「ん〜! 最高ー! これだけでもわざわざ来た甲斐があったってものよ。ね、
志貴!」「あ、ああ」

 俺は生返事を返しながらアルクェイドの満面の笑みにしばし我を忘れて見惚
れていた。
 不意におかしくなる。
 闇夜や月の光が似合う吸血鬼は他にいるかも知れないけれど、陽の光が似合
う吸血鬼ってのはこいつの他には居ないんじゃないだろうか。

「あ、何よ、人の顔見て笑って。何か良からぬ事を考えたんじゃないでしょうね」
「違う違う。何でもないよ」

 何故か笑みが止まらない。
 俺の笑いを勘違いしたアルクェイドがにじり寄ってくる。

「嘘よ。絶対私を見て笑ってた」
「笑ってないって」
「笑ってる!」


 アルクェイドの追及をのらりくらりと逸らしていると、ちょっと興味を引く
ものが目に入った。
 修学旅行でおなじみの名所の記念写真屋さんだ。
 住所を書くと後で送ってくれるタイプもあれば、その場でフィルムを現像で
きる専用の車を持っているタイプもある。
 目の前の写真屋さんはどうやら後者らしい。
 アルクェイドの気を逸らそうと写真屋さんを指さした。

「アルクェイド、ほら、あそこ」
「何よ。……カメラ?」
「記念写真を撮ってくれるんだよ。割高だけどな。どうする?」
「どうするって…………撮る! 絶対撮る!!」

 質問の意味を理解したアルクェイドが先ほどとは別の理由で迫ってきた。
 どうやら機嫌を直してもらえたようだ。
 まあ良い記念になるだろうし、多少の出費は仕方ないだろう。
 幾らかと写真屋さんの前に掲げられた値札を見て俺は思わず黙りこんだ。
『1カット¥1800』
 驚きの新価格だ。払って払えないことはないが正直後込みする金額だった。
 しかし、ここで止めるという選択肢はないだろう。
 意を決して写真屋に声を掛けようとする直前、アルクェイドが俺の袖を引っ
張った。

「何だよアルクェイド」
「ちょっと待ってて。車にお財布忘れたから持ちに行ってくる」
「馬鹿、良いよ。俺が払うって」

 アルクェイドがにこっと笑う。

「いいのよ。志貴貧乏なんだもん。私が払ってあげる」

 おまえさん……それはあんまりじゃありませんか。
 衝撃のあまり反論も出来ず、財布を取りに身を翻したアルクェイドに慌てて
付いていく。

「何だ、あそこで待っててくれて良かったのに」
「……いい。付いてく」
「すぐ持ってくるよ?」
「馬鹿、あんな所に一人で待っていられるか」
「何よ、あんまり馬鹿馬鹿言わないでって言ったでしょ。本当に自分が馬鹿な
のかと思っちゃうじゃない」

 ぶっきらぼうな俺の言葉にもアルクェイドの表情は明るい。
 そんなに写真を撮るのが楽しみなんだろうか。
 先程まで胸元で渦巻いていた恥ずかしさや落胆やその他のもやもやがいつの
間にか消えている。

「……ま、いいか」

 気を取り直してアルクェイドの横へと駆け出した。


 車の横でアルクェイドが荷物を取り出すのを待っている。
 ふと見上げると雲がだいぶ晴れていた。
 今日は暑くなるかも知れない。

「あれ、おかしいな」

 後ろでアルクェイドが何かごそごそやっている。

「ん、どした?」
「バッグが見当たらないのよ。後ろの座席に置いといたんだけどな」
「何だよ、座席の下に回ってないか?」
「うーん、そのつもりで捜してるんだけど」

 ふと嫌な予感がして訊いてみる。

「なぁ、アルクェイド。お前さっき車のキーロックしたか」
「え? したよ。……あれ、でもさっき……鍵開いて……た? あれ?」
「こりゃあひょっとしたらひょっとするぞ」

 アルクェイドと一緒になって車の中を洗いざらい引っかき回す。
 流石にレンタカーだけあって綺麗なものだ、ゴミもろくに見つからない。

「……無いね」
「……無いな」

 結論から言って、アルクェイドのバッグは見つからなかった。

「やられたぞアルクェイド。車上狙いだ」
「車上狙い?」
「泥棒のこと。持ってかれちゃったらしい」
「えー!!」

 アルクェイドが大声を上げる。

「とりあえず現状把握だ。アルクェイド、お前の鞄に何入ってた?」
「え、う、うん。うーんと、免許証と、帰りの切符用の旅行クーポン券と、ク
レジットカードと、旅行用に引き出した当座の資金」

 俺とアルクェイドの間に高原特有の冷たい風が吹き抜ける。

「なんじゃそりゃあ!! 免許証や財布はともかく何で他のものまで持ってきた!」
「えー。貴重品は持っていって下さいって言われたからー」
「じゃあ何でお前手元に持ってないんだ!」
「そんな事言ったって、こんな拓けたところで泥棒されるなんて誰も思わない
じゃない!!」

