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「……じゃぁ、ここにどうぞ。ここなら誰も来ませんから」

 俺たちがやって来たのは、体育倉庫だった。
 なるほど、ここなら先輩の言うとおりに誰も来ない。しかし、体育倉庫とい
えば随分懐かしい……昔にここの鍵を切ったことがあったな。
 俺が感慨に耽っていると、不機嫌そうな視線が俺の顎から頬を撫でる。

「……兄さん、ここに何かあるので?」
「いや、昔ちょっと……先輩の言うとおり、ここならたしかに誰も来ないよ」

 俺がそう答えると、先輩の名前が出たためかつーんと秋葉がそっぽを向く。
 秋葉はピリピリし続けていて、俺の腕を抱いて居るためかこいつの内心の高
鳴りが伝わってくる。よっぽど俺と二人っきりの場を邪魔されたのが腹に据え
かねて居るんだろう。

 ――そろそろ先輩と仲良くなって欲しいとは思うのだけども、秋葉ばかりは
どうか。

 先輩は倉庫の南京錠に触れると、軽くその上を撫でる。何かを呟いたような
気がしたが、すぐに先輩は鍵もないのに錠を開けた。
 ……秋葉もこんな風だけども、先輩も何かヘンだ。

 いつもなら売り言葉に買い言葉が重なって言いようのないヒートアップをす
る筈だけども、どことなく斜に構えたような感じがする。それに、時折見せる
顔がひどく淫らに見えることもある。やっぱり先輩の豊満すぎる体操着とブル
マが悪いのか。

 ……そういえば、俺の秋葉も着替えてなかったな。
 後で更衣室に行って服取って来なくちゃな、とか俺は思いながら、先輩が重
そうに引きずる扉の中の暗闇を覗き込む。

「ささ、どうぞ」
「……ごめん、先輩。お邪魔します」
「…………」

 一礼する俺と、ついと機嫌を損ねたままの秋葉。
 扉を潜った俺が感じたのは、埃っぽさと湿気と、土と汗の混じった何とも言
えない匂いだった。扉から射し込む光だけで薄暗いで、じっとりと停滞した空
気が澱んでいる。

 マットや雲底、ボール籠や跳び箱のつまった倉庫。
 ここでなら確かに目一杯やり合っても迷惑は掛からないだろう。次の時間に
なって準備の生徒が入ってくるまでは。

「兄さん、電気を……」
「おう、スイッチ……ってあったかな?ここに」

 取りあえず、入り口の側にあるだろう。俺が振り返って電気を探ろうとすると。
 ず、ずずずず、と重苦しい音を立てて重そうな扉が閉まろうとしていた。
 そして、その扉を閉める先輩の横顔に浮かぶ、怪しい笑み――

 なにがいったいどうしたのだろう?
 わからない。ただ息苦しい空気がにわかに重みを帯びて俺達に降り注ぐ。
 鼻の奥と喉の底がつまるような土埃の香り。

「きゃっ、兄さん!」
「先輩、何を……ああ!」

 ドシン、という音と共に扉が閉まる。
 扉が閉まってしまうと、中は――鼻をつままれても分からないほどの暗闇だった。
 おかしい。体育倉庫がこんな密室になるわけはない。俺の記憶だと天井の側
に明かり取りの窓がある筈なのに、なんでこんなに真っ暗な……

 俺は一瞬にして、どこにいるのかも分からなくなる。
 見えていた秋葉に姿も闇の中に消えた。手が放れてしまって秋葉は一体どこ
にいるのかも見当が付かない。
 それに、扉を閉めたはずのシエル先輩も当然所在が分からない。

 俺は暗闇の中で、目暗滅法に手を振り回して見るしかなかった。
 これで壁かスイッチに触れれば勿怪の幸い――

「いてっ!」
「どうしたんですか、兄さん……きゃっ!」
「秋葉、お前こそ……暗いから無理するな。今から明かりを……先輩、どこに
いるの?」
「そうです、なんで真っ暗になるのに閉めるんですか、シエルさん!黙ってな
いでお答えなさい!」

 だが、シエル先輩の声はない。
 もしかして、先輩によって俺は秋葉と共にこの倉庫の中に閉じこめられた……
という事が頭を過ぎるが、それはない。秋葉を追い出して俺と一緒に立て篭もる
ならともかく、秋葉と俺を一緒にしておくことは先輩にはなんのメリットもない
からだ。

 そうなると、先輩はこの中にいるはずだった。
 でも、息を潜めているのかぜんぜんその気配がない。もともと先輩はこういう
気配を消すのが上手いから、ここまで真っ暗になると手も足もでない。

「先輩……どこに?」

 答えはない。
 だけども、俺も秋葉も言葉を止めて静まり返ると、ほんの微かに。
 ヴィーンヴィーン、という低い音がする。モーターか何かの回転するような。

「な、なんだこの音……秋葉の持ち物か何かか?」
「私じゃありません、兄さん……はやく、兄さんでもシエルさんでも明かりを
付けて下さい!」

 秋葉が癇癪を起こして叫び掛ける。
 だがその瞬間。

「きゃっ!あっ!」
「おい、秋葉!」

 どすばたん、という音がして暗闇のどこかで盛大にすっ転ぶ音が聞こえる。
 そして、床の上で転げ回るようにごろごろと

「秋葉、暴れるな、そっちに行くぞ」
「兄さん、違います!あっ、んっ、あっ!」

 まだ暗闇の中で物音がした。それも長く、何かがもつれ合うように。
 床をごろごろところげて、籠のようなものにあたるガシャンと金属音がする。
 珍しい、秋葉の奴が暗闇の中で取り乱して暴れるだなんて。冷静沈着なあい
つらしくない。

