宿の人に電話を掛けて迎えに来てもらう。
今は午後二時。予定では五時に来てもらう約束だったからかなり早い。
予定外の連絡に宿の人は訝しがっていたけど、それでも快く俺達を迎えに来
てくれた。
「お客さん、何か埃っぽいですね。山登りでもされましたか」
「い、いや、そういう訳でもないんですけどね」
「ちょっとばかりカーチェイ(モガ)」
懲りないアルクェイドの口を素早く押さえる。
「あはは、柄にもなく追っかけっこになっちゃって。旅先の開放感ってヤツで
すかね」
「はっは、うちの者に言ってくれれば明日までに仕上げておきますんで、戻ら
れたら風呂に入られたらどうです?」
「そうしよう! 志貴、温泉よ温泉!」
温泉と聞いて何故か息巻くアルクェイド。
「お前すっかり温泉が気に入ったみたいだな」
宿に戻ると女将さんと菊江さんが出迎えてくれた。旅先で知った顔を見るの
は何となく嬉しい。
「あらら、こんなに早く戻ってこられて一体どうなさったんです?」
「はは、ちょっと色々ありまして」
「そう、ちょっと色々あったのよ」
アルクェイドが俺の真似をする。
俺がじろりと睨むとアルクェイドはあさっての方向を向いて舌を出した。
「はあ、そうですか。とりあえずお部屋にお戻り下さいな。何かありましたら
このものに言いつけて下さいまし」
俺達の様子に女将さんは首を傾げていたが、すぐに気を取り直すと後ろに下
がっていた菊江さんにあれこれと指示を出した。
部屋まで一緒に付いてきてくれた菊江さんは俺達にお風呂を勧めた。
自分たちでは気が付かないけど、俺達は傍目にはかなり汚れているらしい。
「すぐに替えのお召し物をご用意いたしますので」
何かひらめいた風の菊江さんがこんな事を言いだした。
「そうだ、よろしかったら浴衣なんて如何です? 金髪に浴衣ってミスマッチ
みたいですが、アルクェイドさんでしたらきっとお似合いになりますよ」
「え、浴衣って何?」
「家で琥珀さんが着てるようなやつだ。正確にはちょっと違うかも知れないけ
ど大体あんなかんじ」
って言うか、目の前の菊江さんも和風旅館の例に漏れずしっかり和服姿なん
だけど、どうも和服というと琥珀さんが連想されてしまう。
「もちろん志貴さんの分もご用意できますよ。実はですね、ここの下の街で丁
度お祭りやってるんですよ。歩いても15分位ですし、お食事がお済みになった
ら夕涼みがてらお二人で見物に行かれたらどうでしょう?」
お祭りか。子供の頃に有馬の人たちと何度か行ったきりだ。
旅の終わりがあんなドタバタで終わるのも何だし、今回の締めには丁度良い
かも知れない。
「……どうする? アルクェイド」
「決まってるじゃない。行くわよ」
アルクェイドが何言ってるのよという顔で俺を見た。
「じゃ、済みませんがお願いします」
「はい、じゃお部屋の方にご用意しておきますので、お二人ともお湯に遣って
きて下さいな。当座のお召し物は普通の温泉浴衣でしのいでいただきまして、
お出かけになる際に呼び出していただければ気付けに参ります」
「温泉浴衣? それも浴衣と違うの?」
「アレは半分寝間着みたいなもんだからな。あの格好で外を出歩くのはまずいんだ」
「???」
アルクェイドはよく分からなかったらしく頭をひねっている。
俺と菊江さんは顔を見合わせて笑った。
「本物の浴衣をご覧になれば分かりますよ。さ、それでは失礼いたします」
風呂場は俺一人きりだった昨日と違い、人でごった返していた。
長くいる雰囲気でもなかったので体を流すと早々に風呂場を引き上げる。
脱衣所で替えの温泉浴衣に袖を通し、帯を締めるところではたと気が付いた。
「やべ、アイツに着替えかた教えるの忘れてた」
居心地の悪さを感じつつも女湯の前でアイツの姿を待つ。
示し合わせた時間を過ぎても未だ出てくる様子はない。
「参ったな……菊江さんを捜してこようか」
予定時刻を20分を過ぎたところで腰を上げる。
と、折良くアルクェイドの見慣れた金髪とその大分下に白髪の頭が仲良く暖
簾をくぐって現れた。
「ふえ〜ん、志貴ぃ」
アルクェイドが半泣きで俺の元に駆け寄ってくる。浴衣姿だ。
なんだ、心配しなくとも綺麗に着こなしているじゃないか―――って!
