二人だけが残された部屋。
 ベッドの上で抱き合う二人の少女の姿。
 秋葉がおそるおそるその顔を覗き込む。胸に当たった感触では眼鏡を掛けて
いたが……それに、蒼香の言葉が間違いなければ、ここにこうしてるのはただ
一人しか居ない。

 だが、それはあり得ない話であった。なぜならこの子は中等部の制服を着て
ここに――
 秋葉の目の前で、その子は顔を上げた。その瞬間、秋葉は鼻の奥がつんとな
るような、こみ上げる感情に思わず顔を歪める。

 それは――志貴の顔であった。秋葉を前に胸を裂かれて横たわった、忘れら
れない八年前の志貴の顔。なぜどうして、そんな顔がここに浮かぶのか……そ
れ以上秋葉は考えられなかった。
 記憶の中に刻みつけられた蓄音機のような記憶の声が、この子の口から漏れる。

「秋葉……ごめん」

 志貴の声であった。声色は少年の変声期の前であったが、秋葉にはそれが過
ちようのない志貴の声であると分かる。蒼香もこの子が志貴だといったが、し
かしこの容姿と身体は秋葉の理解と認識を拒む。

 ――誰なの?なぜ兄さんの顔をして、兄さんの言葉をこの子は喋るの?

 志貴は秋葉の懐かしい、忘れられない秀麗な顔を見つめて泣きたいような、
それでも高まりすぎた感情が泣くことを許せないくしゃくしゃの顔だった。
最後に会った時の黒朱の髪は鴉羽の様な濡れた黒になっていたが、変わるこ
とのない秋葉の細作りの美貌であった。

 だが、そんな志貴の感慨を秋葉は共有していなかった。
 なぜなら秋葉と裏腹に、あまりにも志貴は変わりすぎていたのだから――
 秋葉は震えながら志貴の肩を掴む。細いが力がある秋葉の指にほとんど力一
杯に握られ、華奢な志貴は悲鳴を上げる。

「痛っ……ぁぁ……」
「……兄さん……違う……どうして……あなたは……」

 困惑しきった秋葉は腕に力を込め、志貴の身体を揺さぶる。されるがままの
志貴は思わず悲鳴を上げる。その間にも秋葉の空虚な問いは続いた。

「兄さん……なぜ……」

 秋葉は上から下までなんども志貴に眼を走らせる。目の前にいるのは志貴の
子供の顔をしてるが、どう見ても浅上の女生徒であった。まるで誑かされてい
るかのような事態に秋葉は困惑し、そのまま力余って志貴をベッドの上に押し
倒してしまう。
 うわっ、と志貴は叫んで堪えようとしたが、体格の差が物をいい秋葉にその
まま押し倒される。そして、上に被さる秋葉は口を引き結んでじっと志貴を見
下ろす。
 怖いほどの瞳で。

「秋葉……落ち着け!オレがこうなったのは訳があって……」
「なぜ……なぜ兄さんが女の子に……嘘よ……っ!」

 秋葉はか細い志貴の抵抗する腕を分けなく抑える。この腕の力だって違う。
自分を抱きしめた兄の力強い腕ではなく、まるっきり少女の力無い腕であった。
 秋葉は志貴の腕を咄嗟に張り付けにするように頭の上に押さえ込む。両脇
を延ばしきり志貴は抵抗を封じられて秋葉の下にあった。

 セーラー服の押さえ込まれた少女……そうにしか秋葉には感じられない。
 秋葉はこの、目の前にいるのが妖か現実か、現実であるとしたらその存在が
何であるのかを迷った。その身体に魔と呪の香りが感じないだけ余計にその存
在は謎であった。

 ――ならば、確かめるしかない。

 秋葉は片手で志貴の両手首を押さえ込み、空いた手で志貴の胸元を掴む。

「うぁ……止めろ、秋葉……オレだ、志貴だよ……」
「信じられません……なぜ、貴女が兄さんだというの?こんな女の子の恰好を
して、私をだましに来たの……いいわ、貴女がそうするなら私だってこうする
だけです」

