SWEET&SWEET            末丸






「ふわぁ〜〜……ぁ」

ぐっと空に向かって伸びをする。
眠気を覚ますための行動のはずなのだが、それが更にのどかな空気を生み出し、
再び眠気の波に自らを呼び込もうとしている。
実際はそれほど眠いわけでもないのだろうが、今のこの状況ならそれも仕方な
いのでは、とも思えてくる。

すぅーっと、風が首筋の辺りを通り抜けていく。
気温は低く、まだ暖かいとは言い難かったが、この季節にしては珍しく穏やか
な気候で、過ごしやすいと言えた。

すぅーー  すぅーー

また風。
先ほどよりも短い間隔で触れる空気を震わせる。

静かな一時。
普段は騒がしいこの家も、今はただ静寂にその身を任せている。
気候は優しく、天気も悪くない。
それに今日は予定もないのだ、他の皆はともかく、今自分には確かに何の予定
もない。
そう言い聞かせる。
まぁ、そう気合を入れて思うことでもない、か。

セイバーは藤ねえと一緒に新都へ遊びに、確か獅子だか虎だかのぬいぐるみを
ゲットしに行くのだとか何とか。
そして桜は弓道部関連の事で美綴に呼ばれていて外出中だ。

と、いうわけで。
縁側に落ちる影一つ。
いや、違う。
二つの影が重なり、それが一つに見えるだけ。
小さくため息をついて、衛宮士郎は自らの影を見つめながら、そっと視線を移
動させていく。

すぅーー  すぅーー

また風が吹く。
いや、これも違う。
これは風ではなく。

「ん………ん」
「(びくっ)」

彼女の、遠坂凛の寝息だった。
それを、士郎は今思い出した。
初めから忘れてなどはいなかったはず、しかしその音と目に飛び込んでくるそ
の映像は、士郎の記憶を一時的に削除し、のどかな気候へ現実逃避させるには
十分すぎるくらいの威力があった。

簡単にいえば、今彼女は寝ている。
問題はその体勢、というかこの状況だ。
ただ眠っているだけなら士郎に対してここまでの威力はない……………ないは
ず、いやもしかしたらあるかも知れないが、この今の体勢には適う事はないだ
ろう、何故なら。

「ん………」

ごそそ、と凛の体が動く。

「ぉあ……ぁぁ……」

その動きの後、声にならない声をあげる士郎。
当然だ、彼女の動きはどれも、ほんの僅かな動きでも、直に士郎に伝わってく
るのだから。
そう、つまり、

「まさか、わざとやってるんじゃないだろうな……。まぁ、膝枕くらいなら、
俺も別に構わないけど」
「……ん、にゃ……んん」
「っほ……ぉぅ、ぁっは…!?」

ということである。
声にならないのではなく、声をあげられないという状況。
大きな声を出してしまえば彼女を起こしてしまう、それにこの状況も、あなが
ち苦痛というわけでもなかった。
むしろ、嬉しいと言ったほうがいいかもしれない。
気持ち良いのか悪いのか、苦しいのやらくすぐったいのやら。

そんな事など雨上がりの露ほども知らず、心地よさそうに、士郎の膝枕で寝息
を立てている凛。
その寝顔も安らかで、何のまじりっけもない宝石のように見えた。
純粋で、嘘のない表情。
いつだって彼女は真っ直ぐで。
いつだって輝いているのだけれど、今はまた違う印象を受ける。

まぁ、その……なんというか。

「こうしてると、もっと可愛いんだけどな……」

瞳を閉じている彼女の素顔。
ゆっくりと流れている時に身をおきながら、優しく髪を梳る。
綺麗な黒髪。
途中で引っかかることも無く、まるで髪の毛が指をよけるように、すっと。

ちなみに今、彼女はリボンを外している。
いつもは彼女の頭の左右に結わえられている髪も、今は垂れ下がり、そっとそ
の背中に降りている。
うん、こういう髪形も悪くない、と士郎は思った。
いつも通りの髪形も捨てがたかった、と言うより、士郎はもともと髪形を女性
の好みの判断に考慮しないたちなので、凛であればたいていの髪形なら似合う
と思っていた。

