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 月姫:TNG

                       何鹿



 有間都古は寄宿舎の廊下をきびきびとした動作で歩いていた。

 授業帰りの生徒達の話し声や通り過ぎる部屋から漏れてくる話し声の間を割って、
コツコツとテンポの良い足音が寄宿舎の白い壁の中に吸い込まれていく。

 (指定された時間にはまだ早いかな……?)

 古めかしい置き時計を通り過ぎ様に眺めやって都古は思った。新しく部を創るた
めの許可を学校から得るのに手間取っていた都古は、今所属している華道部の部長
であり生徒会役員でもある先輩の高雅瀬優香に相談したでのある。
 その時に「知り合いにそういう事が得意なのを一人知っているんだけど、なんな
ら紹介しようか?」と言われ、元々そういった駆け引きは苦手な上に状況的に八方
塞がりだった都古は一も二もなく高雅瀬の提案に飛び付いたのだ。
 とはいえ、その知り合いが「遠野政権」の中心メンバーの一人であった瀬尾晶で
だったのには驚いたのだが。
その人物像は噂に曰く、

「前生徒会の残党狩りを指揮した」

「生徒会長の愛人1号だった」

「妹に欲しい先輩ナンバー1」

「801系の漫画で生計を得ている」

……等々、なんだかよく分からないものも含めて清濁入り乱れたもので、ルームメ
イトの高雅瀬が言うには「前生徒会長の側近だったせいで色々言われているみたい
だが、本人はそう悪い子ではない」ということである。しかし、生徒会の内実も本
人も知らない都古にすれば、高雅瀬の言はあまり気慰みにはならなかった。

 (そういえば、日本じゃ指定された時間よりも早く待ち合わせ場所に行くのが礼
儀になっているけど、海外では指定の時間よりも少し遅れていくのが礼儀になって
いるらしいなぁ……。いや、それはパーティーか何かの場合だけだっけ?)

 不安を締め出すために、都古はそんな取り留めのないことを考えながら階段を登
っていく。この階は高等部の部屋が並んでいて、通り過ぎる生徒達は中等部の都古
に物珍しげな視線を送ってくるが、都古は気にせず歩いていく。
 そんな中を進みながら、都古は目的の部屋が近付いてくるに従ってこめかみの辺
りが心臓と一緒に脈打っているのを感じた。そして目的の部屋の前で足を止め、ド
アをノックしようと上げた手が震えているのに気付いて、自分がガチガチに緊張し
てしまっているのがわかった。
 幼い頃から、関わり合いのない人間の視線は気にならないのだが自分にかかわる
人間に会う時にはいつも、場合によってはよく知っている人物の時でさえあがって
しまうのだ。そのお陰で数年前まで実家にいた従兄弟とはついぞ仲良くなることが
できなかった。今のようにあがっている時はいつも、いつまで経っても愛想の良く
ならない自分に向かって愛想の良く笑っていた従兄弟の顔を思い出し、その度に申
し訳ない気持ちになるのだった。
 手を下ろして、ドアの前で大きく深呼吸しながら、従兄弟の顔を締め出し自分の
不甲斐ない性格に向かって悪態を吐いた。目の前のことに集中しなくてはならない。
何しろ残る四年間の自分の学生生活、それを有意義にできるかどうかの瀬戸際な
のだから。
 都古はフッと息を吐き出すと、あらためてドアをノックするために右手を上げる。
しかし、ノックしようとしたその時にドアの方からガチャリと彼女の方に開かれた。

「わっ……」

 迫ってきたドアを避けるために慌てて後ろに下がると、ドアの陰からひょいと部
屋着を着たショートカットの少女が顔を覗かせた。背はかなり低く都古からは頭の
旋毛が見えるくらい、顔立ちは年齢相応に大人びているものの、どうも子狐的な印
象を与える顔である。都古を見て眼を見開く。

「あっごめんなさい、気が付かなくって。大丈夫ですか?」

 少女はそう言いながら顔を引っ込めると、部屋の中でガチャガチャと食器類の触
れあう音がして、もう一度少女が顔を出した。

「私ったら、そそっかしくて……」
「いっ、」

 慌てた様子で聞く少女に向かって答えようとした都古は自分の声が大きすぎる事
に気が付き、咳払いをしてから声を落として言い直す。

「んっ……いえ、大丈夫です。先輩の方こそ大丈夫でした?」
「いえ、私の方は何ともないですけど……」
「いえ、こちらもぶつかった訳ではないですしっ。部屋の前にいる方が悪いんです
からっ……」

