(6) 秋葉はゆっくりと顔を上げた。 視界に一番に入ってきたのは、二人の体液──秋葉の赤と志貴の白、そしてそれらが混ざった斑のピンクで汚れた志貴の陰茎。 それは、つい先程まで彼女を犯していた凶器だ。 秋葉自身は、それに抑えがたい感情を持つかと思ったが、目の前に示された「事実」には、意外なことに何の感慨も呼び起こされなかった。 それを無感情に眺めると、そのままさらに視線を上へ、顔へと吸い寄せられるように目は自然に動く。彼の顔に向けて。 そして、目が合った。 「口でしてくれると嬉しいんだけどな」 まるで「お茶のお代わりをお願いできるかな?」という気安さでそんなことを言う。その笑顔は怒りを必死に堪えていた秋葉の毒気を抜いてしまう。 「……」 さしもの秋葉も一瞬頭が真っ白になってしまった。 彼女が予測したのは、始めた時の凶暴な態度か、一時の熱情が醒め、自分のしたことを詫びる下手の態度の二つ。 しかし、実際はそのどちらでもなかった。 いつもと変らない志貴の顔、そして語調。 ふと、秋葉は自分が白昼夢でも見ていたのかと思ってしまう。 身動きができない自分の体と、下腹部に未だに残る鈍痛。そして、目の前にある血と精液で汚れた彼自身が無ければ……の話だが。 「何言っているの? そんなの嫌に決まっているでしょう!?」 横合いからかかるのは少し怒ったようなアルクェイドの言葉。 やはり、今の時間は、先程と同じ流れにある。そんな当然のことを疑ってしまうほど志貴の態度は自然過ぎた。 「おまえはやってくれないものな」 「それは、口にいれるもんじゃないでしょ?」 何も答えられない秋葉をよそに二人は会話を続けている。訳が分からない志貴に比べれば、まだアルクェイドの言っていることはわかった。彼女は倫理的に口淫が嫌というのではなく、単に生理的に嫌というようだ。 「おまえはしてくれなくても秋葉はやってくれるかな……って思ってな」 「はぁ……。あのね、志貴」 「何だ?」 「あなたね、妹の性格知っているんでしょう? どう見てもわたしより潔癖な妹が──」 「やればいいんでしょ?」 低く呟いた秋葉の言葉に、何かを言いかけていたアルクェイドは固まってしまう。一拍置いて、くいっと振り向いた彼女は「唖然」を絵に描いたような顔をしていた。 秋葉はこの吸血姫を意図的に避けていたため、彼女の顔をよく見るのは今日が初めてともいえた。 最強を誇る魔王は感情をストレートにその面に表している。まるで百面相だ。少なくとも、秋葉は志貴よりはこの白い女の方が何を考えているかわかりやすい。 「ちょっと、ちょっと。もしかして自棄になっているんでしょ? わかってるの? アレを舐めるんだよ」 まるで、自分が命じられているかのように嫌そうな顔をするアルクェイド。 たしかに彼女の言い分はよくわかる。男性器をまともに見るのは今日が初めての秋葉だ。しかも体液で汚れているとくれば、正直言って秋葉もそれを口に含むのは抵抗があった。 だが、秋葉その嫌悪感よりも、目の前にいる男が「誰」なのかを見極める方が重要だと思う。 幸い、今の彼はいつもの志貴だ。興奮で獣じみた顔をしているわけではない。彼の言葉は理性に基づく言葉。ならば、従うのも一計だ。 「志貴やめて、お願いだから。それは、ちょっと酷だよ。いつも言っているでしょ。優しくしてって。そうしないと女の子は──」 「だけど、秋葉良いって言っているんだぜ」 「ええ、構いません」 罪の意識からなのか自分自身の嫌悪感かはわからないが、同性として自分を庇おうとしているアルクェイドを秋葉は制する。 そして、彼女にだけ聞こえるよう小声で呟いた。 「──毒喰らわば皿までよ」 目を瞬かせているアルクェイドに、口の端をわずかに歪めて笑って見せた。 そう、それは彼に犯されてしまった時に見せた笑顔であることを秋葉自身は知る由もない。 (そうよ。このままで終わったら、ただの犯られ損じゃない。納得できる結果を掴まないと──あの二人になってしまう) ちらりと目だけを動かして、固まっている赤毛の姉妹を見つめた。わけもわからず強姦され続けたものと、それをただ見るしかなかったことにより壊れてしまった二人。 ここで終わっては、自分もあの二人の仲間入りだ。 (そんなのは──ごめんよ。そのためなら、何だってやってやろうじゃない!) 彼が、それでも八年前の七夜志貴だと言うなら許そう。喩え強姦であろうとも、相手が「彼」ならば。だが、この胸にわだかまる違和感が現実のものであれば──。 そう考えている自分がどんな顔をしていたのか、秋葉にはわかるはずがない。 だが、端で見ているアルクェイドの顔を見れば、ある程度予想はできた。彼女の顔を見ているアルクェイドの表情は紙のように白くなっていたのだ。 彼女は、何かに怯えるように慌てて叫んだ。 「しっ、志貴!! マズイよ。本当にマズイよ。妹は……すごく怒っている!?」 「何がマズイって言うんだ? なぁ、秋葉」 さっきから同じようなこと言い続けるアルクェイドを不思議そうな顔をしつつ見やり、志貴は転がっていた秋葉を起き上がらせる。相変わらず足首は縛られているので、秋葉は正座を崩したような状態で床に座ることとなるわけだ。 秋葉の目と鼻の先に彼は立った。