目に映る光景に頬を緩めて、士郎はあわてて普段の表情に戻す。
凛に見られでもしたらまたからかわれてしまう。
そう思いつつ、やはり彼女の優しい寝顔は、士郎の心を解きほぐす。
どれだけ強張り、緊張しているときでも、彼女がいれば安心する。
大切なパートナーであり、相棒であり、友人であり、そして恋人。
暇さえあれば、凛を見ている。
傍にいないときは凛の事を考えている。

それは俺だけなのだろうか?と士郎は思う。
もしかしたら、彼女の方はそれほど思ってはいないのかもしれない。
でも、逆に、俺以上に思っていてくれているかもしれない、それは分からない、
でも、少なくとも、おれにとって凛は特別な存在、それは間違い無い。
そして、願わくば、彼女にとっても俺が特別な存在であればいいと、そう思う
のだ。

「―――って、何考えてんだか」

柄にも無い事を思い浮かべてしまった気がする。
まぁ、いいか。
もう一度彼女の頭を撫でながら、青く染まる空を見上げた。
雲が流れている。
春先に相応しい気候。
単純であるが故に美しい、一面のパノラマ。
流れる白に佇む蒼。
ゆっくりと、体の中の何かを解き放つように、士郎は息を吐き出した。

時刻はまだ午前。
陽も、まだ頂点には達しておらず、これから昇っていこうとしている。
さて、と。

「さて、と……」

場所を変えるとしよう。
それほど心配する事は無いと思うのだが、このまま彼女を直接外気に晒してお
くのもなんだし。
いくら暖かいとはいえ、無防備な状態では万が一、風邪をひいてしまう様な事
になるかもしれない。
とりあえず、寝続けるにしても、起きるにしても、ここにい続けるという選択
肢は消えていた。
消えていたのだが、

「………どうやっても起こしちまうよなぁ」

と、当たり前のように士郎は気づいた。
まぁ、その時はその時、そう意思を固める。

「出来れば、怒らないでくれな」

優しく呼びかけて、立ち上がり際にそっと彼女を抱き上げる。
彼女からすれば、体重は女の子の一生の敵なのよ!!―――と怒涛のごとく叫
び出すほど重要なことらしいのだが、士郎にはそれほど重要とはあまり思えな
い。

「別に重いって訳じゃないのに……」

事実、凛はそう重い方ではないと思う。
体の線も細く、スタイルもいい。
無駄な肉がついてるとは、はたから見ている限りでは思えない、それに、実際
ついていないだろうし。
とか何とか考えつつ、ついつい視線は抱き上げている彼女へと映ってしまうわ
けで。

綺麗なライン。
女を感じさせる丸みを帯びた曲線。
すらっとした足、衣服の隙間から覗く腿。
見る限り余計な物が何もない腰の形。
そして………まぁ、胸は標準、と。

ごすぅ!!!

「ぐほぁっ!???」

い、いま、今な、何か腹と顔面と背中と腰と両足の小指に激痛がっ!?
思わず凛を床に落としてしまいそうになるが、そこは士郎も男、いや漢の意地
がある。
生涯見せたこともない動きを体中の骨と筋肉が披露し、何とか必要以上の衝撃
を全て殺し、彼女を再び両手の中に収めることに成功した。その時、彼女の左
腕が淡く光っていたようにも見えたり、痛みを感じた部位から煙が上がってい
たようにも見えたが、士郎は気のせいだと思うことにした。
いや、そうしなければ更にダメージを受ける事は明白だったから。
――――って、俺口に出してたっけ?

