「………さて、遠野秋葉。お前にはこの素晴らしい殺し合いを満腔から味わう
準備は出来ているのかね?」

 じろり、と無遠慮な瞳が私を見据える。
 私は腕を組んでその視線を硬く見返す。噛みしめた奥歯の奥に言葉が絡まる。
そんな、この男に何かを云わねばならぬが、何をも言いたくない心地。
 だけども、私は問わねばならない――

「何故……」
「何故?」
「……貴方は言うでしょう、殺し合いに意味など無いと。だけども私は問わず
にはいられない――なぜ貴方が私の前に立ちふさがるのかを」

 この男にはその答えを持ち合わせていない、そんな不安を抱えながらも――
そして私はなおも問い続ける。

「そして貴方は誰なの?私は貴方の名前を知っている、七夜志貴――でも、貴
方は誰なの?私にはそれが分からない」
「さっきも言ったはずだが……それに、殺し合うのにそんな理由が要るのかね」

 七夜志貴の投げやりにも感じる言葉。
 この男はそんなことを言う、まるで戦うことと殺すことにしか興味がない、
そうとでも言いたげな口調。そんな態度を私に示すのは分かっていた。
 分かっていたからこそ、私も不敵に微笑んでみせることが出来た。

「ええ――曲がりなりにも兄さんの姿形を取る者と戦うのには、理由の一つも
欲しいところだわ。いえ、貴方が――」

 私はすぅ、と瞼を細める。
 心の奥でちりちりと冷たく燃える赤い炎が揺らめく。そう、こう考えれば私
の中に冷たい怒りが満ちあふれ、私を赤の世界に駆り立てる――どくっどくっ
と冷たい血が体の中を巡り、この寒さが敵から奪い尽くさずには居られない闘
争本能に転じるように。

 私はまだ、その狂気じみた赤を押さえ込んでいた。まだ、解き放つのは早す
ぎる。
 隠しきれない殺意に反応して、七夜志貴を口を細めてほぅ、と漏らす。

「貴方が愛しい兄さんの姿形を盗んでいることだけでも万死に値します」
「なるほど、だからお前は遠野志貴を取り戻すために私と戦う――素敵だな、
殺し合う理由が出来たではないか。つまりは――」

 また七夜志貴は片手をポケットにつっこんだままで、指先でくるりと戯ける
ようにナイフをスピンさせる。くるくると銀の光が回転し、

「そういうことだ。殺すことの理由を作ることは簡単だ。何かを奪うため、何
かを取り戻すため、何かを守るため、何かを傷つけるため、何かを――なんで
もいい、つまりは」

 七夜志貴は器用に回すナイフをぴたっと掌の中に納める。
 そして肩を竦める仕草をすると――

 牙を剥いた。

「生と死は全て等しく意味も理由もない。ならばその価値を決めるのは、いか
にして殺したか、その美しさのみではないか?そして俺は死をもっとも美しく、
もっとも極めた形でこの世界に生み出すことが出来る――そう、死ぬことに意
味はない、殺すことに意味がある」

 大きく開かれた真っ赤な口の中に、白い牙と赤い蛇の舌を見た――気がした。
 七夜志貴はそう声高に吐くと、満足そうに頷く。そして高慢な教師のように
私に顎を向け、文句があるならいって見ろ――と。

 私は組んだ腕を放すと、拳を握る。
 軽く握っただけなのに、筋がぴきぴきと強張るような――そんな凶暴な力が
すでに私の中には宿っていた。この七夜志貴の不快な姿に、私の中の遠野が目
覚め、戦いの力を満さんとしているのか――

 まったく、目の前のこの男も、私の中の私自身も呪わしいことに限りがない。
 なぜ、こんなに戦いを、死を望んでいるのか――

「……詭弁だわ」
「大いに結構」

 吐き捨てる言葉に、七夜は嗤う。
 私は軽くスタンスを広げて半歩足を引く。七夜志貴も両手を抜き、だらりと
ナイフを下げた姿で――無防備の様だけども、まるで古武術の無形の構えのよ
うに隙がない。

 七夜志貴が私の足下から頭の上まで見回すと、苦々しげに漏らす。
 その声は初めて私が聞く、感情に彩られたこの男の声であった。
 その声には怒りがたゆたう。

「……またしてもお前は俺を侮るのか。全力を尽くさぬお前とはすでに戦った。
戦い、お前も知ったはずだ……この俺と戦うには、お前のその赤い略奪の力を
解き放たねばならないことを」
「あら?貴方は私を殺せば満足じゃないのかしら?」

