さま…あなたは護りに入られました。無理もありません、それは恐怖でし
かないのですから。」
 
 
「あなたに、あなたに、なにがわかるっていうのよ!」
「…ええ、わかりません、私は私でしかないですから想像するだけです。」
 
 
 秋葉さまは恐れています。
 求めれば、失うのではないか―と、
 
 琥珀さんは秋葉になにかを言っている。
 ―― 俺には理解出来なかった。
 
 
「そうよ、兄さんはすべてを知れば、私を置いて行ってしまう。さもなくば、私
はただ狂っていき、兄さんは――」
「だから、護るしかなかった…。だから『どんなに望んでいても行動するわけに
はいかなかった』。」
 
 
「その通りよ、琥珀。素晴らしいわ、これ以上になく素敵な報復…これで満足か
しら?」
 
「ならば、私も同じだとなぜ気付かないのです?」
 
 私は、彼女 ―― アルクェイド・ブリュンスタッドと同じなんです。
 
 
 
 なにもない、平坦な世界で、ただ、志貴さんだけが色をもって存在していた。
 
 わかるでしょうか?
 私は色のある世界を知ってしまった。
 彼女と同じです。
 
 もう、もどれない。
 どうして、人形にもどれましょう?
 
 
「もう、復讐なんてシナリオに色なんて感じられません。自分にもです。」
 
 ただ、記憶にしかない幸せを抱えて、私はなにをしたでしょうか?
 思い出して欲しかった。
 
 そのための努力もしました。
 
 
「…聞くけど、具体的には?」
「はい、それは中庭の ―――― 」
 
「盛ったのね…?兄さんに」
 
 俺、一服盛られてたのか!?
 
「はい、私は重複する記憶は重ね取られたテープのようなもので志貴さんにも必
ず潜在的な記憶があるはずだと考え、それを引き出すものを用意しました。」
 
「琥珀、あなたは兄さんになにをしたかわかって…」
「…秋葉さまは願わずにいられましたか?自分を夢見る志貴さんを望まずにいら
れますか?」
 
 
「私は知っていたよ。琥珀がしてること。でも止めなかった。
 志貴が、志貴が『私も思い出してくれる』かもしれないって考えると…私、止
められなかったよ。」
 
「結果は駄目でしたけどね…。」
 
 
 
 俺と先輩は会話に置いてきぼり。
 記憶とか重複とか、聞き入ってもわからないし、とても真剣であることが目に
も付いたから。
 
 ただ、所々に散りばめられる。
 『重複する記憶』にどうしても気を取られることになっていた。
 
 
「志貴はね ――――」
 
 アルクェイドが俺の視線に気付いたか、俺に向って話し掛け始める。
 
「志貴はここにいる全員と関係を持ったんだよ。ここにいるだけじゃない…琥珀
の妹にもね?」
「と、遠野くん!?」
 
「シエルはわからないんだね…今が幸せだからかな?」
 
「いや、俺はそんなこと――」
「してないよ。志貴はそんなことしていない。そんな事実も無い」
 
 
 
「ですが、記憶だけはあるんですよ…兄さん。」
「記憶の中にだけある幸せ…志貴さん、それがあなたにわかりますか?」
「志貴はね…私達に幸せの記憶だけ押し付けて、自分は全て忘れちゃってる。」
 
「「「だから、鬼畜なんです。」」」
 
 
 
「ま、まちなさい!重複する記憶だかなんだか知りませんが、今の遠野くんの恋
人は私です!」
「駄目です、兄さんがいなくなるなんて駄目です。だから、兄さんは私のなんで
す!」
 
「そんなことをいうなら、ロアは私の死徒だったし、志貴は潜在的なロア…それ
も志貴自身が私の血を受けているから、いわば、志貴は私の子供ってことで志貴
は私のだね♪」
「なんですか、その論理は!?それを言うなら私だって概念的にロアの娘でロア
は遠野くんですから遠野くんの娘です。したがって遠野くんは私のお父さんです
からあなた達には遠野君を渡しません!」
「兄さんは私の兄さんでしょう!」
 
「翡翠ちゃんも来たんだね.」
「はい、姉さんも、秋葉さまもお戻りならないもので」
「翡翠ちゃんは参加しないの?」
 
 
「私の御主人さまは志貴さまですから、―― 」
 
 翡翠の言葉に琥珀は嬉しそうに目を細めた。
 (翡翠ちゃん、それが、たぶん一番の結論なんだよ…。)
 
「みなさん特殊な積極性を発揮されていますねー♪これは私も負けてはいられま
せん。」
 
 なんの勝負ですか、琥珀さん。
 
 
「琥珀!あなたは誰の味方なんですか!!!」
「秋葉さま…それは今更だと思いますが?」
「どういうことです。」
「あはは…琥珀はねー志貴に吸血鬼になって欲しいんだよー♪」
 
 
「こ…琥珀さん、あなた…なんでですか!?」
「私の血を吸って頂くんです。そうなれば志貴さんは私を見てくれますから…」
 (と言うよりも、秋葉さまに吸われるくらいならそっちに流れるのは当然だと
思いますが)
 
 
 
「そうだよ志貴、私とくれば鬼畜ほーだいだぁ♪」
 
「『鬼畜ほーだい』ってなんですかぁ!」
「独占欲バリバリの妹やシエルじゃ全然駄目ってことー♪」
 
 
 なぁ、翡翠…俺って鬼畜かな?
 