 心配そうに言う少女に向かって都古はそう返事を返しながら、また声が大きくな
っているのに気が付いた。とりあえずこのまま恐縮合戦を続けている訳にもいかな
いので、相手の言葉を遮るように尋ねる。

「ええとっ、先輩は瀬尾晶さん、ですよねっ?」
「ハイ?」

 都古の突然の質問に、瀬尾と呼ばれた少女は素っ頓狂な声を上げた。

「あの、違うんですか? 瀬尾さんはこの部屋に居られると聞いたんですが……」

 (……もしかして高雅瀬先輩、場所間違えた? いや、いくらなんでも自分が普
段寝泊まりしてる場所を間違えたりはしないと思うけど……。)

「いえ、はい、そうですよ。私は瀬尾晶でここは私の部屋です。正確には私ともう
一人の部屋ですが」

 不安に腰を引いて尋ねる都古に瀬尾と呼ばれた少女は快活に答える。そして晶は
少し首を傾げたあと、都古に尋ね返す。

「もしかしてあなたが有間都古さん?」
「えっ、あっ、はいっ」
「そうですか。えと、立ち話も何ですから中にどうぞ」
「はいっ、では失礼しますっ」

 晶の言葉にそう返し、都古は晶の後について部屋の中に入った。部屋の中は落ち
着いた色調にまとめられていて、机が二つに二段ベットが一つある。机の一つは綺
麗に整頓されているがもう一つの方は、先程置いたものと思しき、湯飲みやら急須
やらが載せられた盆の他に、白くてやや厚手の紙やらペンやらインクやら、模様の
入ったシールやらが適当に乗せられていた。横には画板とそれに留められた風景が
らしき物も置いてあり、整理が行き届いた部屋の中でそこだけが妙に雑然とした印
象を抱かせた。

 (高雅瀬先輩は整頓とか好きだし、ということはこっちのが瀬尾さんの方かな……?)

「んー……とりあえずこの椅子にでも座っててくださいね」

 そう言って整頓された方の机から椅子を引っぱり出し自分の机の方に寄せてきた
晶は、都古の視線が自分の机に注がれていることに気が付いたのか、そそくさと自
分の机の物をがさがさとまとめた。

「えへへ、片付けておこうと思ったんだけど。ごめんなさいね、散らかってて」
「いえっ、私もあまり整頓とか得意じゃないですしっ、それに私の方が時間よりも
早く来てしまったんですしっ」

 恥ずかしそうに言う晶に都古はぱたぱたと手を振って答える。

「そう? でもやっぱり恥ずかしいなぁ……あ、どうぞどうぞ」
 晶は頭を掻きながら、まだ立ちっぱなしだった都古に椅子を勧めた。

「失礼しますっ」

 と言って、都古は高雅瀬の物あろう椅子に背筋を伸ばしてちょこんと座った。机
を片付ける晶を見るとなしに見ていると、晶の持っている用紙に描かれた絵がちら
と見えた。

「……絵を描くのは本当なんだ……」

 都古の呟きにむにゃむにゃと照れた笑いを浮かべる晶。

「あ、見えちゃった? 恥ずかしいなぁ」

 言いながら用紙やら何やらを引き出しに一通り突っ込むと自分の机から椅子を引
き出して、都古と相対するようにそれに腰掛ける。そして顔を引き締めると都古に
尋ねた。

「私に相談があるということでしたっけ?」
「はいっ…………あの、高雅瀬先輩からはどの程度の事を……?」
「優香からはフルコンタクト系格闘部を創りたいみたいだけど、どうやら手こずっ
ているようだから協力してあげて欲しい、と」

 晶の言葉に都古は頷いた。

「はいっ、瀬尾先輩はこう言うことにはお詳しいと聞いたので、何かお知恵を拝借
できればとっ……!!」

 身を乗り出してくる都古を晶は、まぁまぁ、と押し留めると腕組みをして唸った。

「うーん、でも、それはちょっと難しいんじゃないかなぁ。なにしろ、ここは浅上
だし……」

 浅上女学院はそもそもが上流階級のお嬢様達が通う学校であり部活動もそれに見
合った上品なものしかない。その部活動は文系の部が主流を占めており、あまり優
雅とは言い難い運動系の部は数自体が少ないのだ。成人まで大事な娘を安全に保護
するのが目的とも言えるこの学校では、武道関係の部も弓道部と長刀部、そして合
気道部くらいのものであり、合気道部にしたところで型稽古が中心で、フルコンタ
クトなどは言語道断なのである。晶は続ける。

