Shirou in his Hell. All right with the world.
「盛り上がっているところ、悪いんだけど」
不機嫌そうな遠坂の声で我に返った。見上げると、遠坂は声に負けないぐら
い不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「士郎、騎士叙任で目出度し目出度し、で終れるほど、世の中は甘くないのよ」
確かにそうだろう。しかし、これ以上なにかあるというのだろうか。
「遠坂、言っていることは正しいと思うけど、今更改めていうことなのか?」
遠坂は出来の悪い生徒を見る教師のような表情で問いかける。
「じゃあ、士郎。貴方は何人の面倒を見なければいけないかわかっている?」
へ? なんでそんなことを聞くんだ? そんなの桜一人に決まっているだろ
……ってセイバーを忘れちゃいけない。それに妹分のイリヤも。
「桜とセイバーとイリヤで三人か?」
「ほうら、やっぱりわかっていない」
遠坂は大きく溜息をついて、呆れた表情をした。
「桜はまともな魔術を知らないから、当分はライダーの面倒も見なければなら
ないの。セイバーの台詞じゃないけど、伴侶のサーヴァントはあなたのサーヴ
ァントみたいなものでしょ?」
「うっ」
「藤村先生。除外してあげたいけど、あの人、士郎が居る限り生活力がつかな
いでしょ」
「確かに……」
「そして、わたし」
「へ? なんで遠坂まで? いや、俺は、遠坂の力になりたいとは思うが、む
しろ俺の方が遠坂の世話になるだけのような気がするぞ」
「だって、士郎はもう、私のものでしょう?」
「なんですとぉ!?」
いつ決まった、そんな事。
遠坂は俺がパニックに陥っているのを笑っている。冗談だと思いたいところ
だ。が、遠坂の場合は冗談では済まされないから性質が悪い。
俺の反応をしばらく笑って見ていた遠坂は、一息つくと真面目な顔で訊ねて
きた。
「士郎、体はまだ傷む?」
「いや、もう殆ど傷まない」
「やっぱり。セイバーがサーヴァントになったら、あのデタラメな回復力が戻
ったのね。じゃあ、次。私たちと普通に会話しているけど、記憶の方は大丈夫
なの?」
「うん。欠けている部分もあるけど、きちんと思い出したから大丈夫」
自分が記憶していたと記憶しているものは、それが失われたという記憶も含
めて復活している。ただし、自分が記憶していたと記憶していない一部の記憶
や、はるか昔に本当に忘れてしまった記憶は忘れたままだ。
「そうだと思ったわ。肉体の復元だけでも魔法の域なのに、魂の復元なんて間
違いなく魔法よ。それも丸三日寝ていただけで治すなんて、どういう魔法よ」
「……俺が知るか。遠坂に判らないことが俺に判る訳も無いだろう」
憮然とした俺の表情を一瞥し、遠坂は質問を続けた。
「これで最後。左腕は大丈夫?」
「ああ。どういう訳かなんとも無い」
「そう」
遠坂は、暫く黙って考えてから、真剣なまなざしを俺に向けた。
「セイバーが士郎を運び込んだとき、セイバーが再び士郎のサーヴァントにな
ったと知って、体の方は基本的に心配していなかったわ。それに、魂の修復も
あり得るとは踏んでいた。でも、アーチャーの左腕だけは無理だと思った。侵
食を食い止めるのが精一杯だと思ったわ。あなたの令呪が左腕でなければ、切
り落とそうかと思ったほど悩んだのよ」
「あー、遠坂。心配してくれていた事には感謝するが、本人に黙って切り落と
すと言うのは行き過ぎではないかと思うぞ」
「どうせ切り落としてもまた生えるに決まっているわ。発動しているときの士
郎の再生能力はプラナリアでも勝てないもの」
「人をプラナリア呼ばわりかよ」
「そんな高等なものじゃないわ。プラナリアは成長点があるもの。士郎の場合、
きっと肉片一つでも残っていれば再生するわ」
なんという事を真顔で言いやがりますか、この人は。
「冗談はともかく、士郎がアーチャーを侵食した。これがどういうことか判る?」
「冗談には思えなかったんだが……ともかく、俺はもう、完全に元の体だとい
うことだろ?」
「ちがーう! 今の貴方は一部とは言え、アーチャーの肉体とその能力を自分
のものとして取り込んでしまったの! 士郎はアーチャーと一体になったの!
