廊下でも、蒼香は人の悪い笑みを浮かべたまま歩いていた。
 そしてその後ろに少女が二人、中等部の制服を着て付き従っていた。
 正しくは、少女に見えるのが一人と、本物の少女が一人。

「いやいや、瀬尾。恩に着るよ。まさかお前もここまで乗り気だとは」
「月姫先輩……ふふふ、こんな美味しい話、乗らないわけ無いじゃないですか」

 蒼香より僅かに背が高いショートカットの少女が、くすくすと口元を抑えな
がら小声で笑って囁く。だろ?と蒼香が振り返って笑い、二人とも今更ながら
もう一人の少女に目を注ぐ。
 その少女は、俯いて床を見つめたまま二人の視線に耐えていた。恥ずかしさ
のあまり顔を上げる事は愚か、その場で消え入ってしまいたいほどの情けない
屈辱に震えていた。
 
 この一行の中で一番背の低い少女……の姿をさせられている、志貴であった。
 中等部のセーラー服を着せられ、ご丁寧にも学校指定のソックスとシューズ
まで履いている。さらに完璧を期するためにうっすらと晶の手によりメイクも
施されていた。

 この衣装を調達してきたのは晶であった。彼女も面談室に呼ばれてこの一種
異様な状況に戸惑ったが、美少年の志貴を女装させる――その内容を知ってむ
しろ燃え上がってしまっていた。
 見目麗しい美少年を、セーラー服で女装させる……それは晶の愛する耽美の
世界だった。まさか少女漫画でしか見られないシュチュエーションを自らの手
で実行できる。

 かくして晶は瞬く間にサイズの合う制服を借り出し、メイク用具まで持って
馳せ参じたのであった。女性陣に囲まれた志貴は哀れ……

 そしてその結果――この、ぱっと見には背の低い浅上中等部の女生徒にしか
見えない女装の志貴「ちゃん」が出来上がったのであった。本人は堪ったもの
ではないが、他に代替策を言い出せなかった以上秋葉に逢うには甘んじてこの
屈辱を享受しなければならない。
 この屈辱を甘受してでも、志貴は秋葉に逢わねばならなかったのだから――

「……」

 だが、そんな志貴に今口に出せる言葉はない。とにかくこの足下の空いたス
カートと襟元や袖口が無防備なセーラー服を着せられている恥ずかしさと無防
備さ、それに時折すれ違う浅上の女性とが自分を見て笑っているような屈辱の
錯覚に囚われ、足取りすらもおぼつかない。

 琥珀と羽居は、昏倒したシスターを運びに行っており、今は蒼香と晶に連れ
られて歩いているが、この間も走って逃げ出したくなる衝動に駆られていた。

「でも……遠野くん、こんなにカワイイだなんて」

 横に並ぶ晶はぽーっと頬を赤らめながら志貴の事を覗き込むと、志貴は眼鏡
の顔を上げて困ったような泣き出しそうな、そんな情けない顔で晶を向く。
 熱にうなされたような顔で晶は志貴を見つめ、そしてくっと腕を伸ばすと……

「うわわわわ!」
「ああ、こんなに遠野先輩のお兄さんが……が……はぁぁ……」

 肩から晶の腕に抱き込まれた志貴は悲鳴を上げそうになったが、ぐっと堪え
る。変声期前の声だが、流石に大声を出すと性別がばれるのだから。そして、
柔らかい晶の身体にぐいぐいと引き寄せられ、抱きつかれる。
 その様子をちらりと振り返ると、蒼香が呆れたように口にする。

「瀬尾、いくら可愛くてもそれは遠野のモンだ、手ぇ出すと後でひどい目に遭うぞ」
「はぁい……ねね、遠野くん?」

 しぶしぶ手を離した晶は、しばらく物惜しそうな眼で傍らの志貴をちらちら
見つめていた。スカートから覗く脚は臑毛も筋肉もなく、腕や首筋もほっそり
として華奢だった。前を歩く蒼香が「少年みたいな少女」だとしたら、志貴は
まさしく「少女みたいな少年」である。
 志貴はこの、耽美な妄想に燃える晶を苦手そうな瞳で見上げる。

 それはまるで、襲って下さいと言っているかのような、堪らない美少年の顔。
 ごくりと晶は生唾を飲むと……

「……後でお姉さんと遊びましょうね?」
「あう……ホントは俺の方が年上なんだけど……この有様じゃ説得力がないか」
「二人ともリラックスするのは良いが、後で遠野に聞かれたら叩き殺される様
なことを……」

 蒼香は苦笑いしながら先頭に立って一行を導く。寮内の高等部の女生徒とす
れ違うが、その度に蒼香が人を寄せ付けない邪険なオーラを放って歩いている
だけあり、この高等部に中等部の混合というトリオを呼び止めるモノは居なかった。
 蒼香は階段を上がり、廊下を渡って慣れ親しんだ寮内の目を瞑っても分かる
ドアの前まで来る。

「あ……ここは……」
「……ここが、秋葉の?」

 微かな声で晶と志貴が囁く。知らず荒く脈打つ心臓を、志貴はセーラー服の
上から抑える。この再会の時までどれだけの紆余曲折を経たことか……
 志貴は胸の、心の痛みを憶えて唇を噛む。そして今こんな風になってしまっ
た自分をどう説明したものかを頭の中で巡らせる。
 
