〜幕間〜



 すでに宴の半ばから酩酊状態を通り越してぐったりとなった志貴。
 引き際を誤った仲居は乱立した銚子の山と空の小鉢の数々を魔法のように片
づけた。
 椅子に沈み込んだ志貴を仲居と一緒にそろそろと奥の部屋に運び込み、布団
に寝かせる。
 二つ並んだ枕と傍らの志貴の姿を見て仲居は頭を下げたが、笑って戻らせる。

 仲居が居なくなり、静まりかえる部屋の中。
 ベランダにさしかかるサッシを開け、部屋にこもる酒気を湿った冷たい夜気
で洗い流す。
 耳を澄ませると奥の部屋から微かに志貴の吐息が聞こえる。

 今日はもう満足だ。

 念願の旅行にも来られたし初挑戦の温泉にも入ったし、志貴も独占できた。
 一つ一つは大したことではなくても、何故か気分が高揚したまま静まってく
れない。
 自分はどうかしてしまったのだろうか。
 視線を泳がせると志貴の姿が目に止まる。
 訳もなく笑みが零れる。
 酒臭い息を吐く志貴の傍らに近寄って肩を軽く揺さぶった。

「……志貴? もー寝ちゃった? 志貴ってば……折角二人きりなのよ……。
おーい、起きろー」

 軽く肩を叩いてみる。
 予想通り反応はない。

「……こりゃ駄目だわ、全然ぴくりとも動かない。翡翠がタメ息を付くわけだ……」

 そのまま頬をつついてみる。

「……ふふっ、ぷにぷにしてる。……志貴の馬鹿。何であんなに無茶して呑ん
だんだろ……人の気も知らずに寝ちゃってさ……」

 掛けたままの志貴の眼鏡を外して蛍光灯を透かしみた。
 普通に見ればどうって事のない唯の眼鏡だ。この何の変哲もない眼鏡が直死
の魔眼さえも封じるブルーの魔鏡だと誰が知るだろう。
 こんな事でもなければ志貴は自分にこの眼鏡を触らせたりはしない。志貴を
この世に繋いでおくための唯一の鎖。
 そのまま脇のテーブルに置くと、視界に映らないようハンカチで覆い隠した。
 何もこの場にいない者にまで気を揉むことはない。
 今志貴の傍らにいるのは紛れもない自分なのだ。

 折角だからその特権を行使してみることにした。

「……んっ……は……。お酒くさ…………吸血鬼なら首筋にするものだって言
われるかもしんないけどね…………ま、いっか」

 何故か心が沸き立つその理由。
 そう、楽しい理由はここに見つけた。

「私も寝ちゃお。おやすみ、志貴」

 それに、二人だけの旅行はまだ終わったわけではない。




 痛い。
 痛い。
 頭がとんでもなく痛い。
 頭の中で血管が通常の何十倍にまで膨れ上がっている。
 パンパンに張った血管が心臓が鼓動を打つたび弾けそうだ。
 じっとしていると多少はいいが、少し力んだり姿勢を変えようものなら途端
に強烈な痛みが襲ってくる。

「……くっは……すげえ二日酔い……いくら何でも呑みすぎだ……」

 自分も5本は呑んだはずだが後は覚えていない。
 にしてもアルクェイドと菊江さん、あいつら底なしだ。
 二人で何本開けたのか見てるだけで目が回ってきた。
 こんなに飲んだのは有彦と馬鹿騒ぎをしたとき以来だろうか。

 いつの間にか例の布団に寝かされた俺の隣には葉巻のようにまるまったアル
クェイドの姿があった。
 布団の先からちょびっとだけ金色の髪がのぞいているだけでその寝顔は見えない。
 何というか……色気も何もあったモンじゃない。
 色々考えた俺が馬鹿みたいだ。
 とりあえずこの二日酔いをどうにかしないことには何もせず一日が過ぎてし
まうのは間違いない。
 アルクェイドをそのままに頭を押さえて風呂場の脇にあったサウナを目指す。