左腕を切り落としても、アーチャーとは縁が切れないの!」
一瞬、赤い騎士の幻影が見えた。俺の前を歩きながら振り返ったその目は
「追い抜くんじゃなかったのか?」と言っていた。
「む……」
居座っているのか、コンプレックスになっているのかは知らないが、確かに
縁は切れていないらしい。多分、あの背中が見えるうちは、追い抜けるまでは、
居座られそうだ。出来るだけ早いところ、アイツは抜き去ってやらなければ…
…
沈黙を納得と受け取ったのか、遠坂は笑いを浮かべて続けた。
「わたしとイリヤと、どっちのサーヴァントになるのか訊いた時、士郎はわた
しを選んでくれたわよね。アーチャーと縁が切れない以上、士郎はずっと私の
サーヴァントよね」
意識が派手に音を立てて凍りついた。あの夜の約束がこんな形で尾を引こう
とは思ってもいなかった。
「……あれ、まだ有効?」
笑顔を崩さずに遠坂が顔を寄せてくる。
「もちろん。大丈夫、表向きは師弟ということにしておいてあげるし、本当に
弟子にもするわ。でも、サーヴァントのことは譲ってあげない」
がっくりと肩を落として他の面々に視線を巡らす。
「あの時、リンみたいな横暴で強欲なのはやめろって忠告したのに「サーヴァ
ント扱いで構わない」とまで言っちゃったんだもん、仕方ないよね」
すまん、イリヤ。だってあの時はここまで引っ張るとは思わなかったんだよ。
「誰の配下になろうと構いませんが、桜の敵に回るというのなら、容赦しませ
ん」
あ、ライダーの心配は杞憂だと思う。遠坂は桜のことが大好きだから。
「魔術師と安易な約束は二度としないで下さい。シロウの行動はクーフーリン
……ランサーが破滅に至ったのと同じ事です」
ごめん、セイバー。深く反省しております。
「あ、そうそう。士郎、忘れていそうだから念のため言っておくけど」
遠坂さん、まだ何かあるのですか?
「桜を選んだってことは、私の弟になるってことだからね。アーチャーを何と
かして、魔術師として独り立ちしても、絶対に士郎は私から離れられないのよ。
弟はお姉さんの言いつけに従うものよね?」
……ガッデム。
大聖杯という魔女の大釜の底から帰ってきたのに、魔女の義姉さんに呪われ
ちまったよ。なんてこった。
なお、間違っても「婆さん」とか「小姑」とか言ってはいけない。
頭を抱えてしまった俺に、遠坂が不満そうな顔をする。
「ちょっと、士郎。この程度で参っていたら、これから先やっていけないわよ。
聖杯戦争は終っても、後始末が残っているんだから」
「後始末って、一体なんだよ」
「今度の聖杯戦争はちょっとばかり性質が悪かったから、イギリスあたりから、
ちょっとばかり性質が悪い連中がやって来そうなのよ。冬木の管理人として私
が矢面に立つけど……ちょっと分が悪いのよね」
遠坂の言う「ちょっと」は「かなり」の意味だ。
「ああ、そういうことなら、喜んで力になるよ。でも、俺が何か出来るような
話でもないような気がするけど」
「大丈夫、みんなが居れば協会に正面切って戦争しかけても絶対に勝てるから」
「な……協会って魔術師の総本山なんだろ? そんなところに喧嘩売るっての
か?」
「シロウ、リンはそこまで馬鹿じゃないわ」
見かねたイリヤが言葉を挟んできた。
「魔術師は絶対実力主義なの。だから、たった六人で協会を叩き潰せるほどの
実力があることを見せれば、協会は引き下がるしかないの」
あ、そういうこと。
「平和裏に片付けるには、偉いさんが納得するなにがしかを提供する必要があ
るのよ。魔術師は等価交換だから。で、サーヴァントのセイバーとライダー、
それに聖杯である桜とイリヤは、存在を知られると却って面倒の種なのよね。
だから、士郎だけが頼りなのよ」
良かった。遠坂はちゃんと俺たち全員のことを考えて、やれる人でやれるこ
とを分担しようとしているだけだ。
「しかし、なんだ……」
遠坂を見ていて、あることに気付いた。
「何?」
「桜一人を何とかしようというのにこれだけ苦労して、犠牲もたくさん出した
っていうのに、五人も背負い込むのかと思ったらげんなりした。でも、一人で
全部背負い込んでいるわけじゃないんだな」
「当然でしょ」
「だから、さ、オヤジやアイツは一人で全部背負い込もうとしたから、背負い
きれなくなったのかな、って。正義の味方は孤独なヒーローである必要は無い
んだな、って。戦隊モノもあるじゃないか、って。それに人数が多いほうが、
もっと多くの人に手を差し出せるんじゃないか、って。そう思った」
遠坂は……いや、みんなは一瞬ぽかんとした後で、微笑んでくれた。
その笑顔は、一人じゃない、と力強く語っていて、そんな笑顔を桜にも見せ
てやりたくて、桜からも見せてもらいたくて、
居ても立ってもいられず、立ち上がった。
「遠坂、俺の服はないかな」
「ちょっと待って。ライダーが着替えを持ってきているわ」
「着替えたら、みんなで俺の家へ帰ろう。桜も、待っているんだろ?」
「でしたら、私は先に戻ります。サクラも、その、支度があるでしょうから」
「士郎、アンタもシャワーぐらい使っていきなさい。ライダー、桜には一時間
後ぐらいに行くと伝えて」
「わかりました」
桜に会ったら、何を話そう。
後始末は残っているけど、とりあえず終ったこと。
みんながいてくれたから、何とかなったこと。
これからも、みんなとやっていこうということ。
みんな、ていうのが、悔しいけど、目に届く範囲だと認めるということ。
春休みになったら遊びに行こう、ということ。
もし許されるなら、一回ぐらいは二人きりで遊びに行きたい、ということ。
なによりも、桜の笑顔が見たい、ということ。
だから、俺も心の底からの笑顔を見せよう。思わず微笑み返してしまうほど
の笑顔を。
今、鏡に映っているほどの笑顔を。
(To Be Continued....)
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