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ゆっくりと目を開ける。
見覚えのある天井。聞き覚えのある時計の音。窓から差し込む陽射し。十日
ほどだけ過ごした「我が家」の「自室」。
はっきり言って、この屋敷での生活自体が実在感に欠けるものだっただけに、
生き返ったという実感などない。
普通の人なら、まだ生死の狭間で夢を見ているのかも、とか思うだろう情景
なのだが、見えてしまっている死の線が遠野志貴は生きているのだと訴えている。
死を見詰める事で生を実感する。
死が俺の生なのだろうか?
考えてみれば、自分はなぜ生きてきたのだろう。そもそも、自分が自分であ
るという実在感をもった生活というものはどれだけ在ったというのだ?
或いは記憶を失う前の生活はそうだったのかもしれない。しかし、失った記
憶が甦ったとしても、それに実感をもてるだろうか。
そうすると、遠野志貴の在るべき場所というのはひょっとして存在しないの
だろうか。だから死ぬことすら出来ないのだろうか。
……後ろ向きな考えは止めよう。
死ねないという事は、生きる義務があるということだ。生きる義務があると
いうことは、まだ俺に求められる役割が在るということだ。きっとそれが遠野
志貴の在るべき理由なのだろう。
ならば生きるだけ生きて、その役割を演じようじゃないか。
前向きに生きる気になったところで、とりあえず起き上がろうとして気がつ
いた。右腕に点滴が刺さっている。
点滴が刺さっている、ということは結構な間意識不明ということだったのだ
ろう。そうなると体にガタがきているかもしれないので、下手に動かないほう
が良いだろうか。
昔は勝手に点滴を外してしまったこともあるが、静脈に針が刺さっていると
いうことがどういう状態か知ってしまった今はおいそれと勝手な真似は出来ない。
……とりあえず、眼鏡が欲しい。
いくら生を実感させてくれるとは言え、死を見つめ続けるのは気分が良くない。
サイドボードを見ると、眼鏡ケースが置いてある。眼鏡に埃が積もらないよう
に、そしていつ意識を取り戻しても良いように、という配慮だろう。
この配慮の意味する所は、待ってくれているということ。
そう思うと無性に有り難かった。
点滴のチューブに気をつけながらそろそろと上体を起こし、眼鏡を取り出し
てかける。
時計の針は2時10分過ぎを差しているが、日付のほうはいつなのだろう。
そんなことを考えていたところで、ドアがノックされた。この音は翡翠だろう。
「志貴さま?」
ああ、やっぱり翡翠だ。
遠慮がちな声に返事をする前にドアが開けられた。まぁ、こっちは意識不明
のはずだから当然だろう。
「あ……」
入ってきた翡翠は俺を見るなり驚いて固まってしまった。
「や、翡翠。久しぶり……かな?」
「……はい……」
冷静な翡翠には珍しく感情に押されているようで、顔を赤くしてうつむいたままだ。
「あ、本当に志貴さん起きてる」
翡翠の後ろからひょこっと琥珀さんが顔を出して入ってきた。
「あ、琥珀さん。悪いけど点滴外してくれない?」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
琥珀さんはいつもの笑顔で手際よく点滴を外し、針の跡に脱脂綿を当てて、
押さえていて下さいね、と言い残して片付けに出て行った。
翡翠のほうは落ち着いたようで、いつもの表情で控えている。
ここで、屋敷での十日ほどの生活で「いつもの」という言葉でものを考えて
いる自分に気付いて苦笑した。さっきまで実在感のない生活とか考えていたと
いうのにだ。
そんな俺を見て翡翠の瞳にやや訝しげな色が浮かんだが、それを無視して訊ねる。
「なあ、俺はどれぐらい寝ていたのかな」
「今日が12月3日ですから、ほぼ一ヶ月というところでしょうか」
一ヶ月か……10分ぐらいしか死んでいなかったつもりだったけど。
「先ほど秋葉さまより、志貴さまがお目覚めのはずだと連絡がありました。秋
葉さまも学校を早退されてお帰りになるそうですが、あと一時間近くかかると
思います」
一時間、ね。うちの学校からはそんなにかかるはずがないし、早退すると言っ
て授業を受けてくることもないだろう。ということは、
「ねぇ翡翠、秋葉は元の学校に戻ったの?」
「はい。理由はお教え頂いておりませんが」
翡翠は少し秋葉を非難するような表情をした。だが、秋葉の気持ちも解らな
くはない。
「多分、秋葉は秋葉なりに俺を気遣ったんだろう。何より、俺が秋葉の転校を
非難したからな。一緒にいる時間が減るのは残念だし秋葉も大変だろうけど、
やっぱり戻って正解だと思うよ」
「そう、ですか」
翡翠は非難動議を取り下げたようだ。
それにしても、どうして秋葉は俺が意識を取り戻したことが判ったのだろう。
(To Be Continued....)
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