3)
アルクェイドは声の主をまじまじと見つめた。
彼が何を言いたいのかよくわからない。
彼女は志貴の言った言葉を反芻し、首を傾げつつ思いついた答えを呟く。
「……つまり、やるわけ?」
「このままだと、秋葉に誤解をされたままになるだろう?」
秋葉の尻をじっと見つめている志貴の答えは、アルクェイドの問いとずれたものだった。単に独り言を呟いただけなのかもしれない。
よくわからない答えにアルクェイドはさらに頭を捻りつつ、眼下で真っ青な顔をしている秋葉を見下ろした。
「まあ、いいけどね。わたしは」
「どういう神経しているんですか、あなたはっ!?」
「えっ? えっ!? わたし、何か変なことゆった?」
ついさっきまで、倒れるのではないか? と思うほど焦燥した少女がアルクェイドの何気ない一言に、態度を豹変し烈火の如く怒りはじめた。もちろん、アルクェイドとしてはわけがわからない。ただ当惑するだけだ。
「あなた、兄さんに懸想しているんでしょう? なのに、なんで兄さんの浮気を許すのですかっ!?」
「浮気って……それはつがいの場合起きるんでしょう?」
「……違うんですか?」
今日は頭を捻りまくりのアルクェイドに、問われる秋葉もつられたように頭を捻る。
「だって、志貴がわたしと遊んでくれるのは、わたしを殺した責任を取るためでしょう?」
しれっと語った彼女だが、秋葉にしてみればその根底にあるものは薄ら寒い。
「あなた、兄さんと付合っているのでしょう?」
「うん。付合ってもらっているよ」
「『もらっている』……。そ、その、あなた兄さんを好きなんでしょう?」
「好きか嫌いかって言えば好きだね。ただ、志貴以外は人間も人間以外も友達がいないから、妹の感覚とはちょっと違うかもしれないけど」
違いすぎである。
孤独な少女が自分を構ってくれるから──それも構わなければならない弱みを握った上で──相手に好意を持つというのは、恋愛はおろか友情としても小学生レベルだ。
だから、秋葉は訝しげな表情で疑問を口にする。
「兄さんを……愛されてないのですか?」
「うーん。どうなのかなぁ? 最初は気にならなかったんだけど。最近、恋愛映画とか恋愛小説を読むと、わたしたちとずいぶん違うなーって思うのよね」
「馬鹿だな、アルクェイド。事実とフィクションは違うんだよ」
「それはわかっているけど。なんていうかな、恋愛ドラマの主人公みたくドキドキしたり、蕩けそうになる感覚っていうのにも憧れているんだけどな」
それは、秋葉が志貴に抱いた違和感とも同じだった。
八年間、恋し続けた彼が戻ってくる。彼と一緒に暮らすというだけで、どれだけ自分は幸せな気持ちになれるだろうか……と、当初は考えていたものだ。
だが、いざ志貴が帰ってみれば秋葉はかえって寂寥感を覚えてしまった。彼はあまりにも素っ気無さ過ぎたのだ。八年前に、本当の家族になりたいと言ってくれた、あの少年であるはずなのに、家族らしい会話などほとんどない。
ただ、幸か不幸か志貴は遠野家に戻ってきて間もなくアルクェイドとできてしまっていた。だから、秋葉はその違和感と自分への素っ気無さを全てアルクェイドのせいにすることができたのだ。
だが、どうやら、そのアルクェイドも志貴に愛し愛されているわけではないらしい。そうなると──。
「おいおい、お話と現実を混同するなよ。そういうお前だって、恋愛ドラマのヒロインみたいに嫉妬したりしないだろう?」
「あはははは。だって、わたしは志貴を自分のものって思えないんだよ。自分のものじゃなければ独占欲なんて起きないでしょう?」
笑うアルクェイドの顔はどこか淋しげだ。納得はしているが、満足はしてないらしい。逆に納得も満足している男は彼女は言う。
「それは良いことなんだよ、アルクェイド。やきもちを焼いても誰も幸せにならないからな」
「それはそうなんだろうけどね」
つい最近感情ができたばかりのアルクェイドは昔の癖からか理に弱い。感情ではどこか不満があるようだがそれでも納得してしまう。
「だから、俺と秋葉が愛し合ってもお前は文句を言わないよな。言い出したのはお前だし」
「『アレ』が愛し合うっていうのはちょっと疑問なのよね。辞書に載っている意味とどうも違うようだし」
ぶつぶつと言っているアルクェイドはどうにもズレている。だが、志貴はそのズレを放ったままにしてズボンのジッパーを下ろした。露わになった彼自身を数回しごくと今度は秋葉に向かって声をかける。
