どうやら、それが朝言っていた荷物なんだろう。
映画では、吸血鬼は故郷の土を入れた棺桶で眠ることになってるけど……
でもアルクェイドの場合、普通にベッドで眠っていたし。
第一、今朝あいつが取りに行くと言っていたのは、あいつがお姫様だという
証拠であって、吸血鬼だという証拠なんかじゃなかった。
だったら、棺桶なんかを担いでくるわけがないよな。
だったら、あのでかくて重そうな箱は、なんだ?
首をひねっているうちに、チャイムが鳴った。
号令がかかると同時に、席を立って教室から抜け出した。
背後で有彦の声が聞こえたような気がしたが、振り向きもしなかった。
「そんな全力疾走してこなくてもいいのに」
裏庭に駆け下りると、アルクェイドが半ば呆れ顔で声をかけてきた。
もちろん、これで普通に歩いて行けば、おっそーい、と怒られたはずだが。
「それより、なんだよ、それは?」
棺桶なんか担いできて、どういうつもりだよ?
思わずそう口から出かかったが、やめた。
棺桶かと思っていたが、よく見たら大きな衣装箱だと気づいたからだ。
「見ての通り、衣装箱だけど?」
「いや。それは見ればわかるけど……中身はなんだってことだ」
アルクェイドは両手を背中に回して、にぱっと笑顔になった。
「あはは。今はナイショにしとくね」
そう言うと、アルクェイドは衣装箱の角に左足の爪先を乗せた。
まるで力を入れた風には見えなかった。
それなのに。
地面に横たえてあった身の丈ほどもある衣装箱が、ぐうっと起き上がる。
ずしん。
地響きとともに、衣装箱が直立した。
アルクェイドは軽々と扱ってみせたが、実際はやはり物凄く重いようだ。
「……かなり重そうだな。スレッジハンマーでも入ってるのか?」
「なにそれ?」
「い、いや。なんでもない」
心底不思議そうな顔をしたアルクェイドに、俺は慌てて手を振った。
アルクェイドに某ヴァンパイアハンターの女の子の話なんかしてどうする。
「それの中身が秘密なら、なんでこんなところに持ってきたんだ?」
「実は、ちょっと志貴に相談があってねー」
「相談?」
「妹のことなんだけど……」
アルクェイドが言葉を切り、顔を俯かせた。
「そのことか……」
やっぱり、こいつなりに悩んでいたんだ。
そう思いながら、相槌を打った。
そのとたん。
アルクェイドは、くくく、と肩を震わせて笑いだした。
俯いたのは、悩んでいたのではなく、笑いをこらえるためだったらしい。
無邪気な笑みを浮かべて、アルクェイドが訊いてくる。
「ねーねー志貴。妹って、物凄くプライド高くて素直じゃないよね?」
「ま、まぁ、ちょっと…そういう風に見える部分がなくもない…かな?」
アルクェイドが呆れたような顔をした。
「…………ちょっと、志貴。貴方そんなに妹が怖いわけ?」
「なに?」
「だって『そういう風に見える部分がなくもないかなー』なんて持って回った
言い方、普通はしないよ」
「う……っ」
「まったく。情けないなー」
「ほっといてくれ。
それより、秋葉がプライド高くて素直じゃなかったら、なんだ?」
「つまりね」
アルクェイドは、にぱっと笑顔に戻って先を続ける。
「妹は、志貴が好きなわけよ。
だけど、志貴はその辺には物凄く鈍感だから気づかない。
だけど、妹の方から言い寄るのは、プライドが邪魔して出来ない。
……ホントは言い寄ってるのに、志貴が気づいてないっていうのはあるかも
しれないけど、それは考えないでおきましょう。
――――とにかく、妹からすれば、志貴は妹の物なのね。
そこへ、わたしが割り込んできた。妹はそう思っているわけ。
だから、わたしのことを泥棒猫呼ばわりしたわけ。
妹も普通の人間じゃないみたいだからねー、同類のわたしを見て、よけいに
敵愾心を抱いたのかもしれないけど」
