最後に訪れたもの
/ 「――死徒ね」 そこにいたのは美しい女性だった。 美しく気高い真祖の姫君。 純白の肌、光を編み上げたかのような金髪、朱色の瞳。 見目麗しく、そして力溢れるその姿。 一目見た時から息は止まっていた。 移り気な月の、その圧倒的な美しさに、その圧倒的な力の煌めきに。 そしてその見覚えのある、恋い焦がれていた姿に。 おののいていた。 そこにいるのは、フランソワが求めていた姿。 フランソワが夢見ていた姿。 探し求めていた、永遠。 / 「……こんなところで何をしているのよ」 姫君は無造作に闇へと入ってくる。 アルクェイドは死徒にロアを感じていた。 自分の力の一部を奪って逃げて、ようやく滅ぼしたあの忌々しい存在。 そのロアの僕であろう。 すぐに怒りにかられた。 隙だらけといってもいい動作。でもそれは圧倒的な力があるからこそ。死徒など瞬時に滅してしまうほどの力をもつ故。 「……姫……姫君……」 闇から恍惚めいた言葉が漏れた。 来てくれた、ようやく来てくれたという思いがほとばしっていた。 そんな様子にようやくその柳眉をひそめる。 「なに……戦うとか、逃げるとか――しないの?」 アルクェイドは戸惑っていた。 ロアの眷属ならば、主を滅ぼした仇として襲いかかってくるものだと考えていたのに。 目の前の死徒は安楽椅子から立ち上がると、跪き、頭を垂れた。 まるで祈るように。 その行動がさらにアルクェイドを混乱させる。 この死徒が何をしたいのかわからなかった。 「……どういうこと?」 ついこんな言葉が出てしまった。 / ダリアの心はうち震えた。 フランソワが待っていた姿。 たとえその美しい御髪が短くても、ドレス姿ではなくても。 そこにいるのは祖が、そして坊やが恋い焦がれていた姿。女性。 なんて――神々しい。 月の儚く流麗なきらめきが形取ったかのような、美しさ。 知らずに嗚咽が漏れる。 / 「……姫君……」 かすれた声。低い嗚咽の混じった声。 「……お慈悲を……」 ただ、目の前のアルクェイドに祈るように、死徒は両手の指を組んだ。 「……あなた、絶食しているの?」 アルクェイドはその死徒の姿を確認して驚きの声をあげる。 その死徒の体はボロボロだった。 皮膚はくずれ、ぐすぐすに腐っていた。 死徒は血をすうことによって人間の遺伝子を取り入れ、体をリニューアルする。その死徒が絶食するということは、体を維持できないということだ。 そうなれば骸と同じに――。 なぜ死徒が絶食するのか、不明だった。 真祖が吸血行為を抑制するのとは違う。真祖はは吸血しなくても生きていける。しかし死徒は生きるために吸血しなければならないのだ。しなければこの目の前の死徒のように、ただ骸に、いきる屍へとなって、最後は崩壊してしまうというのに。 アルクェイドには、この死徒の考えがわからなかった。 / ダリアはただフランソワに命じられて、捕食をではなく、別のところへと行かされた。 理由などわからない。その時には意識はなかった。 そして唐突にダリアの意識は戻った。 まるで夢見心地のように、何も考えず、ただフランソワとの一体感の中、めくるめく恍惚感の中にいたというのに。 何があったのかわからない。 ただ、わかったのはフランソワがいないということだけだった。 そう感じられた。 消えてしまった。 そう思うと、心が震えた。 たとえ悪魔憑きになったとしても、可愛くて堪らない我が子だった。 ただ――伝わってきた想いはひとつだけ。 姫君 この目の前の、あまりにも美しく気高い人との出会いだけ。 そのイメージだけが伝わってきた。 逢いたかった。 こんなにもフランソワの心を占めた女性に。 逢わずにいられなかった。 狂えるほどに恋い焦がれた存在に。 魂も精神も心も、何もかも捧げても良いと思わせる女神に。 そして――出会えた。 ようやく出会えた。 何百年もかけて――ようやく。 それだけでよかった。 あの月が思い出された。 最期に見た月。 あの真円の月。 坊やの最期の望みを叶えたという想いで胸がいっぱいだった。 / 「……ねぇ、生きたくないの?」 思わず尋ねてしまった。 死徒は首をふり、たた一言、お慈悲を、というだけ。 そんな姿になぜか、怖い、と思ってしまった。 この死徒のもつ情念、想いというもの。 生存本能を、生物がもつ根源をもねじ曲げて、こうして頭を垂れる死徒を、ただわからないと思った。 聞こえるのは時計の音。 埃臭い空気。 遠くからざわめきさえ聞こえない。 ただひっそりとした静寂のみ。 月の光をまとった姫君は、そっと手をあげる。 その瞳には信じられないものを見て、揺れていた。 / もう充分に生きた。 人の生き血を啜る悪鬼として。 もう――いい。 坊やの望みを叶えられた。 もう人の血など啜りたくない。 どんなに飢えていても、そんなことはしてはいけない所行だった。 たぶん地獄に堕ちて、ミシェルとも、フランソワとも逢えないだろう。 でも――いい。 欲しいのは安らぎだった。 安息を、目の前の女神から与えられるのを請うた。 もう――お慈悲を。 はじめてダリアは主ではなく、目の前の美しい月の化身に祈りを捧げた。 / 「……あなた死んじゃうのよ。もう誰とも会えないのよ?」 アルクェイドは力を行使する前に尋ねた。 自分で言った、誰にも逢えないという言葉が胸につく。 志貴と会えなくなる。 そう思うだけでこんなにも胸が苦しく、悲しいというのに、目の前の死徒は――。 わからなかった。 「ほんとうに誰とも会えなくなるのよ。消滅するのよ」 なぜそのような言葉を紡ぐのかアルクェイドにはわからなかった。 目の前の死徒をかばったり、とめたりする理由なんて――なにもないのに。 なぜか止めずにいられなかった。 それでも、ただお慈悲を、と頭をたれて呟く死徒を、まるで怖いものを見るかのように見つめながら。 その朱色の瞳を揺らめかせながら。 ――なんて、怖い――……。 アルクェイドははじめて怖いと感じた。 そして。 大きく手をふった。 / 視界が赤く染まっていくというのに、彼女だけが鮮やかで、綺麗で。 綺麗に輝く。煌めく。金色に、白色になんて儚く。 あぁ、なんて――。 彼女の視界が真っ暗になる間際、痛みも感じず、ただ綺麗と、女神を眺めていた。 移り気な月の、その圧倒的な美しさに、その圧倒的な力の煌めきを持つ女神を。 なんて――綺麗。 |