優しく虐めて
                    阿羅本 景


 スプリングの効いたマットレスの、腰の沈むような感触。
 畳の上の布団の固く下から押されるような支えがないから、そのまま腰がず
るっと沈んでしまいそうな気がする。慣れてないからだろう、このベッドに横
たわるのは。

 まだ小さかったときには、このベッドで寝るのは一つの夢だった。でも、親
父と一緒に布団を並べて寝ていたから、憧れはあってもすることは滅多になか
った。親父が死んでこの屋敷に一人で夜を過ごすようになっても、このベッド
で眠ると言うことは――考えなかった。
 枕が変わると眠れないと言う小心じゃない。ただ、そうするということがど
うしても頭の中に思いつかなかったから。だからあの寝室で布団で寝ていて、
このベッドのマットも時折干され、湿気で黴びないようにする位だった、けど、

 今はこのベッドに身を休らえる。
 そして、この屋根の下に一人で過ごすわけではない。
 この腕に、しなやかで優美な少女を横たえているんだから――

「遠坂?」

 その名前をひっそりと呼ぶ。俺の腕に枕する、黒く長い髪。指を伸ばしてそ
の髪を梳きたくなる、墨に染めた絹糸のような細く、滑らかな髪で腕に感じる
のはその頭の重さと、少し湿った感触を持つ髪だった。

 遠坂の頭は動かない。
 ブランケットの中に同衾する遠坂の身体。それは一糸まとわぬ裸で、まだ火
照ったような熱さを感じる。俺も裸でそれを直に感じている訳で――つまり、
男女の行為が終わったあとの、なんとも気持ちよく、気怠い時間だった。

 無駄に幸せすぎるみたいで、怖くなる。
 こんな幸せを俺に貰ったてはいけない、そんな脅迫じみた考えが俺の背後に
立っている気がする。そう、そう感じてしまう俺の皹割れは、遠坂以外には塞
げない。
 だから、その声が聞きたかった。

「遠坂?」

 眠っているんだろうか?返事はない。
 そりゃ、遠坂にあんな事やこんな事をいろいろしたからな……と思い出すと、
今更ながら一人赤面する。サイドテーブルのランプだけに照らされた、遠坂の
無駄のない清楚で無駄のない綺麗な身体。首は細く、胸もほどよく盛り上がり、
腰と腕の細さがどこか嗜虐的なものを感じさせる。それにリボンを解いて下ろ
した黒髪は驚くほど艶やかで、羞じた遠坂の上目遣いの視線と合わせて俺は…


 ――まずい、立ってくる。

「…………」

 落ち着け落ち着け、そんなさっき遠坂とえっちしたばかりなのにまだギンギ
ンにしていたらまるで精力絶倫で恥知らずの男のようだ、こう言うときは優し
く遠坂を褒めるムーディーな台詞を吐いて……って、思いつかない。
 胸を隠そうとする遠坂の手を掴んで、ピンクの乳首を吸ったり膝を擦り合わ
せて脚の奥を触れたり、キスして唾液を混ぜ合わせたりする感触ばっかり甦っ
てくる。それに、遠坂の襟足から漂う仄かな、花の香り――フレグランスが俺
と遠坂の薫りに混じり、まるで熱帯の温室の中にいるような気がする。

 遠坂の頭が、動く。そう、こんな風に横たわりながら、暑い空気の中で過ご
そう。
 そこは俺と遠坂だけの楽園で、緑の鮮やかな木々の下で終わることなくその
身体を、心をまとわりつく熱気の中で交わり続け――


 がじり


「――――!!」

 その痛みに、俺は目を剥いた。
 甘美で耽美な妄想が吹っ飛び、腕に走った痛みが身体を駆けめぐる。いや、
なにが怒ったのか分からない、遠坂に枕している腕がいきなり囓られたような
痛みを――いや、囓られてるような、じゃなくて本当に遠坂が囓ってる! 

「――っでー!」

 反応が一泊遅れ、悲鳴を上げる。
 俺の腕に遠坂がかっぷりと囓りついていた。腕を上げると遠坂の顔も一緒に
くっついている。はらりと、髪が退けるとこう、大口を開いた遠坂がはんむり
と俺の噛んでいて……

「なっ、なっ、なにしている遠坂!」
「んむむむむむーーーー!」

 腕をぶんぶんと振る、こう、野良犬に噛みつかれたみたいに。
 でもいきなり俺の腕を噛むなんていう凶行に走る遠坂が、一体何を考えてい
るのか?いやもう頭の中がこんがらがって、それに遠坂の歯が噛みついていて
じんじんと痛い。ぶん、と強く振るとようやく外れた。

 遠坂の口が外れた後に、こう、弧を書いて遠坂の歯跡が残っている。
 ――歯並び良いんだな、きっと子供の頃から歯列矯正とかやってたに違いな
い、と思う見事な歯跡であった。つい痛みを忘れて赤い跡に見入ってしまう

