「謝ってなんか欲しくない! 貴方そのために死んじゃったかも知れないんだよ!?」

 語尾が熱雷を含んで震えていた。

「落ち着けよアルクェイド、何を怒ってる?」
「怒ってなんか無いわ。……お優しいのね、志貴。秋葉のためなら例え影でも
命を投げ捨てるって訳」

 皮肉たっぷりにアルクェイドが吐き捨てる。
 やめろ。お前にそんな表情は似合わない。

「アルクェイド、それ以上言うと怒るぞ」

 かっとアルクェイドが頭を上げる。

「何よ、怒ってるの志貴の方じゃない! 秋葉、秋葉って……! 志貴と妹っ
て血が繋がってないんでしょ。肉親でもないのに命を懸けられるって訳!?」
「アルクェイド!」

 アルクェイドは俺の腕を振りほどくと真っ正面に向き直った。

「何よ、本当の事じゃない! 妹は志貴のこと好きなんだよ、そのこと志貴判っ
てる? 判ってるよね! 志貴は自分を犠牲にしちゃうほど秋葉のことが大事!?」

 答えられなかった俺をアルクェイドの視線が射る。

「答えて!!」

 有無を言わさぬ口調だった。
 怒り、恐れ、哀しみ、焦り……。
 そのどれでもなく全てでもあった。
 俺はアルクェイドのこんな表情を見たことがなかった。
 咄嗟にそうじゃないと口走りそうになって……やっとの事で止めることが出来た。
 秋葉が大事だ。これは遠野志貴にとって否定できない既定の事実。
 自分さえだませない嘘は相手を不快にするそうだ。
 なら―――もう答えは決まっている。

「……うん。秋葉は大事な……俺の妹だから」
「…………そう、わかったわ」

 恐ろしいほど静かな声でそう呟くと、彼女は俺の脇を通り抜けて宿へ続く坂
道を上り始めた。
 俺は舌打ちを付くと坂道を駆け上がり、そっぽを向いていたアルクェイドの両
肩を掴むと正面に向き直らせた。

「アルクェイド」
「……離して」
「聞いてくれ、アルクェイド」
「聞きたくない」
「いいから聞け!」

 そっぽを向いたままのアルクェイドにかっとなって大声を上げた。
 いけない、そんな場合じゃないってのに。
 俺は大きく息を吸うと体中のアドレナリンと共に息を吐き出した。
 アルクェイドは伏し目がちに横を向いたきり口を閉ざしている。

「……確かに俺は秋葉と血の繋がりがある訳じゃない。これまでずうっと一緒
に暮らしてきたわけでもない。だけど、秋葉の事は大事にしたいと思う。八年
間もほおっておいたけれど、秋葉は俺にとって大事な家族なんだ」

 押さえたアルクェイドの肩が固くなる。

「だけど、誤解しないで聞いて欲しい。秋葉のことを大事に思う気持ちは、今、
こうやって、アルクェイドに対して思ってる気持ちとは違う」

 俺は唾を飲み込んだ。

「本当は、言うべきじゃないのかも知れない。今のお前だったら誰とだって友
達になれるし、思い出だって自分で作っていける。何だったら死徒になってお
前とずっと一緒にいられる奴を捜した方がよっぽどいいのかも知れない。……俺が
お前にしてやれることはもう別に無いのかも知れない」

 ああ。もう何を言ってんだ俺は。
 自分でも分からない。黙ってるけどアルクェイドも呆れてるだろう。
 だけど、マダだ。まだ俺はまだ言うべき言葉を口にしていない。

「だけど。外の奴がお前の想い出を作るのを黙って見てるなんて願い下げだ。
 いつもお前の隣にいるのは俺でいたい。
 いつもお前の無茶を聞くのが俺でありたい。
 いつもお前を感じていたい。
 俺はアルクェイド・ブリュンスタッド、おまえを……愛してる」

 アルクェイドは俺の顔をほけっと見つめている。

「……な、何言ってるのよ志貴。……やだ、そんな……冗談」

 アルクェイドは俺の顔を見てぎこちなく笑おうとしたけれど、俺は黙っていた。

「……じゃないんだ。志貴、こうやって私の目を見て話す時っていつも真面目だもん」

 声が微かに震えている。
 ああ、そうさ、大真面目だよ。
 あんまり真面目すぎて顔から火が出そうだ。
 恥ずかしくって逃げ出しそうになる足をぐっと堪える。

「志貴、顔真っ赤だよ」
「うるさい、文句あるか」
「あるわよ、馬鹿……そういうことはもっと早く言って」

 アルクェイドは泣き笑いのような笑みを浮かべて、涙を一つ、零した。
 ぽすっと胸の中に落ちてきた彼女を抱き留める。
 再び戻ってきた愛しい重さに俺は安堵の息を漏らした。
 アルクェイドの頭をかき抱くと、そっと金色の草原のような髪を撫で付ける。
 アルクェイドが愛しい。
 この愛すべき吸血鬼のためなら死徒になることくらい何でもないように思え
る。そう。こいつをもう一度一人きりにするくらいなら。
 だけど。
 秋葉を……秋葉をまた一人きりにする訳には行かない。
 これは俺が遠野志貴であるために必要な誓いだから。
 俺がこうしていられる時は、こいつと比べてあまりに少ない。
 この限られた時間の中で、俺はこいつに何をしてやれるんだろう。
 もぞもぞと動くので頭から手を離すと、アルクェイドは胸の中から俺の顔を
見上げた。