 秋葉は志貴の胸元からセーラー服のスカーフを抜く。
 そして、そのスカーフで志貴の両手首を縛り、ベッドの木枠にくくりつける。
たちまちに志貴はベッドの腕に囚われの身となっていた。
 そして、スカートの腰の上には秋葉が馬乗りになっていた。秋葉は両手を拘
束された志貴の顎に指を宛うと、自分の顔を見させる。

「なな、なにを、秋葉……」
「……確かめさせていただきます。貴女が一体誰であるのかを」

 秋葉は志貴の顔を白魚のような指でなで回す。そして眼鏡の蔓に指を触れる
と、そっと眼鏡を外して手元に持つ。
 フレームは志貴の眼鏡から作り替えられていたが、そのレンズは間違いなく
元の眼鏡であると秋葉には分かる。異様なまでの濃く深い呪をそこに感じるの
だから。

「なぜ……貴女が兄さんの眼鏡を?」
「それは……作り替えて貰って……ぁあ……」

 志貴はとっさに眼鏡を返した貰ったときの、シエルの痴態を唐突に思い出し
てしまいつと顔を背ける。愛する妹を前に浮気の快楽を思い出した己を恥じる
かのように。
 その態度を、秋葉は自分に対する後ろ暗い秘密であると感じる。

「……おかしいわね。貴女が本当に兄さんなら、なぜこんな恰好をする必要があって?」

 秋葉は眼鏡を志貴に戻すと、セーラー服の胸をぎゅっと握りしめる。
 なぜそうしたのかも分からぬ咄嗟の動きであったが、その手応えに秋葉は顔
をしかめる。

 脂肪分のない平らな胸板。秋葉自身の胸もささやかな物であったが、そこに
は女性らしい脂肪の層や、種のような胸のしこりの感覚がある。だが、セーラー
服の下にあるのは肌の薄い少年そのものの胸であった。

「ここに来るために、お前のルームメイトの娘にこの恰好をさせられたんだよ……」
「……道理は通るわね。でも……あなたは一体何者なの?」
「だから……遠野志貴……お前の兄さんで……」

 志貴はそこまで言うと、つと声を詰まらせた。
 今の秋葉には、自分が志貴である事を示す唯一の証拠を口にしないといけな
いのだと。
 それは秋葉と志貴の間の、神聖なまでの記憶。

「この身体はあの後に……生き返るためにこうなるしかなかったんだ」
「あの後……」
「そうだ、あの夜だ。離れでオレとお前が結ばれた……」

 離れ。それが秋葉の中の感情の堰を切って落とす。
 それは志貴と秋葉しか知り得ない唯一の時間の記憶だった。
 秋葉の脳裏に走馬燈のように記憶の風景が走り抜け、そして……眼から透明
な涙がこぼれ落ちる。

 ぽたり、と志貴は頬にこぼれ落ちる雫を感じた。

 今まで強気の詰問口調であった秋葉の顔がくしゃくしゃに崩れる。綺麗な顔
が台無しだ……と思う志貴の顔に、まだ何滴かの涙が落ちる。秋葉は掠れる声
で問うた。

「……兄さん……なんですか?」
「秋葉……悪かった……独りっきりにして……だけどもう帰ってきたから……」

 秋葉は志貴の上に崩れ落ちた。
 そして志貴の細い身体を抱きしめながら……泣いた。背中を波打たせて嗚咽
を漏らし、ただ浸すらに。
 その身体の下にある志貴は、腕を縛られたままで秋葉の嗚咽を感じていた。

 しばらく志貴は、秋葉が涙を流して身体を抱きしめられるままであった。己
も感無量で秋葉に何と言ったらいいのかが分からない上に、今は懐かしい秋葉
の体温を感じていたかった。
 だが次第に秋葉が嗚咽を沈めていく中で、志貴はただ抱きしめるだけの秋葉
の腕の動きに変化が生じてきたのを気が付いた。

