カーブにさしかかっても車が消えなくなった。
 改めて目を凝らすと俺でも知ってるエンブレムが目に入った。ベンツだ。
 リアウィンドウにはスモークが掛かっていて後ろから中の様子を伺い知ることは出来ない。
 あと30分も知ればカーブ続きの道も終わり、高速に繋がるバイパスとなってしまう。
 そうすればパワー不足のこの車は引き離されて、ジ・エンドだ。
 何とかそれまでに決着をつける必要がある。
 しかし、ぶつけて止めようにもこの車じゃ逆に競り負けてしまうし、下手に追い抜こうものなら後ろからぶつけられて崖へ落とされる可能性がある。
 今だってアルクェイドの運転技術があってようやく追いすがっている状況だ。
 はっきり言ってこちらから切れるカードがない。

「どうしたもんか……!」

 いきなりベンツのブレーキランプが赤く輝いた!
 前を行くベンツのトランクが見る間に大きくなる。
 反射的に力一杯ブレーキを踏み込むアルクェイド。

「がっ!」
「きゃあっ!?」

 ガガガガガガと続く衝撃と共に前につんのめる。
 シートベルトをしていなかったらフロントガラスに頭をぶつけていただろう。
 どおんという衝撃音が前から響く。
 俺たちじゃない。

「何だあ!? ぶつけたか!」
「ううん対向車よ! ここ一方通行じゃないんだもん」

 頭を上げると左のカーブのガードレールに白い乗用車が突っ込んでいた。
 前半分がグッシャリ潰れているが、人間の方はどうやら無事のようだ。
 どうやら前のベンツを避けようとして失敗したらしい。
 当のベンツは悪運強く事なきを得て、再度急加速を開始する。

「あっ逃げるよ志貴!」
「逃がすかよ。アルクェイド!」
「まかせて!」

 再び追撃に入る。
 後ろから罵声が聞こえたが、非常事態につき無視させて貰う。
 前のベンツと仲間に見られたかと思うとちょっととほほだが、アイツを逃が
せばそんなもんじゃ済まない。
 助手席に倒れていた女の子。
 その姿が泣いていた小さな秋葉とオーバーラップする。
 その頬が赤くなっていたのが目に灼きついていた。
 あの黒シャツ……殴りやがった。
 このまま逃がしたらアイツがあの女の子がどう扱うのか考えるだけで鳥肌が立つ。
 また少し離されたがまだチャンスはあるはず。
 絶対に逃がすわけには行かない。

 前を行く黒いミニバン、続く軽自動車をあっという間に追い抜く。
 時たますれ違う対向車なんか確認する間もなく視界の外に消えていく。

「……ねえ、志貴」

 アルクェイドの声の調子に違和感を感じて我に返った。
 無論アルクェイドはトップスピードを保ったまま神速の勢いでハンドルを捌
いている最中。
 それなのにその声はどこか遠くを見ているようだった。

「何だよ。今更ガソリンが無いなんて言うなよ」
「違うわよ。あれ、あそこちょっと見て」
「え、何?」

 視線を前方へ向けたまま指であさっての方向を指し示すアルクェイド。
 その先にあるものを見つけて目を見張った。


「……土砂崩れだ」


 砂埃を蹴立てて無数の石がむき出しの山肌を転がり落ちていた。
 大小さまざま取り混ぜているが、例えて言うなら学校中のボール篭をひっく
り返したようだ。
 数百を越える石が我先にと下へ向かって転がっていく。
 目立って大きなものは見当たらないが、とても無視できるような大きさじゃない。
 直撃すれば車の構造ごと変形しかねない勢いだ。
 以前テレビで見た雪崩に近いものがあるが、目前の光景にブラウン管から伝
わる鈍重なイメージは欠片もない。
 圧倒的な質量を伴う凄まじい圧迫感。
 思わず唾を飲み下した。
 視線をあげて落石の大本を辿ると、先ほどガードレールに激突した車が崖上
にのぞく。

「……車がぶつかった衝撃で浮き石が崩れたんだ」
「まずいよ、私たちが下るよりあっちの方が速い」

 アルクェイドの声に焦りを感じる。
 つづら折りになったカーブを順繰りに降りてくる俺たちより、上から下へ直
線的に落ちる落石が速いのは道理だ。
 俺たちの通り過ぎた後ろを無数の石が転がり落ちていく。

「後二つほどカーブを越せば落石のルートから抜けるんだが……」
「もう少しで追いつかれる……! 下までなんて持たないよ!」

 ハンドルを握っているだけあって正確にそのタイミングが分かるんだろう。
 アルクェイドの声が切羽詰まっている。
 俺は思わず安全地帯へ急停車しろと指示を出しそうになったが、ぎりぎりの
ところで踏みとどまる。

