「あの子には、ちょっと刺激が強かったかな?」

 あはは、とか脳天気に笑いながら、アルクェイドが俺から離れた。
 ベッドから滑り降り、さっき脱ぎ散らかした服と下着を拾い上げ始める。

「なんてことしてくれたんだよ!このばかおんな!」
「………………」

 下半身丸出しのみっともない格好のままアルクェイドに食ってかかった。
 だが。
 アルクェイドは、一瞬むっとした顔をしただけだった。
 黙ったままショーツを履き、ブラジャーを着け、ストッキングに脚を通し、
スカートを履いて後ろのジッパーを上げ、タートルネックを引っかぶる。
 最後に靴を履き終えるまでの間、なにも言わなかった。
 そして、服を全部身に着けたところで、腰に両手を置き、ずいっとこっちに
詰め寄ってくる。

「なによ。志貴が悪いんじゃない。いつもいつも自分のことばっかり考えてて
ちっともわたしの気持ちなんか考えてないんだから」
「な……っ!」
「だってそうじゃない。窓から入ってたのは、志貴が前にそうしろって言った
からだよ。正面から出入りするの禁止、誰にもみつからないようにしろって。
 メイドが起こしにくる前に窓から出て行ってたのも、そうだよ。
 全部、志貴がこの家での自分の立場を守る都合じゃない」

 アルクェイドは言葉を切り、間近から俺の目を覗き込んだ。

「約束、忘れたわけじゃないわよね? わたしとずっと一緒にいるって約束」
「あ、ああ」
「だったら、どうして、この家では一緒にいられないわけ?」

 アルクェイドの疑問はもっともだが、しかし……

「ここは確かに俺の家だけど、『俺の』家じゃないんだ。
 ここは遠野家なんだよ。確かに俺は遠野家の長男ってことになってるけど、
遠野家の当主は、俺じゃなくて秋葉なんだよ。だから――――」
「ようするに、妹が認めない限り、ずっとこのままだって言いたいのね?」

 アルクェイドが、凶った眼で俺を見た。

「――――それで?
 志貴は妹にわたしたちのことを認めさせるために、なにをしているの?」
「だから、努力は、してるん、だけど……」
「志貴のことだから、おおかた妹にもいい顔をしようと思って、アルクェイド
なんかとは付き合ってないよー、とか言ってるんでしょ」

 そう言うと、アルクェイドは、はあ、と大きく息をついた。

「……ごめん」

 小声で詫びたとたん、アルクェイドの魔眼が、金色に輝いた。

「志貴?まだ妹は家にいるわよね?」
「そのはずだけど……それがどうしたんだよ?」

 恐る恐る尋ねてみる。
 アルクェイドは、びしっと扉の方を指差した。

「行って、妹にわたしたちのことを認めさせなさい。今すぐ」
「おいおい――――」
「それとも、さっきのメイドが妹にあることないこと報告するまで待つ?」
「うぐっ……」
「わたしはどっちでもいいのよ?
 そのまま志貴をわたしの城に連れて行けば済むことなんだし。
 でも、それだと志貴のことだから、あとになって悩むでしょう?
 さ、志貴。選びなさい。
 妹を説得して、わたしと一緒にここにいるか、それとも、わたしの城に無理矢理連れて行かれるか」

 アルクェイドが、にっこり笑って続ける。

「わたしとしては、無理矢理の方がお勧めなんだけど」
「……………………」

 俺は、のろのろとベッドから下り、部屋の隅に向かって歩き出した。
 秋葉を説得するにしても、ブリュンスタッド…アルクェイドの城に無理矢理
連れて行かれるにしても、その前に、せめてぱんつくらいは履きたかった。


 翡翠が落として行った制服に着替え、部屋を出る。
 その間、アルクェイドは腕組みして窓際に立ったまま、面白そうにこっちを
眺めていた。

 遠野志貴が首尾よく秋葉を説得すればよし、出来なければ実力行使。

 アルクェイドの表情からして、後者の展開を期待しているらしかった。
 もちろん、そうなれば秋葉だって黙ってはいないだろう。
 血の雨が降るようなことにもなりかねない。

 ――――勘弁してくれ。

 そう思いながら、階段を下り、居間に向かった。


 居間に入って行くと、秋葉が朝食後の紅茶を飲んでいた。
 壁際に、まだ真っ赤な顔のままの翡翠が、俯き加減に控えている。
 いつもと同じ優雅な朝の時間……ではないことは、秋葉の吊り上がった眉を
見れば明らかだ。
 