 起き抜けのサウナの熱気は一際きつかったが、その甲斐もあってどうにか二
日酔いを意識の脇に押しやる。
 頭の神経を雑巾絞りでねじ切るような痛みも峠を越えたようだ。
 代償に全力疾走でもしたような疲労感が残ったがこれは仕方ない。
 余り飲む機会もないけれど、当分酒は見たくない。

 部屋に戻ると、身支度をすっかり整えたアルクェイドが朝食をすっかり平ら
げてデザートのヨーグルトを食べていた。

「…………」

 何というか、頭が下がった。

「あ、おかえり志貴。志貴の分ちゃんと残してあるよ」
「お前……いや、いい、何でもない」
「? まあいいや。あー美味しかった」

 二日酔いがどうだとか食事は取らなくてもいいんじゃなかったのかとか色々
思うことはあったが、口に出した途端に負けた気分になりそうで止めた。
 予想に違わず朝から豪勢な献立だったが、味噌汁他二三品に箸を延ばしただ
けでギブアップした。

「あれ、もう終わり? もったいないなー、これ美味しかったよ」
「いや……これ以上口にするとまた醜態を晒してしまいそうだ」

 ちょっと俺から身を引くアルクェイド。

「……あ、そうなんだ。まあ程々にね」
「うむ、そーする」


 俺の準備が終わるのを待って宿の人に下の市街まで送ってもらった。
 今日はレンタカーを借りてここら近辺の名所を回る予定だ。
 某大手自動車会社のレンタカー店まで車を横付けしてもらう。
 帰りはまたここまで迎えに来てもらう手筈になっている。

 『新型車三割引!』と銘打たれたのぼりを横目に店に入る。
 アルクェイドは自分に見惚れている店員に規定通り免許証を手渡した。

「アルクェイド、お前免許なんて持ってたんだな」
「志貴……貴方、こんなとこまで来といて今更免許が無いわけないでしょう」

 アルクェイドが呆れた顔で俺を見る。

「ま、そりゃそうなんだけどさ、お前が車を運転する姿って何となくピンとこ
なくてな」

 一八歳に満たない俺はもちろん自動車免許を持ち合わせていない。
 いくぶん気まずい思いでミニバン、クーペ、セダン等取り混ぜた店内を見渡した。
 適当な車を選んだアルクェイドは書類をせこせこと書き込み始める。
 本人の顔と免許証の写真を見比べながら、俺はそれが以前シエル先輩に見せてもらった国際免許証ではないことに気づいた。
 蛇足ながらシエル先輩も免許証を持っている。

「あれ? お前日本で免許取ったのか?」
「うん。証明書代わりに使えるし何かと都合がいいものだから、まあそういう
ことに“してある”のよ」
「……ふ、ふーん」

 アルクェイドの言葉に何となく不穏当なものを感じ、あえて店員の前で詳細
を追及する愚を避けた。
 まあ俺的には国際A級だろうがペーパーだろうが安全に運転してくれれば何
も言うことはないのだ。
 アルクェイドの選んだ車はハッチバックの小型車だった。
 それなりにスピードもあり小回りが利いてそこそこ荷物も乗るというオール
ラウンドタイプ。
 乗るのは2人だけだし無難なところなんじゃないだろうか。
 ここまで来れば何となく判るだろうけれど、俺自身は車に余り興味を持ち合
わせていない。
 郊外に住んだりして必要に駆られればまた違ってくるかも知れないけれど、
今のところその予定はなさそうだ。
 店員からキーを受け取ったアルクェイドを合図に車に乗り込む。

「じゃ、借りてくよー」
 アルクェイドが手を振ると店に残っていた店員が勢揃いして俺達の車を送り
出した。

「「行ってらっしゃいませ。お気をつけて!!」」

 まるでリムジンでも借りていくような仰々しい対応だ。

「……やっぱこいつの所為だな」
「んー? 何、どうかした? 志貴」
「いや何でもない。いいから前を見て運転してくれ」

 俺は遠ざかる店員達を振り返り、呆れながらアルクェイドに目を戻す。
 こんな事をいちいち気にしていたら身が持たない。
 当の本人は流石に気にした風もなくハンドルを操っている。
 よどみが無く手慣れた手つきだ。
 運転の優劣はよく分からないが乗っていて怖さを感じないからこれで良いん
じゃないだろうか。
 こいつのことだからさぞかしすごいことになるんじゃないかと内心戦々恐々
としていたがこの分だと心配ない。
 アルクェイドのちょっと意外な面を見られた気分だ。