「もーちょっと頑張ってくれアルクェイド」
「えー!?」

 不満を上げながらも一つ目のカーブを曲がりきるアルクェイド。
 つづら折りも最終地点に差し掛かり、カーブからカーブまでの直線距離が長
くなっている。
 ここをチャンスとばかりに調子をあげたベンツが俺たちを引き離しに掛かる。
 追いすがる俺たち。
 直後を無数の落石が通り過ぎていく。

「追いつかれた!」
「次の直線で確実に落石の流れに入るよ!」
「次曲がったらなるべく山側に沿って走れ! 放物線の内側に入れば何とか直
撃は避けられるはず!」
「やっぱり行くのー!?」

 常識を疑う速度でカーブに進入し、外側から内側すれすれ山肌を削り取るよ
うに切り込み、遠心力で外側へ吹っ飛ぶようにカーブを抜ける。
 タイヤとアスファルトの接地面が摩擦係数の限界値を超えてずれていくのが
体感で感じられる。
 俺たちの乗った車はとんでもないスピードを保ったまま最後の直線に飛び出した。
 視線を前のベンツに戻す。
 若干離されたものの距離にしておよそ300m程。
 先行するベンツと俺たちの間には既に小石が降り始めていた。
 落石の直撃を避けるため、俺たちは山腹側の反対車線に乗り出している。
 ベンツは我関せずとばかりに通常車線をひた走りに走っている。

「志貴! アイツ気づいてない!?」
「何やってんだあの馬鹿、直撃コースじゃないか」
「あれ、あれよ! スモークガラス!」
「それかもう後ろを見る余裕がないかどっちかだ」

 落石はどんどん大きくなり、前のベンツに追いすがっていく。
 俺たちも山腹ぎりぎりを走って、道路に落ちて割れた落石の破片を避けるの
に必死だ。

「あ、あ、あ、ぶつかる、ぶつかるよ!!」

 アルクェイドが思わず叫ぶ。
 ふと、俺は鈍重な戦車が戦闘ヘリに撃破されるという戦争映画のワンシーン
を思い出した。
 そのワンシーンと目の前の光景がオーバーラップする。
 空から妙にゆっくりと落ちてきたソフトボール大のそれは、いみじくも戦闘
ヘリのバルカン砲が戦車を狙ったようにベンツのボンネットへ吸い込まれていった。

 水面を木の棒でひっぱたいたような衝撃音。

 木っ端微塵に粉砕されたベンツのフロントガラスが後ろを走る俺たちへ雨のように降り注いだ。

「っちゃー、やった!」

 ベンツのスピードがぐうっと落ちる。
 速度の落ちたベンツになおも落石が降りかかる。
 拳大の石がベンツの屋根、トランク、ここからは見えないがおそらくボンネットにも余すところなく降り注いでいるはず。
 俺たちの車にも道路に落ちてはね飛んだ落石の破片がピシッ、パシッと鋭い音を立ててぶつかっている。
 もうレンタカーのボディは傷だらけだろう。

「後少しで落石の幕が切れるよ!」
「よーしもう少し頑張れ!」

 速度は落ちたものの依然としてベンツは速度を保ったまま運転を続けている。
 スモークを掛けたリアウィンドウは落石の直撃を免れ、未だ車内の様子を見
せようとはしない。

「しぶといなー」
「ああ。全部割れるかと思ったんだがな」
「違うわよ、ガラスじゃなくてドライバーの方。あいつサングラスでも掛けてるのかしら」
「えっ?」

 アルクェイドに言われて気が付いた。
 フロントガラスが無くなって、黒シャツは今ものすごい風圧を直接体に受け
ているはずだ。普通なら目を開けていられない程の強風だろう。
 それ以前に割れたフロントガラスの破片を全身に受けており、今なおこうし
て運転していられるというのは驚きとしか言いようがない。
 道路に目を戻すと既に急坂な山道は抜けきったようで、ゆるやかなカーブが
左に向かって弧を描いている。

「志貴! 落石抜けたよ!」
「よーし! そのまま左へ横付けしてくれ。とりあえず車の中がどうなってる
か確認したい」

 俺の声を受けてアルクェイドが落石のために落としていたスピードを少しだ
け上げる。
 ベンツに先ほどの勢いはないから直ぐに追いついた。
 スモークの掛かっていないドアウィンドウが陽光を照らし、瞬間網膜を灼く。
 リアウィンドウと同じくこちらも落石の直撃を免れたようで、助手席側のド
アには傷らしい傷も付いていない。
 自分側のウィンドウを降ろして頭を出し、ベンツの中の様子を伺う。
 未だ小石がぱらつく中、アルクェイドが怒鳴る。

