SamuraiGirl & LadyKnight
阿羅本 景
道場の板の間で正座して、目の前の対峙を正視する。
いや、この二人の立ち会いを前にしてだらしなく座っていることなんか出来
そうになかった。ずっと道場では礼儀正しくあるべきだと教え込まれた第二の
天性というのもあるけど、この二人の放つ凛然とした精気を前にすれば、自然、
居住まいは正さざるを得ない。
「…………」
盗み見ると、遠坂まで正座で端座している。
正座って苦手なのよねー、足痺れちゃうし、と西洋化著しいことを口にする
遠坂ですら、今の立ち会いを前にすれば真面目なものであった。もっとも弓道
部によく見学していたそうだから、正座して道場にいるのは苦ではないんだろ
うけど。
目を、間合いを探って向かい合う二人に向ける。
片方は、いつものブラウスの私服姿のセイバーだ。得物は竹刀だけど今日は
体に合わせた短めの二尺八寸ではなく、三尺四寸に余る長いもの。背の大きく
ないセイバーには不似合いなほどに長く見えた。
――それが、彼女の本来持つ剣の長さだった。虚実共に刀尺を揃えねばなら
ぬほどの敵。
セイバーに対する相手は、半身で得物を下段に下げて、佇む。
細い目と褐色の髪、袴姿で如何にも武芸に秀でている雰囲気がある。そりゃ
そうで、穂群原の誇る武芸の達人なんだから。
美綴綾子。彼女は薙刀を地刷りの下段に下げ、鋭い瞳をセイバーに浴びせる。
薙刀。これが美綴の本当の得物だ。
弓道部の部長なのに「弓道が一番不得意だったから」弓道をやっているとい
う、考えようによっては舐めた美綴が。魔術師のくせに射だけは妙に当たった
俺が言うのは失礼と言うものだけども。
しかし、そんな美綴が本当に得意だというのがこの薙刀――ああ、それは観
戦者である俺もよく分かる。
「……………士郎」
俺にだけ聞こえる、小さな遠坂の声。
声の方に僅かに向くと、遠坂が膝の上でちょいちょい、と俺に指で指図をする。
なんだろうと思って、それに手を伸ばすと甲にすっと指が乗って――
(ね、この勝負、どう思う?)
――と、頭の中に遠坂の声がした。
慌てて遠坂の顔を見ると、こっちの動揺が気に入らないのか口元を曲げている。
だって、口が動いてないのに遠坂の声が聞こえるだなんて――
(念話よ、士郎。魔術師なんだからこれくらいで驚いていてどうするのよ)
(だって、そんなこと出来るって言った事じゃないじゃない遠坂――)
(……無駄が多いし、使わなくても問題のない技だから。触ってないと聞こえ
ないし、人体は魔力の伝わりが悪いから力の垂れ流しになるし、そもそも内緒
話を魔術を使ってやらなくてもいくらでもやり方があるじゃない)
床に置いた俺の手の上に、遠坂の指が乗っかっている。
確かにこれを離すと聞こえなくなる、と言うのなら使い勝手の良い魔術じゃ
ない。キャスターくらい強力に、遠隔で人の抵抗を潜って聞かせられるのなら
話は別だろう――
(そ。キャスターのアレにまでなるともう、洗脳の世界になるわ。
アトラスにもこういう、人の思考に絡むの名家があるとかないとか……そう
いえば、あの学院の回状回ってたわね、出奔したとか破門したとかなんとか)
それは魔術師っていうより、それは藤村組のみなさんの極道の掟みたいな。
――なんて思っていると、目の前の勝負から気が反れそうになる。
相変わらずセイバーと美綴の対峙は続いている。じり、と横に回るのがセイ
バーで、美綴は地擦りの切っ先を向けている。
珍しいな、セイバーが攻めあぐねてる。
(でしょ? いつも士郎の稽古を見ても、すぱーんって一発で片づくのに)
(……それはだな、俺が弱すぎるだけのことだ。昔ほどひどくはなくなったけど)
だがセイバーから佳く一本が取れた試しがない。そもそもサーヴァントで、
騎士王であるセイバーから一本取れるなんていつの日か判ったもんじゃない。
美綴の頬が笑っている――んじゃなくて、緊張でそう見えるのか。でも、美
綴もセイバーもなんとなく、この立ち会いが面白くて仕方ないような感じがす
る。
(……士郎から見て、綾子のあれって強いの?)
(俺から見ても仕方ないんだけどな……薙刀は初めて見たけど、得物がこれだ
と藤ねえでも勝てるかどうか怪しいと思うぞ)
偽らざる所感を漏らすと、遠坂の顔が微かに驚いた。
……俺ほどじゃないけど、藤ねえのバケモノじみた強さを知る遠坂らしい驚
きだ。
(へぇ、藤村先生が勝てない?)
