――なんで、羽居に、生えている?
「おっ、おっ、お前ッ!それはいったいなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「蒼香ちゃん、朝からうるさいよー」
一人ベッドの中央に残された羽居が、乱れた髪を掻きながらのっそりと体を起こして座り込む。ピンクの可愛らしいパジャマ――
――の股間に、もっこりとしたふくらみがある。
あれほど撫でさすって存在を確かめたにもかかわらず、その目で見ないとその存在を信じられない思いの蒼香であった。だがカーテンの隙間から差す朝の微かな光の中でも、羽居の股間のそのふくらみは、疑うべくもなかった。
目にそれを収めた途端に、今度は蒼香が絶句する。
ぱくぱくと口を動かす蒼香は、ようやく言葉が蘇るまでにしばしの時間が必要であった。
「は、は、羽居!お前それはなんのつもりだっ!」
「んー、おはよー、蒼香ちゃん……これ?」
腕を伸ばしてふわーっと欠伸をしている羽居は、そんな異物入りの自分の股間を撫でている。彼女の手にもその暖かくもっこりしたものが触れるが、さすがに生やしている本人だけあって落ち着きが――
落ち着きがあるのかどうか蒼香には分からなかった。何よりそれにも気が付いていないんじゃないのか?という不安すら覚える。
羽居はその、朝立ちに堅くなった股間を撫でさすりながら、にんまり笑う。
「……あー、やっぱり生えたんだー」
「やっ、やっ、やっぱりってなんなんだ!お前っ!」
実に平然と自分の体に生えたモノを認識している羽居と、一方動転しきってどもり、叫び声を上げるばかりの蒼香。蒼香はベッドの隅に張り付き、もう一歩でも羽居が近づいたら舌でも噛みかねないような怯えすら見せていた。
そんな哀れなほどの蒼香を翻弄するかのように、まだ寝覚めでテンションが低いのか、あるいはリラックスしきって弛緩しているのか分かりかねる羽居の言葉が漏れる。
「蒼香ちゃんは知らないのー」
「…………」
「学園の七不思議で、裏庭の古社に好きな人の名前を一緒に書いた封筒を置くと、昔の先輩が望みを叶えてくれるってー」
「……なんだそれは、それとこれとがなんの関係が……」
話がどう逸れていくのかを不安に覚える蒼香が震えながら聞く。
だが、宗旨持ちの家の出の悲しさか、咄嗟に聞かずでは居られない蒼香だった。
「……なんだよ、その先輩って」
「……うーん、知らないけど……香山先輩とかいうらしいよー。昔の先輩で恋に悩んで命を落として、悩める後輩たちを迷わないために助けてくれるんだってー」
「な、な、な……なんだそりゃ」
普段なら呆れて肩をすくめるゼスチュアさえしてみせる蒼香であったが、身辺に降りかかった怪異故か乾ききった口の中でもつれる舌を動かすのが精一杯であった。
……こんな時に遠野が居れば、と思わずには居られない蒼香であった。お寺の娘である蒼香よりも遙かに神変怪異に動ぜず、時に不可思議な事が起こるこの浅上女学院でもその謎を平然として解くことすらもある。
人がこれだけ集まって暮らせば、呪の一つや二つは生まれる……と遠野秋葉は言う。
だが、呪だか魔だかで股間にモノが生えるというのは前代未聞だ。というかあってはならない。
もしかして、クラブで悪いドラックでも盛られて遅延フラッシュバックしてるんじゃないのか?とも蒼香が思うこの事態。
「ふふふ……だからね、これは私の恋の悩みをかなえてくれる神様からの贈り物なんだよー、蒼香ちゃん」
「うっ、嘘付け!お前どこも恋なんかに悩んでないじゃないかっ!」
「ひどいなぁ蒼香ちゃん、こんな私の燃えるよーな思いを気が付いてくれないから生えちゃうんだよー、蒼香ちゃんの責任なんだかー」
いたずらそうに笑うと、羽居は四つん這いでじり、と蒼香に迫ってくる。