「そういうわけだ。秋葉もいいよな」
まるで、弁当の卵焼きを一つくれとでも言うような気安さで彼は言う。
「ほ、本気ですかっ!?」
引きつった声で秋葉は聞き返す。彼女からは志貴はまるで見えない。それでもジッパーの音や気配で何が起きようとしているのかはわかる。とてもじゃないが、志貴の言葉は正気とは思えない。
言うまでもなく、拘束された美少女をいつでも犯せるという立場にいて、正気を保てる男の方が圧倒的に少ない。それに、志貴は殺人に関しては幼少期の「先生」の薫陶を受けているため、異常なほどのモラリストだが、セックスにまでそれが当てはまるわけでもない。
いや、彼にとって最大の快楽のである殺人衝動を抑えている反動なのか、その性欲は同年代の少年と比べても段違いに強いのだ。人間とは比較にならない耐久力を持つアルクェイドの足腰を立たなくなるほど貪り尽くす。
静かに興奮している志貴。それはアルクェイドは見慣れたもので気にならない。気になるのは怯えている秋葉のようだ。
「あれ? 妹は志貴とやりたいんじゃなかったの?」
「……な、なにを!」
「だって、そうでしょう? 妹がわたしを目の仇にしているのは、志貴とやっているからじゃない」
「そ、それは……そう、ですけど」
「ああ、そうか。おまえがいつも怒っていたのは、それが原因だったのか。それなら最初から言ってくれれば良かったのに」
彼は秋葉が実の妹ではないことを知っている。
目の前にいる少女は彼を「兄さん」と呼んでいたが、志貴は秋葉の万分の一も兄妹という役割に思い入れはない。
彼にとっては秋葉は、妹というよりただの少女であった。
ただの少女、それも自分に好意を持っている少女に対し、葛藤を持つ方がおかしい。
「……兄さん!」
秋葉は叫んでしまった。
志貴には知る由もないが、秋葉にとって「兄さん」は神聖なものである。
彼女自身が望んで「兄さん」と呼んだ存在。それが志貴であった。
「兄さん」は何があろうと自分を裏切らない。自分の嫌がることなど一切しないという絶対の信頼の具現化。孤独な秋葉が唯一縋った希望と、願望に志貴という姿をはめ込んだのである。
それは、一種の妄想であった。
当然、志貴はそんな期待に応える義務はない。そして応えなかった。少女の想いにまるで気づかなかったからだ。
ただ、それだけのことである。
それだけのことが秋葉には耐えられなかった。
八年間の孤独を耐えられたのは「兄さん」という希望があったからである。その希望が崩れてしまったら、彼女はこれから何を頼りに生きていけば良いのだろう?
「ど、どうしたの、妹? そんな顔して」
真っ青を越えて紙のように白くなっている秋葉の顔を見て、アルクェイドは驚いたような声をあげる。
その表情の意味を、秋葉の内心の動揺など、事情を知らないアルクェイドにわかるはずもない。
だから、彼女は誰でもするように、秋葉の緊張を自分に置き換えて考えてみた。
「仕方ないか。こういう時の志貴って怖いもの。好きとか嫌いとか以前の問題よね。ほら、志貴! わたしがいつも言っていることが正しいってわかるでしょう?」
「なんだよ。まだやってもないのに勝手にそこまで話を持って行くなよ。だいたい、秋葉はさっきから俺の顔を見れないんだぜ」
「見なくても雰囲気でわかるって。今でさえ、こんなに怖がっているんだから、最中の歯止めが効かない志貴を見たら、妹に嫌われちゃうよ」
「そんなの、やってみなければわかんないだろ?」
志貴にとってはアルクェイドの言動はいちゃもんに見えるのだろう。
彼が彼女を最初に抱いた時も、けっこう嫌がっていたが今でも付合いは続いている。秋葉もそれと同じになると考えるの無理はない。
「別にやるなとは言ってないよ。ただ、もうちょっとリラックスしてからが良いんじゃないかって思うだけだよ。志貴はわかんないかもしれないけど、わたしだって、すっごく怖かったんだからね!」
「それでも何も不都合はなかっただろう? 結果から言えば」
「うー、それって優しくない! 志貴はもう少し優しくした方が良いんだよ」
「……あのな、それはおまえの意見だ。この場合大事なのは秋葉の意見だろう?」
「たしかに、それはそうだろうけど……でも、どう見ても妹は嫌そうじゃない」
「そうか? 俺はそうは見えないけどな」
「わたしには、そう見えるの!」
「なら、秋葉に直接聞いてみればいいだろう?」