「志貴! まだ危ない!」
「いいからもっと左に寄せろ! このままじゃ何も分からない!」

 耳をつんざくような風切り音に負けじと怒鳴り返す。
 アルクェイドがまた何か言ったようだが、風音にかき消されてうまく聞き取
れない。
 二三瞬の後、ベンツのウィンドウに自分の顔が映るくらいまで近づく。

「よし!」

 風圧で眼鏡が飛ばないよう右手で押さえながら車内の様子を覗き込んだ。
 血を流してぐったりしている黒シャツの男が目に入る。
 どう見ても自分で運転しているようには見えない。

「っっ無責任に失神してやがって!」

 はっと我に返り、女の子の姿を探す。
 助手席に倒れているはずの女の子が見当たらない。
 アルクェイドがまた何か怒鳴っているがそれどころじゃない。
 なおも窓から乗り出してぐっと覗き込む。
 フロントガラスの欠片が車内にまんべんなく散らばっている。
 と、助手席の座席下に細い腕がちらりとのぞく。

「あそこか!!」

 その途端、俺のベルトが引っ張られて車内へ引き戻される。

「いてっ!」
 窓枠に頭をぶつけた。
 同時に断続的にブレーキが掛けられ、再びベンツの後ろに回り込む。

「何だ!」
「馬鹿っ! 死にたいの!?」

 耳をつんざくようなクラクションと共に大型のバスがアルクェイドのすぐ横
を通過した。
 アルクェイドの真横のドアミラーが木っ端微塵に吹き飛ぶ。
 バスの通過で起きた猛烈な風圧にふらつく車体をアルクェイドが絶妙なハン
ドル捌きで無理矢理押さえ込む。
 全身からどうっと冷や汗が吹き出た。
 そうだ、忘れてた、対向車線を走っていたんだった。

「無茶しないで! 貴方私やシエルたちとは違うのよ!? 怪我したら本当に
死んじゃうんだから!!」

 まだ余裕を残していた先ほどまでとは段違いに厳しい口調。
 アルクェイドが本気で怒っている。
 それも俺の身を案じての事だ。
 申し訳なさに後悔の念が湧くけれども、あえてそれを押しとどめる。
 代わりに浮かぶのは女の子の姿。
 見なければそれで済んだのだろうけど。

「……顔、見ちゃったしな」
「え? 何!?」

 アルクェイドが訊き返す。

「アルクェイド、もう一度だ。今あの車はコントロールされていない。何で走
ったままなのかは分からないけど、早く止めないといずれバランスを失ってひっ
くり返る」

 最後のカーブを曲がり切ると後はなだらかな傾斜が続く直線コース。
 手前のカーブは内側へ向かって傾斜しているから黙っててもベンツは道なり
に進むだろうけど、坂の最後の最後でバイパスへ接続する信号がある。
 その手前にはほとんど「く」の字に曲がった直角カーブ。運転もせずに曲が
りきれるもんじゃない。
 それまでに何とかして車を止めなきゃならない。

「じゃあ具体的にどうしようってのよ!」

 アルクェイドが言い募る。
 そうだ、このままじゃ結局何にも出来ないままで終わってしまう。
 ……何か無いか、何か。
 俯く視線の先にグローブボックスがある。
 ほとんど無意識にコックをひねると中からガムテープと作業用のカッター、
レンタカー代を記入した紙を張り付けた段ボールの切れ端が出てきた。
 カッターは文具用ではなく段ボールを切るときなどに使う大きなものだ。
 カッターの背に貼られているシールを見るとレンタカーの店名が入っている。
 財布を捜したときには気にもとめなかったが、店員が仮に入れておいたのを
忘れたのだろうか。

「そんな都合よくいいもの入ってる訳ないか……」

 顔を上げてはるか遠くに曲がる直角カーブまでの時間を推し量る。
 ……持って後二分と言ったところか。
 日本で二分も続く下り坂と言ったら大したものだけれど、今のこの状況にあっ
てはいかにも短い。
 そのまま「く」の字カーブのあたりをじっと見やると、ふと目が止まるもの
があった。
 カーブの少し手前、左脇に砂山を幾重にも盛った緊急避難路がある。
 上り坂と砂山を利用し、加速した車の運動エネルギーを相殺するためのものだ。
 ブレーキを使い過ぎて利かなくなった車を止めるために最後の手段として使
われる。
 どうにかあそこへベンツを逃がすことが出来れば。

「……ん」

 バラバラだったパズルのピースがおぼろげながらに形を取った。

(To Be Continued....)