晶は信じられないという顔をする。
動揺が激しい。
うーん、アキラは、さんざん秋葉に可愛がられてて、けっこう恐怖心抱いて
いるし、それでいて遠野の事慕っていたりもするし、なんだかんだでショック
大きいんだろうな。
そんな事を考えながら、蒼香は後輩の姿を眺めていた。
「羽居の推理だと、遠野の兄貴の命令による露出プレイじゃないかって言うん
だけどな。
そうだ、アキラは遠野の兄貴とも仲いいんだったよな。そんな事しそうな奴
なのか?」
「志貴さんですか。志貴さんが遠野先輩に、ぱんつを穿かないで学校に行けと
命じて、先輩はそれに従って……?」
「まあ、ありそうもないだろ」
戸惑ったように晶が蒼香と羽居を見る。
即座の否定を期待して、蒼香は軽い笑いを浮かべていた。
そんな訳ありませんよ、とアキラに力いっぱい否定して貰えば取りあえず場
がおさまるな、と思っていた。
しかし、晶の表情と口から洩れる低い声に、蒼香のその笑いは凍りつく。
「志貴さんなら」
「え?」
「志貴さんなら、そんな事するかもしれません……。いえ、きっとします」
どんよりとした暗い顔で晶は呟く。
質問した蒼香にではなく、自分自身に答えるかのように。
「志貴さんなら、そのくらいの事なら平気で……」
声に湿り気を含んでいる。
何やら目元に光るものが。
待て、なんだいったい?
もしかして遠野だけでなくて、中学生にも手を出してるのか、秋葉の兄貴は?
それも何だ、そんな酷い真似を?
そう言えば前に聞いた話だと、同じ学校のぱっとしない眼鏡の先輩やら、胸
だけがちょっとだけ、ほんのちょっとだけ目立つ他には取り得の無いあーぱー
娘とかとも何やら複雑な関係があるとか、遠野は言ってなかったか?
何か触れてはならぬものに手を伸ばしているような、背筋の寒さを蒼香は味
わっていた。
「秋葉ちゃんのお兄さんって、どんな人なの?」
「志貴さんですか。志貴さんは……」
なんで涙を流して絶句するんだ、アキラ。
そう言おうとして、蒼香は言葉を口に出来なかった。
どこか異様な雰囲気に、羽居は蒼香の腕にすがる。
「……いい、アキラ。答えなくていいから……」
やっとの事で言葉を搾り出す。
聞きたくない。
何かわからないが、聞きたくない。
蒼香は晶を止めようとする。しかし、晶は制止の言葉が聞こえぬように言葉
を紡ぎだす。
「志貴さんは優しいです。きっとアレも、この前の時だって、わたしは泣きそ
うになったけど、あれはあれできっと志貴さんなりの心遣いで……。
でも、志貴さん、今はあんなだけど、きっとわたしの事も……。
まだアキラちゃんだと無理だからね、とか言って何か考えながら笑顔になっ
ていたし。
わたしなんて、胸も全然無いし、アルクェイドさんとかシエルさんみたいに
見惚れるような美人でもないから、面白みがないだろうし……。
そのシエルさんだって、聞いてるだけで身の毛がよだつ事、志貴さんにされ
ているくらいなんだから、私なんかは……。
きっとわたしも首輪と鎖だけの姿で公園に連れていかれたり、裸のまま縛ら
れて置き去りにされたり、他人の見ている前で一人で恥ずかしい事を……。
ううん、きっとわたしの想像なんて全然及ばない様な、凄い事を……。
でも、志貴さんにあの声で、俺のアキラちゃんはやってくれるよね、なんて
囁かれたら従ってしまって、そのうち嫌々じゃなくて自分から喜んで……」
呆然と蒼香と羽居は、晶が思考を垂れ流すが如くとめどなく言葉として紡い
でいるのを耳にして、止めようと動く事も出来ずに立ち尽くしていた。
どんな奴なんだ、遠野志貴という男は?
晶の言葉に圧倒されつつも、その疑問だけが蒼香の頭に浮かぶ。
そんな酷い外道な鬼畜野郎なのか、遠野志貴は?
