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-Baby Face-                  狂人

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 ――――オッス、オラ遠野志貴。いっちょ殺ってみっか!

 ……ごめんなさい。激しく浮かれ気味です。
 というのも、只今男冥利に尽きる一時を堪能中。
 砕いていえば、可愛い女の子とデートをしてるわけだ。
  
「……ああ、母さん。俺を男の子に生んでくれてありがとう!」

 思わず喜びを声にする俺。
 ……いかんいかん、ここは公共の場。
 楽しいデートが一変して公開羞恥プレイに化けてしまうではないか。
 幸せに浸るのはほどほどにしてご紹介しましょう。

「志貴、何を大きな声を出しているんです?」

 浮かれっぱなしの俺をクールに一閃する彼女は、
 シオン・エルトナム・アトラシア。結構難しい名前だ。
 まあ、世の中バルダム某とかブリュンスタッドとかもいるわけなので、字が短いだけ覚
えやすくはあるんだろうけど。
 シオン本人は名前にも増して個性的で、それに魅力的な子だ。
 アトラスってところの錬金術師で、俺よりもずっと利発なんだけど、そのくせたまに抜
けてるところがあって、そこがまた可愛い。
 シオンは我が家に居候していて、最近はようやく翡翠や琥珀とも馴染んでまさに新しい
家族の一員って感じ。
 とりわけ秋葉とは奇妙に気が合うようで、アルクェイドや先輩にはつっけんどんな妹君
の口から”兄さん、シオンだって年頃の女の子なのですから、可愛らしい洋服の一つも買
ってあげたら喜ぶとは思いませんか?”なんて台詞が飛び出して、臨時のお小遣いまで無
理矢理渡されてしまった。
 ……で、確かに秋葉の言い分にも一理あるわけで。
 秋葉と俺から一着ずつということで、貯金をおろしてシオンを誘ったのが――――

「いや、感慨深いなって。このシュラインも、すっかり街の人気スポットだからさ」

 神殿の名を持つ塔の蛹は、人々が行き交う憩いの高層に羽化した。
 俺とシオンはここで出会って、長い長い真夏の夜を一緒に過ごしたんだ。
 ……まあ、顔を合わせるなり銃口向けて襲ってこられた時には仰天したけど。
 第一印象が強烈だっただけに、お互い打ち解けるのは早かった気がする。
 シオンの目的は俺にとっても有意義なものだったし、毎度御馴染みの危ない橋渡りも仲
間が増えてどこか頼もしかった。
 ――――それに。クソッタレな夜の毒に蝕まれ、それでも最後の一線を絶対に超えよう
とはしないシオンは、あの子に似ていたんだ。
 完全ではないにしても、助けられて良かった。

「そうですね。こうして志貴と二人でこの中を歩いているなんて、あの時は想像できなかっ
た。タタリを断つことが出来たと、改めて実感できます」

 シオンの笑顔は明るく、屈託がない。
 出会った頃はどこか無理をしている感じがあったけど、最近はこういう俺までつられる
ような表情を見せてくれるようになった。
 それが嬉しい。嬉しいと同時に――――時折どきりとさせられる。
 特に、このシュラインはドキドキの極めつけみたいなコトをしてしまった場所だけに、
シオンの普段と変わらない顔を見ても、……ええい、なにを考えてるか、俺。

「志貴? 顔が紅潮しているし、発汗があります。体調が優れないのですか?」

 シオンがひょいと首をかしげてこちらを覗きこんでくる。
 綺麗に束ねたおさげがふわりと軽やかに舞って、主に寄り添うように揺れる。
 その仕草でこっちは二倍ドキドキ、一気に精神力ゲージが点滅だ。

「だ、大丈夫大丈夫! ほら、今日はシオンの服買いに来たんだし、もっといろいろ回っ
てみようよ」

 あぶねえあぶねえ。
 いつもだったらあっという間にエーテライトで思考を読まれて白目ものだけど、タタリ
の一件の後、シオンは俺や親しい人間にあまりエーテライトを使わなくなった。
 その理由が、”志貴や秋葉とは、略奪という形のコミュニケーションはとりたくありませんから”なんて嬉しい言葉だったから、正直じんときた。
 ……だってのに、なにをヨコシマなこと考えてたんだろうか。自己嫌悪。