「はい、志貴さまは鬼畜かと思われます。」
 
 
 
 死んだ――――
 もう…、再生も、転生も、不可能なくらいに ―――― 、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ヴィィィィィン

 なにかの駆動音が小さく、ささやかな音を生み出していた。
 わからない。場所はどこであるか見当もつかなかった。
 
 わかるのはそれが有機的に生み出された音ではないこと。
 それだけが事実であった。
 
 ヴィィィィィン…ン
 
 音は止み、また開始される。
 何かを繰り返すかのように…
 
 
 朱い空が映る、夕焼けかもしれない。
 知っている。――僕は(俺は)、この風景を知っている。
 
 唐突に走り出す。
 この夕焼けの向こう側に行きたかった。
 
 それは目的もなく、意味もない。
 ただ、心のどこかが身体に命じているからだった。
 
 走る。上り坂を登りきると一面の草原が広がっていた。
 これた!夕焼けの向こう側だ!
 
 
 親切な大人が教えてくれる。
 
 『それはたんに太陽が地平線の向こう側が沈んだだけさ』
 
 違う、違う、違う!
 ここは夕日の向こう側の世界だ!
 
 知っている。ここを知っている。
 
 
 ザァァァ
 草がやわらかな漣の音色を奏でていた。
 
 暗幕は下りた空、とても昏かった。
 だから、怖いくらいに映えていく、
 
 どこまでも、どこまでも…
 
 
 
 
 
 知っている。
 
 この風景を知っている。
 
 昏い空を仰げば月
 闇の湖面に月が映る。
 
 白くて、まぁるい、お月さま
 
 
 幾度この風景を眺めただろうか?
 なぜ幾度もこの風景を眺めているのだろうか?
 
 知っている。
 
 
 それは、こんなにも月が――
 
 昏い空に浮ぶ月は怖いくらいに映えて、どこまでも、どこまでも…
 
 
 恐ろしいまでに白い、月――
 こんなにも―― 、 月が、綺麗――――――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 思い出す。
 …俺はこんな月をなんども眺めていたはずだった。
 
 
 ヴィィィィィン…ン
 
 そして唐突に理解する。
 この駆動音は世界を巻き取る音、世界の時間を巻き取る音なのだ。
 
 
 こんな月が綺麗な夜、俺は先生と出会った。
 俺は死の間際、いや…むしろ死の向こう側からこんな眼をもって帰ってきた
 
 『君は君が正しいと思うことをすればいいよ。』
 
 そんな俺に意味を持たせてくれた先生
 月から目を離すと、そこには先生がいるような気がしていた。
 
 
 先生は俺に『君、やりすぎ…。』って言って、笑っている。
 
 なんだか、泪が出てきた。
 先生の眼が、思いっきり笑ってないことに気が付いたことを悟られては駄目だ
って、俺はなんとなく感じ取っている。
 
 先生は大きなトランクを掴んで立ちあがる。
 それも知っていた。
 
 もう、夢から覚める時間…もしくは夢を渡る時期が来たんだ。
 
 立ちあがると先生は大きなトランクを片手でブンブン振り回しながら歩いてい
く。
 
 
 ここは夢だとわかっていたけれど、俺は夢のことを考えていた。
 なんだか、とても無茶苦茶で支離滅裂で破天荒な夢。
 
 いろいろな形があって、いろいろな道がある。
 それは川の流れのようなものであって、川の流れが海に繋がるように
 
 最終的に至るところは全て一つに収束しているような夢
 
 それはとても幸せそうで、楽しそうで、わくわくどきどきしていた。
 だけど、それは凄く甘くて、辛くて、酸っぱくて、苦いような気がする。
 
 もう、なんて表現すればいいのかわからなから泪が出てくるんだろう。
 
 
 
 
 
 ―――― また、夢を見た。
 
 
 
 俺は秋葉の兄だ、それはおまえじゃない
 俺はおまえみたいな『――』から妹を護りたかったんだ。

 
 それはシキの夢だった。
 
 
 ――異常者め
 
 違う!俺は殺人鬼じゃない。
 
 違うものか、お前も同類だろ?
 言い訳するなよ…おまえはなにをした?
 思い出せよ。
 
 『お前はあいつになにをしたんだ?』

 
 朱い…。思い出すな…
 
 違う、俺は覚えてないはずだから…
 
 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、
 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、
 
 
 違わない
 この―― 異常者め

 
 
 
 俺は殺人…じゃ…
 
 え!?
 それは恐れていた映像ではなかった。
 それは、アルクェイドを殺す自分の姿ではない。
 
 俺と、…秋葉?
 
