光が見えた…………遠く。

闇が消えた…………ゆっくり。

熱が燈る…………はっきり。


どこかで誰かの………


鼓動が――――声が――――聞こえた。



「セイ、バー…………?」



心に……届く、声。

消えない傷跡の様に、忘れられない記憶の様に。

内に残ったままの、思い。


目を開けた。
地面に降り立って、光が解けていくのを待つ。


――――繋がりを感じる。

もう一つの心臓が出来たような、外部からの力の流れ。
しかし、不完全。
これに似た感覚、以前にも味わった事のある感覚。

透き通っていながら、何かが欠落している、あの矛盾感。
なのに、それでいてとても心地よい、あの感覚。

視界に色が灯る。
端から中心へと。
そこに捕らえる人影は唯一つ。
見間違うはずなど無い、相変わらずな表情の少年。

空間の狭間で、聖杯を手に入れるために人間でも英霊でも無い状態にいても、
その顔、その声、その記憶は消えなかった。

「―――――シロウ」

名を呼ぶ。
次第にしっかりとしていく体。
しかし不完全。
魔力の供給はあるのだが、それにしても少ない。
これではまた足かせを背負って戦わないといけないではないですか。

ふふ――――まだ一人前にはなれていないようですね。

心にも無いことを思い、声には出さず、頭の中だけで笑みを浮かべる。
成長した彼の姿も見てみたいが、やはり彼はこうでないと。

不完全なサーヴァントと未熟なマスター。

これが、私たちのカタチ。
これが、彼と私の繋がりのカタチ。

それだけで、満たされた気持ちになる。

そろそろ完全に視界が覚醒する。
私が呼ばれたということは、再び聖杯が現れたということだろう。

確かに破壊したにもかかわらず、私が呼ばれるのには疑問もある。
しかし、こうして私は存在している。
夢の続きを見続けている。
人でも、英霊でもない姿となって。

私の時間は終わったと思っていた。
でも確かに………まだこうして繋がりは残り、現に私は呼ばれている。
何故?

