「勝負ありました」

 首筋に模されていた竹刀は、寸止めで止まっていた。
 あ、と美綴が呟く、だがそのまま美綴は切られたように崩れ落ちた――

「お、おい、大丈夫か!?」

 板の間にばったりと倒れ込んだ美綴を見て、慌てて声を上げる。 
 セイバーが打ってないことは分かったけど、あんな風に転ぶと気になる。
 でも、立ち上がろうとしたその手はまだ遠坂に握られたまま。

「あー……はぁ――あ、あはは………」

 ごろん、と仰向けに転がって、切れ切れの息で笑う美綴。
 降参、とばかりに薙刀を横に置いて、汗にまみれた顔を上げる。
 セイバーはそんな美綴に竹刀を向けていたが、笑顔に惹かれたのか静かに下
ろした。

「あははー、あ……読まれてた? セイバーさん」
「最後の投げですか?」

 セイバーの差し伸べた手に縋って立ち上がった美綴が、そう、と頷く。 
 セイバーは神妙そうに俯くと、はい、と答えた。

「最後の乾坤一擲の攻めは見事です、ですが競り合いの最中に意図の乱れを感
じましたから、こちらも身構えていました」
「そうかー、あそこで投げを打てば勝てるんじゃないかと思ったのが駄目だっ
たのか。隅落としじゃなくて小内だったらいけたかな、でもセイバーさん相手
じゃ……」

 負けたのに納得したのか、さばさばと胴着の襟元を直している美綴。
 セイバーはぽん、と竹刀を手で打つと笑みを噛んで答えている。

「いえ、ですが長柄の使い手としては美綴殿ほどの名手もなかなか巡り会えま
せん。長ずればやがて一世に名を成す使い手となるでしょう。
 すでに近隣では、貴女に敵う使い手は稀だと見ましたが」
「ははは、お世辞でも嬉しいね」

 そんな風に美綴に話し掛けているセイバーは、すごく、楽しそうだった。
 ……まぁ、俺と相手をするのと違って美綴と戦う方がセイバーの本領を発揮
できるから楽しいんだろう。美綴以上にセイバーと稽古できる人となると、藤
ねえくらいしかない。

「…………おや、なにか不満かい? 衛宮」

 汗を拭う美綴が、振り返って俺に聞いてくる。
 ――そんな美綴もスポーティーではっとしそうだったし、傍らのセイバーも
何時にもまして輝いている様に見え、真っ向から見つめづらい。

「いや、別に。別に二人とも楽しそうに戦ってるな、なんて思ったわけじゃな
いからな」
「あ、シロウ……その、申し訳ない。ですが美綴殿ほどの相手にもなかなか巡
り会えないのでつい夢中に……」

 セイバーが目を逸らして答えている。まぁ、楽しかったと言うことか。
 一方の美綴も敗戦の屈辱なんて微塵にも感じさせずにあはは、と笑って手で
団扇していた。

「ははーん、衛宮、拗ねるな拗ねるな。
 でも、こっちから言わせてもらえば、こんな立ち会いを見ながらもらぶらぶ
な衛宮と遠坂もどうかと思うぞ?」

 な、そんなラブラブなって、神聖な道場でそんな不埒な真似は――
 遠坂も美綴の言葉に反応したのか、むむっと怒って口元を曲げる。

「な、何よ綾子まだ貴女、根に持ってそんな私と衛宮くんが……」
「そうだぞ美綴、俺と遠坂は真剣に観戦していた訳で」
「そうか? ふたりともそんなお手手繋いでラブラブじゃないって?」

 ニヤリと笑う美綴がすーっと、俺と遠坂の間を指さす。

 んな、お手繋いでなんて言いがかりだ――って。
 そうだ、念話をしていたまま、遠坂と触ってたんだ、手を。
 今でもそのまま、ぎゅっと遠坂に俺の手の甲が握られていた。

 ――遠坂と顔を見合わせると、お互い顔が真っ赤に染まっていて。

「わぁぁぁぁああああ!」

 手を振り払うと、二人とも正座のままで飛び退く。

「これはだな美綴、訳があって!」
「………こっちが勝負で夢中だと思って、隅でこそこそ手を握り合ってる時に
はどうしてやろうかと思ったけどな。なんだねぇ、らぶらぶだねぇ、そう思わ
ないかいセイバーさん?」