「うわっ、馬鹿、お前、こんなところで抱きつくな!」
アルクェイドが俺の首にしがみついてきた。
薄い温泉浴衣の生地越しに湯上がりの火照った感触が伝わってくる。
柔らかな感触が胸元で潰れていく様に頭の中が真っ白に漂白される。
「良かった〜。着替えようと思って広げたら大きな布一枚とひもだけなんだもん」
「こ、こら、アルクェイド!」
肩口で切られた金髪が首元を撫でていく。微かに湿って毛先がくすぐったい。
ああ、馬鹿、歯止めが利かなくなるじゃないか。
思わず抱き返したくなる衝動を必死に堪える。
アルクェイドは俺の葛藤をお構いなしになおも首に回した手に力を込める。
「まさかまた汚れた服で志貴の前に出るわけには行かないしさ、どうしようか
と思ったよ」
「良いから……早く……離れてくれ!」
外側から両肩を掴み、やっとのことでアルクェイドを引き離す。
これ以上胸の感覚に耐えられない。
と、アルクェイドの心細そうな顔が目に入る。
こいつこんな顔して俺にしがみついてやがったのか。
思わずアルクェイドに背を向けた。
「あれ、ねー志貴、どうしたの?」
「いいから! ……ちょっと待ってくれ」
自分の火照った顔を見られるのが恥ずかしい。
どうにか胸の鼓動を鎮めていると、いきなり尻の辺りをぺしっと叩かれた。
「いてっ」
振り返ると、目の前のアルクェイドよりも大分下から声が掛かった。
「こりゃ。あんたがこの娘の旦那さんけ?」
「旦那!?」
とんでもない単語に思わず声の主を凝視する。
アルクェイドと俺の間にしわしわの小さなおばあさんがいる。
あ、そういえばさっき目に入った白髪頭は。
「違うんけ?」
おばあさんが再び問い返してくる。
「いや、旦那っていう訳じゃ」
アルクェイドの真っ赤な顔がこちらを見つめているのが目に入る。
「……ないんです、けど……」
語尾が濁る。
また頭に血が上って上手く返答できない。抱きついてきた後にあんな顔する
なんていうのは反則だ。
あーもう! どうしろってんだ一体。
「駄目だで、旦那がしっかりしにゃ。外人の娘さんを嫁に取ったんなら浴衣の
気付けぐらい教えとかんと」
真っ赤な顔で見つめ合う俺達をよそに再びおばあさんから声がかかる。
「あ、はい、済みません……」
「志貴、この人が気付けとかやってくれたんだよ」
「そうなのか。ありがとうございます」
反射的に思わず頭を下げる。
おばあさんは意に介した風もなくしわくちゃの顔をすぼめたままだ。
「ええのよ、大したことやった訳で無し。それよりもおれはお風呂に戻るで」
「出てきたのにまた入っちゃうの?」
「湯治に来たんでの。あんたが騒がなきゃあのまま入っとったわ」
「そうですか、わざわざありがとうございました」
「ありがと。おばあちゃんも元気でね」
「じゃね。仲良くやんなさい」
唐突に現れたおばあさんは登場と同じく瞬きする間に暖簾の奥へと消えて
いった。
俺達二人だけが後に残される。
「……何だよ」
「ううん」
「……何だってば」
「何でもないよ」
「ふーん……」
「……へへへ」
「……行くぞ、アルクェイド」
「うん」
何故かご満悦のアルクェイドは部屋に付くまで俺の袖を掴んだままだった。
部屋についた俺はアルクェイドと向かい合うのが何となく気恥ずかしくてチ
ャンネルをぽちぽちと切り替えつつテレビに見入っていた。
