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2/
 一時間ほど前から、暗闇の中でじっと息を潜めている。
 聴覚を限界まで凝らし、僅かな物音の一つさえも拾い逃さないように神経を張り詰める。
 隣のシオンもまた、俺にぴたりと身を寄せながら息を潜めている。
 潜伏としては満点とはいわずとも、95点はあげたい出来だ。
 どうやら、うまく敵をやり過ごせたらしい。
 長らく頭から被っていた高級蒲団を剥がして、俺は暫くぶりに思い切り空気を吸う。

「もういいよ、シオン。出ておいで」

 隣の蒲団から顔だけを半分出したシオンが頷き、身軽な動きで脱皮するようにフロアへ
と飛び出した。
 そのまま神妙な顔でこちらに近付いてくると、

「なにを考えているんですか、志貴。これは立派な不法侵入ですよ」

 なんてことを、叱り付けるように言った。
 ――――まあ、実際シオンの言う通りなんだけど。

 時刻は午後十時。シュラインの店舗は殆どが九時閉店で、この家具フロアにしてもそれ
は例外じゃないから、俺たちは不当に店内に残留していることになる。
 にも関わらず警備員が飛んでこないのは、俺達が隠れていたのも然ることながら、シオ
ンに頼んでエーテライトでこの階のセキュリティを封じてもらったからだ。

「まったく……エーテライトを犯罪の道具に使うなんて。
 志貴はアトラスの秘儀をなんだと思っているのですか」
「待て待て。まだいいとこ予備軍だろ。要は人様に迷惑をかけなければいいんだ」

 シオンはまだ納得が行かない様子で、猫みたいな目でこっちを見つめてくる。

「“冒険”と言っていましたが、一体どういう意味なのですか?
 それをするために、こんな暴挙をしたのでしょう」

 さすが、シオンはずばり話が早い。説明の時間が要らなくて助かる。
 俺はにやりとして、そう、冒険だよなんて囁きながらもう一度手招きをする。
 首を傾げつつ寄ってくるシオンの耳に口を近づけた。
 誰にも聞かれる心配なんてないんだけど、やはり多少の背徳感はあったのだ。

「俺とシオンはここで初めて会って、一緒にタタリと戦ったよな。
 それに――――絶対に忘れられないことをした。
 今夜は、あの続きがしたいんだ」
「あ――――――」

 シオンははっと息を飲んで、すぐに耳までほんのりと紅くなった。
 困った顔で俯いて、ふらふらと俺の近くまで来ると、迷子の子供みたいに上着の袖をぐ
っと掴む。

「続き……ということは、その、ここで……」
「うん。でも、今夜は星が綺麗だって言ってたから、屋上に行きたいな」

 ぴん、と天井を指差すと、シオンはごくりと喉を鳴らす。

「屋上……外、ですか」
「そう、俺達がケリをつけた場所。あの時は空なんて見てる余裕もなかったけど、今夜は
ゆっくり二人で星も見られるだろ。
 あそこでシオンとしたい。――――駄目、かな?」

 肩に触れると、シオンは大きく首を振って俺の手に手を重ね、まっすぐに俺の目を見た。
 微笑みを形作った唇が、歌うようにゆるりと動く。

「いいえ――――私も、志貴と同じくらい、したいです。
 一緒に……冒険を、させてください」

 頷いて、俺たちは最初の口付けをした。
 ――――いよいよ冒険開始だ。
 寄り添ったまま、足音を殺して屋上に向かう。
 当然ながら外に繋がる唯一の扉には厳重に鍵がかかっていて、例によってナイフで失礼
しようとしたら、シオンがそれを咎めた。

「破壊してしまっては、この建物のセキュリティに多大な損害を与えることになります。
 今夜は人に迷惑をかけない冒険なのですから――――ここは、私がします」
「そうだな。エーテライトなら傷つけずに錠だけ外せるだろうし、ここは頼むよ」
「了解しました」

 シオンは手際よくエーテライトを操り、鍵穴に差し込んで何度か動かす。
 泥棒の三世を思わせる姿だけど、手並の鮮やかさは本人にも負けてないだろう。
 ……泥棒みたいとか言ったらシオンは怒るだろうけど。
 さもありなん。ものの数秒で、かちりと小気味良い音がして錠が外れた。

