デート前#4 (Side : Ciel) このセブン。 わたしはわなわなと体を怒りに震わせていました。えぇ完全に怒っていました。 わ、わたしが、弓と呼ばれる埋葬機関の第七位のこのわたしが、主も認める仲である彼のことをまだ『遠野くん』と呼んでいるというのに。 あの不浄もののように、な、名前で呼ぶなんて――。 わたしだって我慢しているんですよ。 向こうもシエル先輩って――先輩づけで呼ぶから。 わたしだって、思い人の名前を囁きたいんですよ。 なのに。 あ、あの時でさえ、わたしの名前ではなく、先輩と呼ぶような、遠野くんに対しては。 やっぱり。 遠野くんと呼ぶしかなくて。 しししししししししししししし。 ふぅ、まず落ち着いて。 しししししししししし、志貴くん、だなんて呼べないんですよ。 志貴くん、だなんて――。 どんなに呼んでみたいことか! なのにあの不浄ものは、志貴、だなんて呼び捨てて。 いつか必ず絶対に滅ぼします。埋葬機関の第七位に賭けて。 そうです、遠野くんも遠野くんです。 前に一度だけ、この可憐な胸にある勇気をありったけ振り絞って 志貴くん って呼んだら。 なんて言ったと思いますか、あの人は! 『朱鷺恵さんみたい』 なんですか、あの人は! わたしとデートしているというのに、他の女の人の名前だすなんて! それに朱鷺恵さんって誰ですか。 秋葉さんでも、晶ちゃんでも、琥珀さんでも、翡翠さんでもなくて、朱鷺恵さん、ですよ。 まったく知らない誰か――遠野くんを狙うまた別の女性が現れたというのですか! あのときは、目の前が真っ暗になって、絶句しましたけど。 でも遠野くんはそのことに気づいてもくれずに。 わたしは頑張ってデートを続けたんですよ。 わたしの不機嫌がわかったのか、遠野くんもわたわたして、メシアンに連れて行ってくれたのですが――いつもいつもカレーを奢ってくれれば、わたしが矛を収めるだなんて思って欲しくないですね。 え、もちろんカレーはおいしくいただきましたよ、えぇ。カレーに罪はあらず、です。 今はメシアンに足繁く通って、その秘密のレシピを、あの素晴らしい味を盗もうと努力している最中ですから。 でもカレーを食べたとしても、この怒りは収まりませんとも、えぇ。 なにかこのむしゃくしゃしたものをぶつけたい、と思っていても、そういう時に限ってあの不浄ものは邪魔しにこないんですから。 目の前に現れれば、この怒りを思いっきりぶつけられたというのに! なんで必要ないときに現れて、必要な時に現れないんですか、あの闇の生物は! あー、思い出しただけでむかつきます。 近くに――今は陽光きらめく真っ昼間ですけど――死徒は歩いていませんかね? セブンをつかんで乱射したくなります。 それができればどれだけスカっとするか――。 でも――。 下に置いてある衣装の山を見て、ため息をつきます。 そんなお金も予算もないんですよねー、今月。 ……はぁ。 あ、セブン、そちらの袋は気をつけてくださいよ。割れ物が入っていますから。 それは化粧品ですよ。 えぇえぇ、セブン、言いたいことは解ります。 でもマスターとして命じます、口を噤みなさい。 ……ふぅ。 ついつい衣装を整えたら、次はやっぱりアクセサリーとかメイクじゃないですか。 春の新色がずらりと並んでいるんですよ。 そりゃ色々な化粧を試してみたいですよ。 あんまり認めたくないですけど、自分は派手ではなく、どちらかというと地味な方なので。 だからこそ、そういう時にはメイクがわたしをサポートしてくれるわけです。 チークをいれて頬を明るくしたり、キュートな感じにしてみたり。 デートまでに色々と試してみるつもりです。 そしてシエルの新しい魅力というものをきっと引き出して見せます。 そりゃわたしも乙女ですから、遠野くんに綺麗って言われたいですよ。 なにか言いましたか、セブン。 え、殴ってからそういうことを言わないでくださいって? いちいち口答えするもんじゃありませんよ。少しは静かにしてなさい。 ……ふぅ。 またため息が出てしまいます。 こういう恋の悩みは友達に相談すべきなのでしょうが……高校卒業するとみんなバラバラで、すぐに会うのも気が引けて――。 