遠野の家っていろいろ複雑のようだけど、そこの長男って言うなら、まあ金
に糸目はつけずになんでも出来るだろうし、話聞く限りじゃけっこうイイ男み
たいだし、外人のモデルだかなんかに手を出すのだって、簡単なんだろうけど。
なんだかんだ言っても遠野にしてもアキラにしても、男慣れしてない良家の
お嬢様だし、そんな女たらしに引っかかっているのなら、面白半分にどんな酷
い目に合わされてしまうか……。
「ひん……、わたしまだ中学生なのに……」
晶はとうとうポロポロと涙を流し始めた。
依然、蒼香も羽居も呆然とその涙を見つめる事しかできない。
泣く晶に、黙って立ち尽くす蒼香と羽居。
と、その均衡が破られた。
「ちょっと、あなた達」
うわっ。
突然の背後からの声。
その低い凄みのある声に、蒼香と羽居はビクンと飛び上がる。
「な、なんだ、遠野か、脅かすな」
「そうだよー、びっくりしたよ、秋葉ちゃん」
しかし、秋葉は二人の抗議にまったく関心を寄せずに、前へ足を進めた。
晶の前に立ち、ポケットから白いハンカチを取り出すと、優しく晶の目尻に
当てた。
ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしつつ、泣き止もうとする晶に、「大丈夫?」と囁
き、少し落ち着いたと見て、振り向く。
「あなた達、瀬尾に何をしたの? まさかとは思うけど、上級生二人がかりで
中等部の生徒を苛めていたんじゃないでしょうね?」
「違う、断じて違う」
「そうだよ。わたしも蒼ちゃんもそんな事しないよ」
慌てて首を左右に振る二人に、秋葉も少し怒気を和らげる。
本気でそんな事していると思っていた訳では無い。
「まあ、そうよね。蒼香が瀬尾に酷いことする訳ないものね。でもそれじゃ、
何で瀬尾がこんなにぽろぽろ泣いているのよ?」
「遠野先輩……」
晶が、秋葉の袖を引っ張った。
秋葉は優しげな顔でそちらを向く。
「どうしたの、瀬尾。何かあるんなら言ってごらんなさい?」
「お二人とも私には何もしていません。
私が……、志貴さんに……、ひん、ひうん……」
志貴の名前を出して、晶は少し嗚咽を洩らす。
当然ながら、兄の名前とその後の晶の尋常でない反応に、秋葉の眉が上がる。
志貴が傍にいたら、がたがた震えて命乞いをするような雰囲気が漂う。
「兄さんですって? 兄さんに何かされたの、瀬尾?」
「志貴さんに、外で、わたし、恥ずかしい事……」
固形化するような殺気って本当に存在するんだな。
あまりに神経が圧力を受けると、かえって妙なところが冷静になるな。
蒼香は、もはや悲鳴すら上げられず、立ち尽くしてぼんやりと目の前の秋葉
の姿を眺めていた。
晶は泣き止み、羽居は転びそうになって蒼香の手に抱きついている。
さっき命乞いをしていた志貴は、今回は完全に死を覚悟していた。慈悲無き
死を恐れるあまり、先に自分の死点を探そうとしていたかもしれない。
「兄さん、なんて真似を……」
「待て、遠野、落ち着け。アキラ、おまえも妄想から醒めろ」
秋葉の声に、封印が解かれたように、体が動く。
冷や汗を流しつつ蒼香は叫んだ。
決死の思いで、秋葉の両肩を掴む。
一歩、一声、一動、それだけで生命力と精神力が根こそぎ消費される。
まともな挙動ではない。命を削るようなに動き。
「今のは本当の話じゃない。想像で盛り上がっただけだ。
そうだな、そうだよな、アキラ?」
「は、はい……」
最後は半狂乱になりつつ、晶に迫る。
晶は秋葉以上に蒼香に怯え、ガクガクと何度も首を縦に振る。
すっと秋葉の殺気が薄れた。
いや、常ならぬ蒼香の形相に、さすがに気を呑まれたようだった。
蒼香も秋葉に呼応していた気を収め、へなへなと倒れそうになる。
しばしの沈黙。
誰一人動かず、言葉を発しない。
やがて、冷静さを取り戻した秋葉が、ゆっくりと言葉を口にする。
「本当、瀬尾? 兄さんには何もされていないのね?」
「はい。いつも志貴さんは優しくしてくれます」
「そう……、ならいいけど」
微妙にズレがやり取り。
しかし、秋葉はとりあえず納得した。
「じゃあ何で兄さんの事で、瀬尾が泣き出すの?」
「いや、遠野の兄貴が外道な酷い奴だという話をしててさ」
「うん。お兄さんが秋葉ちゃんに調教プレイしているから、自分もされるんじ
ゃないかって怯えてたんだよ、アキラちゃん」
「はい、そうです……」
「な……」
これほど驚いた顔をした遠野って初めて見たな。
蒼香のみならず、三人共通の認識であった。
完全に声を失って、数秒口を開けたまま固まっている遠野秋葉の姿。
「な、何を言っているのよ。何よ、それ。
兄さんが、酷い人だってのは認めるけど、調教プレイってのは何よ!!」
「だってさ……」
「遠野先輩が……」
さすがに指摘しづらくて、蒼香と晶は顔を見合わせる。
だが、こういう時に、場の雰囲気とかをあっさり超越する存在がいた。
三澤羽居。
「だって秋葉ちゃんが、のーぱんで学校来てるんだもん」
「……え?」
驚くのを通り越して、呆けた顔の秋葉。
呆然と羽居だけでなく蒼香と晶に顔を向ける。
秋葉の目に映る友人と後輩の肯定の表情。
機械仕掛けの人形の如きぎこちない動きで、秋葉は上半身を倒し、手をスカ
ートの裾に伸ばした。
ためらいなく、ぐいっと捲り上げた。
全体の体つきに応じてほっそりとした脚が剥き出しになる。
それなりに張った白い腿も。
そして、何にも隠されていない性器も、恥毛の黒い茂みも、白昼の学校の廊
下で露わになった。
「な、な、何で?