 『違うものか、お前も同類だろ?』
 思い出す……と、言うかキレた。
 
 秒殺、俺は速攻夢の中のシキを十七分割の刑にしてやった。
 
 と言うか、殺したりない。
 同類扱いするなよ…この、『シスコン野郎』!俺をお前じゃ立場が違うだろう
が!この『変態』!
 
 
 
 
 
 ―――― と同時に自己嫌悪、なんでこんな夢見るんだ…。
 
 俺は、シエル先輩じゃなかったのか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「 ―――― さま」
「志 ―― さま」
 
「…翡、翠?」
 (夢、夢か…そうだよな、夢、なんだよな?)
 
 
 なにかとんでもない夢をみた。
 それはとてもよい夢とは言いがたい夢だけど…
 それがよかったとも思える。
 
 夢は夢でしかないからな…
 この猛烈なやるせなさも夢のせいだと思いたかった。
 
 
「翡翠、おはよう」
「志貴さま、おはようござます。」
 
「えと…、今日はなにかあったかな?」
「はい、アルクェイドさまとシエルさまと秋葉さまと姉さんが一階でお待ちして
おりますが…。」
 
 
 その取り合わせはなんだろうか?
 嫌な予感がしていた。それは夢のような現実が待っていそうで…
 
「その…、なんで先輩とか、アルクェイドとかもいるのかな?」
「それは私の口から言うのは憚れます。
 …が、敢えて言わせてもらうならばですね――――」
 
 
 翡翠…結局、その口で昨日と同じことを言うんだね?
 
 
 
「志貴さまが、鬼畜かと思われるからでしょう。」
 
 
 夢じゃ、ないんだ…。
 それはどこからどこまでは夢と言うのだろう?
 
 
「私はずっとおそばにいますから。例え…志貴さまが、鬼畜であっても」
 
 
 
 『我が混沌の一部となるか、少年?』
 
 あは、あははは
 誰かの声が聞こえてきたよ。
 
 
 
 
 おかしい、俺の眼じゃなくこの世界自体がおかしい。
 俺はそう断定することにした。
 
 でなければ、体調の不良だろう。
 俺の身体は養生を必要としていることは間違い無かった。
 
 と言うか、そう思いたかった…。
 
 
 
 
 
 
「秋葉…、俺、有間の家にもどっても良いかな?」
「なんですって、兄さん!?」
「うん、俺、変みたいだしさ?」
「だ、駄目です。兄さんは ―――― 」
 
「よいと思いますよ。有間の方も懐かしいのでしょう?」
 
 琥珀さんの意味ありげな微笑が、特に気になった。
 翡翠は無言で俺を見つめている。
 
 しかし、憶えも無い鬼畜呼ばわりから、逃避するにも生活環境の改善を図らね
ば俺に未来はないだろう。
 
 
 ははははは、懐かしい小さな我が家。
 どこか、自分は他所の子だ…なんて思ってしまっていて、ごめんなさい。
 俺は遠野の屋敷ではやっていけません。
 
 俺という形が壊れてしまいそうなんですよ、啓子さん。
 
 
 
 
「志貴くん、そう言うことだったのね」
 
 
 はぃ!?
 
 うふふふふ
 
「母に娘に妹にメイド?なんでもござれね志貴くん」
 
 琥珀さん、そう来ましたか!!!
 と、言うか、母と娘は絶対に違うと思うんですよ。妹は―――どうだ
ろう?
 変な夢見たせいかちょっと自信ない俺
 
「あ…いや、大いに間違いなんですけど?」
「え、なに?志貴くんは私とも間違えたいの?」
 
 いや、それはない。
 
「あの…ですね?」
「それは困るわね?ああ、でも都古だけはー、都古にだけはー」
「もう…、いいです。」
 
 ここは、もう駄目だった
 
 …琥珀さんはなにを啓子伯母さんにしたんだろう?
 はっきり言ってぶっ飛び方が普通じゃない。
 
 
 
 俺は気付いていたのかもしれない。
 俺はただ、気付かない振りをしたかっただけなのかもしれない。
 
 
 ああ、先生はこのことが言いたかったんですね?
 
 そんなの知らない。
 ああ…、まったく知らなかった。
 
 わからない。
 ああ…、わからなかった。
 
 
 世界がこれほどに壊れやすいものだなんて
 
 先生は俺の後ろを指差す。
 
 見なくても予想するのは容易い。
 確実に五人、俺を手招きしてるのだろう。
 
 ああ、なんか頭の中で責任という文字が躍っている。
 いや…記憶にはないんだけどね?
 もう、俺には逃げ場がないだろう。ああ、これ以上にないってくらいにない。
 
「私は退路を残すような策は立てませんよー?」
 
 
 世界は壊れやすくてとても不確かなもので成り立っているのだろう。
 
 しかし、一つだけ、確実なことがあることを彼はそれを実感をもってよく知っ
ていた。
 
 始点を変え、過程を変えても、至る終点はただ一つ。
 これでもかというほどに俺の未来はただ一つの終点へと収束している。
 そう、それは ―― 『殊塗同帰』
 
 ああ、わかっている。
 だから、これだけは自信を持って言えるんだ。

 ―――― 『この夢は醒めない』ってね。

FIN