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 秋葉の口を借りれば、都古は志貴よりよほどちゃんとしている、と言うこと
になる。
 そしてそう言った口で続けて「同じ様な環境で育たれたのに、なんで兄さん
はそんなにルーズなんですか?」と付け加えるのが秋葉のせめてもの意趣返し
であり、志貴は苦笑いを以て解答とするしかなかった。

 秋葉の前では、都古は礼儀正しく振る舞っていた。彼女なりの勘が、秋葉を
警戒させているからであろうか。
 だが、それは彼女の目の前のことで、いざその監視が離れると志貴に前から
後ろからタックルの嵐であった。口より先に身体が飛んできて、時折志貴は壁
にぶつかりそうになることすらあった。

「昔はそーでもなかったんだけど、やっぱり久しぶりに会うからかなぁ……翡翠?」

 風呂上がりの湯気を立てながら、寝間着姿の志貴は翡翠に尋ねる。
 夜でもぴしりとメイドの衣装を一分の隙もなく着こなした翡翠は、軽く眉を
動かしただけであった。翡翠はその堅い姿勢故か、志貴と共に世話に当たる係
であったが志貴はおろか、琥珀ほどにも懐かれていなかった。

 志貴はベッドに腰掛けてしばらく翡翠を見つめていたが、その顔色に何か言
いたそうな色を認めて話を促すと、おずおずと翡翠は口を開く。

「……やはり、志貴さまにお会いになられるのが嬉しいのではないかと」
「そうかなぁ……有間にいたときは好かれているかどうか自信がなかったけどね」

 志貴は頭を振ってベッドの上にぽすんと倒れ込む。そして、昼間からこの屋
敷の中にいる少女、都古のことを思い出す。

 小学生であり、まだ女性らしさが出る前の少女。愛くるしく躍動的な笑いを
浮かべていて……かつて同じ屋根の下に暮らしていた頃はそうは思わなかった
が、時間を置いて再会すると都古のかわいらしさを改めて感じる志貴であった。

 そのままぼーっと天井を眺めている志貴の耳に、翡翠の声が響く。

「都古さまは……志貴さまのことがお好きではないのかと」
「?」

 意外な言葉を聞いた――と思って志貴が身体を起こすと、そこには前に手を
組んで静かに立ち、語る翡翠が居た。
 志貴が怪訝そうな顔を隠しきれずに翡翠を眺めていると、翡翠は軽く俯いて話す。

「都古さまは……志貴さまがきっとお好きなはずです」
「いや、そう言われても翡翠……」
「私も昔は……都古さまみたいな女の子でした。そして志貴さまが好きでしたから……」
「――――あ……」

 それは何のことかと問う暇もなく、すたすたと翡翠は一礼を交えて扉の向こ
うの消えていってしまった。一人自室に残された志貴は腰を上げて翡翠を呼び
止めようとするが、声を上げる間も残されていなかった。

 腰を浮かし掛けた志貴は、喉まで上がった疑問の声を飲み込んで溜息混じり
に腰を下ろした。ぼすっと柔らかいベッドに身体を投げると、まんじりともす
ることなく翡翠の言葉の意味を考える。

 昔も私は都古さまみたいな女の子でしたから――志貴の記憶の中に微かに残っ
た幼なじみの少女、でも活発だったのは翡翠ではなく琥珀だった筈……そして
翡翠も好きだったと……よく分からないが、助言されたのか告白されたのか志
貴には見当が付けかねた。

 さらに、都古が志貴を好きだという事。
 好きにもいろいろあって、先輩と俺の間の好きや、アルクェイドとの間、そ
れに妹の秋葉の間の好きもあるし、都古ちゃんの一体それのどこに当たるのか――
わからない。

 もし兄だとして好きだったとしたら、戻らない有間家の日々は如何にも惜
しかった。今となってはよく分からないが、確実にあの頃の志貴は何かに恐
れて有間家に馴染もうとしなかった。
 もし、男として志貴のことを好きだとしたら……

「……馬鹿馬鹿しい、何考えてるんだか俺も」

 志貴は苦い笑いを吐くと、自分の愚にも付かない考えを嘲弄する。女の子と
はいえまだ小学校高学年、まだそういう話は早すぎる……と志貴は思うが、男
の子が鼻を垂らして校庭で遊んでいるころにも女の子はもうその年には立派な
レディになっている、という話も頭をかすめる。

 ――って、有彦の言葉じゃないかそれ。まじめに考えて損した。

 志貴は曖昧な記憶と踏ん切りの悪い思考をまとめて意識の暗渠に投げ込むと、
掛け布団をめくってぬくぬくと中に潜り込む。眼鏡をベッドに置いてランプの
紐を引っぱる。
 すっと部屋の中に闇が降り、眼が不快な死の線を捉えだしてしまう前に志貴
は瞼を閉じた。まるで自分の思考に幕を下ろすかのように。

「これ以上は考えても仕方ない……まぁ、明日以降に考えるか……」

 志貴は誰に聞かれることもない言葉を呟くと、眼を閉ざした。
 寝付きが悪い質ではない志貴は、昼の疲れもあってすぐに眠りの淵に……


 ……もぞり


 ――いつほどの時間が経ったのか分からないが、志貴の布団の中で奇妙な物
が動いた。
 眠りに落ちたが最後、なかなか目を覚まさない志貴もその妙な感触を憶える。


 ……もぞりもぞり


 志貴は眼を閉ざしたまま、その何かから逃れるように寝返りを打つ。
 無意識下の行動であったが、彫像のような、と翡翠が云う志貴の寝相にして
は珍しいことであった。


 ……もぞもぞごそごそ


 だが、その何かは布団の中を動くと、志貴の胸と腹の間に潜り込んできた。
 そして、志貴の寝間着に抱きつくように寄り添うと、そこで動きを止めた。

 ――なんだ?ベッドの中に何が居る?