「アルクェイド……鼻出てる」

 雰囲気台無し。
 目の前にアルクェイドの頭が無ければがっくりと頭を垂れているところだ。
 俺は菊江さんが持たせてくれた日本手ぬぐいを取り出すとアルクェイドの顔
を拭ってやった。

「ん……ありがと」
「どういたしまして」

 俺の顔を見上げるアルクェイドは嬉しそうだったがどこか不満げだった。

「何だよ」

 そのままだとずっと黙っていそうだったのでこちらから促してみる。

「志貴、さっき私のこと愛してるって言ってくれたけど……判ってないよ」
「な、何が?」

 アルクェイドの台詞に内心ドキリとしながらも上辺を繕って続けさせる。

「判ってないよ。私の為に志貴の出来ることが何も無いなんて……判ってない」

 今度ははっきりといつものように眉をひそめてむーと唸るアルクェイド。

「さっき言ったばかりじゃない。志貴と居るだけでドキドキなの。志貴が隣り
に居てくれるだけで満足なの! ……それだけで十分なんだから」
「…………」

 ちょっと目尻が赤いけれど、アルクェイドが安心しきった表情で俺を見つめ
ている。
 何て、無防備で、無邪気で、穏やかな眼差し。
 俺は今度こそ赤面するしかなかった。
 そうだ、俺がこいつを必要とするように、こいつも俺を必要としてくれている。
 あれこれ考えるよりも、何よりそれが大事なことだったのに。

「判った、志貴?」
「……判ったよ。でも、それって何もしなくてもOKってことだろ? 何か俺
何も出来ない駄目人間っぽいな」

 何でもないことのように聞いてくるアルクェイドに俺はあえて強がりを言ってみる。

「もーっ、志貴ってば違うでしょ? そーじゃなくて―――んっ」

 俺はなおも続けようとするアルクェイドのお喋りを今度こそ止めさせること
に成功した。

「ん……ふっ……んっ……」

 舌の溶け合うようなキス。
 アルクェイドが胸の中で静かになっていく。
 言葉にならない気持ち、胸の中に留まった熱、伝えきれない些細なこと。
 それら全てが伝わればいい。
 そう願いながら俺達はキスを続けた。
 祭囃子の太鼓の音が、どこか遠くで響いていた。


「さっきさ」
「え?」
「無茶した理由。秋葉に見えたからっていったけど、それだけじゃないって言ったろ」
「……覚えてない」
「言ったの。オマエ頭に血が上ってて聞いてなかったんだろ」
「むー」
「いいから。……俺があんなに無茶したのはさ、オマエが居たからだよ」
「えっ?」
「オマエが居てくれたから、かな」

 短い説明。
 だけど、これでこいつには伝わってくれると思う。
 きょとんとしたアルクェイドは、やがてその意味が飲み込めたのか次第に相
好を崩していった。

「……そっか。……へへへ」
「判った?」
「ふふっ。満点よ、志貴」
「えっ?」
「さっきの答え。許してあげるわ、今回だけね」
「そいつはどーも」


 ……夏の盛りとはいえ、山の夜風は冷たい。
 そろそろ宿に戻ろう。
 俺はアルクェイドを離すと宿への道を促した。

「ね」
「ん?」
「……続き、する?」

 上目遣いのアルクェイドが真顔でこんな事を聞いてきた。
 手元が所在なげに握られているのは俺の気のせいだろうか。

「……ぷっ。あ、はは」

 参った。
 ちょっと、かなわない。

「むっ、何よ! 折角ひとが……もう! 志貴、ちょっとそれって酷くない!?」

 アルクェイドが星明かりにも一目で判る真っ赤な顔で手を挙げた。
 俺は今度こそ腹を抱えて笑い出した。

「も、もーっ! 志貴の馬鹿ーっ!」

 アルクェイドの怒鳴り声が静かな山間に木霊する。
 それでも俺の笑い声が止むことはなかった。
 ある種の確信と共に彼女の手を取る。
 彼女はまだ不満そうだったけれど、それでもそっと握り返してくれた。
 このお姫様にはこれからもきっと、かないそうにない。


 俺達は手を握り合うと、宿への道をゆっくりと上っていく。
 だけど、これが旅行の終わりじゃない。
 宿の前で出迎えてくれた菊江さんに礼を言うと、俺達は部屋へ戻った。
 それから後のことは……二人だけの秘密だ。










 旅行から戻った俺達を待っていたのは、目のくらむような騒がしい日々。
 有彦やシエル先輩、そして秋葉や翡翠、琥珀さんとの愚かしくもかけがえの
ない日常が始まる。
 そして、時折お邪魔するアルクェイドのマンションには、あの日を記念する
たった一枚のポートレート。
 そのなかで、浴衣姿のまま寄り添った俺とアルクェイドが今もそこに佇んでいる。


Present by TAZO
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