蒼黒に月光が冴える―――――
「―――――告げる』
夜空から忍び込んだ闇と光。
―――――統一させた意識は透明。
薄暗い空間に色が灯っていく。
『………汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に………』
黒の闇に解けるように―――――
―――――闇に意識を織り交ぜていく。
『………聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ』
―――――閉じた瞼の中は暗闇。
だが確実に光に近づく―――――
『誓いを此処に――――』
熱き焦がれる思いを馳せて―――――
『………我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者………』
―――――響く鼓動は繋がりの証。
『汝三大の言霊を纏う七天………』
―――――確証は無い、しかし確信している。
『………抑止の輪より来たれ、天秤の護り手よ―――――!!』
道具………?
そんなものは必要ない。
媒介は………自分自身―――――
収束する。
自然の力が雄叫びを上げ、大源を震わせる――――!!
―――――この身に刻まれた記憶、思い………それこそが。
溶けてしまいそうになる。
熱い、それでいて懐かしい………もうすぐ、もうすぐだ。
―――――何にも勝る彼女との繋がりの証。
闇の中を光が駆ける。
届いているか、聞こえているか、応えてくれるのか?
―――――来る。来るはず。………いや、来い!!
来い。
来い。
空気が重く、光が強い。
体を駆け巡る血が、絶対なる力の予感を知らせてくれる。
来る。
来る、必ず。
この光。
何も変わらない。
あの時と同じ。
唯一つ、あの時と違う事といえば、それは――――
『――――――っっ!?』
来い。
願っていた事。
今度は自分で、彼女を呼んでみせると、そう誓っていた事だけ。
満ちていく光。
奪われていく視界の中、ただそれだけが確かだった。
A gain・Against・Again 末丸
「ぅむ………ふぁ………」
どうやら朝になったようだ。
布団の中で寝返りを打つ、もうそろそろ起きないといけないのだが、
確か今日は休日、もう少し眠ることにする。
それに、この起きる寸前のまどろみというのは、
なんとも格別の気持ちよさが――――――
(もぞもぞ)
(ごろごろ)
―――――――んっ?
何かが布団の中にいる。
いや。何かって言うか、もう大体予想はついているのだが………
(わしゃわしゃ)
「こ、こら変な所を触るなイリヤ!」
「きゃっ!?」
そう言つつ、俺の布団に侵入してきた小さな体を抱え上げる。
短い悲鳴が聞こえたが、そんなことを気にはしない。
「………何やってんだ?」
「えへへ〜〜。シロウを起こしに来たの」
起こしに来た、ねぇ。
疑いをこめて赤い目を見つめ返す。
にぱにぱと笑う、小さな侵略者。
時刻は七時過ぎ、そろそろ朝食の準備をしないと、
休日とはいえ、逆鱗に触れてしまう。
まぁ………その持ち主は約一名………もとい、約一匹だけなのだが。
で。
眠気を振り払うように首を回し、
上に乗っかっているちびっ娘さんを、脇へと降ろした。
「――――さて、早く準備しないとな。イリヤは朝ごはん、何が食べたい?」
「う〜〜ん、今日はシロウが作ってくれるの?」
「まだ桜は来てないかみたいだから、そういうことだな」
適当に着替えを済ませ、居間に向かいながら、朝食のメニューを組み立てる。
まぁ。たまにはリクエストに答えてやるのもいいだろう。
というより、ほぼ毎日答えさせられているのだが。
俺というか………主に桜が。
「出来たらパンがいいなかぁ。……サンドイッチとか」
「そっか。じゃあすぐ作るから。居間で待っててくれ」
うんっ、と元気よく答えてくれるイリヤ。
とてとてと駆けていくその後ろ姿に、知らず知らず頬が緩んでしまう。
「シロウーーっ、はやく〜〜」
「はいはい」
明るい声に頷きながら、居間へ。
確かまだ、食パンは残っていたはず―――――
「ねぇ〜〜士郎? ご飯まだ?」
――――――って。
「…………………はぁ、雷画の爺さんは元気かな?」
「シロウ、現実逃避はしないほうがいいわ。私もしたいけど」
うっ………
イリヤの冷静な言葉で、現実を見つめる決意をする。
まず今日は休日、これはよし。
で、時刻はいつもの朝食よりは少しだけ遅い七時、これも間違ってない。
今居間にいるのは俺と、イリヤと、もう一人。
桜と藤ねえはまだ来てない…………うむむむむむ。
いやしかし、何故に?
何故にこの日、この時間、ここに、お前はいるんだ?