舐めやすいようにとの配慮だろう。 少しでも顔を背ければ、すぐに自分たちの体液がついた「それ」が肌に付きそうな距離。文字通り、目に映るのは「それ」ばかりとなると、そのグロテスクな形も、鼻につく体液の臭いも「そういうものか」と思えてくる。 それは、彼女の中の何かが崩れていっていることの証明か? だからだろう──。 「アルクェイドは駄目らしいけど、おまえは愛してくれるか?」 という彼の言葉に、「愛して」というその言葉に思わず笑いがこみ上げてきてしまう。奥歯を噛み締めて、無表情を維持した。 (駄目なわけよね。愛していたら、夢見ていたら、とてもじゃないけど「これ」を好きな人の一部と納得するのは難しいわね) 視界の端に映るアルクェイドの顔を眺めつつ、彼女と自分の違いを考える。 (それじゃ、私は──?) 考えつつ、口では思考と微妙に違う言葉を紡ぐ。 「これを含めばいいわけですね」 「ああ。やってくれるか?」 返事をする代わりに、薄紅の舌が彼の亀頭を軽く舐めた。舌が動いた部分の汚れが志貴自身から除かれ、秋葉の舌先へと移動する。妙な臭いがするそれを、秋葉は吐き捨てずに自分の口中に納め、こくりと喉を鳴らすと涼やかな顔で言った。 「これで、よろしいのですね」 舌に走った苦みとわずかに心に残る嫌悪感に、無意識に少しばかり眉を顰めたものの、堂々とした態度である。 (平気、みたい……。平気だけど──) どうにも心が冷え冷えとしてくる。 俯いて、考え込んでいると、見下ろしている男が声をかけてきた。 「うん。その調子で頼む」 志貴の答えに、秋葉は再び口を開くと楚々とした舌の動きで彼の陰部に付いた体液の残滓を拭き取っていく。ゆっくり、ゆっくり、丹念に。 (何をしているんだろう? 私は) 舌だけを動かしていると、胸がむかむかとしてきた。 そのいらつきを、隠すように「作業」に没頭する。 その姿は、奉仕とも見えなくもないが、第三者がそう呼ぶには違和感がある口淫だろう。 愛情の裏返しの照れも、屈辱に耐える怒りも、絶望による虚無も、何より性欲による恍惚感もまるでなかった。 そのスマートな舌の動きは、彼女が舐めているものを陰茎であることを忘れさせる。下品さも卑猥もまるでないのだ。これを見た者は奇妙さばかりが頭にこびりついて少しも興奮しないだろう。 その奇妙さによくないものを感じたのか、秋葉たちに近づいたアルクェイドは猫のように全身のうぶ毛を逆立てながら早口で捲くし立てた。 「し、しきっ。おかしいって。これ、絶対変!! 早くあやまった方がいいって。今なら、まだ間に合うかもしれないから!!」 慌てる彼女を視線の中に納めながらも、秋葉は無表情のまま志貴の茎の部分から亀頭の方へ向けて、舌を動かしている。 アルクェイドの言葉に対し、秋葉はわざわざ念入りに「作業」をした。半ば嫌がらせかもしれない。 見る間に体液の汚れを綺麗に舌で拭い取り終えた。彼女の唾液で志貴の陰部はてらてらと光る。その最先端部、亀頭の先から彼女の唾液ではない透明な液体が溢れぷっくりと珠になっている。 一瞬、秋葉は難しい顔をしたものの、舌の先端でちろりと掬い取った。 (まるで、売女ね) 自分の姿を客観的に想像して、彼女は口の端を僅かに歪める。 それでも、秋葉の口淫はたどたどしくも一生懸命奉仕しているように見えるだろう。少なくともそれを受けてる者にとっては。 注意深く秋葉の様子を見れば、彼女が先程から必要なこと以外まるで喋らないということと、その視線が鷹のように鋭いことがわかる。アルクェイドが怯える原因はそれだ。黙って言うことを聞いてはいるが、それゆえに不気味さを感じてしまうようだ。 もっとも、それは注意深く見れば……の話だ。 柔らかで温かな秋葉の舌の動きに酔っている志貴にそんな注意力は当然無い。だから、彼はアルクェイドに冗談めかしていう。 「何でだ? あ、もしかしてお前もやきもちを覚えたのか?」 「あ、あのねー!! 何でわかんないのよー! もうっ!!」 呆れるように笑う志貴にアルクェイドは自分の不安を説明しようにも、ぺちゃぺちゃと音を立てながら「彼」を清めている秋葉の姿を見ると困ってしまう。 仁王立ちになっている志貴の鋭敏な部分を、跪いて舌だけで愛撫している姿を見て、変ということを感じろというのは無理な相談だ。少なくとも奉仕を受けている本人には。 アルクェイドは両手を組んで唸っている。彼女に取っては、そのあまりに不可解な行動は疑問であり恐怖であるようだ。 困り切っていた彼女は、快楽に耽っている志貴をあきらめ、秋葉に直接意見した。 「いいんだよ、妹。嫌ならやめても。琥珀と翡翠もすぐに解放してあげるから」 半ば恐慌状態になりながら、アルクェイドはそんなことを口走る。 「嫌なら? ……そうね。兄さん、これで終りにしてくれますか?」 志貴自身から舌を放すと、秋葉は静かな声でそう問うた。自分では意識したつもりはないが、胸の奥のかすかな期待が視線を和らがせたようだ。彼女を凝視していたアルクェイドは、それを敏感に読み取りほっと胸を撫で下ろしている。 それは、もしかすると、最後の機会だったのかもしれない。 淡緑と朱の二対の視線が、彼の口元に集中する。 彼の答えは──。
(To Be Continued....) |