 ここから一時間ほどの高原が目指す目的地となる。
 俺の胸中を知ってか知らずか、アルクェイドは鼻歌を歌いながら車線を変え
ると車のスピードを上げた。


 ドライブも兼ねたとりあえずの目的地だったので、着いた後は気の向くまま
に動こうかと言う話になる。
 いつも下校時にふらつくように成り行き任せの気楽な道行き。
 若干時期外れだったせいか行楽混雑もなく快適なドライブが続く。
 出発からさしたる時間も掛からず高原の高台に到着した。



「結構車止まってるな。後ろ気をつけろよ」
「うん。借り物だからね。そーっとバック……」

 砂利を敷いた簡単な駐車場は40台ほどは止められそうだったが、既に8割
方埋まっていた。
 空いたところを捜して車を滑り込ませるアルクェイド。

「到着〜」
「おつかれ」

 細い手を投げ出してアルクェイドがんーっと背伸びをする。

「……っはー! すごく良い空気。水と緑の匂いがする」
「うん、流石に街の空気とはひと味違うよな」

 二日酔いがたたって出発が遅れたせいか、高原を覆っていた山霧はあらかた
晴れている。
 それでも山肌を流れてしっとり湿った空気はまだ残っていて、街の空気に慣
れた肺に心地良く染み通っていく。

「んっ……ふう、改めて酔いが抜けた気分だよ」
「何だ志貴、まだ酔っぱらってたんだ。だらしないぞ」
「無茶言うなよ、あれだけ飲んで平気な方がどうかしてる」
「そーかなー、私はともかく菊江だって平気だったじゃない。たぶん私と同じ
くらい飲んでたと思うけど」
「それを言われると弱いが……それでも秋葉達と比べたって菊江さんはすごいぞ」
「ふーん。そうなんだ。あ、志貴、あっち行って見よ」

 アルクェイドの示す方向に展望台がある。
 改めて確認するまでもなくこの高台にある唯一の建築物だ。
 駐車場から幾分高いところに建てられていて、近づくと木で作られている事
が判った。
 木とはいっても太い丸太をそのまま使ったかなり頑丈なもので、雨風による
腐食を防ぐために上にペンキが塗られている。高さはだいたい大型の車程度。
 その上で四五十人の人間が辺りを見渡していた。
 車の台数を考えてもここに来た人間の大半が展望台にいる計算だ。

「とん、とん、とん、っと」
「よっ……と」

 ペンキの剥げ掛かった大きい階段を踏みしめて頭を上げる。

「うっ……わー。すご……」
「おー……。絶景、だな。こりゃ……」

 展望台からの眺めは文字通り一大パノラマだった。
 視線が少し上に行っただけでこうも世界が違うものだろうか。
 目線の下には360度に遮るもの無く緑の丘が広がっていた。
 高原のなだらかな丘に建てられたこの展望台はおそらく視野に広がる範囲で
一番高い標高にある。
 ドングリの背比べのようにそこそこ変わらない高さの丘を一段高いところか
ら見下ろす気分は最高だった。
 山腹から吹き上げる風は駐車場のそれよりも一際冷たいけれど、雲を割って
届いた陽光が展望台に立つ人々を照らし出し冷えた体をほのかに暖める。
 陽光の恩恵は例外なく、俺達の下にも降り注いだ。
 陽の光の下、アルクェイドは再びのびをする。
 アルクェイドは大きめな白のワイシャツにタイトな紺のパンツといった出で
立ち。
 相変わらず色気の無い格好だけど、ごてごてしたドレスなんかよりもこのお
姫様には似合っている気がする。
 アルクェイドの綺麗な金髪が光をはらんで、まるでそれ自体が光をはらんで
輝きだす。

(To Be Continued....)