「ちょっと待てよ。秋葉がおまえと同類って――――」
「あれ?知らなかった?」
思わず話を遮ろうとしたが、アルクェイドに軽くいなされた。
「そういう事情だから、妹がわたしたちのことを認めるはずがないのよ。
まともに行ったらの話だけど」
「じゃ、どうするんだ?」
「簡単だよ。志貴が妹の気持ちに応えてやればいいだけなんだから」
「こらこら」
アルクェイドがまたとんでもないことを言い出したので、慌てて手を上げて
話を止めさせた。
「そんなこと、冗談にもならないぞ。俺と秋葉は兄妹なんだし……」
「うん。だから、最後までしちゃう必要はないよ。
さすがに、それはわたしも嫌だしねー」
「……はぁ?」
アルクェイドがなにを言おうとしているのか、全然わからない。
「わからない?」
「わからない」
鸚鵡返しに答えた。
アルクェイドは、やれやれ、とでも言いたげに肩をすくめる。
「わからない、か。志貴って本当にトウヘンボクだねー」
「わからないからそう言ってるんだ。感心してないで説明してくれ」
アルクェイドが、ゆっくりと真正面から俺の顔を覗き込んだ。
「……呆れてるんだけど」
「つまりね」
気を取り直して、アルクェイドが説明を再開した。
「妹はプライドが高くておまけに素直じゃないから、一度ああ言っちゃったら
もう引っ込みがつかない。
説得なんかしても、ますます依怙地にさせるだけだわ。
そこで、妹を説得するんじゃなくて、妹の方からお願いさせるように仕向け
ないといけないわけ」
「そんなことが出来るのか?相手は秋葉なんだぞ?」
俺の疑問に、アルクェイドは自信たっぷりにうなずいて応じた。
「さっきも言った通り、妹は志貴が好きなのよ。
だから、志貴さえ協力してくれるなら、簡単にけりがつくわ」
「協力するのはいいけど、秋葉に危害を加えるようなことは――――」
「馬鹿ね。そんなことしたら逆効果になるだけじゃない。
危害を加えるどころか、妹が望んでることをしてあげるのよ?」
「望んでることって……」
不意に、今朝の秋葉の反応を思い出した。
「それって、つまり――――」
「やっとわかったみたいだね」
アルクェイドが、あははーと軽く笑いながら、うれしそうに言った。
「そう。わたしと志貴とで、妹を可愛がってあげようってわけ。
妹が素直になるまで、思いっきり焦らしながら、ね」
「…………」
思わず、とても人には言えないような映像が頭に浮かんだ。
つまり、その、ようするに秋葉の痴態だけど。
「あれ?志貴、顔が赤くなってるよ?」
アルクェイドが意地の悪い笑顔になった。
「妹にあんなことやこんなことを…とか考えてない?」
「そそそそそんなことあるわけないだろっ!」
ぶんぶんと首を振って力一杯否定したから、よけい怪しまれたと思う。
「あはは。その顔を見たらバレバレだよ?思いっきり鼻の下が伸びてるし」
「ほっといてくれ。俺は元々こういう顔なの!
それより!それとその箱の中身とは、どう繋がるんだよ?」
とにかく、話題を逸らそうと、いや、戻そうとした。
「まあまあ。家に帰ってからのお楽しみ…ってことにしておこうよ」
にこにこと、あくまでも楽しそうに言うと、アルクェイドは大きな衣装箱に
右手をかけ、ひょいと肩に担ぎ上げた。
「それじゃ、わたしは先に志貴の家に行ってるから。
早く帰ってきてね?」
「あ、ああ。4時過ぎには帰れる…と思う」
「うん。それじゃね」
ばいばい、と小さく手を振って、アルクェイドは黒い大きな衣装箱を肩に、
裏庭から歩き去った。
「さてと――――」
購買でパンでも買おうかな。
でも、今頃行っても、まともなパンはとっくに売り切れているはずだし。
いつもと同じでそれほど食欲があるわけでもないし、我慢するかな?