「それじゃ、久方ぶりの再会と行くか」
「はい。参りましょう」

 どちらからともなく伸ばした手を取り、俺とシオンは屋外へ進み出る。
 ――――途端、空に吸い込まれそうになった。

 夜空が一つ眼の巨人になったかのように、澱みのない暗黒に浮かぶ黄金の眼球が俺たちを見下ろしている。
 過不足なく美しい真円を描く満月。
 地上から見上げるよりもはるかに近く、そして大きい。
 恐怖さえ混じらせる優麗さを放つ天球から、しかし眼を離すことができない。
 俺もシオンも、暫く言葉を失って立ち尽くしていた。
 壮大なる月の魔力に、完全に魅入られていた。
 ややあって、まだ夢の中にいるような声色でシオンが沈黙を破る。

「……月を、こんなに綺麗だと感じた夜はありません」
「ああ――――本当に、綺麗だ。飲み込まれそうだよ」

 奇しくも一度目の訪問では景色に酔う余裕さえなかったわけだけど。
 何の気負いもない透明な意識で感じる月は、これほどまでに心を震わせる。
 空中の神殿から臨む無欠の月。
 心身に染み渡るその霊験と感動を、俺たちは遅れ馳せながらに享受した。
 あの夜には気付けなかった。
 けれど今、あの悪夢が荒れ狂ったのと同じ場所で、やっと二人で月を見上げられた。
 言葉にできない感情が、身体の奥底に生まれてくる。
 視線は頭上の月から離れ、導かれるように隣へ。
 シオンもこちらを見ているとなんとなく分かった。
 眼と眼が交わる。
 けれど、何の言葉も浮かんでこないのは何故だろう。
 ただ、霞のように胸に生まれた感情が、無音で爆発する。
 
 ――――降り注ぐ月光は、見えない炎で脳の不純物を浄化する。
 飴色の世界では理性も知性も品性も消え去り、
 残るのは野性と獣性、そして、遠野志貴という男性。
 炎の中に褪せないのは原始の衝動。
 どうしようもなく狂おしく、シオンが欲しいという愛欲だけ。
 
「志貴――――」

 熱を帯びたシオンの瞳を見たら、胸の中でどくんと血が騒いだ。
 熱い。焼けそうに熱い。身体中くらくらする。
 一秒後には弾け飛びそうだ。
 それはどうやらシオンも同じようで、俺達は糸に引かれるようにふらふらと互いへ近付
いていく。
 
「シオン――――」

 からからの喉に、飲み干した唾液が蜜のように絡む。
 まだ、言葉は出てこない。互いを呼ぶので精一杯だ。
 俺は両手を伸ばして、痛くしないように気をつけながらシオンの肩を抱いた。
 シオンはとろんとした顔のまま、白く滑らかな腕を俺の首に回す。
 ……流れる時を、酷く緩やかに感じる。
 反対に、身体中を熱いものが走り回って、まるで堪えられない。
 シオンがひくんと瞬きをしたのが、引鉄になった。

 “欲しい”と口にするよりはるかに短絡に、それでいて祈るように熱心に。
 俺達は、黄金の月の下で二度目の口付けをした。

「ふ――――っ、ン……む、むっ……」
「んふ……、んぅ、ふ……ぁっ……」

 唇から互いの体温を確かめるかのような、情熱のキス。
 湧き上がる欲望を詰め込んで交わされる、取り留めなく淫らな契約の儀式。
 オードブルに過ぎない小手調べの戯れまで、熱心に堪能した。
 唇をしたたかに吸い、積極的に舌を進ませてシオンの口内に侵入する。
 たっぷりとぬめりを帯びた柔肉を探って、獣の強引さで手繰り寄せ、絡ませる。