 志貴はようやく目を覚ました。瞼には朝の光の紅さを感じないからまだ夜中
なのか……などとぼんやり思いながら腕を動かそうとすると、それにぶつかった。
 ぶにゅっとして肉と布の感触。そしてそれは明らかに自分の身体ではない。

 ベッドの中に何かが潜り込んでいる――志貴にはそう思えた。
 だが寝起きのぼんやりした頭では億劫さ故に、とりあえずそれを触ってなに
かを確かめることにした。勝手に人の寝床に入ってくる存在に、志貴は覚えがある。

 手で志貴はそれを触ったが、どうも勝手が違う。
 それは予想と違い、背がひくく身体も細い。髪はショートカットではなくウェー
ビーなロングで、おまけに手触りからしてパジャマ姿であった。そして、性別
は多分女性。

 ――アルクェイドじゃない?
 
 しばらく手探りで探ってから、志貴は愕然として目を開いた。
 そして心を落ち着けるように手探りで眼鏡を手に取り、おそるおそる布団を
めくり上げ布団の中を覗き込む。
 案の定、それは金髪の泥棒猫ではなく、カレー好きの先輩でもなく、まして
や貧乳の妹でもなかった。

「………!」

 思わず大声を上げそうになってしまった自分の口を押さえて、志貴は目を見張る。
 志貴の寄り添って身体を丸めて眠っているのは、有馬都古――であった。
 志貴の布団の胸元に、幸せそうに眠りに付いている……

 ――な、ななな、なんで都古ちゃんがこ、ここに!

 志貴は混乱した頭で必死に理由を考えようとした。
 まずがアルクェイドの使い魔・夢魔レンの仕業。でも最近アルクェイドに夢
魔を差し向けられるような事をした記憶がない。
 とりあえずこれが現実だとすると、何故?と言う問題がある。

 志貴にはかろうじて思い当たる原因があった。

 都古ちゃんは部屋を間違えた――夜中にお手洗いに云って、無闇に広い遠野
家の部屋の並びを間違え、運良くか運悪くかは定かではないが志貴の部屋の中
に入り込み、ベッドの中に潜り込んだ。

 二階の並びは部屋が似ているし、消灯後のこの屋敷であれば間違っても仕方
ない、と志貴は思う。かつて自分も間違えたことがあるのだから。
 志貴は自分のベッドの中に迷い込んできてしまったこの少女を、微笑ましく
もあるからしばしベッドの中に止めおきたいとも考え始めていた。が、もしこ
のまま朝を迎えるとなると――

「そう言うわけには行かないよな」

 志貴は喉の奥で小声で呟く。朝になって志貴と都古が同衾していれば、結果
としてどういう騒ぎになるのかを想像できない志貴ではなかったし、秋葉に見
つかれば有間家にまで迷惑が掛かってしまう。
 それだけは避けたいところであった。自分の身がどうなるかを埒外に置いた
としても。

「都古ちゃん都古ちゃん……」

 志貴はそっと都古に手を伸ばすと、幸せそうに眠るその肩に手を掛けた。
 志貴の手は触れる瞬間に微かに身震いをしたような気が志貴にはした。だが、
指を触れる瞬間に震えたのは自分も同じであり、何かの錯覚であろうと言う気
がする。

「都古ちゃん……部屋間違ってるよ……」

 そう、小声で志貴は都古の髪に隠れた耳元に囁きかける。
 大声で叫んで起こすのは、あまりにもかわいそうな気がしたから……志貴は
軽く身体を揺さぶって、起こそうとする。
 だが、都古は身動き一つしなかった。まるで息を殺しているかのように微動
だにしない。

 ――どうしよう?

 志貴は手を止めてはたと考え込む。
 都古程度の女の子であれば、抱え上げて運んでいけないこともなかった。た
だそうすることが不思議に億劫に思えて、なんとか起こして都古に部屋を間違っ
ていることを知らせなければいけない、という気がしていた。

 もう一度身体に手を触れようとした志貴に――魔が走った。
 無邪気に眠る都古と同衾し、その体温や薫りを感じるほどに寄り添っていた
からか……志貴にはいつもは思わない、ある考えに捕らわれた。

 志貴は指を一度ぎゅっと握ると、しばし動きを止める。
 そして、ゆるゆると都古の耳元に口を近づけると、小声で語りかける。

「都古ちゃん……起きないと……」

 腕をそろそろと都古に近づけ、脇の下を触る。
 ふにり、と柔らかい肌の感触。

「……いたずらしちゃうぞー?」

                                      《つづく》