「それにあなた、長刀部の部員とちょっとしたトラブルも起こしてるでしょ? そ
の事でそこの部長が生徒会に抗議しているらしいですし、それに構成員があなたを
含めて3人では人数的にも不足しています。やっぱり、まずは同好会から始めた方
がいいと思うのだけど?」

 そう言って晶は伺うように都古の顔を覗き見た。どうやら晶は、都古の想像より
も彼女を取り巻く状況について把握しているようだった。

「でっでも、同好会では部室が貰えませんし体育館の割り当てもありませんから、
練習のしようがないんですっ! 裏庭で練習するわけにもいきませんしっ! それ
にっ……」

 拳を握りしめて言う都古。浅上女学院では「同好会」というものは慣例的な存在
であり、正式なものではないのである。そのため活動場所は主に寄宿舎の自室とい
うことになる。周りは塀で囲まれ外は森、敷地から出るにはその都度許可が必要で
敷地内では見回りの職員の目が光っているため、運動系の同好会は事実上不可能な
のだ。
 とはいえ、まずは同好会から始めて部員を増やし多少なりとも発言力を得たとこ
ろで部に昇格、というのが一番確実な方法であることには変わりない。それは都古
も分かっていることなのである。

「それに……私自身が、卒業しちゃいますし……」

 ぽとり、と膝の上に手を落としてため息混じりに都古は言った。
 同好会からの昇格という方法は、とにかく時間がかかるのだ。中等部に入学して
から活動を始めたとしても、部へ昇格するのは高等部を卒業するかしないかという
頃になる。それは本人にとって「部への昇格」というものは意味がないということ
である。
 晶は片手で自分の顎を撫でながら、うーん、とまた一頻り唸った後で、ぽつりと
呟いた。

「……まぁ……方法は、ないこともないんだけど……」

 間髪入れず、椅子から身を乗り出した都古の両手が、顎に添えられていた晶の手
を握りしめていた。

「おっ教えてくださいっ、その方法っ!!」

 その勢いに仰け反った晶に向かってさらににじり寄る。

「私に出来ることなら何でもしますからっ」

 そう言った都古の口に、晶はもう片方の手の人差し指を押し当て、眉を潜めなが
ら言った。

「女の子がそんなに気安く『何でもする』なんて言っちゃダメです」

 晶は動きが止まってしまった都古の肩を押して椅子に座らせると、自分も改めて
椅子に座り直した。

「……そうですね…………私と優香の推薦があれば生徒会の方はどうとでもできま
すし、人数は二人ほど数合わせにできる子を知っています。長刀部の件に関しては
私が何とかしましょう。予算は右から左に動かせるわけではないですし、今年度の
予算に今からねじ込むのは無理ですから、別な方法で資金を調達する必要がありま
すが……。実際のところ、あなたにやってもらうことはありませんね」

「あの、それじゃあ……」
「あなたが本当に部を作りたいと思っていて、それに一生懸命になっていることは
分かりましたし、私にできる範囲でならなんとかしましょう。それに……」

 そこで晶は照れたような笑いを浮かべる。

「私、こういうふうに頼まれると、断れないんですよぅ」

 えへへ、と頭を掻きながら笑っている晶に向かって、都古はぶんぶんと頭を下げ
る。

「あっ、ありがとうございますっ!!」
「ただし……」

 そこで晶は小首を傾げて思案する。

「……そうですね、ただ働きというのも何ですし……交換条件という事で、私のお
願い聞いてくれます?」
「はいっ、私にできることなら何でもっ! あっあの、それで、私は一体何をすれ
ばっ……?」

 拳握りしめ意気込んで聞く都古を見て、晶はまたくすくすと笑う。

「たいしたことじゃないですけど……私はさっきあなたが見たように、まぁ、趣味
と実益を兼ねて絵を描いているんですど、あなたにそのモデルをしてもらいたいん
です」

                                      《つづく》