「うわぁ……」
「お、やってるやってる」
かつては豊富な湯量を誇ったというこの温泉街も温泉の湧出量の減少に従っ
て廃れ、今はその名残を残すばかり。
お祭りには欠かせない露店も軒を連ねる賑わいという訳にはいかず、温泉街
を二分する川の両岸にぽつりぽつりと点在しているきりだ。
それでもお祭りということでいつもよりは大分多めと思われる人々が屋台や
露店の間をざわざわと流れていく。俺たちと同じように下駄履きの浴衣姿も多い。
「すっごい。どこもかしこもオリエンタルなんだ」
アルクェイドが街道沿いに吊された電気提灯を見て呟く。
「日本でも今じゃこういうお祭りの時くらいしかこんな雰囲気にはならないけどな」
「で、これからどうするの志貴」
「地元の人なら山車を引いたり御輿を担いだりするんだけど、俺たちは単なる
観光客だから、それを横で見物したり夜店を回るってのが正しい祭りの楽しみ
方だ。今のところ御輿も山車も見えないからとりあえず夜店を回ろうか」
「夜店って並んでるこのちっちゃなお店のことだよね。うーん……夜店って食
べ物屋のこと?」
眉を寄せ、下駄でつま先立ちになったアルクェイドがぼんやりと光る川端の
端っこまでを見渡す。
「一概に食べ物屋って訳じゃないんだけど、まあ多いな。他にもヨーヨー釣り
とかお面売りとかもある。金魚すくいは欠かせないな。そこの端から順繰りに
見て回ろうか」
「おっけー」
お面売り、いかみりんと流し見ていったアルクェイドの足が止まる。
発電器の唸る音が響くわた菓子屋で割り箸へ雲のような飴が絡め取られてい
く様を子供達と一緒になって見つめるアルクェイド。
「アルクェイド、ほら、次行かないと祭り終わっちゃうぞ」
「う、うん、も一回だけ出来るとこ見たい」
「お前それで五回目だろ」
わた菓子機の一点を見据えて動かないアルクェイド。
店の真ん前に陣取って足に根っこをはやしたアルクェイドについに店のおっ
ちゃんが根負けした。
「……やっていいの?」
おっちゃんが白熱灯の光にもそれと判る陽に灼けた顔を笑みの形に歪めてア
ルクェイドに割り箸を握らせてくれる。
「この丸い輪っかの中に雲が出来たら割り箸ですっと引っかけて、何度もそれ
を繰り返すのさ。何遍も見てて覚えたろ」
「う、うん」
袖をまくったアルクェイドが死徒との戦いもかくやという真剣な表情でわた
菓子器に対峙する。
当然巧くいくわけもなく、歪な形でまとまったわた菓子が出来上がった。
おっちゃんにお礼を言って代金を払おうとした俺の横から、様子を見ていた
見物客が歪なそれを買い上げる。
こうなるともう止まらない。
俺も俺もと息巻く見物客に大笑いしたおっちゃんはアルクェイドに次々とわ
た菓子を作らせた。
経験とはすごいもので、お客の流れが一段落する頃に作り終えた最後の一個
は俺の目から見てもそれなりの形に纏まっていた。
「はい、これ志貴の」
「俺の?」
アルクェイドに作ったとはいえ、出来上がったものはわた菓子屋さんの商品だ。
慌てて代金を支払おうとする俺をおっちゃんが押し止める。
「十分儲けさせてもらったからな。ほれ、これはべっぴんさんの」
片手間と思えるほど軽々とわた菓子を作って見せたおっちゃんは通常よりも
幾分大きめのそれをアルクェイドに差し出した。
噂を聞きつけた他の客からこれ以上リクエストがあっても困るので、わた菓
子屋さんに礼を言って早々に逃げ出す。
「はー、楽しかった。これっぽっちの砂糖がこんな大きくなっちゃうなんてすっごい!」
そういって目の前のわた菓子に口を寄せるアルクェイド。
「ん、甘い。元が砂糖だけだから当たり前か。ほら、私が作ったわた菓子だよ。
志貴も食べて食べて」
「分かった。有り難く頂くよ。わた菓子も買う予定だったんだけど結局ロハに
なっちゃったな」
目の前の砂糖の雲にかじり付く。
アルクェイドが言うように元は単なる砂糖だけど、こうしてわた菓子になっ
てしまうと単なる砂糖の味とは違う気がするのはどうしてだろう。
ふとアルクェイドのわた菓子にかじり付いた。わた菓子屋のおっちゃんが作った方だ。
「こら、志貴、行儀悪い」
アルクェイドの文句を聞き流してちぎったわた菓子を口の中に納める。