普段ならかかと落としかフック一発呉れている蒼香であったが、今はまるで処女の様に怯えるばかりであった。ベッドの柱にしがみつき、足を振り回す。
「寄るなっ!近寄るな!しっ!」
「ひっどーい、蒼香ちゃんを思ってこんなに熱くしてるのにー。折角生えたのに蒼香ちゃんが喜んでくれないなんてー、勿体ないー」
「誰が喜ぶかっ!うわっ!来るなっ!あーあーあーあーあーあっ!」
近寄る羽居の体を蒼香は片足で蹴って遠ざけようとするが、力無い蒼香の蹴りではたとえ羽居であっても遠ざけることはままならなかった。そのままじりじりと羽居は寄る。
「うわわぁぁぁぁ!お前、いつもシてるのにいったい何を!」
「……恋は貪欲なのよ、蒼香ちゃん……その恋が私を狂わせるのー」
「な、何言ってけつかる!ぎゃぁぁぁぁ!」
蒼香が羽居の顔にぐりぐりと足の裏を押しつけて離そうとすると……
コンコン!と強く打たれるノックに二人の動きは凍り付く。
苛立たしげな強いノックであり、お淑やかなこの女学院の寄宿舎らしからぬ強さであった。やがてそれを追うように……
『月姫、三澤、こんな朝早くなんだから静かにしてよ』
ドアの向こうから、隣人の生徒の声が響く。
二人はベッドの上で、羽居は蒼香に迫ろうとして四つん這いのままで顔面に蒼香の足の裏を押しつけられ、蒼香はベッドの支柱を抱きしめて必死に足をのばそうとした姿勢のまま。
今この場に乗り込まれたら、なにがどういう風に理解され、また誤解されるのかを予測しがたい格好である。あまつさえ羽居の股間はもっこりと膨らんでいるのである。
蒼香はごくんと唾を呑むと、どもりながら答える。
「す、すまん……羽居が寝ぼけてて」
『ならいいけど……』
はぁふぅ、と一つ欠伸をしてぱたぱたとスリッパの音が遠ざかる。
普段なら聞こえるはずの廊下の足音も聞こえないほどに興奮していたのか?と蒼香は思うが、それよりもまずは――
蒼香が最後にぐっと足を押すと、しぶしぶ羽居は体を離す。
そして不満そうに頬を膨らませる羽居は、拗ねてみせた。
「……なんか、朝から良い気分だったのにー」
「お前、アタシを襲う気だったのか……」
まだベッドの支柱を抱えたままの蒼香は、まだ羽居の挙動に警戒していた。こちらが隙を見せるとこのもっこりの生えた羽居が再び襲いかからないとも限らない、という疑義を捨てきれないかのように。
だがそんな怯えきった蒼香を尻目に、羽居はずるずるとベッドから下がっていく。
ほっと安堵の息を吐いた蒼香はようやく支柱を離す。まだ起床時間まで時間はあるが、もう一度寝床に潜り込むべきかどうか迷う。
今でさえこの理解できない怪奇現象に心臓がばくばく脈打っているのに。
羽居はゆっくりとした動きで二段ベッドの柱を上っていく。動きのゆったりとした羽居はいつ落ちるんじゃないのかと不安になるものだったが、今はそんなことを気にする余裕もない蒼香だった。
「ねー、蒼香ちゃんー」
ベッドの上の段からそんな声が挙がり、蒼香はびくっとすくみ上がる。
まさかベッドの底を突き抜けて襲ってくるわけもないのになにを――と怯える自分を叱咤しながら、蒼香はなんとか落ち着いて答えようとする。
「な、なんだよ……」
「……これ、大きくなったままなんだけどどうしようー」
「これ?」
つい鸚鵡返しにその指示語を聞き返す蒼香に、間髪入れず返ってきたのは――
「そう、おちんちん」
「知るかっ!それは朝立ちなんだ、生理現象なんだ、あきらめろ!」
「うわー、蒼香ちゃん物知りー」
またしても怒号を返してしまった蒼香だった。
はっとして声を下げようとすると、またしても羽居の追い打ちが掛かる。
「大きくなったままだとスカート履けないよー、蒼香ちゃんー」
「……ガムテープで貼り付けとけ」
「蒼香ちゃんひっどーい、私がこんなに悩んでるのにー」
悩んでいるという割には相変わらずのほほんとした羽居の声。