「……遠坂、お前虫歯とかしたこと無いだろ」
「もっちろん、歯は取り返しが着かないからちゃんと手入れしないとね。魔術
は良くない薬を使うこともあって、専門にやっててボロボロにしちゃう錬金術
師も多いから」
「うん、なんとなくそんな気がした。じゃなくてこれ」

 俺は身体を起こし、得々と説明する遠坂に腕を指さして見せる。
 明かりは強くないけど、くっきりその跡は見える。二の腕にかぶりと噛みつ
いていたけども、幸い血は出ていない……血が出たら堪らなかった。こう、赤
く腫れて痛い。

 遠坂がむ、と口をへの字にして布団の中に潜り込む。目だけ出してこっちを
見ているけど拗ねていて……いきなり人に噛みついておいてこれか、と思うと
頭に来るんだか困るんだか、もうなんとしたものか、悩む。

「…………」

 遠坂の目が吊り上がって、じーっと俺を見ている。
 その間中、噛まれた腕を差している俺。指を差してこっちも怒ってみせる…
…さっきまで良い雰囲気だったのに、こんな風に遠坂に水を差されたんだから。

「…………」
「…………」

 しばし続く、無言の対峙。
 何で遠坂が噛みついたのかを考えようとするんだけど、あまりにも突飛な行
動なのでそのヒントも思いつかない。まさか歯形を見せたいから噛みついた訳
じゃないだろう、しかしそうなると……なんだ、何か俺が悪いことをしたのか、
それとも遠坂流の新手のスキンシップなのか。

 叩かれたり連れ回されたり変なもの飲まされたりするけど、噛まれるという
のは新手だった。これから何かあると噛みつかれるのかも知れない、文字通り。

 もし学校で馬鹿やったら次の瞬間に人前で噛みつかれたらどうしよう――と
思うと言い様のない不安に襲われる。遠坂さんに噛みつかれているわよ衛宮く
ん、あんな風に見せつけなくてもいいのにね、とか衛宮殿衛宮殿、破傷風の予
防接種はよろしいか、と聞かれるとか……

「……士郎?」
「な、なんだよ遠坂……」

 じっと瞳が俺を見据えて離さないと、ドキドキする。黒目がちな遠坂の大き
な瞳が、俺を怒って見ている――気もするけど、少し潤んでいる感じがする。
顔が半分布団に隠れているからどんな事を考えているのかを見取るのが、どう
も難しい。
 遠坂の瞳にすっと、吸い込まれそうになる。上掛けの布団越しに遠坂の細い
身体が分かるんだけど、あれも裸だと思うと――

「いや、遠坂。何か悪いことを俺がしてるんならちゃんと言って欲しい。出来
れば直す……から、こう、いきなりこういう実力行使はちょっと……」
「だって、痛かったんだから」

 ぼそり、と小さく布団越しに言われると、俺も口ごもってしまう。
 痛かったんだから……そんな遠坂の台詞が頭の中に響く。怒っているけども、
じゃれついてくるようなどこかに柔らかさを感じる声。俺の胸の中にぬるりと
滑らかで融ける何かを塗りたくられるようで。

 つい唇を空転させて、声を出さずに遠坂の答えを待つ。
 でも、じーっと布団の中に蹲って俺を見ているばかりで、続きがない。痛か
ったんだから、というのが思わせぶりで、済まないと言う自責の念を抱かせる
のではなく、もっと……痛いの気持ちいいのも、遠坂にしたくなる。

 ――落ち着け、俺。そんなに勃起している場合じゃなくて。

「い、い、痛かった?」
「…………やっぱり士郎は聞いてないのね、うん、これだから男はみんな獣だ
って分かったわ……この世の半分が獣ばっかりというのは嘆かわしいことね」
「いや、遠坂、その、痛かったら痛いとちゃんと言ってくれれば俺も」

 しどろもどろの弁明。遠坂はなにかこの世の全てを悟ったようなことを呟い
ているけど、その原因となった俺に心当たりがないのは正直閉口する。言った
って何を?と正直に聞き返したい。
 まだ目だけが出ている遠坂が、怪しそうに俺を睨む。

「言ったわよ、だってほら、士郎ってまだいろいろ強引だから」
「あ……う、あ、確かにちょっと聞いたこともあるような気がする。ほら、で
も……」

 そうすると感じるみたいだったから、という言い訳は口にしない。でも語尾
が逆接のままだったから、言わんとすることは聡い遠坂ならすぐに探り当てら
れそうで。
 やっぱり、けものけものけもの、という非難の眼差しが痛い。それで憤激し
ているならともかく、同衾して拗ねているというのが、逆に色っぽくて困る。

「………ううあ」

 髪を掻く。ここで遠坂が立ち上がって頭から湯気を立て、奥歯を噛みしめ俺
を説教するのなら平伏して聞く。でも、なにかこう、ある意味遠坂らしいけど
遠坂らしくない誘惑の薫りがする怒り方は……息が半分も出来なくて、頭がふ
らつきそうだった。

「あー、遠坂。やっぱりその……まだ、すると痛いのか?」

 そんな中に、何か縋り付く端緒を探そうととりあえず聞いてみる。
 しかし、聞き終わった後にあまりにダイレクトな内容――すると痛いのか?
という言葉が漂わせる直裁的な内容が、俺を赤面させる。
 もちろん、覗く遠坂の顔も真っ赤になっていた。

