がくえんのななふしぎ
阿羅本 景
月姫蒼香の朝は遅い。
小柄ですっきりした体つきで快活で短気で伝法な彼女は見るからに血圧が高そうで、日も昇り切らぬうちに目を覚まし朝のジョギングをする……というほどでも無いが、そんな高血圧そうな目覚めをするようにも見える。
「ん……」
だが、そんな彼女も血圧が低そうな寝覚めの悪さがあった。
そもそもこの女性の園、浅上女学院で「血圧が低い」「朝の寝覚めが悪い」というのはいわば女性の常識であり、むしろそうでない方がおかしいとも取られかねない風習がある。なので運動部にでも所属して朝練でもしていない限りは、皆眠そうな顔で――譬え眠くなくてもそういう顔で――朝の食堂に来るのがいわば皆にあわせる礼儀というものであった。
この全寮制の学校で、下手に躁的に振る舞うと孤立する。
そんな浅上の因習に雁字搦めの生活には辟易しており、ロックな魂を持つ彼女は殊更に反抗したくなったが……実際血圧が低く、朝っぱらはエンジンの回転も低い。
なので、朝ばかりは学園の風習に足並みを合わせていた。いらだちも覚えるがどうしようもない。
「んぅ……」
蒼香ちゃんは生理も重そうだしー、と同室の三澤羽居は言う。
うるさいほっとけそんなもんお前にどうこう言われる話じゃない、そもそも日常からして血圧どころか油圧も電圧も低そうなお前によりもよって――と頭の中では反論が渦巻く蒼香であったが、えへらと笑う羽居を前にすると口論する気にならない。
いや、そもそも……口論が成立しないのであるが。
そういう意味ではあの気が強く自信に充ち満ちて一言えば二十ぐらい反論が帰ってくる中学までのルームメイト、遠野秋葉が居た頃が懐かしくもある。ただそれもそれで気が休まらないこと著しいのであるが……
「んんぅ……」
蒼香はベッドの中で、身体を丸めてかすれた呻きを上げる。
布団の外は寒く、それに有害な光が充ち満ちて身体を蝕みそうに思える。そんな外の世界よりも、母の母胎にも似た暗く柔らかく暖かな布団の中はなんと安らぎを得ることか。
頭まで布団の中に潜り込ませ、蒼香はまどろみの中に漂う。
ずっとこうしていたいしこのままで居られるのであればなんと幸せか――毎朝そう思うが毎朝それは裏切られる。けたたましく目覚まし時計のアラームが鳴り、母胎のような安楽の地から追放される。それはそれは悲しいことだ。
特に、半睡半覚の長い自分にとっては……と蒼香は考えるでもなく思う。
「………」
身を固くして、無意識下でアラームの打撃に備える。
だが、電子音の無情な叫びは上がらない。もしかしてかけ忘れたか……もし目覚ましを入れ忘れたとしても、同室が居るから大丈夫、という訳には蒼香は悲しいがいかなかった。羽居はそういう所は人一倍役に立たないのだ。
目をつぶりながら蒼香はいやそうに布団から頭を出し、ミリ単位でまぶたを薄めて目覚まし時計の文字を見つめる。そしてその数字を見ると、体中に蜜のような安堵が広がる。
――まだ、起床時間まで余裕がある。
幸せな半睡がまだ続けられる、その喜びはなかなかに代えるものを見いだしがたい。
蒼香はまたゆるゆると布団の中に頭を潜らせると、身体の力を抜く。
この意識の漂う時間の穏やかさが一番好き……と感じる蒼香は、短い時間であったが楽しもうと身体をリラックスさせる
もそり、と手が動く。
もそりもそりと動いて、手は内太股に掛かる。パジャマの上から太股をマッサージするように撫でると、そのままじりじりと上がっていく。
「ん……ぅ……」
合わさった足を撫で、そのまま手がするりと足の付け根に当たる。そしてビキニラインを伝うように上がっていき、下腹部をさわさわと撫でる。
朝、こうやって布団の中で無意識下の所行のように自慰を行う……のは、この暖かい布団の中ではなんとも代えがたく気持ちがよい。まだ十分に起床までに時間があって、血圧がひくいぼんやりとした頭のままで、指と秘所が擦れ合う快感に身をゆだねようか……と蒼香が考えた。が
「ん……ぅ……?」
何かがおかしい。
自分の手は頭を抱えるように枕と頭の間に挟まっている。
なのに、自分の下腹部をまさぐる手と指は両手だった。そうだ、間違いなくこれは自分の腕ではない。
すぐに気が付きそうだったのに、朝の寝ぼけた頭では判明するまで今の今まで掛かってしまっている。あまつさえその手はまるで蒼香の感じる所を知り尽くしているかのようにお腹の上を動き回り、パジャマのボトムの中に忍び込もうと――
「ん、んー」
おまけに自分の声にあらざる、寝ぼけたような声がうなじに浴びせかけられる。
間違いない。自分のベッドの中に誰かが潜り込み、自分の身体をまさぐっているのだ。
さらに蒼香には、そんなことをする相手が一人しか思いつかなかった。