「それでリン……ここで何してるの?」
よし、さすがイリヤ。
俺では聞き難い事を簡単に聞いてくれる。
視線だけだが、俺もその後に続いた。
すると、
「う〜〜ん、何してたんだっけ?」
………っと、聞かれましても………お嬢様?
「何かしようと思ってたんだけど………忘れたわ。………で、ご飯まだなの?
士郎」
おい。
じゃあなにか?
このお方は何をしようかも分かっていないのにうちに来て、
あまつさえ朝食を要求していると、そういうわけか?
「そういうことよ」
なぁんて頷いてるし。
はぁ、仕方ない……これ以上議論しても無駄だろうし、
ピンポ〜〜ン
なぁんて玄関の呼び鈴が鳴ってるし。
「士郎〜〜、起きてる〜〜?」
「お邪魔します」
なぁんて声もしているわけだし。
「………………はぁ」
とにかく飯を作ってしまう事にした。
◆
一言で今朝の朝食の状況を説明するとすれば………
「――――――やめとこう」
口にすればとんでもない事になりそう。
そんな予感がしたので、とりあえず食器を全て洗ってしまう事にする。
はぁ………何故に朝食だけでここまで疲労せにゃならんのだ?
と愚痴ってみるが、そんなものを聞いてくれるほど、
――――暇で、
「先輩、冷蔵庫が空ですから、お昼ご飯の買出しに行ってきますね」
――――思いやりがあって、
「なに、まだやってたの洗い物。早く終わらせなさいよね?」
――――がめつくなくて、
「タイガ、早く貸したお金返して」
――――物静かで、
「ええぇ〜〜っ、もうちょっと待ってよ。お爺様からも貰ってるんだから少し
は目をつぶってくれても………」
「却下よ」
「そんなぁ〜〜!! ……………守銭奴(ボソッ)」
「いいの、そんな事言って?」
「ああ〜〜ちょっと待ってよ〜〜」
………………………はぁ。
無理だ。
それこそ遠き理想郷。
そんなやつこの家にゃあいない。
いや、ちょっと前まではいたんだけど、今はもういない。
今でも鮮明に思い出せる。
透き通った碧眼。
流れるような金髪。
凛とした立ち姿。
蒼き風の如き剣技。
そして、美しい体。
忘れはしない。
いつかは忘れるのだろうと分かってはいる。
でも、俺が覚えていないと。
俺が覚えていなくて、誰が覚えているんだっていう話。
蘇る影は未だ流麗。
残る思いはただ熱く、そして冷めていく。
「……………ふぅ、何言ってんだか」
何とか食器を洗い終え、
4人分のお茶を入れて居間へと戻る。
と。
「何してるのよ。ほら、早く用意して」
って、真顔で言われてしまった。
それもいきなり。
前置きも無しに。
腕を組みながら大魔神のように仁王立ちで。
「………はい?」
もちろん俺は首をかしげて、遠坂を見つめ返す。
それが癪に障ったのか、
「ああもうっ、いいからさっさと出かける準備をしなさいっ!!」
「………準備って、何のさ?」
「いいからっ!!」
何が何だかさっぱり分からん。
分かっている事は、
遠坂が何故か怒っていて、
桜が買い物から帰ってきてなくて、
藤ねえとイリヤが金の事で言い争っていて、
遠坂の視線が秒単位でキツく、鋭くなっていっているということだけだ。
…………いや、充分だ。
これだけ分かっていれば、これから起こる事も大概は予想可能範囲。
あれ?…………自分でも何考えてるか分からなくなってきたぞ………
ここはとりあえず――――
「あの、それで………遠坂?」
「………………」
無言のまま睨んでくる遠坂たん。
いや、恐い、マジで恐い。
「…………どこに、行くんだ?」
「………付いて来れば分かるわ」
………って、それだけかい!?
「いいから士郎は準備して。時間を逃すと絶対後悔するから」
「―――――??」
その後幾つか質問したが、成果無し。
結局、何が何だか分からないまま、外へと連れ出された。
◆
「おい遠坂〜〜っ、どこまで行くんだよ?」
少し前を歩く紅い後ろ姿。
それに向かって、重い体を引きずって付いていく。
遠坂は振り返ることはないが、
「もうちょっとだから、黙って付いて来る」
と、静かに制してくるだけ。
彼女にそう言われると、こちらとしては後に続ける言葉が見つからなくなる。
こいつは、どうでもいい冗談と、とても大切な事を言う時の感じが見分けにく
い。
しかし………おそらくこれは大事な事。
しかも、遠坂にではなく…………勘だけど、多分………俺にとって。
本当にそうかは知らない。
でも、あいつがこんなに真剣な顔をするのは久しぶりだ。
約………三ヶ月振り………か。
あれから、あの戦いから。
”問おう。 ――――貴方が、私のマスターか?”