 そうからかうように応えると、七夜は怒気を冷たく吹き上げる。
 それは吹き付ける吹雪のような――

「巫山戯るな。そのような醜い殺しに価値はない。俺が作り上げるのはそう――
殺しの芸術、究極の戦いと死の姿だ。お前も醜い死の中に沈むのを由しとはしな
い――そうだ、お前も遠野だ、お前の血が美しい死と殺しを知っている筈。それ
に逆らうことは出来まい」

 長々と不快さを漂わせる七夜の台詞だった。
 私はそれを耳にしながら、皮肉を感じて思わず笑う。

「何が可笑しい?遠野秋葉」
「いえね……七夜志貴、貴方にもそんなに必死になることがあるなんてね。貴
方は死の芸術家を気取っているようだけども――その性根は定めし下衆ね、見
下げたものだわ」

 私の言葉は挑発となっていた。
 だってこの男は――そうだ、なぜ気に入らないのか。それは兄さんの姿を取
る殺人鬼であるからではない。この男は死だの美だの究極だのを口にしたがる、
半可通の芸術家気取りの男でしかないと――それを口にすることで他の人間と
違うのだ、と必死になるような。

 だが、この挑発は高く着いたようだった。
 七夜志貴は前屈みになり、膝に力を撓めた恐るべき跳躍の前駆の姿勢を見せ
る。眼には憎しみと殺意が結晶になり、逆手の刃は氷の如き殺気を放つ。

「その高言、償いは――お前の命だ。お前の命で我が行いを証明して進ぜよう」

 低く、呟くような声であった。
 その言葉に、揺らめく影絵がぴたり――と止まった。
 時間が全て、この男の刃に凝縮しているような感覚。この鋼の冷酷な刃がい
かに動くかで、どのように破壊と死がもたらされるのか……

 これは夢か?
 いや、それも分からない。朝に見たのは夢で、宵にみるこれは現実なのだろ
うか?
 この理解を離れた世界を私は判断をすることは出来ない。でも、確かなこと
が一つある。

 ――この男に殺されるのは真っ平であった。

 そう思うとこの男に恐怖は覚えなかった。むしろ私の舌は挑発の文句を滑ら
かに紡ぎ出す。
 私の髪がザワリと風に鳴った――吹くはずもない赤い風に吹かれて。

「……私の命は貴方には高すぎてよ?払い戻しが欲しいくらいだわ」

 私は自分がまたしても赤に染まっていくのを感じる。
 この男、七夜志貴と戦わなくてはならない。その為に私は私の力を全て出し
尽くさねばならない――自分の中の遠野と七夜志貴を二つ敵に回し、戦えるほ
どの力は悔しいが無い。
 そうなれば、手を繋ぐべきはこの呪わしい赤い力であった。反転してしまえ
ば戻って来れなくなるほどの、純粋な赤い世界の向こうへ――

 それを、兄さんの顔をしたこの男を殺すために。
 私が殺されても、私が殺しても私は失われる――分が悪い、不条理な勝負だ。
せめて兄さんの姿を取り戻すために戦った、これだけを覚えていれば幸せなの
かもしれない。

 幸せ、などと戦い終わった私が理解できるのかどうかは怪しいものだったが。
 私は皮肉な笑いに唇を歪ませる。こんな醜い笑いしか浮かべられない自分が
口惜しい。

 腕に、身体に、冷たい赤い血が流れ込んでいく。
 私は朱に染まる瞳を、赤い旋風の真ん中に佇んで武器として向けながら。

 せめて――最後に兄さんの顔を見たかった……
 この醜い殺意に彩られたニセモノの兄さんの仮面のような顔ではなく、無警
戒な笑いを浮かべる兄さんの顔を。その腕に抱きしめて欲しい、死と赤が私を
抱きしめ奪う前に――

「――――さぁ、死ね、死んで俺の前にその深紅の命を散らせて見よ――」
「貴方なんかに――殺されはしない!」

 赤が。
 朱が。
 紅が。

 全てを奪いつくさんと私の内側と外側を塗りつぶして――
 七夜志貴が消え去り、私が赤い暴風雨となった――

 天にある銀色のおつきさまが、わたしたちをみおろして――


 いなかった


(To Be Continued....)