 極力秋葉の感情を逆撫でしないように、さりげない風を装って挨拶する。

「……おはよう。秋葉」
「おはようございます、兄さん」

 秋葉はティーカップを手にしたまま、ちらりと俺を一瞥した。
 そして、思い切り嫌味の利いた台詞を投げてくる。

「朝からお客様があったようですが、紹介はして頂けないんですか?」

 思わず翡翠の方を見ると、申しわけなさそうにこっちを見ていた。

「翡翠の様子がおかしいと思って問い詰めてみたら……
 兄さんが毎朝起きるのが異常に遅かったのは、つまり毎朝そういう破廉恥な
行為をしていたからなんですね」
「ち、違う」
「なにが違うんですか、兄さん」

 秋葉がティーカップを下に置き、じろり、と俺を睨み上げた。

「あれは、アルクェイドが悪ふざけしただけなんだ。
 あんなこと毎日なんてしてるわけがないじゃないか」
「毎朝していようがいまいが、そんなことは関係ありません。
 問題は、兄さんが遠野家の長男である、という事実です。
 遠野家の長男ともあろう者が、恥ずかしげもなく、そんなこと!」

 吐き捨てるように言って、秋葉が立ち上がった。

「――――琥珀!」
「はい」

 ぱたぱたという足音が聞こえ、食堂の入口から琥珀さんが顔を覗かせた。
 俺の姿に気づいて、にっこり笑いながら挨拶してくる。

「あ。志貴さん、おはようござ―――」
「登校します。車を」

 琥珀さんの挨拶を、秋葉は苛立たしげな表情で遮った。

「はい」

 素直に応じた琥珀さんは、もういちど俺に顔を向けた。

「志貴さんの朝食の仕度もできています。召しあがっていてくださいねー」
「兄さんの朝食の他に、猫缶があればそれも出しておけばよかったかしら。
 私に内緒で部屋に泥棒猫を飼っているみたいだから」

 憎まれ口を叩きながら、秋葉が俺の脇を通り抜けた。
 困ったような笑顔を浮かべて俺に会釈しながら、琥珀さんが秋葉のカバンを
手にあとに続く。

 居間の出口で、秋葉がぴたりと足を止め、不意にこちらを振り返った。
 追突しそうになった琥珀さんが、慌てて横に避ける。

「ひとつ言い忘れました。
 兄さん、今後、泥棒猫とのお付き合いは禁止とします。
 これは、遠野家の当主としての命令です。
 仮にも遠野家の長男を名乗る以上、少しは身を慎んでもらわないと。
 泥棒猫と遊ぶ暇があるなら、その分勉学に励んでください。
 ――――――いいですね」
「ちょっと待ちなさいよ、妹」

 不意に、窓からアルクェイドの声が響いた。

「誰が、泥棒猫ですって?」

 険しい表情のアルクェイドが、ひらりと窓を飛び越えて入ってきた。
 秋葉は動じることなく、冷ややかな表情で言い返す。

「貴方のことです。それから、貴方に妹呼ばわりされる理由はありません。
 私は遠野志貴の妹ですけど、貴方とはなんの関係もない赤の他人です。
 この先、なにがどうなろうと貴方とは肉親関係になんかなりはしないんです
から」
「えー?わたしと志貴が結婚した場合、妹はわたしの妹になるよ?」

 アルクェイドが、しれっとした表情で言った。
 秋葉は一瞬目を点にし、それから、激怒した。

「な――――なにを馬鹿なことを!
 遠野志貴は、遠野家の長男です。それを、貴方のような、どこの馬の骨とも
知れない吸血鬼風情に身柄を預けることなどできません!」
「むかっ。わたしは馬の骨なんかじゃないわよ。
 こう見えても、れっきとした真祖のお姫様よ、わたし」

 アルクェイドが、むっとした表情で言い返した。
 それに対し、秋葉が凄い剣幕で畳みかける。

「どこの世界に毎朝泥棒みたいに窓からこそこそ他人の家に忍び込むお姫様が
いるものですか!」
「ここにいるよ?」

 はぁはぁ肩で息をしている秋葉に、アルクェイドは至極あっさりと答えた。
 秋葉は再び目を点にしたが、呆れて言葉が出てこないようだ。
 アルクェイドは、自信たっぷりにうなずいてみせた。