 だが、緊張する志貴とは裏腹に、蒼香は無造作に真鍮のドアノブを掴む。

「遠野ー!連れてきたぞ!」

 この無遠慮な挨拶に志貴がぎょっとする暇もあれば、蒼香はぐいと志貴の腕
を引いてドアの内側に引っ張り込む。そしてその後に晶が滑り込み、後ろ手で
ドアをしっかりと締める。
 志貴の低い視線の中で、寄宿舎の光景が広がる。二段ベッドと机、クローゼッ
トとクッション、掛けられたハンガーと制服、机の上のペンと手紙。

 そしてベッドの上に横たわる黒髪の乙女。
 まるで枕を掻き抱き、孤独に耐えかねて涙を流すかのような姿の――

「あき、は……」

 志貴はその瞬間。自分が涙ぐむのを憶えた。
 ――永かった……この再会までにあまりにも……永く哀しく……

「遠野?起きてるよな?お前が会いに行かないから連れてきたぞ?」
「……それは、琥珀を?」
「違う。もう一人の方で本命だ」

 俯せのままの秋葉の不機嫌な声に、志貴は唇を噛む。晶はドアを背負ったま
ま、はらはらと部屋の中の光景を見守っている。蒼香はつかつかとベッドの傍
らに寄り、立ったままベッドの上の秋葉の背中を見下ろした。
 そして、秋葉の背筋がぴくりと動くのを見つめる

「……何を言ってるの?蒼香?」
「だから連れてきたんだ。遠野志貴、お前の兄さんを」

 部屋の空気がシキ、の言葉に揺れる。秋葉はまるで発作でも起こしたかのよ
うに激しく震えると、その手でシーツを掴んで引きちぎらんがばかりに掴み寄
せる。
 せめぎ合う感情が動かす体を、蒼香は見つめていた。

「……なんで……そんなことを……私は会いたくありません!兄さんとは」
「遠野。お前は会いたくないと言ってるが、遠野の兄さんはそうは思ってない
よ。それにお前も本当は会いたいんだろう?嘘付くなって」

 蒼香は無遠慮なまでずけずけと口にする。そして腰に腕を当て、喧嘩腰の勢
いを駆っていた。

「お前がらしくもなくうじうじ悩んでるのをこれ以上座視しろって?冗談じゃ
ない、そんな遠野と一緒に暮らすのは願い下げだよ。だから千載一遇の機会な
んだ、遠野、お前は会わなくちゃいけない。それに会わなくてもてもお前は後
悔しないのか?」

 秋葉に答えはない。
 志貴は口を挟める余地を感じることが出来ず、奥歯を噛み締めて黙っていた。
 蒼香はつい感情に激してしまった自分のことを振り返ると、柄でもない、と
言いたそうな顔で目線を秋葉の背中から逸らした。

「それに……遠野の兄さんがな……あー、もう!」

 蒼香は耐えかねたように頭を掻くと、秋葉にくるりと背を向けて怒ったよう
な苛立った様な顔で眼を瞋らせて歩き出す。そして、セーラー服のような少女
の姿の志貴に向けて、つかつかと足早に進んできた。
 蒼香の表情の険しさに思わずビクつく志貴であったが、逃げもかくれもする
ことは出来ずに蒼香に腕を掴まれる。

「あ、月姫先輩……」

 そしてそのままずんずんとベッドに志貴を引いていく蒼香に、晶は小さく声
を掛ける。だが蒼香の動きは止まらず、脚をもつれさせて志貴は引っぱられる
ままにその後ろを追う。
 志貴の目の前に、秋葉の背中が広がってくる。前に見つめたときには触れれ
ば折れてしまいそうな身体に思えた、が、今や秋葉の方が遥かに背も身体もしっ
かりして見えるのは皮肉であった。

「あ、その……」
「ほら、遠野!後は自分で確かめろ」

 その声と共に、蒼香はどんど志貴の背中を突き出す。
 勢いが付いた志貴はそのままもつれるようにベッドの方に倒れ込む。
 さらに自分の上に何かが崩れ落ちてくる気配を無視できずに秋葉は身体を起
こし――

「うわ!秋葉っ」
「……えっ?」

 身体を起こした秋葉とベッドに崩れ落ちる志貴は、図らずも抱き合うような
形になってしまう。志貴はそのまま秋葉の胸元に倒れ込み、肉付きの浅い胸に
頬を押しつけるような姿勢で抱き留められていた。
 秋葉の方も、突然倒れ込んできた娘を咄嗟に受け止めた。中等部の制服にショー
トカットの髪だけが移り、一瞬後輩の瀬尾かと思う。

 だが、瀬尾よりも背が低く、そして――ひどく懐かしい様な気がした。

「いたた……」
「行こう、瀬尾。やることはやった、後は遠野が決めることだ。お節介が過ぎ
たがこれ以上はオレも何ともしかねる」
「あ……はい、先輩。遠野先輩、失礼します」。

 秋葉は自分が受け止めたかと思った瀬尾が戸口で声を立て、蒼香に手を引か
れてドアから出ていくのを呆然と見ていた。一礼して去ったのは間違いなくそ
れは晶であり、そうなると今抱きしめているのは誰かと思い、その身体をそっ
と離して見た。

 その少女は……顔を見た途端に、秋葉は胸にこみ上げる物があった。


(To Be Continued....)