地面に落ちた黒い混沌の中から生み出されたそれを見て、志貴は目を見開いた。
　沸き上がるのは紅い髪。細い顎の秀麗な美貌、そしてほっそりとした少女の、
大人になりきっていない躯。一糸まとわぬ姿であったが、それが何であるのか
を志貴はすぐに理解した。

「……秋葉？」

　秋葉とよばれたそれは、ぐい、と首を向けると志貴の方を向く。そして、紅
い眼に妖しい光を宿らせると、ぺたり、ぺたりと、歩き出す。
　秋葉を生み出したネロは、志貴に浮かんだ驚愕の色を認めるや、さぞ楽しそ
うに高笑いをする。

「どうだ？遠野志貴？愛しいお前の妹だ……お前には切れるか？」

　紅い髪を夜風に舞わせながら、一歩、また一歩と秋葉は志貴との距離を詰め
る。顔には何の表情もないが、指を鉤爪に折り曲げ、引き裂こうかという構え
を見せる。

　志貴は剣を構えたまま信じられぬ、といった顔で頭を振った。だが、秋葉と
の距離が迫ってくるに連れ、志貴の目が青く、細い光を浮かべる。
　志貴は、この秋葉の登場に迷っていた。これが、本物の秋葉なのか？なぜ、
俺に向かって敵意を表すのか？
　志貴はその姿に戸惑いを覚える、が、すぐに決心が付く。そして、苛立ちと
怒りにも似た感情が志貴の内側を巡る。
　
　――そんなこと、簡単じゃないか

　志貴の眼が、す、と糸のように細くなる。
　迫り来る秋葉を、志貴は目を据えて、サーベルをゆっくりと持ち上げる。迫
る秋葉まで数歩の距離。

　――視えた。お前は――

　志貴の身体が、低く跳ねる。サーベルを抱え込むような低い姿勢で、踵が地
面を蹴ったかと思うと、ザザッ、という砂利を蹴る音が木霊する。
　志貴は、何の迷いもなく――

　秋葉を胴薙ぎに切り捨てた。

「……ほう」
「甘いよ、ネロ・カオス。秋葉を出すことで俺を惑わせようとした……けど、
俺には視えるんだよ」

　半目で軽くサーベルを振ると、志貴の背後で秋葉――だったモノが、どろど
ろの混沌に戻り、土の中に戻って行く。それを、志貴は振り返ることもなかった。
　瞠目するネロに、志貴は一歩、足を進める。

「俺と秋葉は、一つの魂で繋がっている。俺がアレに視たのは、お前の中の卑
しい使い魔どもと同じ死の存在だ……あれは、秋葉なんかじゃない」

　志貴は冷静そのもので言い、足を無造作に、一歩、また一歩と進める。
　今の志貴を動かすのは、直視の魔眼を持った少年・遠野志貴ではなく、浄眼
を備えた屈指の戦闘者である七夜志貴であった。そして、挑発するように笑う。
　
「お前はまだ秋葉を完全に取り込んではいない――その形を真似るのが精一杯
なんだろう？だったら、つまらない小細工で戦いの場を汚すのは止めてくれ、
ネロ・カオス。俺は――闘いたいんだ」

　志貴の不敵な台詞に、ネロは獣のような低い唸り声を以て堪えた。
　ネロが、音が鳴るほど激しく顎を噛みしめ、恐ろしい形相で志貴を睨む。
　そして、黄金の魔眼が――

「無駄だ。だから、さっきから小細工は止せと言っている」

　半目の志貴は、厳かに告げた。
　己の魔眼すら全く効果を得ていないことで、ネロはようやく理解する、今の
遠野志貴の瞳は半眼――現世と幽界を共に見通す神智の瞳。完徳者でも容易に
はなしえぬこの瞳に、己の魔眼すら封じられているというのか、と

　ネロは、己の矜持が傷つくのを感じる。人間風情が、戦いの場でこの私を愚
弄しようと言うのか！馬鹿げている――半眼がどうしたというのだ、まだ私に
は切り札がある。この６６６の混沌と、秘術の精華が――

　グォォォォォォ！

　ネロの怒号は空気を揺るがし、木々を揺さぶり、地面を震わせる。ネロの身
体の輪郭が融け、次々に地面に垂れ落ち、様々な獣……いや、すでに獣とすら
呼べないようなものまで現れ出でてきた。

　それは、三対のねじれた角を持つ鹿。それは、四つの首と五つの脚を持つ狗。
　正気の人で視れば、まるで百鬼夜行を眺めるかのようなおぞましい、生命の
進化をあざ笑うかのような奇形の存在の羅列であった。だが、今の志貴は全く
動じない。

　志貴の目には、獣の形は映らない。ただ、脈打つ死の点のみが、まるで水の
腐った池に産み捨てられたカエルの卵のようにひとつひとつ揉み千切れ、動き
始めるだけのこと。
　その光景は、志貴にはひどく汚らわしく、一刻も早くこの地上から消し去ら
ねばならぬモノと思えた。生命と摂理に対するこの背理は、決して許されては
ならないと。

　押し寄せる獣たちの群れ。様々な大きさの様々な脅威。この獣の中に飲み込
まれればいかなる存在であれ無事には済むまい、と思わせるモノであった。
　しかし、その獣の波濤が志貴の元まで押し寄せた瞬間に、志貴はサーベルを
掲げ、そして――

「噴ァァッァァァッ！」

(To　Be　Continued....)