「……アルクェイド、こっち食って見ろ」
「え、私が作ったやつ? 同じヤツだよ。志貴も見てたでしょ」
「そう思うだろ。いいから食って見ろよ」
アルクェイドは眉をひそめると俺の持ったわた菓子にちみっとかじり付く。
「もっと豪快にいけ」
「うるさいなー。分かったわよ」
今度はぱくっと食いついたアルクェイドが口を動かすと、やがて目を丸くした。
「同じ砂糖なのに私の作ったのよりずっと美味しい……ふわふわだ」
「これがプロの技ってヤツなんだろうな」
口の中が砂糖で甘ったるくなったので途中たこ焼きを買ったり、射的で全弾
外したりと目の付いた夜店に入り込む。
定番の金魚すくいはやらなかった。
「生き物は飼ってあげられないからね」
アルクェイドはそう一言だけ漏らすと、遠巻きに眺めるだけで金魚の生け簀
には近寄ろうとしなかった。
俺もとりたてて言うことはなくそのまま金魚掬いの前を通りすぎる。
気を取り直すと近くのヨーヨー釣りへと誘った。
「こよりの部分を水に浸けないように気を付けて、針金の鉤の部分だけでゴム
の輪っかを引っかけるんだ。こよりは紙だから濡れるとすぐに切れちゃうぞ」
「……志貴、そう言うことはやる前に言ってくれないと」
りんご飴、たい焼き、型抜き、おもちゃ吊り……。
夢中になって歩いていたら、川の両岸に並んでいた夜店を全て眺め終わっていた。
わた菓子や途中で買った食べ物は食べ終えてしまって、手元に残ったのは水
風船のヨーヨーが二つだけ。
アルクェイドがヨーヨーをぽん、ぽんと弾く。
「あんなに沢山取ったのに貰えるのはこれきりって何か納得いかないなー」
「そりゃあお前……」
取らせて楽しませるものなんだから、という言葉を飲み込む。
「……あんなに沢山あっても仕方ないだろ? 二つあれば十分だよ」
「うん……そだね」
またアルクェイドがヨーヨーを弾く。
ぱしゃん、ぱしゃんと風船の中で水が跳ねる音がくぐもって響く。
ゆっくりがちな歩みを追いかけてくる下駄の音。
さっきまでざわめいていた雑踏が遠い。
「そろそろ……帰ろうか」
「……うん。帰ろう」
元来た山道を辿って宿に戻る。
これが今回の旅の終わりだということを二人とも何となく感じ取っていた。
波瀾万丈だった途中に比べて何てあっけない幕引き。
アルクェイドがそっと袖を絡めてくる。
いつもなら照れる俺も今日ばかりは離れてしまうのが惜しくてそのままでい
ることにした。
「志貴」
「ん?」
「……ありがと」
アルクェイドが夜目にも鮮やかな金髪の頭をすり寄せてくる。
それは何に対しての礼なのだろうか。
「別に……俺も楽しかったしな」
「うん。楽しかった。こんなに楽しかった事って今まで無かったよ」
「……そっか」
福引き券から始まったありがちな旅も始まってしまえば驚きの連続だった。
ただ、そのどの場面にもこいつの笑顔があった気がする。
「私ね、昨日から何でこんなに楽しいんだろうって考えてたんだ」
「え?」
「志貴と一緒に電車に乗って、志貴と一緒にご飯食べて、志貴と一緒にドライ
ブして。志貴と居るだけでドキドキだった。
よーするにね、志貴が隣りに居てくれるだけで、それだけで楽しくて仕方な
いのよ」
温泉が混浴じゃないのはちょっと残念だったけどね、と笑うアルクェイド。
俺はいきなり何を言い出すのか、とその横顔を黙って見つめた。
「だからね、今日志貴が窓から飛び出して車に轢かれそうになったとき、ほん
とに頭に来ちゃった。志貴が死んじゃうんじゃないかってもうかんかんだった
よ。何で何にも関係のない子のことで志貴が危ない目に遭わなきゃならないん
だろうって」
ぼけていた頭に冷水を浴びせかけられたような気分だった。
固まってしまった俺を解きほぐすように微笑むとアルクェイドは続ける。
「だけど、志貴に『頼む』って言われて……断れなかった。もし断って嫌われ
たらどうしようって、頼むって言われて嬉しくて。ほら、志貴ってすごい他人
行儀じゃない? 普段おちゃらけてても肝心なところは絶対人を頼ろうとしな
いの。それってすごいと思うけど、そう言う志貴を見るのは……なんか、辛い。