 駄目だ、頭に血が上ってる。
 アルクェイドも既にぷんすかだ。
 ああ、こんなところで言い合いしてる場合じゃないってのに。


「どろぼー!!」


 その時、静かな駐車場に小さな女の声が響きわたった。


「どろぼー!!」

「そう、どろぼーって……あれ?」

 小さな女の子の声が駐車場に響く。

「アルクェイド」
「うん!」

 顔を見合わせ、瞬時に頭を切り替える。
 声のした当たりを目でなめるように追っていく。
 と、探すまでもなく再び女の子の声が響いた。

「どろぼー!!」
「志貴、あそこ!」
「ああ!」

 渋めの大仰な乗用車の中で二十代後半くらいの男と小学生低学年くらいの女
の子が揉み合っている。
 この場所からほんの20m程の距離。
 弾けるように飛び出した。
 ドアのウィンドウが目の前で閉まっていく。
 手がもう少しでその隙間に届こうとする瞬間、ベルトが腹に食い込む。
 あまりの勢いに息が詰まった。

「危ない、志貴!!」

 そのまま後ろに引っ張られる。
 バックターンを掛けた車のボンネットがたった今俺のいた空間を削り取って
いった。 瞬間、車内の様子が目に灼きつく。
 後部座席に投げ出された複数のバッグ。
 ついで左ハンドルの運転席に座った黒いワイシャツの若い男。


 そして―――助手席に倒れた女の子の姿。


 首筋の辺りの産毛が逆立った。

「―――っの野郎!」
「あーっ、私のバッグ!」
 いったんバックした黒シャツは急制動を掛けると再び俺達の目の前を横切り
駐車場の出口に向かって飛び出した。
 あのまま乗って逃げるつもりだ。

「追うぞアルクェイド!」

 俺のベルトを持ったままのアルクェイドに怒鳴りつける。

「えっ!? あ、うん!」

 俺の意図を瞬時に飲み込んだアルクェイドが自分の車へと飛ぶように引き返す。
キーを回すと俺が乗り込み終わるのを待たず、砂利を蹴散らしてロケットスター
トを掛けた。
 そのまま勢いを殺すことなく本線へ飛び出す。
 慌てて座り直したシートに体がぐっと押しつけられる。
 目指す目標は……距離にして500m程。
 どうひいき目に見てもあちらの車の方が速そうだったが、高速ならともかく
今はカーブの連続した下り車線。
 追いついて追いつけない距離じゃない。

「アルクェイド、限界まで踏んでくれ」
「おっけー!」

 結構な傾斜のある下り車線に加えてアクセルが床まで踏み込まれる。
 静かだという触れ込みだったエンジンが聞いたこともない音を立てて回り始
めた。
 タコメータが一気にレッドゾーンへ回り、恐ろしい勢いで加速が始まる。
 見る間に一速、二速、三速と繋げたアルクェイドのシフト捌きに目を見張る。
 前の車がカーブを抜けて視界から消えた。
 追いすがるこの車もすぐさまカーブに差し掛かる。

「志貴、シートベルトは?」
「今した! アルクェイド、ブレーキ!」
「まだよ、足踏ん張って体固定して! カーブ回るわよ!」

 どう考えてもオーバースピードのそれは信じられない角度でカーブを曲がっ
ていく。

「け、景色が横に流れてるぞオイ」
「ドリフトすればそんなものよ。あっち速いわねー。飛ばすわよ!」

 カーブでスピードの落ちた車に再び鞭を入れるアルクェイド。
 ジェットコースターに比肩するレベルで加重方向が変わっていく。
 タイヤから悲鳴が上がり、吹っ飛ばされそうな体を何とかシートに押しつけ
て固定する。
 カーブを曲がる度に前の車が視界から消えている時間が短くなっていく。
 前を行く車も相当速いがアルクェイドの運転技術はそれを上回る。
 いつものとろくささは微塵も無く、すでに目つきは戦闘モードのそれだ。 

「ねぇ! 追いつくのはいーけど、その後どうするつもり!?」
「止めるに決まってるじゃないか! 子供が乗ってるんだぞ!」
「何で泥棒の車に子供が乗ってるのよ!」
「知るかそんなの! はっきりしてるのは子供が乗っているって言う事実とあ
の車止めなきゃ俺たち帰るまで文無しってことだ!」

 実際には帰りのクーポン券も一緒なので帰ることさえおぼつかない状況だが、
文無しという言葉はアルクェイドの耳にも響いたらしい。
 限界かと思われていたスピードがさらに上がる。
 背筋が嘘寒くなるような感覚。

「ほ、本当に大丈夫かよ……」


(To Be Continued....)