一部始終を語り終えた志貴は、シエルの部屋の可愛らしいクッションの上に
正座していた。テーブルを挟んだ反対側には、私服姿のシエルが神妙な顔をし
て座っている。蒼い瞳は真剣そのもので、冒頭から信じられないようなことを
話し続ける志貴の口元を眺めていた。
 そして、テーブルの上にはお茶請けのカレーパン。

 ――わからない

 志貴は心の中でそっと呟くと、ぬるま暖かくなったお茶を一口すする。

 志貴は、シエルを探して昼間からシエルの家まで来ていた。すでに二学期の
試験休みに入っており、外出している可能性を考えて不安がに思ったが、幸運
なことにアパートに戻るシエルとばったり居合わせることができたのだった。

 大きな木箱を抱えたシエルは、訪ねてきた志貴の様子に驚いたようであった。
そして志貴の傷が完治している事を見て取ると、妙ににこにこ笑っていたが、
既に十分に笑われた志貴は堪えるものではなかった。

 そして、そのままアパートの廊下で話し込もうとする志貴であったが、シエ
ルに止められて部屋の中に導かれ、そうして、志貴の体験した不可思議な事件
を説明することになったのである。

 志貴の話の間、シエルは黙ってその話に耳を傾けていたが、何度か顔色が険
しくなる瞬間があることを、志貴は気が付いていた。
 雪の平原の中の白い美女の下りと、晶の未来視、それにネロの胸から生えた
秋葉の時。その度に、シエルは穏やかな顔色から不意に無機物のような硬い表
情となる。

「……で、先輩はなにをやってたんですか?」

 ようやくのことで長話を終わらせて話を振ると、シエルはえ?と自分を指さ
して首を傾げる。

「先輩の、あのシスターみたいな格好と、あの投げた剣は一体……」
「ああ……遠野くんにはもう秘密じゃありませんね。あれは黒鍵といって……」
「いや、先輩、剣じゃなくて先輩が何をやっていたのか、を」

 話をはぐらかそうとした意図を志貴に遮られ、むぅ、とシエルは唸る。
 しばらく頬をぽりぽり掻きながら困った顔をしていたシエルであったが、決
心を定めたのか不意に真面目な表情になり、志貴の眼を覗き込む。

 瑠璃のようなシエルの瞳に見据えられ、志貴は息を飲む。

「……遠野くんも厄介な事件の当事者になってますね。私もその当事者の一人
なんですけど……そうですね、私は元々カソリック教会のエクソシストなんで
すよ。それも、どっちかというと実力行使の方の」

 もしこれが半年前であったら、志貴は一笑に付していたことだろう。
 が、シキと秋葉の事、そしてここのところの怪異を目の当たりにすると、そ
の言葉にも信憑性が宿るのであった。志貴は、自信ありげなシエルに恐る恐る
尋ねる。

「……じゃぁ、先輩と戦っていたのは……悪者?」
「悪者というか……ネロ・カオスは吸血鬼、こちらの言い方だと死徒ですね。
そう、遠野くんが倒したロアの転生体だって死徒です」

 志貴は、シエルが不意に遠野家の過去の悲劇に触れたことで身を固くする。
あの事件は遠野家の内々で行われたことなのに、なぜシエル先輩が知ってい
る――言葉にこそ出さなかったが、志貴の目は如実にそれを告げていた。
 シエルは、その志貴の態度を予期していたかのように、すんなりと答える。

「もともと私がここにいるのは、遠野くんによって滅ぼされた死徒を探し求め
るためでした。でも、遠野くんが私たちより先に倒してしまったのですが……
それから事情は大分変わってしまいました」

 シエルはそう言うと、ごく平静を保ちながらカレーパンをつまみ上げ、あっ
という間にもぐもぐと口の中に収めてしまう。カレーの後味を楽しむシエルの
顔を見ながら、志貴はシエルの話の続きを促す。

「一つは、吸血姫アルクェイド・ブリュンスタッドの到来です。彼女もロアを
追い求めてきたのですが、ロア無き今も何の因果かこの町から去ろうとしない
のです」
「アルクェイド……?」
「遠野くんが会ったことのある、『白い美女』ですね。彼女も吸血鬼ですが、
彼女の場合は真祖です――あれほど強大な存在は、この世にはありません」

 志貴はシエルの言葉を聞き、白い女性――アルクェイドを思い浮かべた。確
かに、シエルの言葉に首肯するものがあった。なぜなら、あの雪の平原の彼女
は死の気配すら感じさせない、完璧な存在であったのだから。
 胴震いするような存在感と共に、志貴は僅かに血が騒ぐのを憶える。

「真祖っていうのは、先輩……」
「一言で言うと、超自然の精霊です。そもそも『吸血鬼であった』ものであり、
アルクェイドはその中でも折り紙付きです……遠野くんが彼女にあったとき、
不思議な世界の中にいましたよね」

 志貴は、シエルの言葉に頷く。

「あの世界は、おそらく彼女が作り出した空想具現化のフィールドです。ああ
いう世界を作り出せてしまうほどに、彼女は強大な存在なんです」

 シエルはそこまで言うと、一旦口をつぐんで硬い瞳で遠くを一瞥する。
 空間を作り出す――ほとんど妄想としか思えない力のことを聞かされて一瞬
鼻白む想いの志貴では会ったが、目の前のシエルが冗談を言っているわけでは
ない事を知っている以上、こくりと無言で頷くしかない。

「その、先輩……アルクェイドとかいう女性は何か……」
「彼女が何かをしている、と言うより彼女が居る、ということがすでに問題な
んです、遠野くん。なにしろ、そんな彼女を狙ってやってくる死徒まで来ちゃっ
たんです。
 それが、ネロ・カオス。究極の生命を求める吸血博士」

 博士、という言葉に違和感を憶える志貴では会ったが、だがあのネロの勿体
ぶった口調から、そう言われる由縁を感じていた。

「ネロ・カオスは真祖であるアルクェイドを取り込むことで己の研究が完成す
ると公言している、厄介な死徒です。それが空自慢でない証拠に、ネロ・カオ
ス自身も原初の混沌を己の中で実現した、型外れの死徒……遠野くんが見た、
あの無数の使い魔達がネロの武器であり、実体です」

 またしても途方もない話であり、志貴ははー、と間が抜けた声を出すのが精
一杯であった。志貴自身、シエルの話の内容を半分も理解できていたかどうか
は怪しかったが、あの戦いの中でネロの底知れぬ力の片鱗は感じ取っていた。

 志貴は思う。どちらにしても、バケモノばかりなぜこの町に――
 そう思いながらも、志貴は苦笑を抑えきれない。まず、俺や秋葉やシキが立
派なバケモノだったんだ、今更どうこうというわけでもあるまい、と。

 しかし、志貴にはまだシエルの話で納得できない事があった。

「先輩、じゃぁ……秋葉の事は……」

 そう尋ねられ、シエルはすっと口を閉ざし、手を顎に宛いしばらく無言で考
え込む。
 志貴は、黙ってシエルの答えを待っていた。その間にまだ残った湯呑みの温
いお茶を口に運んだが、シエルの好物であるカレーパンに手を付けるのだけは
何となく躊躇われるところだった。

「あくまでも推測ですが……」

(To Be Continued....)