だからあの時、志貴に頼むって言われて、今ここで志貴を助けてあげられるの
は私だけなんだって思ってすっごく嬉しかった」
淡々と語るアルクェイドの顔はぎこちない笑みを張り付けたまま動かない。
「……だけどね、私今後悔してる。あの時志貴を助けられるのは私だけだった
けど、あんな無茶を止めることが出来たのも私だけだった。後でどんなに怒ら
れても、もしかして嫌われちゃっても志貴を止めるべきだったのよ。例えどん
な事になろうとも志貴が居なくなっちゃうよりはずっと良いんだもの。
私ってやっぱり馬鹿だな。今頃になってそれに気づくなんて……」
絡めたアルクェイドの腕に僅かに力がこもる。
言葉尻が霞み、白い頬を透明な滴が伝っていく。
ああ、なんて不甲斐ないんだろう。
今すぐにこのお喋りを止めさせたいのに、胸が詰まって口を開くことさえ出
来なかった。
「あ、あれ!? あはは、やだ、私ったら何泣いてんだろ」
肩から頭を上げると、慌てて俺から離れようとするアルクェイド。
俺は黙って肩に手を回すと、いつもよりずっと頼りなく見える彼女を包み込む。
「きゃ、し、志貴?」
幾分慌てたアルクェイドだったけれど、俺が黙っているとそのまま胸の中で
静かになった。
「ん……」
浴衣に隠されたアルクェイドの豊かな胸が俺の胸板に押されて潰れていく。
普段ならどぎまぎするはずのその感触から今はぬくもりだけが伝わってくる。
胸が痛かった。
いつもあっけらかんとしてるこいつがこんなに心を痛めていたなんて。
俺の勝手な指示にハンドルを操る間、普段街で歩いている間、屋敷で俺が起
きるのを待つ間、俺の隣にいる間―――。
こいつはどれだけ俺に対して心を砕いていてくれたんだろうか。
身体を通して直接アルクェイドの鼓動が響く。
いや、自分の鼓動が響いているだけなのかも知れない。
俺はなおもアルクェイドの鼓動を確かめようと、回した腕に力を込めた。
「……志貴、ちょっと苦しい」
「あ、ごめん」
今度は声が出てくれた。
「ううん、嬉しい。……志貴に抱きしめて貰ったのって久しぶり」
ごく間近で囁いたアルクェイドの瞳に涙が残っている。
俺はそれが悔しくて目尻にたまった涙を吸い取った。
「あ……」
そのまま顔を上げさせると微かに開いた唇を塞ぐ。
「ん……」
唇を重ね合うだけのフレンチ・キス。
今はそれだけで十分だった。
ゆっくりと唇を離してアルクェイドと向き合う。
名残惜しかったけれど、今はそれよりも伝えたいことがあったから。
「アルクェイド。今日は……ごめんな。そして、ありがとう」
「……志貴?」
「一つは心配掛けたこと。もう一つは助けてくれたこと」
「……うん」
そう答えたものの、アルクェイドは複雑そうだ。先程の告白からすれば当然
かも知れない、
「今日はさ、俺無茶しただろ? だけど俺は車の運転も出来ないし、出来たと
しても一人であんな真似は出来ない……だから、助けてくれて感謝してる」
「……なんで……あんな事したの? 志貴が幾ら優しいからって、それだけで
見ず知らずの人間のために命を懸けたりしないよね」
アルクェイドは不満そうに俺の顔を見上げている。坂のお陰でアルクェイド
の視線はいつもより少しだけ低い。
「ん……そうだな。こんな事言ったらお前に申し訳ないけど、あの女の子とさ……
小さい頃の秋葉が重なって見えた。気が付いたらもう身体が追っかけてたよ」
俺を見つめるアルクェイドの視線にとまどいと不安が混じる。
「え……? じゃあ、あんなに危ない事したのは……妹の為って……事?」
「それだけじゃないけどね」
「……待ってよ志貴。知らない子が妹に見えた……ってただそれだけの理由で
あんな大立ち回りをしたって訳……?」
「それだけじゃないって言ったろ? でも、理由の中に秋葉のことはあったか
も知れない。だから、それについては謝るよ。ごめん」
「謝ってなんか欲しくない! 貴方そのために死んじゃったかも知れないんだよ!?」
語尾が熱雷を含んで震えていた。
(To Be Continued....)
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