(長柄だから、剣道が薙刀相手だと相性が悪いよ。特に脛狙われれば辛い)
美綴の手にある薙刀は六尺余、剣の間合いから脛を打ってもなお余裕がある。
それに引き換え、セイバーの三尺の竹刀で脛まで守り、なおかつ薙ぎ、突く
薙刀を迎え撃つのは困難な技だと、俺から見ても判る。
(――俺が竹刀を持ったらきっと、美綴相手は鎧袖一触だ)
(そうでしょうね)
――いや、その通りなんだけど、遠坂に即断されると落ち込む。
セイバーも遠坂もリップサービスには無縁なタチだけど、それでも少しは励
ます様なことを言ってくれてもいいんじゃないかって。
(じゃぁ、セイバーは美綴に勝てない?)
その思念の声と共に、気合いが爆ぜた。
――――!
美綴の切っ先が、下段を翻る。
セイバーの竹刀はそれを読み切り、左右と打ち寄せる斬撃を防ぎ止める。
竹刀が流されてもおかしくない鋭い打ちなのに、合わさる竹刀は揺るがない。
パンパンパパン!と竹籖の撃ち合わせる乾いた音が――
すっと――
美綴の薙刀が突きに、そして担がず上げた打ち下ろしの薙ぎに変わる。
その攻撃の変転に、遠坂が息を飲むのを見た。
(………いや、そんなことはない)
「はぁっ…………!!」
美綴の攻撃は鋭く速く、切っ先はめまぐるしさはまさに名手の妙を秘める。
だが、セイバーは一歩も退くことなくそれを全て、防ぎ止めていた。
三尺の竹刀なのに、いつもの常寸よりも動きが早い――手の内の巡りが全然
違う、ああ、セイバーも今ばかりは手加減してないなって俺から見ても判る。
(どういうこと? それ)
(遠坂、忘れてるよ。セイバーは剣士だ、だけど長柄の相手は決して不得意じ
ゃない)
セイバーの剣撃は守備一方だが、決して押されているのではない。
むしろ、鉄壁の守りを以て読みうる全てを相手から絞り出そうとしているか
のようだ。天性の見切りを備えるセイバーが守りを固めれば、いかな剣士であ
れ破ることはおぼつかない。
それがたとえ長柄の美綴であっても、変わりはない。
「はっ、やっ、はぁぁーーー!」
美綴の視線が燃えて鋭い。攻撃は高速なだけではなく、威力も増してくる。
右から薙ぎ、足を掛け、上段唐竹割りかと思えば曲線を描いて突きに転じる。
時には柄を打ち、石突きと切っ先のどちらが判らぬほどに切り替えられた、変
化自在の攻め手となる――
(アサシンの小次郎に勝ったから?)
(いや……ああ、そうだ、あれは遠坂は見てないんだ)
怪訝そうな遠坂の意識に、頷いた。
怒濤の美綴の攻撃と、爆ぜる竹の音と踏み込みの響きは喩え傍観者であった
としても脅威を感じそうなものだ。実際、遠坂が美綴に気圧されてるのは判る。
でも、セイバーを見ている俺はひどく落ち着いていた。
半身に構え、まるで来る斬撃全てを読み尽くしているかのように打ち返し続
けているセイバーの姿を見つめる。美綴の迅撃は降り注ぐ矢の様に鋭いが、そ
れを身に触れさせずに打ち払っている
セイバーの口元も、かすかに笑っていた――
(ランサーは言っちゃ悪いけど美綴の比じゃないよ。それにもセイバーは負け
なかったんだから)
(あ……)
指を伝わって、遠坂が納得するのが判った。
負けなかった、といっても最後にあの宝具ゲイボルクが出て来たのでセイバー
は手傷を負ったし、ランサーは令呪で本気を出してなかったらしいけど、それ
でも美綴よりランサーの方が長柄の担い手としては、遥かに強い。
突きは電光、払いは轟風、千軍万馬をあの魔槍一本で防ぎ止めんとする威、
あんなのは二度と見られるものじゃない。
それは美綴を見くびってるんじゃなくて、英霊でありサーヴァントであると
いう存在のあまりの逸脱した存在故のことだ。なにしろアレに一度殺され、二
度目にも殺されそうになったんだから、俺も。
(そうよね、あのランサーと……)
アーチャーとの戦いは俺も見た。だから、遠坂も知っているのか。
身に切っ先を触れることを許さないセイバーが、踏み込んだ左足を僅かに進
める――
「――――――っ!!」
それだけで、美綴の流れる様な攻撃が守勢に転じた。
さすがは美綴と言うべきか、俺も昔、あれが分からなくて悶絶させられた。
寸毫に満ちぬ動き、だが下段に着けたセイバーの攻撃の意思を……
「いきますよ、美綴殿」
そんな言葉を発する暇が、何処にあるのか。
だが、分かった。
それを口にしてもなおセイバーの斬撃は余裕がある――!