「お。そんなところにいたのか遠野」
振り返ると、少し離れたところからぶらぶら歩いてくる有彦の姿があった。
右手に、紙袋をふたつ持っている。
「購買にも見当たらなかったから、お前の分も適当に買っといてやったぞ」
「悪い。助かったよ」
「うむ。持つべきものは親友なのだ」
有彦は立ち止まると、左掌を突き出した。
「と、いうわけだから、150円でいいぞ、親友」
がま口から500円玉を摘み出して有彦に渡し、お釣りと紙袋を受け取った。
さっそく紙袋を開けてみる。
いかにも『売れ残りを買いました』という不人気メニューだった。
ちなみに、有彦が紙袋から取り出したのは、お約束通り学校で1、2を争う
人気メニューだった。
つくづく、いいヤツなんだか悪いヤツなんだか、よくわからん。
午後の授業が終わると、すぐにカバンを掴んで席を立った。
アルクェイドの台詞が、その時の表情が頭に引っかかっていた。
『そう。わたしと志貴とで、妹を可愛がってあげようってわけ。
妹が素直になるまで、思いっきり焦らしながら、ね』
トツゼン、ボンデージ衣装のアルクェイドが秋葉を手枷足枷首枷で拘束し、
さらに鎖で天井から吊るしてあんなことやこんなこと…という映像が、ぱっと
脳裏をよぎった。
「待て。それはお姫さまじゃなくて、女王さまだ」
自分にツッコミを入れながら、なにを考えているのかと虚しくなった。
「…………さっさと帰ろ」
首を振り振り呟くと、教室を出た。
長い上り坂を登りきり、家の前に着いた。
今日は、門の前に翡翠の姿は見あたらなかった。
いや、その方がいいんだけど。
翡翠は、今日はロビーで待っていた。
「お帰りなさいませ、志貴さま」
「ただいま」
翡翠が一礼して、俺の手からカバンを受け取る。
「応接間で、アルクェイドさまがお待ちです」
そこまでは、いつもと同じ事務的な口調だった。
そして――――
翡翠が微笑を浮かべて、どこか嬉しそうな口調で付け加える。
「きっと驚かれますよ」
「え……?」
「さ。お早く」
翡翠に急かされて、足早に応接間に向かった。
扉の前で、後ろに控えていた翡翠が、さっと腕を伸ばして扉を開ける。
いつものことだが、いつまで経ってもこれには慣れない。
応接間に足を踏み入れたとたん――――
「待ってたよ、志貴!」
――――え?
声のした方に顔を向けると――――
白い、ふりふりひらひらの物体が、そこにあった。
「………………」
思わず眼鏡を外してレンズを磨いて、ついでに目も擦ってから、おもむろに
眼鏡をかけ直して、視線を戻す。
白い、ふりふりひらひらのドレスを着込んだアルクェイドが、そこにいた。
「…………え?」
「どう?昔のドレスを着てみたんだけど」
純白のドレス――――
肩口の膨らんだ、ひらひらした飾りのある半袖。
腕には、肘の上まである白い長手袋。
大きく抉られた襟元から、大きな胸とその谷間がよく見える。
きゅっとくびれたウェストライン。
なだらかな曲線を描きながら大きく広がるふりふりなスカート。
床に広がったドレスの裾から、ペチコートの裾が覗いている。
喉元にはチョーカー。
それこそ……どこかのお姫さまと間違えそうな格好だ。
「は―――――」
「ねーねー志貴、見て見て、ほらほら」
笑いながら、アルクェイドがスカートの裾を摘んでポーズを取る。
ついでに、爪先でくるりと一回転。
ふりふりのドレスの裾が風を巻いて、ふわりと舞い踊る。
「どう?似合う?似合う?」
「あ、ああ。よく似合ってると思うよ。お姫さまみたいだ……」
「こら。『みたい』ってのはよけいでしょ」
似合う、と言われたのがよほど嬉しかったのか、ツッコミを入れながらも、
アルクェイドはにこにこと上機嫌そうだ。
「でも――――」
《続く》 |