「んんっ……、ふぁ――んっ、む――――ふぅっ……」

 無邪気な子猫のようにされるがままだったシオンは、さらに強く腕を俺の首に回しなが
ら、自分からも舌を使いはじめた。
 唇をぐいぐいと押し付け、密着した口内で舌と舌とを突付き合わせる。
 混ざり合う唾液が二人の中でくちゃくちゃと悩ましい歌声を奏でる。
 その淫魔の演奏と祈るように眼を閉じたシオンの顔で、冷静な部分なんてペンキをかけ
られたみたいに塗り潰される。
 ネジが何本か外れた頭はもうまともに働かなくて、目の前にある温かさと柔らかさだけ
を貪欲に追い求めた。
 息苦しくなるまで唇を吸い合って、やっと次の欲望が浮かんできた。
 ……でも、それは意外なことに肉の欲(ノゾミ)ではなく。
 顔を少し離して、俺は熱に染まったシオンの頬を軽く撫でる。

「シオン、髪を解いてくれないか」
「え?」
「髪を下ろしたところ、見たことなかったからさ。
 せっかく明るい夜なんだから、なんか凄く見たくなったんだ」

 お下げを取って猫じゃらしのように頬をくすぐると、シオンはぴくりと身を震わせた。
 目が合って、僅かに困惑した表情のシオンが上目遣いにこちらを見ながら頷く。

「――――」

 そして、両手が頭の後ろでもぞもぞと動いたかと思うと、孔雀が翼を開くかのような鮮
やかさで、紫がかったシオンの長髪がふわりと月夜に広がった。
 流星が俺の前に狙いをつけて降り注いだような錯覚。
 月光を受けて煌びやかに輝くシオンの髪は、ぞくぞくするくらいに美しかった。
 知らず、ごくりと喉を唾液が零れ落ちる。

「人前で髪をおろすことはあまりないのですが……変、でしょうか?」

 心配そうなシオンに、俺は慌てて竹蜻蛉みたいに首を振る。

「全然変じゃない! 雰囲気は全然違うけどすごく綺麗で……びっくりしてたんだ」

 シオンに嘘やお世辞は通用しないって解かってる以上に、これは本心からの言葉だ。
 裸を見たわけでもないのに、胸はいつもと比較にならないほど高鳴ってる。
 どく、どく、どく
 鼓膜を震わせながら、頭に、身体中に、次第に速度を増す鼓動が響く。
 うるさいくらいに甲高く、そして熱い鼓動。
 汗がそこいらじゅうから染み出してくる。
 ホシイ気持ちが、扉を開けて一斉に飛び出す。

「シオン、がっつくみたいでなんだけど、俺――――」

 昂ぶりを抑えきれず、進み出た唇にシオンの指先がそっと触れる。
 指はそのまま線を描くように顎を滑り、首を伝って胸を降りて、
 ――――もう、とっくにズボンの中で目を覚ましている俺自身を包むようにして止まる。

「……私も、もう理性の限界です。じっくりと――――冒険を、しましょう」
「く、っ……」

 股間で、シオンの指がゆらゆらと動きはじめる。
 その仕草と、これからの交わりの期待に全身が昂ぶるのを感じながら、俺も頷いた。
 ……しばらくの間、理性には眠っていてもらうことにする。

「それでは……準備を、しますね」

 ズボンの上から形を浮き出させるようにペニスを握っていたシオンが指に力を込めると、
したたかな刺激で俺自身も本格的に持ち上がりはじめる。
 適当に勃起したことを確かめると、シオンはコンクリートの床に膝をついてゆるゆると
俺の股間に頭を下げていく。
 本格的な“準備”をしてくれようとしている。
 ……それは、分かるんだけど。
 今夜のセックスは、思い出深い場所だとかシオンの新鮮な姿だとかで俺自身自分がわか
らないくらいに興奮してしまってる。
 どうしようもなく暴力的で――――つまりは、多少のムチャはしちゃいたいのだ。
 そして、俺は一つの欲望をシオンにぶつけてみることにした。

「待った、シオン。今日は――――口で、してくれないかな」

 予想通り、シオンは当惑したように動きを強張らせる。

「え、ですから……」

 もちろん、シオンはこれから唇で俺を愛してくれるつもりだったんだろう。
 だが、今夜に限ってシオンと俺の嗜好は一致しない。
 シオンの考えているそれでは、少し不十分なんだ。
 今夜だけは、“徹底的”にお願いしたい。