「いいわよ。妹が信じられないって言うんなら、証拠を見せてあげる」
「証拠?……なんのです?」
「わたしがお姫様だっていう証拠に決まってるじゃない」

 そしてアルクェイドは、にやりと笑って先を続ける。

「わたしと妹のどっちが志貴にふさわしいか、はっきりさせようじゃない」
「な…………っ!」

 言われて、秋葉はぎょっとしたように目を見開いた。

「わかってるのよ?妹が志貴を狙っていることは。
 だから、わたしのことを泥棒猫呼ばわりするのよね」
「え……?」

 今度は、俺が目を点にする番だった。
 秋葉が?俺を?狙ってる?
 ……って、つまり、それは、えーと。

「おい、アルクェイド…………」

 悪い冗談はよせ、そう言おうとして、気がついた。
 秋葉の顔が、みるみるうちに朱に染まって行く。
 照れてる?
 秋葉が?
 おいおい、本当なのか?
 俺と秋葉は兄妹なのに?

「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」

 トツゼン、居間全体に気まずい沈黙が下りた。

「………………あのー、秋葉さまー?」

 琥珀さんの一言で、ようやく凍りついた空気が溶けた。

「お話中に済みませんが、このままでは遅刻ですよー?」
「…………!」

 反射的に時計を見た秋葉は、無言のまま身を翻して居間から出て行った。
 カバンを抱えた琥珀さんが、笑顔で俺に会釈しつつあとに続く。

「志貴さまもです。時間的に、今すぐ出られませんと」

 横手から、翡翠が言い添えた。

「あ、ああ。すぐ行くよ」
「そっか。妹も志貴も学校に行くんだよね」

 アルクェイドはうなずくと、ぽん、と掌を打った。

「だったら、話の続きは夕方志貴と妹が帰ってからだね。
 それじゃ志貴。わたし、これからちょっと城に帰って荷物を取ってくるね」

 言い置いて、アルクェイドは身軽に窓から飛び出して行った。

 証拠って、一体なにを持ってくる気なんだろう。
 気にはなったが、急がないと遅刻してしまう。

「翡翠、急ぐから今朝は見送りはいいよ。行ってくる!」

 翡翠の差し出すカバンを受け取るが早いが、玄関へと駈け出した。


 本鈴が鳴り終わる直前に、教室に滑り込んだ。
 ぜいぜい喘ぎながら、倒れこむようにして席に着く。

「ぜえはぁ……ま、間に合っ…た……」

 普段から、時間ギリギリに家を出て駆け足で通学することが多かった。
 そうした日頃の鍛錬のおかげで、かろうじて遅刻を免れた。
 ひと安心したところで、やっぱり今朝の問題に頭が行く。

 ちょっと城に帰って荷物を取ってくるね。

 アルクェイドは、そう言っていた。
 城というのがどこにあるのかよく知らないが、吸血鬼の故郷といえば、確か
ヨーロッパのどこかだったように思う。
 ルーマニアとかそっちの方だよな。
 そうそう。
 トランシルヴァニア地方だかどこだか。

 ちょっと行って、夕方までに戻れるようなところなんだろうか?
 ……子供の頃聞いた吸血鬼ネタの話では、吸血鬼は霧に姿を変えることで、
あっという間にどこにでも行けるとか言っていたけど。
 でもアルクェイドって、あらゆる意味で吸血鬼の規格から外れたヤツだし。
 なにしろ、昼間っから平気な顔で出歩く非常識な吸血鬼なわけで……

 そこまで考えた時、先生が教壇に立った。

 まあいいや。
 夕方になってから考えよう。
 家に帰れば、間違いなく修羅場になるのはわかっているんだから。

 せめて学校だけでも、心安らかに過ごしたかった。


 あと5分で昼休み、という時、視界の隅を白い物がよぎった。
 窓の外――裏庭だ。

「……アルクェイド……」

 窓越しに裏庭を見下ろすと、こっちを見上げて、やっほー、と脳天気に手を
振るアルクェイドの姿があった。

 ――――って、ちょっと待て…!

 あいつは城に帰ったんじゃないのか?
 城って、ヨーロッパのどこかじゃないのか?
 まさか、もう帰ってきたって言うのか?

 見るとアルクェイドの足元に、身の丈ほどもある大きな黒い箱のような物が
置いてある。
 例えて言うなら、そう、ちょうど棺桶ほどの大きさの、箱が。

                                          《続く》