エピローグ

シエルが日本にやってきたのは、吸血鬼ネロ、そして怨敵ロアの起こした事件が終わってから一ヶ月後のことだ。
ロアの死を見届けた直後、急遽ヴァチカンからの召還があったため、後始末や関係者への挨拶を全く行えないまま日本を離れることになってしまった。
それでも、吸血鬼の天敵──自動的に吸血鬼を退治する吸血姫アルクェイドが日本に残っているから、まず問題は起こるまいと考えたのだが。

「はぁ……。また同じ所で吸血鬼事件ですか。これじゃ、事情をよく知らない人が見たら、わたしの手落ちにしか見えませんよねえ。まったく、急いで戻って来いって命令を出したのはヴァチカンだっていうのに」

空港から移動するタクシーの中でぶつぶつ言いながらシエルは携帯端末を操り、駐日大使のパオリ大司教からの抗議メールを読んでいた。

先進国で埋葬機関の機関員が「仕事」をする時は、警察・軍隊への対応、報道機関への情報規制のため、その国の政府の協力を仰ぐ。
吸血鬼退治には破壊活動を伴うのだ。当然、ある程度の事情を相手国の政府に話して、機関員の活動を黙認してもらうことが大前提となる。筋を通さなければ、テロリストや殺人犯として官憲に追われて吸血鬼退治どころの話ではない。
大昔ならともかく、今はカトリックの総本山だからと言ってそうそう無茶ができるわけではないのだ。

おまけに吸血鬼共は、学はあっても頭が弱いのかやたらに目立つことをしまくる。その隠蔽工作まで機関員がやることは物理的に不可能だ。例えば、前回の事件において、吸血鬼たちはホテルの客の大量虐殺をしたし、戦闘中、学校を半壊させてしまった。
これを「無かったこと」にするのはシエルが使える魔術如きでは力不足であることは言うまでもない。

ネロとロアが起こした事件は解決した──という成果と引換えにヴァチカンは日本政府に隠蔽工作などの後始末を依頼し、それは為された。
ところがだ──。

『現代の神隠し!』
『通り魔事件から一ヶ月、呪われた街に再び怪事件?』

参考資料にと買ったスポーツ紙や週刊誌には彼女の能力とヴァチカンの権威を疑わせる文字が踊り狂っていた。

吸血鬼も死者も全て狩ったと報告してある。吸血鬼の被害者が吸血鬼化するのには長い時間かかるということもあり、一ヶ月も経たないうちに同じ場所で事件が再発しては、狩り残しと見るのが当然だろう。
ヴァチカンの面目丸潰れ、事実関係によってはシエルも懲戒処分を受けるだろう。いとも散文的な話だが、彼女は正義の味方ではなく、ただの公務員なのだった。組織の掟の前には逆らえない。

はぁっと深い溜息をつくと、疲れた口調で独白する。

「仕方がない。前回の関係者から洗ってみますか」

そう言うと、運転手に行先の変更を頼んだ。

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タクシーはとある高級マンションの前に止る。
目的の部屋に向かうと、扉は空いていて、何かばたばたとしていた。

「お邪魔します。アルクェイド、いますね」
「あれ? どうしたのシエル? あ、レン。その本は『いらないもの』の箱にいれて」

バンダナを姉さん被りにしたアルクェイドは、幼女に何事か指示をしている。

「引越し……ですか?」
「うん。日本の観光地もあらかた見たから、そろそろお城に帰ろうかなって思って」

こう見えてもこの女は城持ちのお姫様である。
空想具現化をした城の調度を切り売りしている大金持ち……というと、吸血鬼というといより狐か狸のノリだ。泥船ならぬ、泥城か?
その心理を読んでいるわけではないだろうが、お手伝いをしている幼女は自分の身長ほどありそうな信楽焼の狸を「いるもの」の箱にいれた。

「城に帰るって、あなた遠野くんとつきあってたんじゃないんですか?」
「……あ、あれ? うん、ちょっとしたことがあって、疎遠になっちゃったんだよ。それで自然消滅」
「はぁ」

ずいぶん、あっさりしているな。と、シエルは思った。
だが、少し考えてみれば急速に仲の良くなったカップルがあっさり醒めて別れる……なんていうケースは世の中には山ほどある。
結婚や子供という枷があってだってそうだ。そういう意味ではアルクェイドの行動はおかしくない。というより、むしろ人間らしいとも言えた。

「まあ、それは良いんですけどね。これについて何か知りません?」

スポーツ紙の見出しを見せながらシエルは問うた。

「ここしばらく、あちこちを見物してたから、この情報はちょっとわかんないな。あんまりニュースとか見なかったし」

事件自体は一週間ほど前から報道されているはずだ。アルクェイドが何日家を留守にしていたかは知らないが、今日だってワイドショーのネタとして取り上げられている。目にする機会が無いとは思えないが──。
それとも、今動いているのは吸血鬼ではないのか、吸血鬼としてもアルクェイドの興味をひく大物ではないのか……そのどちらでもシエルとしては万万歳であるのだが。
ただ、彼女の素振りからして事件に関わってないのはたしかなようだ。ならば、これ以上彼女に付合っても得られるものはないだろう。

「わかりました。お忙しいところ、すみませんでした」

ぺこりと頭を下げてシエルはアルクェイドの部屋を辞去した。
待たせていたタクシーに乗って、次に向かうのは遠野家。こちらもなぜかばたばたしている。

「引越し……ですか?」
「ええ、秋葉さまが学校の寮に戻られるので」
「あら、お久しぶり。シエルさん──でしたよね」

秋葉は琥珀に指示をしてダンボールに荷物をつめさせている。ついさっき見た光景とまるで同じだ。もっとも、こちらでは琥珀ばかりが独楽鼠のように動き回る反面、秋葉の方は全く動いてなく、リストを見ながらお茶を啜っていたりするのだが。