わたしも大学に入ってサークル活動なんかいいかな? なんて思いました。よく合コンにも誘われます。 でもわたしは遠野くん一筋ですから。 ――でもこっそり言いますけど、思い続けるよりも、思われるのっていいですね。ついよろめきたくなる気持ちがわかります。ハーレクイン・ロマンスの甘いお話もウソばっかりではないのですね。 でも、わたしはあんなに軽薄ではありませんからね。 それに、この街の浄化のために残っているのですから、サークル活動なんかできません。 毎月レポートを提出しないと、機関からの資金が途絶えてしまいます。 ナルバレックなんかが長をやっているから、埋葬機関はゆがんでいくんですよ。 だいたい、乱用しない職権なんて何の意味があるというのですか! アルクェイド監視という名目でこの街に残っているんですら、もっと予算をくれればいいのに――ナルバレックめ。 それに、だいたい大学にはいるとなぜ飲み会だのなんだのって夜遅くなるんですかねー。 たしかにお酒もいいものです。宴会、酒宴、結構です。 でもそればっかりというのは、なにかはき違えているようで。 やっぱり学舎に入ったのですから、きちんと授業に出て学ばないと――。 もちろん夜は浄化のため巡回です。街に潜む死徒を狩り出さなければなりません。 そのためこの街にいる理由として、ケーキ屋さんでバイトしています。 そうです、ケーキですよ。 そりゃこぢんまりとしたお店でして。 でもそこは自家製のケーキが自慢で。 生クリームも、スポンジも、ちゃんと作るんですよ。 昔を思い出します。 わたし、パテェシエになりたかったんですよ。 なればいいじゃないか、なんて遠野くんは言ってくれるんですけど。 わたしの手はもう血まみれで。 デザートを作って人々を喜ばせるような、そんな甘い夢を見ることはありません。 わたしは埋葬機関の第七位の、シエル、ですから。 でも――。 それでも、ケーキ屋さんでのバイトはとても楽しいです。 こういうケーキの作り方があるんだなって、こういう風にやるとふんわりするんだなぁって。 さすがプロの仕事。 もう感心することばかりです。 それに日本って何でも流行を取り入れるところがあるんですよ。 ちょっとでも流行るとすぐに雑誌で紹介して、ブームをつくり出す。 軽佻浮薄と思われがちですが、これはとてもすごいことです。 みんな取り入れるということは、最先端をすぐに入れるということで。 自分が住んでいた片田舎では、こんな情報がくるまで時間がかかってしまいますよ。 それにフランス洋菓子という、ブランドや矜持があってなかなか他国の味をいれませんからね。 だから日本にこれてよかったと思っています。 遠野くんとも知り合えましたし。 そうそう。 5月3日が誕生日だといったら、そのケーキ屋のオーナーが作ってくれるといってくれたんですけど、わたしは断りました。 そして、逆に『わたしに作らせてください』っていったんですよ。 甘い夢、見ることさえ許されないはずの夢であるパテェシエ。 でも、自分の誕生日に自分のケーキぐらい、パティシエのつもりで作るのはいいですよね。 そのことをいったら、オーナーも喜んで、5月2日の夜、厨房を貸してくださることになって。 そして5月3日の夜、ケーキ店を貸してくださることになっていまして。 シエルさんも恋する女性なんだね、なんて、笑いながら承諾していただいて――。 だから5月3日の誕生日には、遠野くんを呼んでふたりっきりで祝いたいと思っているんですよ。 わたしの作ったケーキで。 ちょっと派手で不格好かもしれませんが。 それにキャンドルを灯して。 ワイン? それともブランデー? それを注だグラスを片手に ケーキよりも甘い一時。 ……まぁ誕生日祝いだといったら、遠野くんのことですから、妹さんの秋葉さんや翡翠さんや琥珀さん、はてはあの忌々しい――アルクェイドまで呼んでしまいそうなのですが。 遠野くんは少々朴念仁すぎますよ。 少しは乙女心というものを理解してくださいよ、遠野くん。 ふたりっきりで甘い一時っていうのは、わたしだけの夢、なんですかねー。 そして先輩じゃなくて、時々でいいですから シエル、と呼んでくださいね。 ――ね、遠野くん。 |
back / postscript / next