夢を見ていた。
 それは心地の良い夢だった。時折見るあの紅蓮の地獄とは対極のような、絹
と綿のクッションに包んだような夢。横たわるのは勿忘草の白い花の咲く草原。
 俺はそんな草原の丘に仰向けに横たわっていた。ここは草原と言うよりはな
だらかな起伏の続く丘であった。空には浮き雲が流れ、スカイブルーの中にジ
ンクホワイトの捉えがたい風の模様を描く。

 俺は横たわっていた。流れる風は涼しい。
 なぜこんな夢を見るのかは分からなかったけども、とにかくここは今まで感
じたことがないほどに心地よかった。そう、それは忘れ去った在りし日の父母
に見守れていた日々のような――時間が永遠に、幸せにゆっくりと流れていく、
そんな空間。

 親父に憧れ、藤ねぇに育てられた時間もこうだった。
 そして、セイバーと凛と同じ時間を過ごすようになってからも――そんな心
のゆとりが俺にこんな夢を見させてくれるのだろうか?赤く燃える世界や、鉄
と乾きだけの世界の夢を見ていたのが嘘のように――穏やかだ。

 手足を投げ出し、俺は目を閉じる。
 夢の中なのにその中でも目を閉じているのも変な話だったけども、ここでは
こうしていなければいけない気がした。目を開き世界のあらを探し始めれば、
この時間が消え去って仕舞いそうだったから。

 ――俺の上に被さる、影を感じる。

 気が付くと俺の頭は何かを枕にしていた。そういえば、身体は地面に触れて
ごつごつするのに後ろ頭は驚くほど柔らかい何かに支えられていた。そんな柔
らかい枕を宛われると眠らずにいられないような――肌と空気と地面の境界が
曖昧になって俺という存在が消えそうなのに、この頭で俺が世界に留まってい
られるように。

 小さな手が、俺の頭を撫でてくれる。
 まるで母親にあやされる子供のように。そう、今感じているのはそんな安ら
ぎだった。こうしてずっと俺はその手の温かさを感じて静かに眠ることが……

 ……………――――

 でも、何か変だった。俺は目蓋を開ける。

 そこにあったのは、金の髪を結い上げた、天の恩寵をかき集めたような可憐
な少女の顔であった。エメラルドの瞳は間違いない、セイバーだ。
 セイバーが俺を膝枕して、俺のことを見下ろしているらしい。そう分かると
なにか気恥ずかしさみたいなものを当然覚えるわけだったけども――でも、そ
んな俺の感慨は二の次だった。

 おかしい。

 セイバーが俺を見る顔は、泣きそうだった。
 なんでこんなに静かで穏やかな世界の中で、彼女は堪えられない不幸を目の
当たりにしている様な顔をしているのだろうか?口元が微かに動き、何かを言
っている。

 だけど、俺にはその言葉は聞こえない。勿忘草の白い花を揺らす風が、彼女
の言葉を掻き消していった。俺を撫でてくれる手は止まり、セイバーは何度も
唇を噛みしめ、喉の奥から熱い何かを吐き出すように喋っている。

「……………………」

 何を喋っているのか、聞き取れないのが辛い。
 それ以上に、俺を見ながらこんな苦しい顔しているセイバーを見るのが辛か
った。ドレス姿の彼女は、戦場では逞しくあっても今この風の吹く丘では静か
に笑って欲しかった。

 彼女の言葉が風の彼方に木霊する。
 俺の耳に、風の震えとなって切れ切れの言葉が聞こえる。

 ――間違い
 ――想い
 ――罪

 なぜそんなことをセイバーは口にするのか?俺はセイバーを掴んで問いただ
したかった。だけども身体も動かないし、声も立てられない。なぜ、何故セイ
バーは自らの胸を傷つけてこんな言葉を吐くのか?

 出来るのは、何度もの瞬きだけ。
 セイバーの打ち震えるその顔は、見ている俺が辛くなるような哀切に染めら
れていた。言葉は分からないが、その顔は何よりも雄弁に語っていた。

 彼女の胸の内を灼く、熱い想い。
 そして、それはあってはならないと言う罪の概念。
 その二つが彼女の心を時にはうち、時には拉ぎそうに締め付ける。だが、セ
イバーはそのどちらかに全てを託すことは出来なかった。俺の顔を覗き込むの
は、一人の少女の見せる素の、ありのままの表情であった。

 そして、そんなセイバーは、苦しみながらも――美しかった。
 その苦しみが美しさをいや増していた。いや、こんな苦痛によって美しく輝
くのは間違っている。彼女は苦しみから解放され、ありのままの笑わなければ
――笑えるようににならなければあまりにも悲しいじゃないか、と。

 俺が勝手にそんなことを考えるのは独りよがりだ。だが、俺がそう考えなけ
れば誰も彼女を救えない。救うなんて言うのは非力な俺はおこがましい。だけ
どもこの手が細く弱くても、手を伸ばして一人の少女を救えなければ何のため
に命を受け、何のために命を救われたのか分からない――

 風は、彼女の言葉を刻んだ
 そして、俺の頬に落ちる一滴の涙――

「シロウ――許して欲しい、私の行いはシロウに同じ罪の烙印を押してしまう。
しかし、私は不貞と不義の咎を背負ってでも、あなたが――欲しい」

 馬鹿

 許すも許さないも無いじゃないか。その烙印をセイバーだけに押させはしな
い。

 そういう焼け爛れた烙印を人に押し、罪人を定め、王を祭り上げ、己は安穏
と無関係を決め込む――そんなことが俺は許せるわけはなかった。だから、そ
の烙印は俺も受けよう。罰はこの身で背負いきれず、心も体も砕けそうになる
のかも知れない。俺が俺の手でその罪をより深く、償いようもなく、血が溢れ
るほどに刻むのかも知れない、でも、でも――

 その思いは間違いじゃない――

 動かないはずの、夢の中の身体を動かして。

 俺は
 唇で
 セイバーの
 唇を
 塞いだ――



(To Be Continued....)