それに、他にも不安はあった。

前回と同様の不完全な召喚。
おそらく彼からであろう魔力の供給、その魔力の質の違い。
今自分のいる場所が、前回と何も変わっていない様に見えること。
そして………

でも、それでも、再び彼と共に戦える事を誇りに思いつつ、また彼と別れるの
か、という悲観も、どこかに持っていた。
そして、それよりもまず………

「久しぶりですね………凛、イリヤスフィール」


最後に視認した、二つの影に、声をかけた。


                ◆


――――夢ならよかったのかもしれない。

まぁそんな思いは、彼女の姿を見たときに既に消え去っていたのだけれど。

――――幻ならよかったのかもしれない。

まぁそんな感情は、彼女の声を聞いたときに、吹き飛んでしまったのだけれど。


――――嘘ならよかったのかもしれない。


まぁそんなことは…………


「セイ、バー…………?」


…………最後まで考えていなかったのだけれど。




何故そんなことになったのか、今でも分からない。

しかし、あの意味だけは分かる。

―――――はぁ、俺は………まだ未熟だったということだな。

女の子を泣かせるなんて最低だ。
しかも一番大切に思っている相手ならなおさら。

―――――だよな? 切嗣。

あの意味は忘れない。
あの言葉は忘れない。
あの誓いを忘れない。


そして―――――あの涙は、忘れない。


                ◆


集まっていた風がほどけていく。
行き場を失っていたはずの風達は嘘のように静かに、その荒々しさを隠してい
た。

抵抗が薄れ、やっと目を開けられるようになる。
開く……眩しい………光が強い。

眩む双眼を慣れさせて、


「――――――――」


目の前の光景に、言葉を失った。

…………何故。
どうして……彼女が此処にいるのか。
夢?幻?嘘じゃないのか?
どう考えても納得のいく答えが出ない。

「セイ、バー…………?」

何とかそれだけ。
それだけで精一杯だった。

状況が理解出来ない。
言葉が浮かばない。
瞬きも忘れてただその姿を目にとどめた。

悲しき野に降り立つ―――――

金糸のような髪。
日光に反射する銀鎧。
静けさを思わせる蒼衣。
流麗な立ち姿。
白い肌に、透き通った碧眼。

―――――美しき、孤高の騎士王。

間違うはずなど無い。
金色の野で、全てを終えて分かれた、あの時のまま。

「―――――シロウ」

名を呼んでくれる。
少しも変わらない。
その響きを聞くだけで、理由も無く涙が浮かんできそうになる。

全てがあった別れ。
同時に全てを失った別れ。
強く、固く、愛を誓い―――――思い出すのは、分かれた朝焼けの海。

震えていた。
合わせた視線は動かない。
嬉しさがこみ上げ、心の端に浮かんだ疑問は既に消えていた。

「―――――――」

歩み寄る。
言葉など既にない。

距離はそれほど遠くない。
最初から近くにいたのだ、もうすぐ彼女の手を握ってやれる。
言葉を交わせる。
そう思って手を伸ばし―――――


「久しぶりですね………凛、イリヤスフィール」


―――――その視線に、動きを止められた。


先ほどとは違う視線。
その目に映る全てを一瞬で凍てつかせるほどの殺気。

既に視線は逸らされていたが、周りを覆う空気は、明らかに臨戦の状態そのも
のだった。

「ええ、本当に久しぶりね、セイバー」

そんな状況を意にも介さず、淡々と言葉を返す遠坂。
その後ろで目を閉じたまま動かないイリヤ。

「では……聞きましょう。いえ、もう聞かなくても分かっていることですが…
………凛、私を召喚したのは貴方ですか?」

冷たい声。
同時にそれに、

「そうよ。まさか本当に上手くいくとは思わなかったけど」

返す遠坂の声もまた、信じられないほどに暗く、冷たかった。

理解出来ない。
どうして、いやそれ以前にどうやって、彼女を再びこの時代に召喚したという
のか。

「そうですか、だから召喚が不完全なのですね。では、何故ですか? 貴方な
ら、こんな無理矢理の召喚が長く続かないということぐらいは分かっていると
思いますが」
「なっ…………!?」

相変わらずの冷たい空気。
そうね、と当然のように返す遠坂。

二人の間の雰囲気は絶対零度。
下手をすれば此処で一戦交えてもおかしくはない。
そんな状況に、おいそれと口は出せない。

「ま、別に伝えなきゃいけない事でもないんだけど………」
「…………ぇ?」

一度こちらに視線を投げてから、セイバーへと歩み寄る遠坂。

―――――士郎はイリヤについていて。

真剣な顔でそう言われた。
ただ真剣なのではなく、どこか殺気じみた声で。

「え、でも…………」
「すぐ終わるわ、ちゃんと時間は作ってあげるから」

優しいような、何か悲しいような、複雑な表情のまま背中を向けた遠坂。
納得したわけでもなかったが、今はそうするのが一番いい、そんな気がした。

そうして、イリヤの元へ。
ずっと目をつぶったまま、胸の前で両手の指を絡ませている。

「―――――、――――」
「ぇ―――――」

小さな声。

「―――、――――――」
「イリヤ………?」

返事はない。
俺の声に反応する事もなく、イリヤは何か呪文の様な言葉を小さく呟いている
ようだった。
その体は、薄く光に包まれているようにも見える。

邪魔をしてはいけない。
ただそれだけを思い、時間が過ぎるのを待つことにした。


                ◆


「終わったわ。後はあなたの時間よ士郎」

いくらかの時間が経って、遠坂がこちらに戻って来た。
セイバーと何を話していたのかは分からない。
声が届かなかったし、もし聞く事が出来たとしても、耳を塞いでいただろう。

「おそらく、もって5分よ。言いたいことがあるなら早めに言っときなさい」

ああ、と無言で頷き、
彼女と入れ替わるようにセイバーの元へと歩み寄った。

草々を踏みしめ、僅かに痛む傷跡を隠しながら、野を進む。
しかし、そんなもの苦痛でも何でもない。
彼女がいるのだから、目の前のあの姿を見て、そんなことを言ってられるか。