「私の服、とは言いますが……正直、何を買って良いものかわからないんです。
 志貴、選んでくれますか?」
「ん? 俺だって女の子に何を着せて良いかなんて解からないよ。
 好みで良ければ、似合いそうなのを選んであげる」

 シオンは熱心に頷いて、”お願いします”と俺の背を押してくる。
 どうやら服を買うこと自体はまんざらでもないと思ってくれてるみたいだ。
 ――――となれば、にわかファッションアドバイザーの出番です。
 趣味と実益、家族への感謝を込めて、最高の一着をプレゼントしないとな。

「よーし、それじゃ張り切って洋服屋さんに行ってみますかね」

 手を伸ばすと、シオンはすぐに握り返してくれた。

「はい!」

 意気揚々と、二人で走り出そうとした時。
 ――――目の前に、とてもゆっくりした動きで影が進んできた。

「わっ、と……」

 思わず突っ込みそうになるのを、なんとか踏み止まって影に目を凝らす。
 そこには、なんとも可愛らしい出会いが待っていた。

「ふぁー……」

 乳母車の中に、まるまると元気そうな赤ちゃんが毛布に包まってこっちを見ている。
 小さくてつぶらな瞳に、生まれたばかりで頼りないふっくらとした頬。
 俺の何分の一かくらいしかない小さな紅葉のような手が、忙しげに宙を躍る。
 難しいところなんてなにもない、ただ喜色だけの素直すぎる笑顔がとても眩しい。
 まあ、要約すると、

「か……可愛いなあ……」

 小賢しいことなしに、この一言に尽きる。
 乳母車の中でもそもそとむずがる姿を見ていると、自然に頬が弛んでしまう。
 どうやら呟きが聞こえてしまったようで、母親らしい若い女性が軽く会釈してくれた。
 ご紹介によると、この子は弥生ちゃん(満一歳)、名前の通り女の子だそうだ。
 特別にお許しを貰って握手させてもらったら、弥生ちゃんの手は暖かくてマシュマロみ
たいに柔らかかった。
 
「あぅー……だぁ」

 弥生ちゃんは俺の指にかなりご満悦で、握ったり噛みついたりして遊んでいる。
 無邪気な動作があんまり可愛くて、それを観賞させてもらってる俺はギヴに対してテイ
クが有り余ってる感じだ。
 ……っと、すっかりシオンのことを忘れてるぞ、俺。

「ごめんごめん……いやあ、ほんとに赤ちゃんって可愛いよな、シオン」

 慌てて隣に目をやると――――

「――――――」

 シオンが石化していた。
 いや、厳密には熱を出したみたいにほんのりと紅くなって、ぽかんと一点を見つめている。
 
「……おーい、シオン?」

 さっきのお返しに顔を覗くと、シオンは夢から覚めたみたいにはっとして目を瞬かせた。
 ほう、と深い溜息をついて、乳母車の弥生ちゃんを見つめる。

「赤ん坊というのは成体に達しない未熟な幼体と認識していましたが……とんでもない。
 機能的に未熟というだけで、こんなにも活き活きして、それに――なんて可愛らしい」

 うっとりと陶酔するような表情で、シオンは慈愛をこめて弥生ちゃんを見ている。
 それは幼児という情報を採取する錬金術師じゃなくて、きちんと心で赤ちゃんを見ているシオンだった。
 それが嬉しくて、なんだか胸がいっぱいになった。
 いたずらに柔らかいほっぺたを指先で突っつくと、弥生ちゃんはくすぐったそうにして
ごろごろとむずがる。
 くりくりと活発に動く瞳が、不意にシオンを見つけて固まった。

「あ……」

 シオンもそれに気付いて、じっと真剣な眼差しで見つめ合う。
 弥生ちゃんは、距離なんてお構いなしにちっちゃな両手を伸ばして、シオンを抱き締め
ようとぱたぱたと動かす。

