街に入っても人影はまばらだった。シエルがこの街にいた一月前の風景とそれほど変らない。 どん。 考えに夢中になっていると、ふいに角から現れた人影にぶつかってしまう。 「あ、ごめんなさいです」 そう言って、頭を下げた後、相手の顔を見ると──。 「と、遠野くん?」 今まさに考えていた当人の顔があった。だが、変だ。変すぎる。 「ま、待ってください。遠野くん!」 追いすがろうとするシエルと志貴の間に突然影が割って入った。 「何をするつもりかな? 先輩?」 赤い目をぎらつかせながら睨んでいる少女に、シエルは見覚えがあった。ツインテールの髪型をしたどこか幼い雰囲気を持った少女は、たしか志貴のクラスメイト。その名は──。 「弓塚さん……何で?」 くすくすと微笑みながら弓塚さつきは答える。そして、ぼうっと突っ立ている志貴の腕に抱き着き甘えて見せた。 「えへへ。今は遠野くんと身も心も一つなの。そうだ、先輩、その服キリスト教の神父さんだか牧師さんの服でしょ? ちょうどよかった。わたしたちに祝福を与えてくれませんか?」 笑顔のまま弓塚はそんなことを言う。その目つきからして、こちらが何者であるかを知った上での挑発のようだ。 「……何で、あなたが吸血鬼に……」 シエルとしてもわけがわからない。もし、彼女が吸血鬼の犠牲になったとしても、自力で行動できるようになるには長い時間がかかるはずだった。それも、運が良いものという限定がつく。 「まさか、あなた遠野くんを……」 笑顔に毒が混じる。口は笑っているが、目は笑っていない。余裕たっぷりの眼差しでシエルを見据えている。 「猟奇事件の犯人はあなたですか!?」 シエルは右腕を振り上げる。いつのまに手にしていたのか三本の長剣が彼女の手から撃ち出され、弓塚の元へと迫った。 「……くっ」 ナイフを右手に弓塚を守るように立つ志貴の姿にシエルは思わず呻く。 「ありがとう、遠野くん。また助けてもらっちゃった」 その死人の首筋に弓塚は嬉しそうに抱き着く。 「何をふざけたことを言っているんです!?
あなたが遠野くんのことを操っているだけでしょう!!」 死んだ顔をしている下僕の唇に主は軽く口付けをした。まるでシエルに見せつけるように。 「情けないとは思わないのですか! 自分の下僕を自分を好きなように操って満足なのですか! そんなの……ただの自慰ですよっ!?」 怒りと不快感をシエルは目の前の敵に叩きつけた。 「なんでかな?
先輩だってわたしの立場になればわかるよ。こんな体になって……一人ぼっちで辛くて苦しくても、遠野くんがいれば幸せなの。あはは、わからないかな?」 あやつられていたとはいえ、八年前の自分の為した悪行、狂気の記憶を噛み締めながらシエルはそう吐き捨てた。 「ふぅん、そうなんだ。でも、わたしは幸せだよ。今までわたしのことを振り向いてもくれなかった遠野くんが、わたしのことだけを見てくれるのだもの」 諭すような口調で弓塚は話す。 「ねえ、先輩。どんな鈍感な人でも何年も自分を見ていれば嫌でも気づくよね」 あははっと、まるで昨日見たテレビ番組の話をするように、気さくに笑いながら弓塚は語り続ける。 「最後に会った時ね。わたし、遠野くんと約束したんだ。『ピンチの時は助けてね』って。それで、その約束通りわたしが本当に苦しくて泣きそうな時、遠野くんは、わたしの前に現れたんだ」 手をぱたぱたと振りつつ、弓塚は事情を説明しはじめた。 「遠野くんが現れたのは偶然といえば偶然かもしれないね。でも、それはどうでも良いんだよ。大事なのはわたしの前に現れたってことだから。それと、下僕にしたのは遠野くんを助けるためなんだよ」 その言葉がシエルにはどうにも引っかかった。アルクェイド、秋葉、翡翠、そして琥珀。今日会った四人の不審な言動は全て志貴絡みである。いったい、彼に何があったというのだ? 「だって、遠野くん死にそうだったんだよ。苦しそうにのた打ち回って。病院に連れて行こうかなって思ったのだけど、遠野くん家の女中さんから、遠野くんの病気はお医者さんじゃ治せないって教えられてたから」 その言葉からある事を察したシエルの顔は青くなる。 シエルが留守をしていた間に何かがあった。 