「今日訪ねたのは、この事件を知らないかなって……」

先程と同じように新聞を秋葉と琥珀に見せる。

「琥珀、知っている?」
「いえ」
「そういうことです、シエルさん。お疑いでしたら家捜しをしても構いませんよ」
「あ、今日はただお話を聞きに来ただけですから」

前回の事件の時、シエルはこの家を入念に調べた。地下室に幽閉されていたシキことロア亡き今、吸血鬼候補となる者はいないはず……目の前にいる秋葉を除いては。
だから、シエルは少しカマをかけてみた。

「秋葉さん、ずいぶんおかげんが良さそうですね」
「……え?」

その言葉の意味を計り兼ねたのか一瞬声を詰まらせたものの、すぐにその意味を理解したのかくすりと軽く笑った。

「血は吸ってませんよ」
「気分を害されたならごめんなさいです。別に疑っているわけじゃないんですが」
「構いませんよ。それがあなたの仕事でしょうし。そうですね。よくわからないのですけど、最近、体調がすごく良いんです。まるで重荷が取れたみたいに」
「重荷……ですか?」
「ええ。ずっとあった発作もまるで無いんです」

シエルは目を細めてその言葉の意味を考えていた。
秋葉は強力な魔の力を持つ。反転衝動を自力克服できるほどの。しかし、その力の半数を兄である志貴の生命維持に当てたことで、彼女自身は慢性的な体調不良に陥ってはずなのだが……。

「そういえば、遠野くんはどこにおられます? 彼にも少し話を聞いてみたいのですが?」
「遠野志貴ですか? うちにはおりませんよ」
「どういうことです?]
「四、五日前、有間の家に戻りました。けど、何でも、すぐに行方不明になってしまったとか? この神隠し事件に関係があるのでしょうかね?」
「ちょ、ちょっと待ってください。行方不明になったって……」
「遠野志貴は大人ですし、実力はシエルさんも知っているでしょう? そうは簡単に被害者にはならないと思いますが」
「それはそうですけど……わたしが言っているのは違うことです。何で秋葉さんは遠野くんがいなくなって平然としているのですか? 何で遠野くんを『兄さん』と呼ばないのですか? 変ですよ」

納得行かないという顔をしているシエルに秋葉はさらりと言った。

「だって、彼は私の『兄さん』じゃないから──」

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結局、アルクェイドも秋葉も何も知らないようであった。
さらに共通するのは「志貴」という要素。
シエルがいない間に何かがあったことは確実だ。それが今回の事件に関係があるとは思えないが。

さて、これからどうしようかと考えていると、門まで送ってくれた割烹着姿の女中がふいに声をかけてきた。
たしか、秋葉が琥珀と呼んだ娘だ。

「捜査の世界では、現場百回っていいますよね。どうです、現場を探って見れば? 何か面白いものが見れるかもしれませんよ」

琥珀は、妙に訳知り顔で助言をしてきた。

「面白いもの? ──何か、心当たりがあるのですか?」
「実は、志貴さんが行方不明になる前日、彼宛ての電話を取ったのですよ」
「なんで、そんな大事なことを黙っていたのですか!?」
「誰にも聞かれませんでしたから」

あっけらかんと琥珀は言う。

「相手は誰だったんですか?」
「さあ? 名乗られませんでしたが、志貴さんの名とお屋敷の電話番号も知っておられたのですから、結構親しいお友達だと思いますよ」

シエルは高校で彼と親しかった者の顔を思い浮かべて見た。

「声の主は男の人ですか?」
「いいえ、かわいらしい女性の声でしたよ。志貴さんって相変わらず手が早いですね」
「そこまでわかっているなら、なんで警察に連絡するなり探しに行かないのですか?」
「だって……そんなの野暮じゃないですか?」
「え?」
「嫌ですよ。シエルさん。男と女がいて行方不明になったのなら、心中じゃなければ一つしかありません。駆け落ちですよ。か・け・お・ち。邪魔しちゃ駄目ですよー」

あははーと芝居臭い笑い声をあげつつ琥珀は言うだけ言うと、門を閉めてさっさと玄関の方に向かって歩いていってしまった。

「ちょ、ちょっと待ってください。もっと話を!」

シエルの声を無視して、琥珀はどんどん歩いて行く。仕方が無いとばかりにシエルは黙々と庭掃除をしているメイドに声をかけた。

「すみません。あなた──」
「わたしですか?」
「はい、そうです。あなた、たしか遠野くんの侍女でしたよね。遠野くんのことを──」
「志貴さまのことですか?」

じっとシエルを見つめるメイドの眉は逆八の字になっている。露骨に嫌悪感を表しているようだ。

「──すみません。思い出したくもありません」

こちらも言うだけ言って、掃除に戻ってしまった。

「ちょっと、ちょっと待ってください!」

叫んでもまるで聞き耳を持たない。
(いったい、遠野くんに何があったのでしょう?)
疑問は深まれど、それは吸血鬼事件とは関係ない。個人的調査の前に公務をどうにかしないとシエルの首が危ないのだ。
やれやれと、肩を竦めてシエルは遠野家を後にして、歩いて街の方へと向かった。

外はもう暗い。琥珀の台詞ではないが、現場を調査するには良い機会だ。運良く『死者』の一体でも捕らえることができれば、その脳の最後の記憶を呼び出して、敵の顔くらいは知ることができるだろう。
いや、敵の吸血鬼そのものに出会えればさらに話は早いのだが……。

(To Be Continued....)