「あっ、ちょっと、そんなところ……やっ、ああん!」
「お……おい、秋葉?」

 秋葉の様子も何かおかしかった。
 転んでぶつかっているんじゃなくて、何かと戯れているような。だがそんな
言葉も止んで、しん、と静まる。
 ……何が起こっているのか分からなかった。先輩はどこにいるのか見当は付
かないし、秋葉は変な様子だし、なによりもこの暗闇の体育倉庫。

「……おーい……何が一体どうなって……」

 というか、俺もこのまま彷徨うと二重遭難しかねない。
 体育倉庫で遭難するというのも間抜けな話だし、遭難してても救助はすぐ来
るに違いない。でも、俺も秋葉も何かに仲良く絡まって発見されると言うのは
どうにも恥ずかしい。

 俺はそろそろと素足の上に突っかけたデッキシューズを進める。足元に何か
がぶつからないかを慎重に確かめながら。
 とにかく扉の方に戻れば事態は解決するだろう。まったく、漏れ込む光一つ
ないだなんて一体どんな気密性を求めてこの倉庫を造ったんだか。

「秋葉、先輩……どこに……居たら返事をして」

 俺がそう暗闇の中に喋っている丁度その時。
 俺の足がふわっと、払われた。
 見事な送り足払いだった。体重を掛けた足をぽん、と軽く触れるように払わ
れて、支えを失った俺の身体の重心は床めがけてまっしぐらに――

「てっ!」

 コンクリートの床に尻を着くかと覚悟したが、意外にも……俺の尻の下には
マットがあった。
 ばふっと、手で後ろ受け身を取る。図らずも授業の知識が役に立った――と、
感心してる場合じゃない。
 足が払われたんだ。秋葉の所行とも思えないし、そうなると先輩が……先輩
が俺を転ばせる?

「いて……て。一体何が……」
「ふぅ、これで準備が揃いましたね。遠野くん」

 この体育倉庫に入り込んで何分経ったのか、ようやく先輩の声が耳に入る。
 ああ、いたんだ先輩――と俺は胸を撫で下ろしたかったが、そうもいかない。
 先輩の声の調子がおかしい。いつもの溜息混じりのお姉さんぶった先輩の口
調ではなくて、まるで……オモチャを前にしている子供みたいな笑いを含んだ声。

 どうしたんだろう?今日の先輩は何か……おかしい?
 水飲み場の時の様子といい、この倉庫に連れ込んだときのことといい。
 わからない。

「せん……ぱい?」

 俺がおそるおそる聞くと、しゃっとカーテンを開けるような音が響く。
 やはり俺の記憶は間違ってなかった。この体育倉庫は締め切りの密室じゃな
い。天井の所に明かり窓があって、昼の光がそこから差し込んで――

「つ……」

 俺は暗闇に慣れた瞳が上げる、光の苦痛に思わず声を上げる。
 光に目が慣れてくると、シルエットだけが見えた先輩の姿が見える。
 明かり取りの窓を背負うようにして、先輩が立っていた。やっぱり、扉を閉
めたときのあの笑顔が浮かんでいた。

 見る者をぞくっとさせる、淫女の笑いだった。
 目尻は下がって瞳の中に情欲の光が宿り、相好は柔和だけれども腐敗寸前の
爛熟したオンナの香りが漂っている。客を誘う娼婦の笑いがあったら、こんな
笑いなんだろう。

 でも、なんで先輩がこんな顔をしているのか、俺には分からない。
 ひどくおかしく、おもしろく、いやらしいなにかを見るかのような瞳で俺を
見つめている。
 その視線に俺は……違和感に耐えきれずに目をそらしてしまった。

「秋葉……は?」

 俺はこの体育倉庫にいるはずの秋葉を探す。さっき転んで居たはず……
 すぐに秋葉の姿は見つかる。跳び箱に背中を預けて座り込んでいた。
 だが、その恰好たるや――俺の想像を超えていた。

「……ど、どうしたその恰好?」
「に、兄さん……そこに……いやっ、見ないで……いやぁ……」




 

秋葉は、ロープに緊縛されていた。
 後ろ手に縛られて胴を縛り付けられ、体操服は胸までまくり上げられて。
 ブルマは膝ほどまで下げられてしまって、白いショーツの上には股縄が擬せ
られている。

 ショーツに食い込んだ縄目と、むき出しの白い胸の上の小さな乳首が鮮烈
に映る。
 そんな、思いもよらずに緊縛された秋葉の姿を俺はマジマジと見ていた。

 秋葉は身を捩るが、縄のどこかが結わえ付けられたかのように動けないで居た。
 俺はマットの上の腰を抜かしていたが、やがて――秋葉をこんなふうにした
本人を目で捜した。それは、明かり取りから差される光線の下に浮かび上がっ
ていて。

「せ、先輩……なんでこんなことを……」
「うふふ……何故、ですか?」


                                      《つづく》