「でも――――」
アルクェイドが、微かに眉をひそめて呟いた。
「久しぶりにこんなの着たから、違和感があるなぁ、やっぱり」
食堂の入り口から、琥珀さんが顔を出した。
「志貴さま、お帰りなさいませー。……驚かれたでしょう?」
「ああ。翡翠にも言われたけど、びっくりしたよ」
「あのようなドレスは着る人を選ぶと言うか、着こなすのが難しいです」
不意に、後ろに控えていた翡翠が解説を加えた。
振り返ると、翡翠はドレスの大きく開いた胸元、アルクェイドの大きな胸に
視線を向けていた。
俺に見られていることに気づくと、顔を赤らめて目をそらした。
向き直ると、琥珀さんは翡翠とアルクェイドの胸を交互に見ながら、複雑な
表情でうなずいていた。
琥珀さんがそろそろと右手を上げ、サイズを確かめるような手つきで和服の
上から自分の胸を押さえる。
俺が見ていることに気づくと、ばつが悪そうに笑いながら手を下ろした。
「いやですねぇ志貴さま、見ないでくださいよー」
琥珀さんに明るく叱られたところで、話題を変えることにした。
「ところで、秋葉は?」
「6時頃に戻られる予定ですー。
それまで時間もあることですし、お茶にしませんか?」
「うんうん。いいね、それ」
俺が答える前に、アルクェイドが同意した。
琥珀さんと翡翠もテーブルについて、4人で紅茶を飲む。
翡翠だけは、紅茶を入れたあと壁際に控えていたんだけど、アルクェイドに
引っ張られて座らされていた。
「壮絶な出会いだったんですねー」
アルクェイドと琥珀さんは、さっきからずっと俺とアルクェイドの馴れ初め
……いきなり部屋に押し入ってナイフで17分割に解体して殺してしまうことを
馴れ初め、と呼んでしまってもいいのかどうかわからないが、とにかく初めて
出会ってから現在に至るまでの事情を話し続けている。
その時の痛みを思い出したのか、アルクェイドが顔をしかめる。
琥珀さんは、慰めるようにアルクェイドの肩に手を置く。
翡翠が、非難するような目で俺を睨む。
「え……初めてなのにいきなり3回ですかー?それも全部中で……?」
こらこら。なんの話をしている、なんの。
その時の痛みを思い出したのか、アルクェイドが顔をしかめる。
琥珀さんが、非難するような目で俺を睨む。
翡翠は、両手で自分の肩を抱き締め、怯えた表情で俺を見る。
「志貴さま――――」
翡翠が、唇を震わせながら声を発した。
「志貴さまは、鬼畜だと思います」
「違うんだ。あの時は――――」
「なにが違うとおっしゃるのですか、志貴さま」
「うんうん。わたしも聞きたい」
「説明していただけますー?」
「う…………」
アルクェイドと琥珀さんが興味津々、といった表情で身を乗り出した。
反対に、翡翠は身体をよじって、少しでも俺から距離を取ろうとした。
「それはだな――――
あの時、アルクェイドが、おまえがあんまり可愛いことばかり言うから。
俺をぶっ壊しちまうくらい可愛いことばかり言うから。
つまりその、おまえがあんまり可愛いから。だから――――
あの時はつまり、それで歯止めが効かなくなっただけだ」
「………………」
こっちの言葉の途中で、翡翠が顔を真っ赤にして下を向いた。
「は――――」
琥珀さんが、ぽん、と掌を打ち合わせた。
「なぁんだ、志貴さんもちゃんと言えるじゃないですかー、そういうことを」
「そういうことは、あの時言って欲しかったな」
俯いたアルクェイドが長手袋をはめた左手を伸ばし、俺の肩を小突きながら
そっと言った。
「……怖かったんだよ?」
「その――悪かった。アルクェイド……」
謝ったら、アルクェイドは今度は困ったような表情を浮かべた。
「え?……まぁ、もう済んだことだし、別にいいんだけど」
「ちっともよくありませんよ、アルクェイドさま。志貴さんにはきっちりと!