ええと、落ち着け、落ち着くのよ。朝よ、朝。朝は……、お風呂で長居しす
ぎて、穿こうとしてたお気に入りがなくて、時間が無いのに気付いて、それか
ら慌てて……?」
さあーっと秋葉の顔が蒼褪める。
わなわなと体が頭からつま先まで震えている。
「あなた達、気付いていたの?」
「ああ、さっきだけどな」
平然と答える蒼香に秋葉は怒鳴る。
「なんでその時に教えないのよ」
「どう言えってんだよ。おまえがそんな事してて動揺して、それでこうやって
状況認識と対策の場をだな」
「一日中、のーぱんで……、穿き忘れて学校でのーぱん。うう、何人くらいに
気付かれただろう。あああああ」
絶叫し、頭を抱えてしまう秋葉。
それを見て納得がいったという顔の羽居と蒼香。
晶はそれに加え、安堵の色を浮かべている。
そうか、露出癖から来たものでも、そういうプレイでもなかったのか。
「よし、疑問が解決したな」
「めでたし、めでたしだね」
「よかった。やっぱり志貴さんはそんな人じゃなかったんだ」
事件解決とばかりに和む三人。
「なにを喜んでいるのかしら」
永久凍土のさらに底から這うような声。
当然、その声は一人残された秋葉のものである。
本能的な危険を感じるような声。
蒼香は傍らの羽居を片手で抱くようにして、素早く足を後ろへ動かす。
「ひいっっ」
晶は動く事も出来ず、僅かに小さく悲鳴を洩らした。
それを契機とするように。
秋葉が動いた。
「え、あ、きゃあ」
がしりと、晶の肩に秋葉の指が食い込む。
我、獲物ヲ得タリ。
そんなニヤリとした笑い顔を見せる。
そして、晶の体をずりずりと引きずるように、傍の教室へ秋葉は向った。
蒼香は止める事もできず、がたがたと震える羽居と共に、それを見守るしか
なかった。
許せ、アキラ、そう内心で呟きながら。
「いやーーーッ」
「いいから来なさい」
ピシャリ。
教室の戸が異様な音を立てて閉まった。
恐る恐る残された二人は近づく。
耳を澄ますまでもなく、否応なく声が耳に届く。
「嫌、嫌です」
「脱ぎなさい」
「やだ、なんで」
「逆らうとはね、瀬尾の癖に。いいわよ、それなら力づくで」
「許して下さい、遠野先輩。やだ、スカートが、ああっ。だいたい、わたしの
じゃ遠野先輩には合いませんよー」
「やってみなければわからないわ。それにダメでもそれはそれで。私一人こん
な格好で……」
「それでわたしまでなんて、八つ当たりじゃないですか」
「うるさいわよ、瀬尾。うっ、何よ、どうしてこんなの穿いてるの? 子供の
癖に。まさかこんなので兄さんを誘惑……」
「わあああん」
「ほらほら、と。ふうん、まだ生えてないんだ。お子様ね。瀬尾、離さないと
ちぎれるわよ」
中は阿鼻叫喚の地獄絵図のようだった。
声だけでそれは察せられた。
「行こう、羽居」
「え、でも、アキラちゃんが……」
「まさか、取って喰われはしないだろう。だいたいああなった遠野を止められ
るものか」
「でも……」
「いいか、羽居、アキラが尊い犠牲になってる間に身を隠さないと、今度はあ
たし達だぞ?」
「……うん。ごめんね、アキラちゃん」
ぎこちない動きで二人はそこから離れた。
足をがくがくと震わせながら。
「イヤーーーッ、誰か助けてーーーッッッ!!」
哀れな犠牲者の声だけが虚しく響き、そして散った。
《END》
―――あとがき
こんなのじゃ18禁じゃないや。うああ。
学校舞台でと思ったのですが、浮かんだのはこんなの。学校でのーぱんって
シエル先輩でやったしな。
もっとはじけさせられれば……。
ちなみに、最初は蒼香視点で書いて、その後で三人称に全面改稿してみたり
と、結果はどっちが良かったかなあと疑問。
読んで頂いてありがとうございました。
byしにを(2002/6/6)
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