「し、士郎!だ、だって士郎が入れてるんだからそれくらい分かるはずじゃな
い!」
「わ、わかるもんか!だって俺の形と遠坂の形が違うんだし、男女の相違とい
うかおしべとめしべというか、ああ、だ、だからほら!」

 息せき切ってしゃべり出すけど、何言ってるんだかさっぱりだ。
 こ、こう、やっぱりそれなのか?うわ、頭の中が薔薇色に染まっていく。口
喧嘩なのに頭の中に遠坂の敷いた身体の柔らかさと細さが甦るのは、それに一
緒にまだベッドに入ってるから温もりさえ共有している。

 まずい、何かこれはひどくまずい。
 胸がばくばく脈打ち、口の中が急に乾いて舌がひりひりする。それよりもこ
う、股間のきかん棒があの感触を甦らせていて……

「ほ、保健体育の時間でも教わらなかったぞそんなこと、女子は集めてビデオ
見てたけど男子一般はまさか俺たちがバスケットボールしている間にそんな赤
裸々な秘密が明らかにされているだなんて!」
「そんなこと保健体育で教えるものですか!一体もう男の子って何考えてるか
分からないわね、こっちのことが分かるように出産しろとは言わないからせめ
て一ヶ月に一回生理になってみなさいっていうのよ、本当に」
「それは全く不公平で面目ない、いや、謝って済むような事じゃないと思うけ
ど」

 ついつい話がよじれてしまう。まぁ、真顔で言い合うには恥ずかしいネタだ
からこうなるんだろうけど、でも……いや、問題はやっぱり、その、頭の中で
考えるのも恥ずかしげで。
 頭を何度も掻く。噛まれた腕の痛みはどっかに飛んでいった。

 重要なのはそこではなく、ここだ。
 頭の中で台詞がまとまらない。ただ、遠坂の身体の記憶から少しでも言葉を
掬い出そうとする。甘い吐息、腕の中の温もり、脈動、包み込む柔らかさ、抱
きしめた太股、濡れた秘所に深く繋がる俺と遠坂、口付けの息は肺の中で愛欲
に熱され、舌に粘る。

 そんな感触、そして言葉でおれは……

「……その、えっと……ほら、やっぱり」
「――――」
「遠坂がすごくこの、小振りで、狭くて気持ちいいからつい……無理をして」

 ごめん、と頭を下げる。
 
 ――頭を下げることに、抵抗はなかった。
 でも、どこかそれは恥ずかしく、そして誇らしい。

 なぜって、だって、そんな遠坂を感じる俺がいるんだから。無茶して遠坂を
痛くしてしまうのも、可哀想だけども俺には嬉しいことだった。欠けて、満た
されること、知らぬ何かを求めて彷徨うことを止めない衛宮士郎という存在が
受け入れられるのはただこの、遠坂凛という見事でしなやかで、そして何より
も大事な存在の中だということが……

 それをこんな言葉でしか言えないのが、悔しく思う。
 でも、全て言葉に出来菜からこそ、俺の中の思いは暖まっていく。

「…………ば、馬鹿。わ、私のはそんなに士郎が言うほど……し、士郎のが大
きいから悪いのよ、きっと!」

 ……そうなんだろうか?
 顔を上げると、布団の縁からようやく顔を出した遠坂が、わたわたと叫んで
いた。目が落ち着かなくて、慌てているようで、顔は真っ赤で……布団を握る
手がぎゅっと握っていて、それが可愛らしい。
 その、要するに俺が遠坂が名器だって言ったから恥ずかしがってる……のか?
俺のはその
「お、俺のは普通の筈だぞ?遠坂」
「嘘、だって士郎のってすごく反り返ってるし、太いし……こ、こんなのじゃ
ない、だって」

 遠坂が手を離し、目の前で両手の人差し指で長さを示してみせる。
 ……なにかこう、遠坂の認識ではすごく大変な長さになっているようだった。
それくらいあると男として誇らしいのか、それともなんか困っちゃうのかとい
うほどに。

「いや、俺はずっとこれくらいだと思っていたけど」

 俺が今度は人差し指を立てて、男の平均13cmを示してみせる。
 ……定規を当てて計ってたこと解かないんだけど、これくらいはあって然る
べきだと思う。いや、もし短かったらすごく鬱になるのでしないんだけど……
しかし遠坂のだとそれより遥かに長くて、縮んでもトランクスからこぼれ落ち
てくるような気がする。
 その5割り増しの回答をする遠坂が、俺を怪訝そうに見つめている。俺の指
し示す長さと自分の長さを見比べ、やおら……

「嘘。そんなに小さくないわよ、士郎のお……だ、男性器は」
「今お、の後に遠坂がなんて言おうとしたのだかすごく気になるんだけど」
「ばっ、ばかっ、そんなこといちいち私に言わせないでよ!そんな士郎のおち
んちんだなんで――ああっ」


(To Be Continued....)