フォローして頂かなくちゃいけませんよ!」
戸惑い気味のアルクェイドに、妙にエキサイトした琥珀さんが叫んだ。
続く琥珀さんの言葉は、俺にはさっぱり意味不明だったが。
「及ばずながら、私もお手伝いさせて頂きますから!
そのための段取りでしたら、もう出来上がっているんですよー?」
お手伝い?
段取り?
なんのことだろう?
そう思った時――――
応接間の扉が開き、秋葉が入ってきた。
「あ。やっと帰ってきたな、こいつめ」
アルクェイドが愉しそうに秋葉に声をかけた。
琥珀さんと翡翠が、さっと立ち上がった。
琥珀さんは秋葉のカバンを受け取りに行き、翡翠は俺の背後に控える。
ソファに腰掛けているアルクェイドを見て、秋葉は――――
ぎょっと目を剥いて立ち竦んだ。
「げっ――――!」
「なによ、その『げっ』は?」
「……………………」
秋葉は表情を戻すと、無言のまま自分用のソファに腰を下ろした。
「ちょっと、妹。なに黙って座ってるのよ?」
「なんのことかしら、アルクェイドさん?」
アルクェイドの問いに、秋葉はつんと澄まして応じた。
「むかっ。朝、妹に言ったでしょ?
わたしがお姫様だっていう証拠を見せてあげるって。
だから、昔のドレス着てみたわけ」
「いいドレスですわね」
簡潔に、秋葉はドレスだけを褒めた。
つまり、それを着ているアルクェイドは評価の対象外だと宣言したわけだ。
アルクェイドがソファから立ち上がった。
腕組みして、険しい目で秋葉を睨む。
「ちょっと、妹、その言い方はないんじゃない?」
「アルクェイドさん。朝、貴方に申し上げたはずです。
私は遠野志貴の妹ですけど、貴方の妹ではありません。
それから、確かに貴方が今お召しになっているのは素敵なドレスですけど、
残念ながら、そんな物は貴方の身分を証明する証拠とはなり得ません。
ドレスなど、どこからでも持ってこられるんですから」
「ふーん。そう思うんだ、妹は。わかってないねー。よく見たの、妹?
今時こんな凝った造りのドレス、どこで手に入るっていうのよ?」
「そうかしら?
百歩譲って現在では入手が困難だとして――――おおかた、貴方のご先祖が
どこかのお姫様を襲った折にでも、戦利品として頂いてこられたんでしょう。
繰り返しになりますが、そんな物は、身分を証明する証拠にはなりません。
ドレスを着るだけなら、誰にだってできます。
――――そう。例えばアルクェイドさん、貴方にもね」
「お、おい、秋葉……」
思わず割って入ろうとしたが、アルクェイドの手で制された。
アルクェイドは――――なんてこった。不敵に笑っていた。
「そう思うなら、妹、貴方も着てみることね。
確かに、妹の言うように着るだけなら誰にだってできるけど――――
それなりの人じゃないと、着こなすのは難しいわよ?」
アルクェイドは、秋葉の薄い胸を見ながら、からかうように続ける。
「見たところ、妹にはちょっと無理なんじゃないかなーって思うけど?」
秋葉が、アルクェイドに自分のどこを見られているかに気づく。
『妹にはちょっと無理』――――胸がちいさいから。
ぴくり、と秋葉の眉が吊り上がった。
ドレスのデザイン上、かなり胸のある女の子でなければ似合わない。
例えば、アルクェイドのように。
一方、秋葉は、アルクェイドとは対照的に、胸が薄々だ。
秋葉がアルクェイドのドレスなんか着たら、胸元がすかすかに違いない。
実際にドレスを着てみるまでもなく、秋葉にもそれはわかったはずだ。
しかし――――
『妹って、物凄くプライド高くて素直じゃないよね?』
胸の小さな自分に、アルクェイドのドレスは似合わない。
そう認めるなんてことは、アルクェイドに屈するようなことは――――
秋葉のプライドが許さなかったんだろう。
「なにが、無理なんですか?そんな物いくらでも着てあげます。
――――ドレスを貸しなさい、アルクェイドさん」
プライドと意地。
そのせいで、秋葉は、まんまとアルクェイドの兆発に乗せられたわけだ。
「いいわよ」
アルクェイドはあっさりと応じた。