「ほら、シオンに手を振ってるんだよ。触ってあげてごらん」
「えっ!? あ……は、はいっ」

 シオンは俺にもわかるくらいごくりと喉を鳴らすと、恐る恐る弥生ちゃんに近付いて小
さな手を握り締める。
 
「あぶぅ……だぁー、だぁ」

 弥生ちゃんの顔がぱっと輝いて、俺にしたように何度もシオンの指を握る。
 シオンもお母さんのような優しい笑顔で、頭や頬を撫でたりしてやっている。
 ……なんか、すごくいい風景。
 弥生ちゃんの可愛さも、シオンが束の間に見せる母親みたいな顔も、今の俺の気持ちも
なにもかも。
 とかく殺伐になりがちな日常を忘れて、一秒をゆっくりと噛み締められる嬉しさ。
 胸の奥まで満たされた感覚。
 それがあんまり心地好くて、
 
 ――――それまでは意識しなかった一つのキモチを、はっきりと掴んだのが解かった。

 シオンが弥生ちゃんと戯れている間、お母さんと10分ほど話し込んだ。
 旦那さんとは見合い結婚だったそうだ。
 言葉の端々から感じられるご主人への深い愛情、弥生ちゃんが生まれた時の喜びは俺ま
でも優しい気持ちにさせてくれた。
 同時に、顔どころか名前も覚えてはいないけど、俺の父や母だった人も俺が生まれた時
にはこんな顔をしていたのか、なんてことを考えた。
 
「弥生ちゃーん、ばいばい」
「お母さん共々、健やかに。あなたの人生に沢山の喜びの花が咲きますよう」

 お互い気がつく頃にはすっかり世間話に耽ってしまって、買い物の途中だった弥生ちゃ
ん親子は丁寧に頭を下げてから人込みの中に紛れていった。

 手を振る弥生ちゃんを見送ってから、シオンは満ち足りた息を吐く。

「……まだ胸が高鳴っています。弥生の目は夜空のように綺麗で……それに、あの柔らか
い手で何度も握手をしてくれたんです。
 あんなに小さいのに、ちゃんとあたたかくて。
 弥生の熱がそこから伝わってくるようでした」
「うん。ふにふにしてて可愛かったな。元気な子になってくれると良いけど」

 俺も無邪気な笑顔を思い出して頬が弛んだ。
 将来はアルクェイドもびっくりの美人になったりして。
 
「……志貴、やっぱり洋服はいいです。
 今日は志貴と一緒に過ごせましたし、弥生が胸をいっぱいにしてくれましたから」

 不意に、シオンはそんなことを言った。
 言葉の通り満足げに、念を押すように頷きかける。
 でも。弥生ちゃんのことについては同感だけど、それとこれとは話が別だ。
 それに、今日はとても特別な日になりそうだから。

「そう言わずにプレゼントさせてくれないかな。せっかくの初デートなわけだしさ」
「で、デート!? 私と志貴が、デート……ですか……」

 シオンは目を丸くして、手をばたつかせながら全身で動揺を表現する。
 本当、彼女のこういうところは可愛らしくて困る。

「あれ、シオンはそう思っててくれなかったんだ?」

 軽いジャブにも、真剣そのものに反応してくれる。

「い、いえ! そう、ですね……ああ、これが志貴との、デート……」

 後半はなにやらもごもごとして聞き取れなかったけど、少し赤くなった頬と表情を見れ
ば吝かでもない気分でいてくれるのは感じられた。
 そう、これは俺とシオンのささやかなデート。
 だから、綺麗な服のプレゼントも、他愛もなく交し合う言葉も、もっともっと必要だ。
 一日の終わりにはまだ早すぎるから。
 それに――――

「シオン、ものは相談なんだけど」
「なんでしょうか?」

 顔を寄せてくるシオンに、子供みたいな思い付きを真剣に耳打ちした。

「――――服を買い終わったらさ、俺とここでまた冒険しない?」

                   

                                      《つづく》