出会い。
”俺なんかが、マスターで…………いいのか?”
決意し。
”シロウなら………分かってくれると思っていた………”
悩み。
”―――ごめんな。俺、セイバーが一番好きだ。だから、あんな奴にはセイバー
は渡さない”
伝え。
”やっと気づいた。シロウは、私の鞘だったのですね……”
応え。
”セイバー。――――――その責務を、果たしてくれ”
名を呼び。
”シロウ―――――貴方を、愛している”
呼ばれた。
あれから………何も変わらない。
彼女がいなくなっても、俺は驚くほど冷静だった。
あの朝焼けに燃える光の中、あそこには全てがあった。
忘れない。
焼きついたまま離れない。
消えない。
心には、自分でも気づかない内に大きな穴が。
全てがあった。
そして、全てを失った。
全てがあり、全てが消えたあの光の朝焼け。
―――――――っ。
無意識に、痛みが走るまで拳を握ってしまっていた。
歩く脚は見慣れた道を進み、公園へ。
ここまで来た道のりを覚えていない。
いつの間にかここに来ていた。
まだ体は重い。
前を行く紅い背中を追いかける。
追いつかない思考を捨て去って、橋を渡っていく。
新都へ行くならバスを使えばよいと思うのだが、今はそんなことを言っている
場合ではない。
歩を進めるごとに前を行く背中が小さくなっていく。
あ、やばい。
置いていかれるわけにはいかない。
一瞬呼吸が苦しくなったが、構わずに走り出した。
「――――、―――――!!」
息が苦しい。
何故だろう、軽く走っただけだと思ったが、呼吸が上手く続いてくれない。
こんなことは初めてだ。
酸素が脳に届かない。
空気が体に回らない。
ぼやけていく視界の中………
「―――――――何やってるのよ。
よく分からないが、どうやら怒っている様子の遠坂。
それも当然か。こんな事で足止めをさせているわけだか―――――
――――――イリヤ」
―――――らぁ?
何故そこでイリヤの名が出てくるのか、そんなことを疑問に思いつつ、
そこで初めて………
「もうシロウっ! しっかり走らなきゃだめじゃないっ」
………背中から響いてくる声と、首に回っていた細い腕に気がついた。
「………っほ、げほ……っ……?」
脳に意識が戻ってくる。
肺にやっと空気が補給された。
ゆっくりと状態を確認し、首を振る。
あ〜〜頭痛い。
だからつまり……
「家から、ずっと……っほ……ついて、来たのか……?」
それも完璧にチョークスリーパーをきめながら。
それに気づかない俺も俺だが、あの腕の形は間違いなく俺を向こうの世界へと
引きずりこめる力を持っていたと思う。
何とか持ち直した俺に向かって、
「うん、そうだよ。あれ、もしかして気づいてなかったのシロウ?」
と。
何事も無かったかのように頷くイリヤさん。
何か………前にも似たような事があったような気もするが、まあいいか。
それより。
「何してるのよ。早くしないと間に合わないじゃない」
遠坂の声で我に返る。
そうだった。
いまだに何に間に合わないかは知らないが、とりあえず急がないといけない。
「あ、でもイリヤが………」
「別に構わないわ。どちらかといえば付いて来てくれた方がやり易いかもしれ
ないし」
で、先に歩き出す遠坂。
はい?
どうやら遠坂はイリヤが付いて来る事にはあまり関心が無い模様。
…………あれ、てことは?