両手を後ろに回してチョーカーを外しながら、琥珀さんに顔を向ける。
「琥珀ー、ちょっと手伝ってくれるー?」
「はい」
琥珀さんはアルクェイドからチョーカーを受け取り、それをそのまま翡翠に
リレーした。
それから、アルクェイドの背後に回りこむ。
ぷちん、ぷちん。
小さな音を立てながら、琥珀さんがドレスの背中の留め金を外して行く。
まだファスナーなんて便利な物が発明される前のドレスなんだろう。
ぷちん、ぷちん、ぷちん。
一体全体、いくつ留め金があるんだろう。
作業はなかなか終わらない。
秋葉はソファに座って、翡翠の入れた紅茶を飲みながら待っている。
背中の留め金を全部外し終えた琥珀さんは、再びアルクェイドの前に回り、
アルクェイドを手伝ってドレスの袖から腕を抜かせる。
右腕。それから、左腕。
ドレスの上半分が引き下ろされ、アルクェイドの上半身が露わになる。
アルクェイドがこの手のドレスを着ていた頃にはまだ、ご婦人がウェストを
コルセットでぎちぎちに締め上げて、なにかあるたびに気絶してみせるなんて
習慣は存在しなかったので、アルクェイドもそういう物は身に着けていない。
肘の上まである長手袋だけで、ブラジャーは着けていなかった。
なだらかな肩のラインと、鎖骨の上のくぼみ。
肘の上まである白い長手袋に包まれた、ほっそりした腕。
大きな乳房に、綺麗なピンクの乳首。
引き締まったお腹に、きゅっとくびれたウェスト。
引き下ろされたドレスぎりぎりのところに、遠慮がちにお臍が覗いている。
綺麗だなー、とか思いながらアルクェイドに見惚れていた俺は、はっと我に
返って視線をそらした。
だが――――
琥珀さんが、翡翠が、そして秋葉までもが、アルクェイドを見ていた。
羨ましそうに、大きな胸を。
ちなみに、秋葉はティーカップを手にしたままだ。
「ちょ、ちょっと兄さん!なにを見ているんですか!」
俺に見られていたことに気づいて顔を赤らめながら、秋葉が叫んだ。
「女性の着替え中ですよ!早く部屋から出てください!」
「えー?志貴に見られるんだったら、わたしは気にしないけど?」
アルクェイドが小首を傾げて応じた。
間髪を入れず、秋葉が叫び返す。
「私は気にします!」
「あー、はいはい」
俺はとりあえず退散することにした。
素早く俺の前に回った翡翠が、扉を開けてくれる。
扉の取っ手を押さえたまま、翡翠が俺を見て口を開く。
「かなり時間がかかるかと思います。
アルクェイドさまと秋葉さまの着替えが済みましたら、お呼びいたします。
それまで、どうか志貴さまはお部屋でお待ちになっていてください」
ドレスの背中の留め金を外すだけでも結構時間がかかったのは確かだけど、
それでも、待てないほどではないだろう。
それに、わざわざ翡翠に呼びにこさせるのも悪いような気がした。
「いや。廊下で待ってるから。終わったら声をかけてくれればいいよ」
「かしこまりました」
そう言って、翡翠はふかぶかと頭を下げた。
扉がぱたんと閉じると、俺は壁に寄りかかってのんびり待つことにした。
30分、経った。
さすがに、女の子の着替えとはいえ、ずいぶん時間がかかるなーと思う。
35分。
まだか?
38分。
遅い。
おまけに、時計の進み方まで遅い。
39分。
遅い。遅い。遅い。遅い。遅い。遅い。遅い。遅い。遅い遅い遅い遅い遅い
遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅
遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅
遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅遅
遅遅遅――――
40分――――
ようやく、応接間の扉が開いた。
恐縮しきった表情で、翡翠が廊下に出てくる。
「お待たせいたしました、志貴さま」
頭を下げようとする翡翠を手で制して、応接間に戻る。
《続く》 |