「兄さん……なんで兄さんは、こんな身体になって……」

 秋葉の腕は、志貴のか細い身体をまさぐっていた。その手は志貴の背中から
肩、胸、そしてお尻や腰の方まで伸びてくる、
 秋葉は志貴を胸の内に収めながら、触覚でその身体を確認していたかのような。

「あっ!」

 そしてその手が志貴の股間の膨らみに触れた瞬間に、堪らず声を上げる。
 秋葉の身体の下に敷かれ、顔を胸の押さえつけられるような恰好にされてい
た志貴は知らずに股間を硬くさせ始めていた。秋葉の香りが情事の記憶を蘇ら
せたのかも知れない。
 更にはこんな少女の制服で押し倒されているという倒錯的な状況も、密かに
志貴を興奮させていた――

「女の子ではないんですね。兄さん……」

 秋葉の手はスカートと下着の上から志貴の股間の膨らみを触れる。そしてそ
の上をいとおしそうになで回す手に、志貴は刺激に堪えながらも漏れる声を上げる。
 そして、股間を這い回る快感に呻きながらも、志貴は答えた。

「だいぶ縮んじまったけども……男だ、まだ」
「心配しました……兄さんがそんな恰好をしているから本当に女の子になって
しまったんじゃないかと……あ、だんだん兄さんのが……」
「秋葉……そこは……ぁああ……」

 秋葉はきゅ、とスカート越しに形を確かめるように志貴の股間を押しつける。
 腕を封じられている志貴は、それを隠すことも出来ずに身悶えする。秋葉は
身体を起こすと、改めて志貴の様子を見下ろす。

「…………」

 秋葉は己の胸の中に、再会の歓喜の背後から沸き上がってくる倒錯した興奮
に蹌踉めきを感じた。

 腕の下にあったのは、手を高手に縛り上げられた美少女のような兄。押し倒
されていたので浅上の制服は乱れ、ひどく艶めかしく感じる。さらに志貴の顔
は思いの外に美しい。
 さらに股間の膨らみはスカートをかすかに押し上げている。志貴は脚を組む
ようにして股間を隠そうとしていたが、逆に身を捻って悶えるかのような仕草
はひどく官能をくすぐるものがある。
 女装の美少年を押し倒している。そしてその少年は己の愛した兄でもある。
 論理的帰結の破綻した存在だった。だがそのほつれ秋葉の中に別の感情を掻
き立てる。

 それは、先ほどまで身を灼いていた志貴への、迎えに来ない恨みであった。
長すぎる悲しみはやり場のない怒りとなって身を焦がし、秋葉の中の不穏な熾
火として胸の奥に根深く残っていた。そしてその兄は捕らわれて掌中にあり、
まるで秋葉の倒錯的な官能を掻き立てるかのような恰好と仕草をしていた。

 そして再会の感動と言い尽くせぬ歓喜も、秋葉を内側から弾けさせそうなほ
ど高まっていた。心臓は胸郭の中で飛び回り、口から熱い歓喜の叫びが上がり
かねないかのような、喉を焼く興奮。

 倒錯と背徳、恨みと高まりすぎた再会の喜悦。
 それらが全てない交ぜに秋葉の中で混ぜ合わさる間も、秋葉はその心とは裏
腹のまるで困ったような、悩むかのような表情で志貴を見下ろすばかりであった。

 ――この感情を、どこにぶつければいいの?

「秋葉……どうした?」

 過去二度に渡って女性の手に押し倒され、操を汚された志貴がぎくりと慌て
た顔で秋葉を見上げる。瞳が微かに潤み、紅潮した志貴の顔を認めた秋葉は、
己の心の中で混乱した感情の洪水に一つに水路を開け、その感情を導く。

 ――さんざん待たせた兄さんに、お仕置きしなくては。と

(To Be Continued....)