そのまま頭を抱え込みたくなった蒼香は、現実から逃避するように布団の中に飛び込み、頭の上まで被さる。
「ねーねー蒼香ちゃんー」
「それはお前が生やしたんだろう、お前が責任を……」
「責任は蒼香ちゃんにあるのー、これ」
「知らんっ、アタシは知らんっ、もう寝るっ!」
「もうすぐ朝だよ蒼香ちゃん」
「うるさいっ!」
蒼香はしつこく食い下がる羽居を振り払い、布団のバリアーの中で現実すらも逃避しようとするが、そんな蒼香にテールトゥーノーズを保ち続ける神経の太い羽居の声。
そもそも逸物が生える、という事態に動じているように見えないし、聞こえない。まず底をおかしいと思え、と説教したくなる蒼香だった。
私が生えたらきっと半狂乱になるのにこいつは、とうなっていると……
「うわー、やっぱりすごいよー、蒼香ちゃんも見ないと損だよー」
「そんなもん見て得するもんかっ!」
§ §
月姫蒼香の一日は散々であった。
まず朝からして人生最悪の目覚めであった。結局二度寝も敵わず羽居にしつこくつきまとわれ、朝からげっそり精神的に消耗しての目覚め。
そしていつもよりしつこくつきまとってくる羽居を突き飛ばしながらの登校であった。朝から人目を引く振る舞いが多い上に、無神経にも羽居は朝のことを口にし出してその度に蒼香は口をふさいで張り飛ばさなくてはならない。
ルームメイトの羽居に逸物が生えてもっこりしている。
こんな悩みを一人抱えて悩む自分はいったい何なんだろうと蒼香は自問した。さらに悩ましく腹立たしいのは肝心の生えている羽居が悩んでおらず、自分だけが我が身よりも深刻にそれに悩んでいると言うことであった。
さらにそんな生やした羽居は自分を襲おうとしている。
もはやここまで行くと悲劇を超えて喜劇であった。なにしろ自分以外の人間、羽居に取ってすらこれはもう喜劇にしか見えないし、自分が見ても喜劇であると思う蒼香であった。
少しはお前も深刻になれ!と怒鳴りつけたい蒼香であったが学校ではそれもままならない。
そのまま鬱々と悩み、過ごさざるを得ない蒼香は誰かにこの悩みを打ち明けたくても――
元ルームメイトでこの手の現象に詳しい、というより抵抗がないような遠野秋葉がベストの相談相手に思えたが――さすがに「なぁ遠野、羽居のヤツにちんちんが生えて居るんだが……」などと聞けば、正気を失っているとしか思われないに違いない。下手すれば自分の得意技であるかかと落としの逆襲を食らう。
たとえ学校の七不思議だのだと言っても、ここまで常軌を逸した現象を口に出すのは憚られる。蒼香は遠野秋葉の前に立っても、話が切り出せなかった。
何よりも兄との禁断の恋に燃える秋葉は昨今腑抜けており、万事アテにならないというのもあるのだが。
かろうじて相談らしい相談を持ちかけられたのは、後輩の瀬尾晶だけだった。
それも婉曲に、蒼香が口にした七不思議の存在を尋ねたのであったが……
「香山先輩の伝説ですか?うーん、ちょっとわかりません……裏庭の社もなにか由来はあると聞いたことがあるんですけども、校史を引けば何か出てくるかもしれません。お役に立てなくてすいません、月姫先輩」
そこまで真面目に辞を低くされると、いや実は羽居にちんちんが生えて、とはまかり間違っても言えなくなってしまう蒼香であった。口にしたら先輩の威厳も何もかもあったものではない。
放課後にめずらしく図書館に行き、卒業生名簿を引いても香山なる人物は見あたらない。おまけに裏の社、なるものもよく分からない。こういうのは専門家である晶にやらせたほうが確実だな、というのが蒼香のたどり着いた結論だった。
「……つまり、アタシは何も出来ないのか」
《つづく》
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