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「……そんな簡単なことでいいんですか?」

 晶の言葉に都古は拳を落として気の抜けた返事を返す。

「そうは言っても、なかなか大変なんですよ?」
「大丈夫ですっ! 私、じっとしてるの、割と慣れてますからっ!」

 落とした拳をもう一度握りしめている都古に晶は苦笑する。
「うーん、そういうのとは、また違うんですけどね……」
「そうなんですか?」
「まぁ、詳しい話はまたあとで。……ああ、そうですね。息抜きにお茶でも飲みま
す?」

 机の上にある盆をぽんぽんと叩いて晶は聞いた。

「あ、はいっ、いただきますっ」
「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」

 晶はそう言うと盆を持って部屋を出ていった。閉じられたドアから足音が遠ざかっ
ていくのを聞きながら、一人残された都古はようやく全身の力が抜けていくのを感
じた。

 (なんだか色々噂のある人だったけど、いい人そうだったなぁ……)

 むにゃむにゃと照れている晶の子狐的な顔を思い出し、ぼんやりとそんな事を考
えて息を吐く。とりあえず、懸案であった創部については何とかなりそうである。
そう思いホッとすると、急に体の強ばりが気になりだした。

「はぁー……。あ、肩凝ってる」

 背もたれに身を預けてゆっくりと息を吐きながら首を回していると、晶のものだ
ろう軽い足音が近付いてきて、ドアの前で止まった。

「有間さん、すみませんがドアを開けてもらえませんか?」
「あ、はい」

 都古は椅子を立ってドアを開けると、盆を両手で持った晶がドアの横に立ってい
た。すみませんね、と言いながら晶は都古に横を抜けて部屋に入いる。晶は盆を机
に置いて湯飲みに茶を注ぐと、椅子に戻った都古の方にその一つを差し出した。

「はいどうぞ。熱いから気を付けてね」
「はい、ありがとうございます……」
「あれ、どうしたんです? なんだかしんなりして」
「いえ、その、安心したら気が抜けてしまって……。……でも良かったです、瀬尾
さんがいい人で」

 都古の言葉に晶がくすくすと笑った。

「あら、私もどきどきしてたんですよ?」
「そうなんですか?」
「優香から話を聞いたときは、どんなごつい人が来るのかと思って。こんなかわい
い人とは思わなくて、最初分かりませんでした」
「そんな、かわいいなんて……。瀬尾先輩の方が……」

 顔を赤くして俯く都古を見て微笑む晶。

「ふふ、ありがとうございます。でも、遠野先輩にはいつも『瀬尾、あなたにはも
う少し貫禄があってくれるとありがたいのだけど』って言われるんですよ」
「遠野先輩って、あの」
「ええ。……そう言えば有間さんは遠野先輩のご親戚でしたっけ?」
「はい。親戚と言っても遠縁ですし、お互いに会ったことはないんですけど……。
遠野秋葉さんは、どんな人だったんですか?」
「どんな人、ですか……。そうですね、今でも色々と噂の多い人ですけど、私にと
っては「ちょっと怖いけど頼りになるお姉さん」ですね。卒業されてからも懇意に
してもらって、自分の秘書にならないかって言ってくださったり」
 
 照れながら話す晶の声を聞きいていた都古の指からふと力が抜けて湯飲みが滑り
落ちそうになる。

(いけない。気、抜き過ぎよね……)

「……? どうかしましたか?」
「いえ……、なんでもありません……」

 首を傾げて尋ねる晶に都古はそう返し、慌てて手に力を入れた。しかし、湯飲み
はそのまま少しずつずり下がっていく。確かに指に力を込めているというのに、湯
飲みは都古の手の中でずるずると下落ちていく。片手を湯飲みの底に添えて支えよ
うとしたが、それでも湯飲みの落下は止まらない。

「……あ、あれ?」

 そこで都古は自分の手に力が入っていないことに気が付いた。手だけでなく体か
ら力が抜けていくような怠さを感じる。
 湯飲みが今にも都古の手からこぼれ落ちそうになった時、晶が都古の手から湯飲
みを抜き取った。

「どうやら、効いてきたみたいですね。さすが琥珀さんご謹製、効果が早いや」
「瀬尾、先輩……?」

 机に手を付いてふらふらと体を揺らしている都古に向かって、晶が微笑む。都古
は机を支えにしながら何とか立ち上がると、湯飲みを盆に置いて机の引き出しをが
さがさとかき回している晶を睨み付けた。

「これは……どういうこと、なんですか……?」

 そんな都古に、晶はにこにこと笑いながら首を傾げながら言う。

「さっき言いましたよね、絵のモデルになってもらうって。それでですね、早速お
願いしようかな、と」
「でも、何でこんな……」

 薬を、と言おうとした都古を遮って、晶がすっと椅子から立ち上がる。

「それはもう、そういうシチュだからに決まっているじゃあないですか」

 言って晶は飛び付いた。都古は横に飛び退いて避けようとするが足に力が入らず、
正面から晶にしがみつかれる。
 晶は都古の胸に顔を押し付けるように抱き付くと、うーんと唸りながら頬ずりす
る。