隣にアルクェイドが並ぶ。
「……志貴」
「……何だよ」
「……琥珀の部屋で見てる番組ってやってないの?」
「……ああ、地方だからな。やってる番組の方が少ないくらいだ」
「……なーんだ。ドラマの続きが見たかったんだけど。今日最終回なんだよね」
「……ふーん。……面白いのか、それ」
「……あんまり」
「……そっか」
こんな感じでいたら時間が一瞬にして過ぎてしまった。
さほどとも思えぬ時が過ぎて、菊江さんが夕食の用意に現れた。
昨日のこともあってか、菊江さんは支度を整えるとそそくさと席を立つ。
豪華絢爛の夕食も二日目になるとそれほど目新しさは感じられない。
アルクェイドも経験値を積んて色とりどりの器の間へよどみなく箸を探っ
ていく。
昨日とはうって変わった静かな食事。
……そういえば今日は昼食もまだだったっけ。
「ねぇ、志貴」
「どうした?」
「ここの料理も美味しいけどさ、志貴のとこで琥珀が出してくれる方が美味
しい気がするんだよね」
「そりゃあ……。……確かに琥珀さんは料理上手だけどさ、多分アルクェイ
ドがそう思うのは、みんなでわいわい騒ぎながら食べるからだろ」
「うん。そうだと思う。みんなで食べるのって楽しいしね。今度私も作ろう
かしら」
「みんなにか?」
「凝ったのは流石に無理だけど、それなりには作れるわよ。琥珀に手伝って
貰えばこーいうのも出来るかも知れないけど」
アルクェイドはそう言いながら目の前の小鉢をつつく。
「ふーん、お前って車の運転といい料理といい多芸だよな。良かったら秋葉
も仲間に加えてやってくれよ。アイツ料理が出来ないの気にしてる癖にさり
げない風を装ってるんだ。どうしてなんだろうな」
「妹は素直じゃないからねー。ほんとは志貴のご飯作りたくて仕方ないんだ
よ。翡翠もだけど」
「翡翠か……翡翠は、家事だけで十分に頑張ってくれてるんだからわざわざ
料理までやらなくても」
「……志貴、それってさりげなくひどい事言ってると思う」
「そ、そんなつもりじゃ」
下の街まで15分という夜の山道を歩く。
濃紺の地に浮き出るような鬼灯の実が目に優しい。
前をゆくアルクェイドの浴衣の柄だ。
「へへへ、不思議な感じ」
からん、ころんと音を立てる下駄にアルクェイドはご満悦だ。
浴衣がめくりあがらないように摺り足気味に歩くので下駄が道と擦れて音を
立てる。
路面は舗装されているから下駄で歩くには何の不自由もない。
アルクェイドの浴衣姿は嘘のように似合っていた。
もとより背が高いし日本の平均女性よりも腰の位置が高いから、気付けをし
てくれた菊江さんが帯の位置に難儀していたようだけれど、俺の前にアルクェ
イドを押し出した菊江さんの表情はその出来映えに誇らしげだった。
俺はと言うと初めて見るアルクェイドの艶姿に声も出なかった。
もちろんこの事は本人には秘密にしておく。
感想をねだってアルクェイドが騒いだが、下手なこと言ったら後でどんなこ
とになるかわかったもんじゃない。
アルクェイドの袖に染め抜かれた鬼灯の実がひらひらと目の前を舞う。
白線さえ引かれていない舗装されただけの山道は程なく街道沿いへと抜けた。
(To Be Continued....)
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