と、士郎が考えている間に、居間へとたどり着いた。

畳の上に凛をそっと寝かせて、そっと薄手の毛布をかけてやる。
すぅー、とまた安らかな寝息が聞こえてくるまでに、そう時間はかからなかっ
た。

平和の象徴と言っても差し支えないであろうその音。
のんびりと凛の寝息を聞きながら、士郎は自分の湯飲みに茶を注ぐ。
ほんのり立ち昇る湯気がまた、のほほんとした空気を拡大させ、充満させてい
く。
未だ中に温めの茶を蓄えたままの急須を机の隅に置き、あ〜〜〜こういうのさ
いこ〜〜、な〜んて溶けそうになりながら考えつつ、視線をそっと彼女へ。

すぅーー
     すぅーー

僅かに上下する彼女の体。
生きている証をその僅かな動きで表現し、士郎に安心を与えてくれる。
何を馬鹿な、と思われるかもしれないが、ほんの1,2ヶ月前まで自分たちが
いた状況から思えば、それも当然だと、士郎は思った。

殺し、殺され。
騙し、騙され。
協力し、裏切られ。
立ち向かい、時には逃げ出し、そして、勝ち残った。

敵を失い、友を失い。
理想を砕いて、夢を得た。
妄想を打ち破り、道を見つけた。
孤独を知り、自分を知り、そして………

「お前に、助けてもらったんだよな」

湯飲みを静かに置いて。
こちらも静かに彼女の枕元へ。

すぅーー

この寝顔を見て、顔が熱くならなくなる事は、おそらくこの先絶対無いだろう。
いつもなら、無防備な笑顔を見せる事はあっても、こんなに純粋な安らぎに満
ちた表情は絶対に見る事は出来ないはずだ。
何より、彼女が見せないだろう、もちろん恥ずかしがって。

「くく………」

士郎の口から声に出ない笑いがこぼれた。
まあ、そこが、そんなところが、やはり可愛いと思えてしまうわけで。
そんな表情が、やはり彼女の魅力であると、再確認して、改めて確信するのだ。

梳る黒髪はただ柔らかく。
触れた頬から伝わる熱は、確実に士郎の鼓動のリズムを引き上げていく。
でも、それは焦りや、恐怖からではない。
彼女の、遠坂凛の、優しさ、怖さ、魅力、長所、短所、弱点………彼女のほと
んどを知った今だからこそ持ち得る、誇らしさと呼べるであろう感情。
出会ってから彼女と共に時間を過ごした一人の男としての、”誓い”という名
の意思。

ゆっくりと進む時間。
刻むリズムは同じでも、聞こえる鼓動は同じでも。
それでも彼女と二人きりの時は、それこそ時間が、時が止まって無限の空間に
いるとさえ思える時さえある。
それが、俺が彼女を愛しているという証であれば、そして彼女も同じであれば
いいと思うのだ。

「――――っ、またか、俺は何を………」

「……ん、っん〜〜〜………ん?」

「………やってんだかな」

俺の掌の感触を感じたのか、凛が僅かな声と主に動く。
その後薄っすらと、まだ寝足りなさそうなぼんやりとした顔で。

「――――士郎?」
「ん、どうした?」

出来るだけ刺激を与えないように。
士郎は凛と同じテンションで、同じ流れの中で言葉を返す。
まだその手は彼女の頭を撫でている途中。
でも凛も不快そうではなく、むしろ気持ちよさそうに、とろんとした表情で士
郎を見つめ返している。

「えへ〜〜しろ〜〜だぁ〜〜〜〜」
「っ!? お、ぉわぁっ!?」

ぼふっ、とでも擬音化すればいいだろうか。
一瞬何が起こったか分からずに、その音だけがやけに鮮明だった。
突然のことに士郎はバランスを崩し、後の机に背中を軽くぶつけてしまう。

ごとっ。

聞こえたのは短い音。
感じるのは胸の辺り、柔らかい何か。
そして体にのしかかってくる心地よい重み。

ん―――――ごとっ?

「へっ?」

視線を向けたときにはもう遅い。

――――――ぁ。

その呟きもむなしく、再び一瞬だけ、世界が暗転して。
感じるのは心地よい重みと熱。
伝わるのは頭部への鈍痛とやっぱり熱。

ってか………

「っ!?」

……………ばしゃぁ。

こぼれた。
もう完璧に。
それも体勢が体勢だったから、頭からまともに急須に残っていたほとんどの茶
をかぶってしまった。
と、いうことはですよ、つまり。

「…………っ!? ぇ……?」

この体勢からいって。


「あ――――な、なによこれぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!!!!!!!???????」


