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 悩める乙女達

                       作:しにを



「もうちょっと左……、良し。
 曲がってない、羽居?」
「うーん、いいよー、秋葉ちゃん。ばっちりだよー」

 背後から聞こえる声に頷くと、秋葉は伸ばした手に力を入れた。
 軽く刺さっている画鋲に力が加わる。
 細い指か強張り、みしみしと画鋲が壁にめり込んでいく。

 ポスター貼り。
 脚立の上で精いっぱい体を伸ばしている。
 下では、蒼香が台の脚を握り、支えていた。
 よし、と呟いて、トントンと秋葉は下へ降りる。
 数歩下がって仕事を確認し、満足げに頷く。

「うん、上出来。ありがとう、蒼香、それに羽居も。助かったわ」
「いや……、下で押さえてただけだし」
「わたしもー」

 秋葉は留め金を手早く折り込み、脚立を小さく畳んだ。
 その無骨なパイプの脚と一緒に、まだ傍らに残っている丸めたポスターを手
に取る。
 次に取り掛かろうと歩き始めた処で声がかかる。

「うん、まだあるんだろう。手伝うぞ」

 蒼香の声に、秋葉は振り向いた。
 横で羽居も蒼香の言葉に同意するように頷く。

「いいわよ、後は廊下だけだから。ここは、この額が邪魔で一人だと辛かった
けどね」
「そうだな」

 いつもであれば踊場に飾ってある、古めかしい浅上の学生規範を記した大き
な額。
 今は幾分紐の調整をされて位置が変えられており、替わりに真下に生徒会行
事のポスターが貼られている。

「それにしても、一人で作業か。他の奴は?」
「他の子とも分担でやってるのよ。それに、これを作る時に家の用事で参加で
きなかったから、分担も多めにしてもらったの」

 当たり前と言う表情で秋葉は答える。
 いろいろ悪癖やら欠点がある奴だけど、こういう責任感の強さは、素直に感
心するな。
 ふうん、と頷きつつ、蒼香は内心で呟いた。

 でも、なんで?
 そんな遠野がこんな……。
 今は抑えておこうとした疑問が自然に浮かぶ。
 慌てて蒼香はそれを掻き消した。

「だから、後は私一人で大丈夫。ありがとうね、二人とも」
「気にするなって、これくらいで」
「そうだよ、お友達じゃない」

 なんか学園物のノリだな。
 蒼香と秋葉は同じような思いで多少気恥ずかしさを感じる。
 羽居が真顔で言っているだけに。

 秋葉は軽く手を振ると、次の場所へと軽々と脚立を手にして行ってしまった。
 

 ……。
 行ったな。
 姿を消したな。
 蒼香は秋葉の姿が消えるのをじいーっと見守っていた。
 そして……。

「なあ、羽居」
「蒼ちゃん、あのね」

 言葉がかぶった。
 妙な納得感を目に浮かべた表情で蒼香は羽居を見る。
 そして羽居もやっぱりと言う表情で蒼香を見つめる。

「見たな、羽居も」
「うん。あれ、私だけの見間違いじゃなかったんだ」
「ああ、少なくともあたしははっきりと見た。あれは現実だ」
「そうだよね、絶対……」

 頷きあい、二人は幾分安堵を浮かべる。
 足元から崩れ去った何物かが復活したと言うように。
 自分の正気を疑っていた処を、大丈夫だと断定して貰ったように。
 なにしろ、あの……。

「どうしたんだろうね、秋葉ちゃん」
「いつもと変わりはなかった……、と思う」
「そうだよねー」

 それでもまだ二人とも核心には触れない。
 少なくとも、蒼香には口に出す事に躊躇いがあった。
 普段と何ら変わらない様子だったのに、あんな真似をするなんて。
 あの遠野が……。

「パンツ穿かないで学校来るなんて、どうしちゃったんだろう、秋葉ちゃん」

 ああ、口にしたな、羽居。
 そんな表情で「王様は裸だ」と叫んだ子供を見つめる蒼香。
 ……。
 そうだ、そうなんだよ、生徒会の仕事に勤しんでいる遠野秋葉は、今この瞬
間も、のーぱんなのだ。のーぱんで学園内を闊歩しているのだ。
 あの遠野秋葉がのーぱんで……。
 蒼香は眩暈を覚えた。

 羽居と二人で歩いていた処を、腕組みして考え込んでいた秋葉の目に留まり、
襟首をがしりと掴まれたのだ。
 そして快くご協力する羽目になった。
 まあ、別段手伝いくらい喜んでやってやるよ、蒼香はそう思ったし、羽居の
頭にはこういう場合に、断るという選択肢は浮かんでこない。

 脚立に登る遠野の足場を固定する為に、蒼香は鉄パイプの脚を支えた。
 ふと、頭上の遠野を見上げ、蒼香は凍りついた。
 別に何かしようとした訳でもない。
 他愛の無いからかいとして、「なんだ随分可愛いパンツ穿いてるな、遠野の趣
味か、それ?」みたいな言葉をかけようとしただけ。
 ほんの軽い気持ちだった。