そうして…………

「―――――久しぶり、って言った方がいいのかな?」
「いえ………私に、時間の感覚は意味を成しませんから」
「そっか………」

短く間を置いて、もう一度正面からその顔を見つめた。
輝く碧瞳。
遠坂と話しているときに武装を解いたのだろう……いや、武装を解いて、少し
でも残れる時間を延ばそうとしたのか。
彼女の細い体を包むのは蒼き衣だけになっていた。

降り注ぐ日光は辺りを煌きで満たし、いつかの金色を思わせる。

「………あと……どれぐらいだ?」
「――――――おそらく、もう数分も無いでしょう」
「そっか………」

言葉を交わす事はない………ただそこにいるだけでよかった。

名を呼ぶ事も無い………ただ傍に寄り添っているだけでよかった。

抱きしめる事など無い………ただその瞳を見つめているだけでよかった。


よかった――――――あの別れには全てがあり、これで………いい。

いい――――――はずなのに………


「――――――シロウ……泣いて、いるのですか?」
「さあな………久しぶりに好きなやつに会ったから、涙腺がおかしくなったん
じゃないか?」

支離滅裂な言い訳。
まぁ、そんな言葉を吐いた所で、頬を伝う涙が止まるわけでもない。
それでも、涙の勢いは少し弱まってくれたようだ。

「すまない………シロウ。今の私には……涙を流す事も、あなたの涙を拭う事
も………」

言いながら、そっとセイバーの白い掌が、俺の頬に伸び…………

「――――――っっ」

…………すぅーーーっと、何の感触も無く、通り過ぎた。

セイバーの言葉の最後は聞き取る事が出来なかった。
出会った時から変わる事の無い、凛とした表情も少しずつ薄れていっているの
が分かる。
先ほど不完全な召喚と言っていたのはこの事だろう。
今の彼女は、姿が見えるだけでも奇跡に近いのだ。
人の体に触れる事など、出切る筈も無い。

当然だ、今此処には聖杯は無いのだから。
あるとすれば………器にされかけたイリヤの体だけ。
おそらくそれを利用して、無理矢理セイバーを召喚したのだろう。
推測するに、召喚時のシンボル……そんなものは存在しないのだから、媒介と
されたのは現代において最も強い接点を持つ俺。
だから遠坂は俺を連れ出し、あれほど時間を気にしていたのだ。
そう考えると殆どの辻褄が合う。

大体の事は分かった。
まだ遠坂がセイバーを召喚した理由が分からなかったが、今となってはどうで
もいい。

彼女自身も言っていた通り、もうこの時代に留まれる時間は少ないのだろう。
じゃあ、泣いている場合では、時間を無駄にしている時ではない。

真っ直ぐに、碧の瞳を見つめ返す。
引き止めることなどしてはいけないし、今更する気も無い。
彼女の口が動く――――今はその続きを待った。

「―――私はマスターの剣となるべき存在。そして、剣になる理由は聖杯を手
に入れるため。 ここに聖杯が無いのであれば、私がこの時代に留まる理由は
ありません」
 
震えているようにも見えるその顔。
彼女の体は、もう光を帯び始めていた。
寂しげな瞳の奥、小さな雫が光を反射する。

「セイバー………ごめんな」

どうして謝ったのか。
謝る事で何かを忘れたかったのか。
謝る事で何かを終わらせたかったのか。
それは今言った言葉にもかかわらず、覚えていない。

そんな俺に、彼女は淡く微笑んで、

「ふふふ………やはり」
「ぇ――――――?」

その目じりから、流れるはずの無い涙を零していた。

「変わり…ませんね、シロウは………」
「まあな」

適当に言葉を返して、ふと思い出す。

”言いたいことがあるなら早めに―――――”

そうだったな遠坂。
じゃあ、俺も言いたいことを言ってしまおう。

「セイバー………」
「シロウ、私はまだ完全な英霊ではありません。なら……いつか、いつかまた
……。……っっ!?」

遮られた言葉を、ゆっくりと指に伝えて。

触れられるはずの無い彼女の涙に、確かに触れた。
触れた部分は透明な宝石。
ダイヤの結晶のように、一瞬だけ夜空の星のように煌き、消えた。
そして、言葉が続かない彼女に向かって、

「ああ、きっと――――」

はっきりと頷きながら、分かりきった答えを伝えた――――。


(To Be Continued....)