 こっちががっふがふと恥ずかしさで湯気を吐いているのを、人が悪く眺めて
いる美綴。訊ねられたセイバーがえ?と困った様に首を傾げる。

「シロウと凛が仲がよい様ですか?」
「そうそう、気付いてだろセイバーさんも、あいつら手握り合ってるの」

 わなわなと震える遠坂だけど、あれは念話をしていただけで――なんて言い
出せない。
 訳があって、という俺もそんな訳を口に出来ないことを気が付く。
 とんと竹刀を突いたセイバーがはぁ、と溜息を漏らすのが見える。

「もちろん気が付いていました。
 シロウと凛の関係が良いのは宜しいことです。二人はともすると喧嘩ばかり
なので、私の気を煩わせてくれますので」
「なっ、あっ、こ、このセイバーの分際でえ、えらそうな……」

 どんな分際なのか分からないけども、遠坂がぶるぶると震えながら呟いてい
る。
 喧嘩ばかり……まあ、否定はしない。何かやる時に遠坂は独断専行唯我独尊
で灯台下暗しだから困るんだ、俺もセイバーも。

「ふーん……で、セイバーさんはそんな二人にラブラブで惚気られて困るとか?」
「……………いえ、その」

 美綴の困る質問に、セイバーは眉を顰める。 
 ――確かにセイバーの前でちょっと恥ずかしいことをしたりするけど、それ
でも惚気ると言うほどの事はしたことがない、筈。それにセイバーはそういう
ところが薄いからあんまり気にしないはずなんだけど……

「――お二方は未来を誓い合った仲です、ですので私は悋気を生じる余地など
ありません」

 きっぱりといい、仄かな微笑みすら浮かべて見せるセイバー。
 おおおー、とどよめく美綴と対照的に、遠坂と俺は気恥ずかしくて仕方がな
い。二人とも顔も見合わせられずに座り込んだまま。

 ぼそっと、不満を美綴に漏らす。

「……そういうねちねちと絡むのは武芸者にあるまじき執着だぞ、美綴」
「あっはっは……私は私で遠坂と衛宮を祝福してるんだぞ? あの柳洞とかと
違って」

 ……そういう極端な例を持ち出されても、困る。
 遠坂を盗み見ると、さっきから赤くなってそっぽを向いて、言葉が少ない。
これくらい言われれば倍ぐらい言いかえしている筈なのに――まぁ、しおらし
くなったと言うことか。

「――申し訳ない、美綴殿。あまりシロウと凛を虐めないで頂けると有り難い」
「お、そうだったそうだった、今日はあのらぶらぶかっぷるを虐めに来た訳じ
ゃないからね」

 かんらかんら、と軽やかに笑う美綴。
 ……どうにも恋している俺たちには、そういうところから離れて開き直って
いる美綴には敵いそうにはない。美綴に恋人が出来たら絶対虐め返してやる、
俺よりも主に遠坂が――などと思っていると。

「………ん?」

 ――セイバーを見つめる美綴の瞳が、熱い。

 まだ戦いの興奮が冷めやらない、なんていうのじゃない。
 美綴の細い瞳の光が、今までに見たことがない色合いがあった。それに上気
した美綴がひどく色っぽい気がした――俺がそれに昂奮する訳じゃない。
 その空気が向いているのが、俺や遠坂じゃなくて傍らにいるセイバーに

「………おかしいな……」

 なんだろう、こんな女の子の多い空間で頭がぼけてきたのか。 
 目をごしごしこすってもう一度見ると、そんなものは感じなかった。

「……何か言った? 士郎」
「いやなにも……っていうか、今日は美綴に言われっぱなしだな、おまえ」
「ふん……星の巡りが悪いのよ、今日は」

 つん、と鼻を上げて遠坂が意地を張っている。
 まぁ、遠坂はいつもの具合だ――でも、セイバーは何となく美綴が違うのに
気が付いているんだろうか?
 こっちがセイバーを窺うと、どうしましたシロウ?という無言の視線が返っ
てくる。

 ……気が付いてないし、どういったものか。

「なぁなぁ衛宮、遠坂、もうちょっとセイバーさん借りて良いか?」

 美綴がにこにこと笑いながら、そんなことを聞いてくる。
 そもそも今日は美綴のたっての願いでセイバーとの場を設けてやったんだか
ら、このまま満足がいくまで立ち会いを続けて貰った方が良いだろう。