あ〜〜きた。
き〜〜ん、ってきた、き〜〜んって。

耳元で発生した超局地型抹殺兵器の超音波に何とか耐え切り、既に分かりきっ
た自分の状況を確認する。

つまりだ。
寝ぼけて夢見がちな状態でまったりしておられたこの遠坂嬢が抱きついてきた
拍子に、机に乗っかっていた急須が倒れて、それで二人とも、

「ちょっ、士郎っ!? これどういうことよ!?」
「どういうことって、ぉぃぉぃ」

びしょびしょになってしまったと。
そういうわけなのだが、抱きつかれた状態でそう言われてもいまいち怖くない、
ってか俺の所為か?
とも思いつつ、こんなにびしょびしょで気持ち悪い状態になりながらも、何だ
か凛とこうしていると、士郎は変な気持ちになってきそうで、それがまた怖い。

「な、何よその目は……」
「いや、俺は今この上なく嬉しい状況ではあるんだけどな、しかしいつまでも
こうしてるわけにもいかないだろ?――――よっと」
「きゃっ」

そう言いつつ、彼女を支えながらゆっくりと上半身を起こす。
あ〜〜変な構図。
士郎はあぐらをかいて、その上に凛を抱きかかえながら、その瞳を間近で見つ
める。
うぁ……近い。
当たり前のことだが、すぐ目の前に彼女の、凛の顔がある。
む〜〜、と凛も士郎の顔を見つめて、何かを言いたそうな表情を作っている。
しかし、近い。
もう、キスしてしまいそうなくら………

「「…………ん」」

い――――――?
い、今何か唇に………士郎は何が起こったかいまいち理解出来なかった。

触れた。
何が?
唇が。
誰の?
俺の。
何と?
唇と。
誰の?
遠坂の…………ぇ?

ぼんっ、と音がなった気がした。
思考回路がショートした音か、それとも自分の顔が赤くなったことの擬音か。
もしくはその両方。

目をぱちぱちさせながら、士郎はギギギギっと顔を、ってか視線を凛の目線へ。
すると、

「えへっ」

なぁんて言葉が返ってきたもんだから大変。
次の瞬間士郎の体全体を駆け巡ったのは、ぼんっぼんっ!!と頭が破裂しても
おかしくない衝撃。
それでも何とか意識を飛ばすことなく目の前の赤い小悪魔に問い返す。

「な、と、遠坂……」
「もうっ、士郎の所為でびちょびちょぐちゃぐちゃになっちゃったじゃない」
「ぁ、ぅん、ごめ………ん!?」
「ん、む……んん」

これは、その………キスだな。
と、士郎は当たり前のように納得する。
理性はとうに現状理解を諦めている。
なら、されるがままってのも何だか癪だ。

「んっ――――ん、ぁん……は、っ、し、ろぅ………ん」
「は、んぁ………ふ、んむ」

ただでさえ茶でびちょびちょになっているというのに、さらに互いの舌と唇を
絡め合う。
それがすぐ近く、自らの聴覚に伝わり、更に体が熱くなっていくのを、士郎も
凛も確かに感じていた。

唾液がとめどなく漏れ、そんな事も気にせずに二人は互いの口内を貪り続ける。
甘い。
いや、味なんて今はどうでもいい。
問題はそれが自身の興奮をどれだけ増大させる効果があるか。
答えだけ先に言えば、それは無限。
限界なんて感じない。
まだ二人服も着たまま、ろくに相手の体ににさえ触れていないというのに。

彼女が言った通り。
びちょびちょぐちょぐちょ。
音が聞こえる。

止まらない。
リミッター?
そんなものは忘れた、いや、そんなものは初めから存在しない。
士郎も、凛も。
士郎は凛の場合にのみ、凛は士郎が相手の場合のみ、このジャンルのリミッター
を完全に無視できる。

息が切れたのか、同時にキスを止め、少しだけ間が空く。
それでも男は女を、女は男の背中に手を回したまま、決して離れようとはせず
に。
はぁ、はぁ……そういう音と共に、自分の求める吐息がかかる。
こつっ、と額を合わせて、最も近い瞳に自分の姿が映っているのが見えた。

そこで、先に呟いたのはどちらだったか。



「お風呂、はいろっか」

(To Be Continued....)