「たしかに……原因が『それ』なら、遠野くんを助ける方法はありません……」 呻くように呟くシエルに、弓塚はうんうんと満足そうに頷きながら言葉を繰る。 「本当に、本当に苦しそうだったの。助かって良かった……。でも、偶然ってあるんだね。遠野くんの声が聞きたくて、遠野くんのお家に電話をかけてたら、その当人が目の前で倒れていたんだから」 それは彼にとって幸運だったのか不運だったのだろうか? しかし……。 「けど、けど……」 シエルは首を何度も振った。 「……ごめんなさい。遠野くん。わたしが、わたしがあなたの体のことをもっと詳しく教えていれば……」 虚ろな目をした志貴にシエルは頭を下げる。 どんな悪魔が考えた筋書きかは知らないが、これは最善の手だ。 誰も困る者がいないではないか? 喩え、シエルが志貴の危急の場にいたところで、為す術はなかっただろう。 それでも、それでもシエルは一言弓塚に言いたかった。 「あなたは、そんな遠野くんでも良いのですか?」 シエルの舌鋒を受けた弓塚は目を見開いて、一瞬とぽかんとした顔をしたが、すぐににんまりと笑って答えた。 「構わないよ」 そう言って屈託なく笑う弓塚。明らかに本心だ。 それをとやかく言う気はない。 それを考えると、なるほど、弓塚の言い分はもっともだ。今の彼の役割が弓塚の好意の対象であるなら、彼は捨てられることはないだろう。意識を取り戻さない限り、文字通り永遠の愛が続くこととなる。 (……あれ、もしかして……) 「……遅かれ早かれ、こうなる運命だったのかもしれませんね」 主を守る忠実なるナイトとなった哀れな彼を見据えながらシエルは溜息を漏らした。 「あれ、先輩。納得してくれたんじゃないんだ」 三人の間に見る見る殺気が広がって行き──破裂した。 鋭い金属音と炸裂する炎が闇を切り裂き、夜の街は戦場と化す。 *********************************** その修羅場のすぐ側の物陰にふいに影が浮かんだ。 「あらあら、危なくなってきましたねー。では、帰りましょう。秋葉さまの引越しの作業の続きもやらないといけませんし」 一部始終をずっと見物していた影は、そう言うと動き出した。闇色のワンピースを着ているためか、遠目からだと、青いリボンを付けた赤毛の頭だけが宙に浮いているように見えた。 「これで、しばらくは遊べますかね? 秋葉さまもいなくなったら、わたし、やることがなくなっちゃいますからねー。それがとても心配でしたけど……シエルさんも期待通りの行動を取ってくれちゃって。みんな良い人ばかりですよねー。志貴さんの面白さには敵いませんが」 そこで言葉を区切ると琥珀は志貴の隣で戦っている弓塚を見ながら言葉を続けた。 「しかし、あの吸血鬼さん、本当に志貴さんのこと好きだったんですねえ」 苦節十年の前回の計画とは違い、予想もしなかったアクシデントから生まれた構想二日の急造の計画は面白いほど上手く行った。 「でも、吸血鬼さんも秋葉さまみたいに志貴さまに幻滅したりはしないでしょうか? ……って何、馬鹿なことを考えてるんでしょうね、わたしは。志貴さんはもうお人形ですから、飽きられない限り安泰でしたわね。うふふ、秋葉さまもああすれば良かったのに」 そして、不自然な動きで弓塚を守る志貴を見る。 「あれが、本当の人形なわけですか。どうやら、わたしは勘違いをしていたようですね。考える力があるわたしは『人』になってしまうわけですね。わたし程度で人形だと思っては本当のお人形さんに失礼ですし。ふふっ、ありがとうございます、志貴さん。すっごく勉強になりました。この感謝の気持ちが伝えられなくて、残念です。あはっ、あは、あはははははははー」 夜の闇にどこか病んだ笑い声が響く。その笑いは少し離れたところで起きている爆発音にかき消されてしまったが。 「それじゃ、みなさん。お疲れ様でした。簡単に死んじゃ駄目ですよ。それじゃ『わたし』が面白くありませんから。では、また明日」 戦い続ける三人に人知れず挨拶をすると、とてとてと軽い足取りで琥珀は家路へと急ぐ。明日はもっと手早く仕事を済ませて、一晩中見物しようと考えながら。 こうして、一つの恋は終り。一つの恋は実った。 BAD END
(To Be Continued....) |