 ……ただ、貸したの借りたのいうものではないと思う、セイバーは。

「あら、構わないわよ。レンタル料は安くないけど、綾子」

 ――と、俺より先にさらっととんでも無いことを遠坂が言い放っていた。
 髪を掻き上げ、余裕を取り戻した笑いで……一発であの不敵で不穏な遠坂が
戻ってきてしまったみたいに。
 衛宮士郎の本能が、その笑う横顔にピンチを察知して。

「な――――遠坂?」
「凛、一体何を……」
「うへ、レンタル料金取るのか? 遠坂」

 驚きと呆れの混じった三者三様の答え。
 遠坂はそれに満足したみたいに、立ち上がると腕組みして目を細める。

 ……置屋の遣り手婆、なんて大時代な名称が咄嗟に思いつくのはなんなんだ
ろう。

「もっちろん、だってセイバーほどの美人の娘をただで貸し出すほど甘くない
わよ、私も」
「あの、私は貸し借りされるモノはないと思うのですが……」
「なんだ、今度フルールでお茶でも奢らないといけないとか?」

 セイバーが呻く様に上げる抗議の呟きが、無視されている。
 肩を落として呟くセイバーに一掬の哀れさを感じなくもないが……美綴と遠
坂じゃなんだ、その、相手が悪い。

「もっと高いわよ、リストランテ・ラ・モン・ヴァントゥでディナーくらい奢
って貰わなきゃ」
「げ、あのビルの最上階のフランス料理屋か? ディナーは無理だ、こっちが
すかんぴんになるから平日昼間のランチくらいに負けろ、遠坂」
「ふふん、でもその分レンタル料金は大出血サービスを込み込みしてあげるわ
よ」

 ……これはその、人身売買の会話というのであろうか。
 俺はなんか呆れて声が出ないし、セイバーは目の前で交わされる自分の売り
渡し交渉を愕然と見守っている。

 そりゃそうだ、でもなセイバー、君は実に高値で売り買いされている。俺な
んかきっと遠坂から貸し出されて引っ越しの手伝いをしたとしても、購い代は
江戸屋の鯛焼き三個だ、だから軽く一〇〇倍以上の高値である胸を張って誇り
を持っていい。
 かつて神の子の救世主すら銀貨二十枚で売られたんだから――

「……………なんか悲しくなってきた……」

 とほぉ、と哀愁の吐息を漏らす俺を無視して遠坂が――

「今晩一晩、士郎の家をサービスで着けちゃう」

 ――なんか、すごく横暴なことを遠坂が口走っている。
 顎を触って余裕満面で仰る遠坂と、動転する俺とセイバー。

「それはどういう事ですか、凛――!」
「だから、今晩一晩泊まっていっても良いって事。あ、士郎は今晩ウチに来て
貰うからね、遅れているコトいろいろ取り戻さないと行けないんだし」

 と、遠坂はにやり、と思わせぶりな笑顔を覗かせる。
 無言でくちをぱくぱくさせる俺は、必死で何がどういう関係になっているの
かを考えるが――

「だって、綾子の家にセイバーを借りてっても大変でしょ? 親御さんも弟さ
んも居るんだし」
「あー確かに、セイバーさんに上がって貰うとなると結構手間だな……」
「すいません、凛、その私の立場というのは一体どのような――意図が分かり
ません」

 肩を落として呟きの声を漏らすセイバーは、相変わらず猛女二人に無視され
ている。
 美綴と遠坂は、二人で納得しながら話を進めていく。なんというのか、やっ
ぱりこの二人は仲が良いんだな、と思い知らされる。ただこういう風にツーカー
で阿吽の呼吸は……

「でも、やはり衛宮は男なんだし、そんな家に一人で外泊って言うのはまずか
ない?」
「家主が留守で、こっちに詳しくない女の子の相手だって言えばいいのよ。家
主の保護者の藤村先生も認めてくれます、といえばまぁ親御さんだってなんと
か納得するでしょ」
「ははぁ、そうか、藤村先生か――了解了解。こういう根回しは遠坂には敵わ
ないなぁ」

 うんうん、と得心して美綴が頷く。
 こういう頭の回転では遠坂に俺は及び付かない。なのであーうーあーうー、
と俺の家がレンタルの中に含まれるのを座視しているだけだ。
 もちろん、得意そうな遠坂にセイバーも口出しできていない。竹刀を垂らし
たまま唖然としているのは、可哀想でもあり……