「じゃあリンもああ言ってるし、ちゃんと運んでね、シロウ」
…………やっぱりそういうことですね。
首を絞めないことを条件に、俺は再びイリヤを背中に抱えて。
遠坂は先ほどと同じように無言のまま。
新都への道を進んでいった。
◆
風が吹き抜けていく。
温暖な気候の中、普通ならとても心地よく感じるはずの春風。
時間はまだ昼間。
日の光も見える………しかし、暗い。
おそらくどの時間帯でも、この場所に対する感覚は変わらないのであろう。
もう夏になりかけているというのに、どこか肌寒ささえ感じさせる。
新都の公園。
いつでも人影は殆ど無いのだが、今日はそれにも増して誰もいない。
荒んだ草原は緑を失い、灰に染まっているようにも見える。
空気はよどみ、異質の空間を作り出す。
暖かさに満ちているはずの空が、全てを虚無に引きずり込む。
風が風を呼び、瘴気が瘴気を呼ぶ。
通常の人間であればそんな違和感も無いはず。
魔術師であったとしても、その違和感を感じるだけに過ぎない。
しかし、
「………………」
違った。
まだ、消えてない。
傷が―――――疼く。
心が―――――痛く。
闇が―――――開く。
一面に広がる火の海。
燃え広がる視界。
焼け爛れる世界。
感覚のない体。
自分の零れ落ちかけた命を救い上げてくれた、誰か。
その傷を、記憶を共有し、共に戦い、最後まで俺の剣であってくれた、誰か。
光の中、いつも変わらぬ姿でいてくれた―――――誰か。
「士郎……大丈夫?」
「……………ああ」
心配ない、と頷いてみせる。
確かにここは俺にとって相性が悪い。
でも、もうその傷が疼いたとしても、俺は立ち止まらない。
そう決めたから。
「…………で、遠坂。………何故、ここなんだ?」
寂しげな風を耳にしながら、傍にいる彼女に声をかける。
一度こちらに視線を投げると、遠坂は左手を掲げ、物々と何かを呟き始めた。
「 Abzug Bedienung Mittelstnda 」
彼女の左腕。
魔術刻印が刻まれている部分が、淡い光を放ち始める。
何かの呪紋を一工程で起動させているようだ。
と―――――
「……………っ?」
今まで草原に見えていた場所が、ゆっくりとぼやけていく。
伸びていた草は消え、丸く、切り取られたように、地面が素肌を見せる。
ミステリーサークルのように浮かび上がった真円。
「これは―――――」
空気が集まっていくような錯覚。
力が奪われていくような幻視。
その中心、もっともよどんだ空気が座する場所、そこには………
「―――――魔法……陣?」
紅い直線と曲線で描かれた刻印。
地面に浮かび上がり、虚空を睨みつけるように光を放っている。
六線星を二つ重ね、それを円で囲んだような陣形。
血の様にも見えるその軌跡は、何も反応を見せる事は無い。
しかし、遠坂が合図を送れば、即座にその効力を発揮するだろう。
「さて、何とか時間には間に合ったみたいね。…………ところで衛宮くん、こ
の法陣が何のものだか分かる?」
分かるわけが無い。
もともと魔術の才能は無いのだ。
知っている知識は基礎のものだけ。
遠坂よりも優れているとすれば、それは投影の分野においてのみであろう。
そう首を振る俺に、でしょうね、と当然のように頷き返すと、
遠坂はおぼろげに左手をその陣に向かって掲げた。
「……まだ完全に発動させるには時間が掛かるみたいね。まあ、別に不完全で
も構わないけど……」
感触がいまいちだったのか、掲げていた手を戻し、一人で勝手に納得している
遠坂。
それを見ているこちらとしては、何の事だかさっぱり分からない。
ここでふと、イリヤの事を思い出した。
「なぁ……イリヤ?」
「………………」
返事が無い。
当のイリヤはというと、遠坂の姿を見つめたまま、俺の隣で人形のように硬直
している。
俺が振り向いても、それは変わらず、意識が無い様にも見えた。
それは、
「お、おいっ、イリヤっ!?」
「シロウ、静かにしていた方がいいわ………」
え………?
俺の知っている、いつものイリヤではなかった。
そして、
「――――――――っっっっっ!!!??」
一瞬だけイリヤに向けていた視線が、無理矢理に引き戻される。
引き戻したのは風。
中心へと集まっていく突風。
台風の中心にいるのに、そこも台風だったような……おかしな風。
集まっているのに、どこにも逃げない。
どんどん圧縮されて…………強大な力の渦が生み出されていく。
「と、ぉさか……!!」
名を呼ぶ。
しかし、強風になびく長い黒髪だけが、揺れているだけ。
俺が視線を逸らした時か、再び彼女の左腕は法陣に掲げられている。
返事はもちろん無い。
言葉とは音の振動。
こんな強い風の中では、通常言葉は届かない。
しかし、今の遠坂は、例え聞こえていたとしても、こちらに何か反応する事は
無かっただろう。
それほどの強い気配を、風の中にいながら、確かに感じ取る事が出来た。
そして――――全ての音を遮断するはずの狂風の中、確かに、それを聞いた。
「―――――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天。
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――――!!」
――――――――何も見えなくなる中…………荒れ狂う風音だけを、聞いてい
た。
(To Be Continued....)
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