志貴の言葉に「うん」と頷くアルクェイド。彼女もこのままいくら意見を戦わせても平行線を辿るだけであることがわかったようだ。
朱と淡青の二対の目が秋葉に注がれる。しかし、秋葉は顔を床に伏せたまま黙っていた。
「あれ?」
何を思ったのか、いきなり呟いたのはアルクェイド。秋葉を見ていた視線を外し志貴の顔、いや、その瞳を凝視する。
「どうした、アルクェイド?」
「う、ううん。なんでも……ない」
志貴の瞳を見ていたアルクェイドは、なぜかそれまでの威勢を綺麗に削ぎ落とされていた。それどころか、何かに怯えているようにも見える。
急に元気を無くしたアルクェイドを、志貴は一瞬だけ不思議そうに見ていたが、すぐに興味を無くしたのか秋葉の方を向いて言った。
この位置からでは、彼も秋葉も互いの顔を見ることはできないのだが。
「いいよな。秋葉」
問いに対して、秋葉は静寂で答えた。
その無言を彼は了解と見たのだろう。脇にいるアルクェイドに指示を出す。
「アルクェイド、準備を頼む」
「う、うん」
志貴の声にびくりと震えたアルクェイドは何の反論もせずに彼の言葉に従う。野良猫は借りてきた猫のような顔をしながら、うつぶせで腰だけを上げている秋葉の上に覆い被さった。
膝立ちになって、秋葉の体に手を這わせる。
まずは、秋葉のブラを上にずらし、ゆっくりと揉みはじめた。そこがアルクェイドが気持ち良いと思う場所なのだろう。
「どう?」
秋葉の耳元でそう問うものの、彼女は目を瞑ったまま何も答えない。それでも、自分が気持ちよいから相手も気持ちよかろうと思う、素朴な思考でアルクェイドは指を動かす。繊細な指の動きが時に柔らかく、時に強く秋葉の薄い胸を刺激する。
それが十分以上続いたであろうか?
「そろそろ、いいかな?」
女の白く華奢な手が秋葉の下腹部を弄る。だが、指先は期待してほどの湿り気を感じなかった。
「あれ? 胸はあんまり好きじゃないんだ」
ちょっとびっくりしたような顔をするアルクェイド。
彼女の愛撫により、秋葉の胸は張り、乳首がピンと上を向いている。反応はしているはずなのだが。
アルクェイドは「おかしいなぁ。なんでだろ?」と悩んでいた。
通り一片の書物から得た性知識しが無く、おまけに同性の友達もいない彼女は、当然のことながら性感帯に個人差があることを知らない。
それでも、ろくに濡らさずに入れられたら痛いということは自分の経験からよく知っている。親切心からであろう、彼女は優しく秋葉に尋ねた。
「ねえ、どこがいいの?」
問われた秋葉は、ぷいっとそっぽを向いて無言で反抗の意志を示している。
アルクェイドの言葉が、自分への善意であることは秋葉も気づいていた。しかし、元からアルクェイドに隔意を持つ秋葉としては素直に彼女の情を受ける気はないようだ。
「ちゃんと準備できてないと、後がつらいんだけどなぁ」
困ったようにぶつぶつ言っているアルクェイドの脇から、秋葉に近寄った志貴は無言でその下腹部に触れる。
「!?」
先程までとは明らかに違う指とその無骨な動きに、秋葉は思わず声をあげてしまいそうになるがすんでで堪えた。その様子は密着しているアルクェイドにはわかるものの、後ろ姿しか見えない志貴はまるで気づいてないようだ。
そのためか、秋葉の態度をますます硬化させる台詞を吐いてしまう。
「もう、いいんじゃないか?」
「えーっ? こんなんじゃ痛いよ。もっとちゃんと準備してあげないと……男の志貴にはわかんないだろうけど」
半ば志貴を責めるようにアルクェイドはそう言うが、目の前の秋葉を早く抱きたい彼は全く気にならないようだ。
「最初は痛いんだろ?」
「──それは、そうだけど。でも、志貴。あんまりがっつくのはよくないよ。最初のとき、わたしのこと全然考えてなかったでしょ。ああゆうのって悲しいんだよ、結構」
「それ、本当?」
ふいに今まで一言も喋らなかった秋葉がアルクェイドの顔を見上げ、問うてきた。彼女は秋葉の突然の反応に驚きつつも素直に答えた。
「うん。『痛い』『まだだめ』って言ったのに、志貴ったら『うるさいっ』て無理矢理入れてきたんだよ」
アルクェイドの目を見つめていた秋葉にはその言葉に嘘がないことがわかる。そして、一言ぼそりと言った。吐き捨てるように。
「兄さんって──最低」
(To Be Continued....)
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