「こっちは一回死んだ身だ。死は――喪失と後悔に満ちた生に比べれば恐れる
に足りない」
「……分かったようなことを言う。その高言の咎、己が身で――贖え」

 ネロが仁王立ちになり、コートの内側の漆黒の肉体がぞわり、と蠢動する。
 ぼとりぼとりと黒い肉が液のように地に垂れ、次々に地から獣が沸くかのよ
うに生じる。志貴の視界の中では、多くの死の点がネロの体の中から溢れ、零
れ、そしてそれぞれ別の動きを取り始める様に見える。

 志貴の中の七夜志貴が、己の躯を駆けめぐり、五感を鋭く研ぎ上げる。以前
と違って、現れる獣は大型獣であった。虎、豹、熊、ゴリラ、どれも人間を一
撃で吹き飛ばし、引きちぎる威力を持つ獰猛な獣たち。

 ネロが鬱陶しそうに手を振ると、獣たちは遠吠えを上げ、喊叫し、足を踏み
ならして迫ってくる。志貴は、サーベルを掲げて猛獣たちに切っ先を向ける。

 志貴の目がす、と細くなり青い目が闇の中で怪しく輝く。
 そしてその瞬間――

 轟音と共に獣たちが弾け跳んだ。
 予想したこととはいえ、志貴はその光景に一瞬足が竦むのを感じる。
 ネロは、信じられぬ、という顔で辺りを探った。

 ズガァァァァァァァ!

 それは、機関銃の発射音であった。それも、発射速度が遅くそれぞれの銃声
が聞き取れるような物ではなく、ほとんど一音に繋がった、電動工具か何かが
暴走するかのような轟音であった。それは音と言うより、空気の波動が乱打す
るスネアドラムの如くに押し寄せるのに似ている。

 ネロと志貴と獣たちの側面から、機関銃の掃射が浴びせられていた。庭の茂
みの中から銃声は響き渡り、発射炎は茂みの内側をほのかに紅く照らし出す。
そして、曳光弾を混ぜない火線は、獣たちに恐ろしい速度で弾頭をたたき込み
続ける。

 巨大な獣たちであったが、側面からの不意の射撃には為す術もない。ゴリラ
がのけぞって地に還り、虎は胴体に食らった弾で文字通り宙を舞う。火線は動
物たちを舐める、志貴の目の前の焚き火すら粉砕する。

 目の前をビュン!と超音速の銃弾が跳んでいくのを識り、志貴はその場にしゃ
がみ込みたくなる衝動を抑える。
 おまけに、飛んでくる弾も並ではない。使い魔を吹き飛ばす祝福済み純銀軟
弾頭弾を大盤振る舞いしている。これも、志貴に一発当たれば命はない。

「先輩も無茶をする……」

 志貴はそう呟くのが精一杯であった。
 シエルの下宿で最初に機関銃を見せられたときには絶句したが、いざその威力
を見せつけられると、頼もしいのか危なっかしいのか曰く言い難い思いにさせら
れる。流れ弾の危険があるので志貴は、サーベルを構え火線から外れるようにそっ
と歩き出す。

 ネロは、側面からの攻撃を前に舌打ちをした。獣を一掃した銃口を向けるのが、
シエルであることを知り、過大な火力を振るう彼女をまず排除しなければならぬ
第一の脅威だと認める。
 ネロは、己の中からひときわ大きな獣を作り出し、銃口からの壁とする。

「こざかしいわ、小娘風情が!」

 それは、灰色の肌とツノを持つサイであった。
 ネロに向けられた火線が舐めるのと、サイが現れたのはほぼ同時であった。
 その結果――

 ブモォォォォーッ!
 
 銃声をも上回るような、サイの絶叫。横腹に数十発の銃弾を食らったサイは
足を折って転げるが、そのわずかな時間がネロには必要だったのだ。
 ネロが一声大きく叫ぶと、胸を激しく突きだして次のケモノを生み出す。

 バサバササバッ、と大きな羽音が立て続けに響き、ネロの胸から生み出され
たのは、大型の猛禽類であった。禿鷹・狗鷲・大梟、猛禽たちが羽ばたきも逞
しく、闇の空に駆ける。
 次々に闇夜に飛び立つ鳥を、茂みの中の機関銃が迎撃する。だが、機動力に
富む鳥たちは、あるモノは撃ち落とされながらも、火線の源に殺到する。

 ギャァギャァという猛禽たちの叫び声と、ガシガシという鈍い音。銃声は止
み、獣たちが茂みの中でもみ合う音だけが響くかと――

 カッ!