ほとんど半分の速度でしか動いていなかった蒼香の頭脳が、ようやく日常レベルに戻ってくる。気持ちよい微睡みの園から放り出された悔しさか、勝手にベッドの中に入りこんできた相手への憤りか、蒼香は腹立たしげに呟く。
「……なにしてんだよ、羽居」
「……んー、んー、んー」
同室の三澤羽居。それしか蒼香のベッドの中に忍び込んでくる相手は居なかった。
二人ともで半公認の恋人関係であったら、それであってもこんな夜討ち朝駆けのように忍び込んで、もぞもぞと手をはい回らせるのは――
「んー、ん?んー」
「……寝ぼけたフリをするなっ!勝手に人の身体で遊ぶんじゃない!」
相も変わらず手を止めず、パジャマとショーツの中に侵入させる羽居に、とうとう激高した蒼香が叫び声を上げる。そして、そのままだとつるりとした女性の丘に指が触れそうだったために大急ぎで手を押さえる。
「……いーじゃないー蒼香ちゃんー、へるもんじゃないのにー」
蒼香に負けず劣らず血圧の低そうな羽居の声だった。
手首を掴まれて身体から引き離されても、わきわきと羽居の指は動いていた。だがそんな蒼香の必死の努力をあざ笑うかのように、背中にぎゅっと羽居は身体を押しつける。
蒼香の背中にまるで嫌がらせのように、むにゅり、と柔らかい胸が押し当てられる。
まるで少年のような体つきの蒼香にとって望みようがない豊満な胸の感触。それを殊更にむにゅむにゅとこすりつけてこられ、蒼香は閉口する。
それよりも、ぽかぽかと暖かい同衾の羽居の身体が暖かい。
ともするとこのぬくもりにすべてを許せそうになってしまう蒼香であったが、ぶるぶると頭を振ると甲高く叫ぶ。
「とにかく止めろっ、朝っぱらから何をするかと思えば……」
「まだ時間はたっぷりあるよー、蒼香ちゃんとイかせられるくらいには……」
うふふ、と余裕のある忍び笑いを羽居は漏らす。
いつもはぽやーっとした羽居であるが、ときどきこんな背筋が粟立つような怪しさも見せることがある。途端に日々の痴態の記憶が脳裏を過ぎり、力が緩んだ蒼香の手を振り払って――
「あっ……」
「うふふふ……朝からビンカンなんだ、蒼香ちゃんの身体……」
羽居の手が、片手で薄い蒼香の胸をまさぐる。
たぷたぷと手のひらに余るほどある羽居の乳房とはちがい、微かに盛り上がった、という程度の蒼香の少女の胸を、円を描くようにして撫でる。
それだけで思わず声が上がってしまう蒼香であった。
そしてもう片手は股間に添えられる。
指の腹でさするように、柔らかな蒼香の女性の丘を撫でる。
「んっ……あ……」
「……やっぱり無いなぁ、蒼香ちゃん……」
「ほ、ほっとけそんなの……」
羽居の声を、自分に対する胸への当てつけだと感じた蒼香が悔しそうに呻く。
だが……何かが違うことにまたしても蒼香は気が付いた。
「……なんだこれ」
お尻に後ろから、しこりみたいなものが押しつけられる。
棒のような、ボールのような何かが自分と羽居の腰の間に挟まっている。ベッドの中になにか間違って入り込んだんだろうか?と思うような異物感。
だが、それはもそもそと身体を動かす羽居と一緒に動いている。
羽居はその、ベッドの中の異物を取り出そうと手を伸ばすが――
「あんっ!」
羽居が甘い声を上げる。
蒼香の手には、それが……羽居のパジャマの中に入った、もっこりとしたふくらみを持つ、おまけに体温を帯びた何かであると感じられる。ズボンの中に何を入れてるんだ?と思って蒼香がまさぐると……
「あっ、あっ、もぉ、蒼香ちゃんったら朝からもう……」
「それはこっちの台詞だ……って、お前」
手のひらにその固まりがすぎる度に、羽居が腰を震わせて声を上げる。
大きさは手のひら大の長細い形状で、なによりも――それは二人のか体に挟まっている、というのではなく確実に、羽居の体から――生えていた。
「なんだ……こりゃ?」
生えていたのである。もっこりと。
それを悟った瞬間。
「のわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
蒼香は喉の限り体の限り肺活量の限り絶叫を上げていた。
ほとんど全身これ叫喚と化した蒼香は飛び起き、布団を跳ね上げベッドの片隅に忍者のように飛びつき張り付き、寝ぼけ眼も血圧の低さも一瞬にして吹き飛ばしてしまっていた。
文字通りがたがた震えながら、蒼香は叫びつつける。
頭の中が真っ白になってしまって、とりあえず叫んでいないと正体が抜け落ちてしまう様な気すらしていた。
――なんで、羽居に、生えている?
《つづく》
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