ひゅんっ、と、
風王結界を纏ったのではないかと錯覚する、竹刀の消失。
それは俺の目がセイバーの、本気の刺突を追いきれなかっただけのこと。
竹刀でも、素面素胴の美綴を殺しかねない一撃……っ
「……………っぁ」
止めろ!と咄嗟に叫びそうになる。
だが胴を打つ切っ先を、美綴は打ち止めていた。びしぃッ!と鳴る竹に背筋
が濡れる。
黄金のセイバーの髪が、輝き猛る。騎士王の進撃が始まる。
どこかで蹄の響きと金管の咆哮が木霊するかの様な――
「くっ、やっ、はぁぁあああああー!」
声を上げるのは、美綴だ。
長柄の薙刀を縦横無尽に奮い、セイバーの打撃をなんとか食い止める。
だが、読み切って最小限の動きで防ぎ止めたセイバーと、ほとんど全身全神
経を注ぎ尽くして防いでいる美綴では差がありすぎる。巡る三尺余の竹刀は六
尺の薙刀より容赦がない。
まるで、撓う鞭で美綴を追い立てているかのような錯覚。
直線から曲線、そして点から面に転じるセイバーの攻撃。一歩の間合いを稼
ぐ為に、美綴は汗をまき散らして、耐える。
その一歩の距離を、まるで馬蹄で踏みにじるかのように詰めるセイバー。
緑の瞳の輝く様が、白い頬が紅潮する様は恐ろしく、美しい。
それには俺ばかりじゃなくて、同性の遠坂ですら見せられたように――ぎゅ
っと、俺の手を握りしめられていた。
「あっ、くっ、ああっ、あああ……!」
美綴が下がり、セイバーが詰める。
円を描いて横に逃げる動きを、セイバーは許さない。歩法を封じ呼吸を読ん
で僅かな隙に打ち込んで気力体力を削る、躊躇いも容赦のない斬撃。
ただ美綴に許されたのは、息もままならず後ろに退く事だけであった。未だ
に薙刀の間合いを保っている、それで美綴は有利なはず――なのに、出来るの
は後退のみ。
「あっ、は、ああ……」
窮鼠猫を噛む、美綴の反撃。
だが、それとて全てセイバーの攻撃に遅れて、隙を生み出すだけに終わる。
なんでセイバーの方が、スウィングの大きい下段が美綴の突きより速いんだ
か――
美綴の体を掠る、セイバーの切っ先。
何かそれに、美綴の尊厳を奪い取って敗北の恥辱を舐めさせようとする、容
赦のないセイバーの美しい残酷さを匂わせるようだった。
セイバーの額には汗すら浮かばず、頬に笑いがあることで余計にそう、感じる。
何故か、ぞくっと――この二人の戦う様に官能的な香りが、する。
「――――――」
あと数歩、それで美綴の後退は行き詰まる。
長柄の利点は間合いにあるが、逆に周囲と背後にも十分な距離がないと満足
に振るえない。
道場の壁が背後迫れば、美綴はただ縫いつけられて敗北を喫するしかない。
「あ、は、ああ………」
縺れる美綴の足。
それほどに美綴が追い詰められるのは初めて見た。セイバーの攻撃で意識を
刈り取られない代わりに、根こそぎ体力を奪われているみたいだった。目だけ
ぎらぎらと輝いているが、それは輝きが鈍れば一敗地の屈辱にまみれることを
彼女自身が知っているからか。
それほどに、美綴が追い詰められている。
手の甲を遠坂に、痛いほどに握られていた。勝負の時が近いことを、遠坂も
分かってる。
「――――どうしました? まだ、私はいけますが」
涼しく言うセイバーがなんとなく、憎たらしく見えた。
判官贔屓ってわけじゃないけど、あれほどの見事な寄せ手を見せるセイバー
を前にすれば美綴がんばれって思いたくもなる。
汗で胴着が濡れていて、武芸者にあるまじき息の乱れ。
だが。
すう、と一呼吸で、その乱れが消えた。
中段に着けた美綴の体と薙刀が、流水の様に滑らかに、そして疾く――!
「――――ふっ!」
初めてセイバー、気合い声を聞いた。
次に見たのは、セイバーの鍔元と美綴の柄がギリギリと競り合っている光景
だった。
あのままはじき飛ばすのか、それとも――
「獲ったっ」
遠坂が、堪えずに漏らしていた。
美綴の腕と足が、今までが嘘の様に動く。竹剛の動きから柳柔の撓り。
変転は息も無く、体を流して巻き込み、捻り切る螺旋の動き
それは力任せに鍔迫り合いをするセイバーの愚直な攻めを流して投げに打つ――
「甘い、美綴殿」
重心を崩されて、投げられたはずのセイバーが――冷ややかに告げる。
見たのは、横に崩されたセイバーが、飛んでいたこと。
なんであんな軽業が咄嗟に出来るっ……!
「――――――!!」
「あ――――っ」
信じられなかった。
セイバーは投げられたんじゃなくて、ひねりを加えたとんぼ返りを打ってい
た。
蒼いスカートが風車の様に回り、すたっと床に音もなく降り立つセイバー。
そして片手に持った竹刀の切っ先は、上体の流れた美綴の首筋に。
「勝負ありました」
(続く)
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