 真っ白な閃光と共に茂みごと、天に吹き上げられた。
 ネロは我知らず顔を庇いながら、轟音と共に吹き飛んだ茂みの残骸に目を走
らせた。使い魔ごと爆破された機関銃――そこでネロはようやく悟った。

「……屍の傀儡かっ!」
「どこを見ている、ネロ」

 真後ろからの声に、ネロは咄嗟に振り向く。そこに迫るのは、真っ黒な鋼の刀身。
 ――なぜ、獣の結界が破られた?

 一秒の何分の、何十分の一の時間でのけぞりながら、ネロは志貴を見る。
 戦士の貌も猛々しい志貴の背後には、切られて飛び散る獣の残骸

 ――小娘の結界!

 ネロはようやく気が付いた。この結界の中では、十分な知覚が得られぬと言
うことを。そもそも、先ほどのように茂みに隠れていてもその存在にネロは察
知していてしかるべきであった。だが、現実は不意打ちを二度も許している。

 そして、ネロは志貴に背後を取られ、シエルに至っては見失ったまま。

 ――無様な

 そう叫ぶ暇もなく、身を避けるネロの上を、サーベルの鈍い輝きの鋼が横切る。
 サーベルはネロの胸を浅く切り裂いていた。のけぞって体勢を崩すネロと、
切っ先の方向を変えて淀みなく片手突きの姿勢に移る志貴。

 志貴の攻撃は苛烈であった。だが、激しい攻撃の中にもある一つの計略がある。
 ギリギリまで、ネロを追いつめる事。そうすれば――

 志貴の突きは無駄なくネロの胸元を襲うが、ネロは腕を犠牲にしてそれを防
御する。まるで粘土か何かに棒を突き刺したような鈍い感覚に、志貴は間髪入
れず剣を引こうとする。

 だが、その瞬間にネロの首が動く。
 くわっ、と大きく見開いたネロの眼はあたかも瞼がない異形の生物の瞳の様
であり、その光彩が黄金に輝くのを、志貴の瞳は不意に見つめてしまった。

 躯の随まで凍り付く悪寒と、血が俄に粘り気を増し、躯の節々で凍るような
感覚。
 魔眼を見つめてしまった――志貴の本能が警告を発する。

「しまっ……」

 その言葉を言い終えるまでもなく、志貴はネロの横蹴りを食らい、そのまま
真後ろに吹き飛んだ。志貴は胸を押さえて後ろに転がるが、身に施された呪的
防御のために、痛みはするが骨までは傷が達していない事を知り、立ち上がる

「小僧……味な真似を」

 ようやく体勢を取り戻したネロが、憎々しげに吐き捨てる。思わぬ苦戦を強
いられた不甲斐なさと、死徒としての矜持に付いた傷ゆえの苦さであった。
 志貴がサーベルを構えてなんとか立ち上がったのを見ると、ネロは――暗く
笑った。

「お前はこれを助けに来ないのか?シエル?」

 闇の中にそう声高に吠えるが、答えはない。いずこに穏行しているのかは、
今のネロの知覚では察しきれない。だが、それも問題にはなるまい――ネロは
そう考えていた。
 手出しをしなければ、この若僧が死ぬだけだ、と。

 志貴は、まだ魔眼の影響から完全に脱しきってはいなかった。
 ただの一瞬にも関わらず、躯の内側にダメージを被ったかのように体が重い。
もし、今攻撃を食らえばひとたまりもないか……と志貴は心中で唸る。
 だが、志貴はネロの叫びを聞き、己の中の勝機が未だに失われていない事を知る。

 ――向こうは、先輩を気にしている。戦闘力の差はさしたる問題ではない。
 ――如何に戦いに専心できるか。勝敗の帰趨はそこで決する。

 志貴がサーベルを構えて立ち上がると、距離を置いて相対するネロは、志貴
の顔からまだ戦意が失われていないことを見て取ると、皮肉な笑いを浮かべる。
 志貴は、ネロの上に浮かんだ歪んだ笑みが目に入ると、ぐ、と唇を噛む。

 ネロは、己の躯を蠢かし、それ、を生み出した。

(To Be Continued....)