「んふふ〜、柔らかーい。でも、さすがに引き締まった体してますねー」
「きゃっ、ちょっ、なっ、はっ」
「『きゃあ、ちょっと、何をするんですか、離してください』?」

 都古の胸に顔を押し付けたまま、もそもそと都古の言葉を翻訳する晶。

「分かってるなら離してくださいっ……」

 都古は何とか晶を振りほどこうと身を捩り腕や肩を掴むが、力が入らず引き剥が
すことができない。
 晶は都古に抱き付いたまま、都古に体重を預けていきなり横に倒れ込む。

「わぁっ」
「──えい」

 地面に向かって勢いが付いたとき、晶は身を離すと都古の体をぽんとベッドに向
かって押しやった。
 踏ん張りのきかない都古は、たたらを踏みながらベッドに布かれているシーツに
向かって頭から突っ込む。膝を突いてベッドに上半身を預けるような形で倒れた都
古の両腕を、晶は素早く後ろ手に捻った。
 シーツに頭を埋めて目を回していた都古の耳に、カシャン、という金属の磨り合
うような音が聞こえ、晶が腕を離すのが分かった。

「何をするんですかっ」

 ベッドに手を付いて身を起こそうとするが、バランスを崩してまたシーツに顔を
突っ込む。その時都古は手首に冷たい感触を感じた。指で触ってみると、金属の輪
のような物が両の手首に填められ、それぞれが細い鎖つながっている。

「これってもしかして……」
「はい、手錠ですよ」

 ごとごとと何かを引っぱり出す音と共に晶が答える。

「どうしてこんな物が……っ?」
「資料ですよ、資料。漫画を描くときには実物を見ながら一番ですし……」

 都古は何とか体を傾け、首を回して後ろを見ると、晶が机の横に置いてあった画
板を取り出して画用紙を挟み込んでいた。

「な……何をするつもりなんですか……?」

 都古の問いに机の引き出しを漁りながら晶が答える。

「有間さんに気持ち良くなっていただいて、私はそのお姿を観察させていただこう
かなぁ、と」
「きっ……気持ち良くって、その……どうするつもりなんですか?」

 都古の言葉に晶は引き出しを探る手を止めると、晶に向かって突き出されるよう
な形になっている都古の尻に手を添え、スカートの上からその谷間を指でさすった。

「ひゃっ!!」

 びくっ、と仰け反る都古の耳に口を寄せて晶は言った。

「こういうこと、したことあります?」
「じっ、じゃあ……」

 晶に笑顔を返され、都古は心臓が脈を打つにつれて自分の顔に血が上るのが分か
った。晶は都古から離れると、また机を漁りだした。

「なんでそんな事……」
「これも言ってみれば、資料作りの一環です。こういうのは自分のを見ても、いま
いち実感が湧かないものなんですよ。それに自分でしてる時は、こう、夢中になっ
ちゃうんで……」

 きゃあ、と鉛筆の束を握りしめて照れる晶。手の中の鉛筆を一頻りきしませたあ
と晶は続ける。

「ですから、まぁ他の人のを見てスケッチでも取っておこうかなと。……あれ、鉛
筆削りはどこに仕舞ったっけ?」
「じゃあ、さっき言っていたモデルって、つまり……」
「はい、えー、艶姿ですか。それのモデルをやってもらおうと」

 晶の言葉で、都古の顔に登っていた血が逆に引いていく。

「そんな、私、嫌ですっ!!」
「そうですか? それならそれで、私は構いませんけど」
「へっ?」

 呆気なく了承されて間の抜けた声を出す都古。

「あなたが嫌だと仰るのなら、こちらも無理強いするわけにはいきませんし」
「なら、早くこの手錠を……」

 そこで晶は都古の言葉を遮るように続けた。

「ただ……」
「…………ただ……?」
「モデルを引き受けていただけないのであれば、さっきの部を創るお手伝いすると
いう話はなかったことにさせていただきます」
「なっ」

 怯む都古に向かって晶は続ける。

「あれはモデルをしてもらうのと交換するという条件だったのですし、こちらとし
てもとても残念ではありますが、仕方ありませんよね」

 そういうと晶は至極残念そうに首を振った。

「うぅぅぅっ……。卑怯者っ!!」

 シーツに顔を埋めて唸る都古に、晶は涼しげに返す。

「あら、『何でもする』と言ったのは有間さんですよ?」
「でも、だからってこんな……」
「だから言ったでしょう……?」

 そこで言葉を切ると、唸る都古に晶はにっこりと微笑んだ。

「……女の子が気安く『何でもする』なんて言っちゃダメだって」

 そのセリフを聞き、都古は晶に対する自分の認識が甘かったことに気が付いた。

 (……この人のことを子狐的だと思ってたけど、子狐じゃなくて一人前の狐だっ
たのね……)

 都古はしばらくそのままシーツに顔を埋めていたが、ゆっくりと顔を上げ観念し
たように言った。

「……分かりました、モデルは引き受けます。でも……」
「なんですか?」

 都古は顔を真っ赤にして俯き、ぼそぼそと呟く。

「…………」
「はい?」
「…………その……あの……私、まだしたことないんです……。それで、その……
あっ」

 もじもじと言う都古を晶はくいと引っ張った。都古の体がベッドからずり落ちて、
床にぺたりと座り込む格好になる。晶は都古の後ろに屈み込むと、座り込んだ都古
の体を支えるように後ろから抱き起こし、耳元に口を添える。

「安心してください。初めてまで取っちゃおうとは思ってませんよ」

                                      《つづく》