 もしかして負けた腹いせしてんじゃないのか?なんて勘ぐりたくもなる。

「台所は勝手に使って構わないわよ、食材は一通り揃ってるし、こう見えても
セイバーはなかなかの美食家だから、貴女の腕を存分に味合わせて上げなさい」
「お、済まないね衛宮、台所使わせて貰うよ」

 のーさんきゅー、と無言でひらひらと手を振る。
 ……そうだ、桜と藤ねえに連絡して今日は俺、居ないからって言わないとと
んでも無いことになるな……やってきたら美綴とセイバーだけで食卓を囲んで
れば、一悶着で済まない。

 それから風呂はどうするだの布団はどうだの、遠坂は勝手知ったる他人の何
とやらで美綴に指示を出していく。というか、なんで押し入れに何人分の布団
とシーツが入ってることまで知ってるんだろう、遠坂は。

 一通り遠坂の説明が終わって、セイバーの頭の上に《売約済み》の札が貼ら
れた様にがっくりしていた。俺はこう、《差し押さえ》の札が身の回りに貼ら
れまくった様に放心している。
 美綴は良い取引をしたのかほくほく顔で、売り飛ばした遠坂は指を舐めて札
束でも数えそうなほどに満足している。

 おんなってのは、こう、魔物だな、と。
 今は女生女怪戒むべき喝、という一成に頷く思いだ。

 ……だけど、何かに気が付いたのかむふっと美綴が笑う。

「はぁん……遠坂」
「な……なによ綾子」
「あれだな? 今晩しっぽりと衛宮と水入らずでいちゃいちゃと過ごしたいか
ら、セイバーさんを私に……」

 その、なんだ、美綴。
 しっぽりと、とか水入らず、でとかいちゃいちゃ、とか言われると困る、す
ごく困る。
 俺が困るんじゃなくて、主にそこの目の前にいるついんてーるの悪魔が俺を
困らせる。

「………――――………」 

 また赤くなった遠坂が、百面相を演じている。
 で、案の定俺にきっと八つ当たりの視線が浴びせかけられた。
 首を竦めて来たるべき衝撃に備える、俺、

 ずかずかずか、と遠坂が床板を踏みならして俺に迫る。
 セイバーははっと構えるが、俺を守るまでもなく……

「いくわよ、士郎!」
「うぉっ!」

 腕を引っ張られ、無理矢理立ち上がらせられた。
 それどころか俺の腕にこれ見よがしに抱きついて――遠坂の柔らかい胸がむ
に、と腕に当たる感触でなんともいえないほどに、その。

 遠坂の体を感じると、一瞬で俺の血液は瞬間湯沸かし器に掛けられて。

「おっ、あっ、遠坂、何を!」
「ふーんだ、じゃぁ綾子のご希望通り今晩は水入らずでしっぽりいちゃいちゃ
士郎と過ごしてあげる。だから、二人とも上手くやりなさいってゆーのよ、まっ
たく」

 遠坂は俺の腕を取りながら、ずかずかずかと足早に。
 それに引っ張られる俺は、あきれ顔で笑う美綴と、さっきから正体のないセ
イバーを慌てて振り返るが……

「おー、枯れるなよ衛宮ー、がんばって遠坂を泣かせてやれー」
「下品なことを言うな、美綴っ! ああもう、セイバーその、家のことは頼ん
だ!」
「あ……はぁ、その、お帰りをお待ちしています、シロウ」
「甘いわよセイバー、士郎は生半可なコトじゃ帰してあげないんだから」

 嬉しいのか困るのか、複雑なことを口にしている遠坂。
 いつの間にか道場の入り口まで連れ出されて、後ろでは非情に手を振る美綴
が……

「安心しろ衛宮。ちゃんとセイバーさんは衛宮に代わって可愛がって上げるか
らなー」
「可愛がるとはその、どういうことでしょうか……美綴殿」
「言葉通りの意味でしょ、きっと。私ももう士郎が泣いてお家に帰してくださ
いって漏らすまで可愛がってあげるんだから、うふふふ……」
「なんだ、その、正気に戻れ遠坂ーーー! えすえむとかいやだぞえすえむと
か、丘の上の洋館でえすえむとかいうとレザーボンテージで地下牢で縄で三角
木馬で浣腸で服従契約書で、いやー!」

 ずずずー、と遠坂に牽引されたまま俺は、我が家から引きずり出される。 
 叫びながらも、あの二人が一体どうなるんだろうな、と思いつつ。

(続く)