「うん、咥えてくれるのもだけど。最初から全部、手を使わずに……さ」
「手を、使わずに……」

 シオンは聡明な子だ。
 短く口にしただけで、俺が要求している意味をほぼ正確に理解してくれただろう。
 でも、彼女にとって実践は理解ほど簡単じゃない。
 特に、こういったオトコとオンナのあれこれに関しては。
 だから、こうして目の前で耳まで真っ赤にして考え込んじゃってるわけだ。
 興奮のブレーキがとっくに壊れてる俺は、心臓を高鳴らせながらシオンの決断をじっと
 待っている。

「……ん、っ――――」

 ゆらりとシオンの首が傾くのと、俺が息を飲むのは同時だったと思う。
 キスをする前のように僅かに口を開いて、むくりと盛り上がった俺のズボンの上方――
小さなファスナーの金具をシオンの口が挟み込む。
 離さないように少し歯を立てて、顔を俺の股間に擦り付けるようにしてずるずると下げ
ていく。
 じじじ、と鈍い音がして、シオンの顔が下がるのを追うようにファスナーが開放される。
 ただそれだけのことなのに、心臓ははちきれんばかりにフルマラソンをしている。
 開くものが手から唇に変わる、言葉にしてみればひどく些細な変化だというのに、それ
を実際に目にした興奮ときたら反則だ。
 装いを一枚剥ぎ取られた男根がぴくぴくと疼きだす。
 ああ、そしてシオンの愛撫はまだ始まってすらいない。
 この先が、先の先がまだ俺を待っている。
 暴れ馬と化したペニスが暴れだしそうだった。

「は――――んっ、むぅ……、ふっ……」

 シオンの形良くくびれた鼻面がペニスの上辺りに押し付けられる。
 ひくりと揺れる肌の感触と、染みるような温もりで背筋がぞくぞくする。
 そして。

「ん、ふっ……ん――ん、ぅ……」

 鼻にかかった声が聞こえて、シオンの唇がズボンの中に進入してきた。
 ぎこちない動きで俺の下着をずらして、いよいよはちきれんばかりのペニスを外へと晒
していく。
 シオンが下着を噛んで動かす度、唾液が繊維に絡んでじゅるじゅると卑猥な音を立てる。
 じわじわとシオンの前に――唇で――取りだされていくペニス。
 隙間から染み込んでくる夜気と、ねっとりと熱いシオンの吐息に挟まれて、まだ咥えら
れてもいない性器は痛いくらいに張りつめる。
 視覚効果は充分。
 本番前から興奮でどうにかなりそうなくらいだ。
 はぁはぁと熱っぽく息を荒げるシオンの前に、ずるりと下着からペニスが顔を出した時、
それは最高潮に達した。
 
「あっ……はぁ、ンぅっ……志、貴……」
「さあ――――シオン」

 促すように腰を一歩進めると、シオンは頬に汗の珠を浮かせたままこくりと頷く。
 手が使えないから、じっとペニスを見たまま頭の位置を合わせて、やや横から覆い被さ
るように先端へ唇を寄せていく。
 ひたりと、艶かしく濡れた肉がカチカチの亀頭に触れた。

「くっ――――」

 亀頭のくびれた部分から尿道、裏筋までゆっくりとキスの形で唇が愛撫する。
 ぴちゅ、ぴちゅと小刻みに唾液の跳ねる音が響いて、そのたびに腰の辺りでシオンの頭
が忙しく動くのが見える。
 シオンの奉仕は熟練の巧みこそないけど、稚拙さを補って有り余る熱心さがある。
 グロテスクに肥大した亀頭へ、気後れすることなく唇を寄せ、舌を突き出してくる。
 その、真っ白な花をどろりと粘った蜂蜜で汚し染めていくような背徳感に、ペニスは節
操もなく勃起してしまう。
 本音ではいけないなんて思っちゃいない。
 もっと、もっと、シオンの唇で、その舌で、いやらしく舐めてほしい。
 そんなシオンの姿を見たい。

「え―――――?」

 期待とは裏腹に、亀頭をじっくりと唾液で濡らしていたシオンの唇がすっと離れる。
 暴走寸前だった身体の熱がすっと引いて、同時に溜息が漏れそうになる。
 でも、俺はもう一度鋭く息を飲むことになった。

「んぁ……は――――むっ、んん……ふぅ……」


                   

                                      《つづく》