 しかし、あいにく、遠野秋葉は下に何もつけていなかった。
 白のも、黒のも、ブルーのも。
 子供っぽいのも、アダルティーなものも、何も。

 蒼香の目に入ったのは、白い太股の奥、やはり白いお尻、片足を上り段に乗
せようとして、開かれていた花園。
 光が差さず暗かったにも関わらず、ピンク色のそこが妙に鮮明に、蒼香の目
に焼きついた。

 しばらくそうして固まったまま、蒼香は頭上で開き閉じ、歪む花唇の動きを
ぼーっと眺めていた。
 はた、と我に返り、蒼香は手で羽居を呼び寄せた。
 口に指を当てる仕草をしてから、場所を替わる。
 上を見ろとゼスチャー。
 なんだろうと羽居はひょいと上を見て……、何とも形容しがたい顔になった。
 見間違いじゃないよなと思いつつ、蒼香の自分を疑う気持ちが薄れる。

 羽居ならそこで「なんで秋葉ちゃん、パンツ穿いてないの?」とか、常人な
ら躊躇う質問を口にしてくれるかと蒼香は思ったが、さすがに無言。

 少し脚立をずらしたり、羽居が十数歩離れて曲がり具合を確かめたり、と一
見何事も無いように作業は進められた。
 そうこうしているうちに満足が行く成果を得て、秋葉は地上に降り立った。
 何事も無かったかのように礼を述べ、そして秋葉は去っていった。
 そして残された蒼香と羽居。

「ねえ、蒼ちゃんてば、なんで秋葉ちゃん、あんな真似したのかなあ」
「あたしが訊きたいくらいだよ」
「うーん」
「まさか、家から穿き忘れて来た……、ないよな」

 自分でも疑わしいな、という口調でとりあえず意見を出す蒼香。

「秋葉ちゃんが、まさか。わたしだって、そんな間抜けな事しないもの」
「ほうう。パジャマの着たままスカート穿いて学校来たの誰だっけ?」
「違うもん。あれは寒いからぎりぎりまで脚を暖めてからって思って……。
 蒼ちゃんだって、ブラジャーしないで来たの忘れてて」
「うるさい。どうせあたしはおまえさんと違ってあってもなくても関係ないか
らな。それだって遠野に比べたら……、そうだ、遠野の話だろ」

 お互いの失敗話、恥話なら事欠かない二人であり、蒼香は未発でセーブする。
 
「蒼ちゃんから脱線したのにぃ」
「すまん。まあ、あたし達のことはこの際どーでもいい」

 うー、とか言って睨んでいるというには可愛すぎる顔をしていた羽居が、こ
ろりとまた表情を変える。

「そうだね。じゃあ、えーと」
「もしかして、わざとかな」
「わざと?」
「ああ。あーいう格好をして、わざと他人に見せつける露出行為」

 幾分先ほどと比べて確信を声に乗せている。
 羽居も蒼香の言葉に、即座の否定はしない。

「秋葉ちゃんが? そう言えば今日は少しスカートが短かったかなあ」
「そうだったっけ、いや、そう言われるとそうかもな」
「うん。でもなんで秋葉ちゃんそんな恥ずかしい事するの?」
「それはだな、遠野って、普段、がちがちに拘束されているだろ。家の事とか、
学校でも。さっきだって責任感持って仕事してたし」
「そうだね、秋葉ちゃん、何でもしっかりやるものね。偉いよね」

 羽居は素直に秋葉への賛辞を述べる。
 そうだろう、と蒼香は頷く。本人がいる処なら絶対にこんな話をしないが、
 蒼香にしても、公的な方面での遠野秋葉に対する評価は高い。

「そういう人物は、開放感を求めてああいう真似をしたりするものだろ。遠野
だって例外じゃない。決して芯から真面目一徹な奴じゃないしな」
「そうだね」
「さすがに、白昼に全裸で出没したりはしないだろうけど、昼の学校でのーぱ
んで過ごすなんてかなりドキドキするんじゃないのか」
「うんうん。いつばれるかわからないものね。……あれ、でも、それじゃさっ
きは何で私たち呼んだのかな? あんな事したらわかっちゃうじゃない。現に
わたしも蒼ちゃんも気付いたし」
「物足りなくなったのかもしれないな。結局、放課後まで誰にも見つからなく
てさ。あたしとか羽居に見つかって問い詰められても下手な嘘で押し通せるし、
さすがに他の奴には黙ってるだろ」
「そうだねー」
「きっと欲求不満が溜まってたんだな、けっこう不憫な奴だな、遠野も」

 うん、と同意しかけて羽居は首を傾げる。
 調子よく自説が肯定されていくのに幾分気を良くしていた蒼香は、どうした
という目で羽居を見る。

「羽居、何だ?」
「それ、ちょっとおかしいよ」
「どこが?」
「うん、秋葉ちゃん最近めっぽう機嫌がいいもの。お兄さんと上手くいってる
みたいで」
「あ、そうだな」

 それは……、思い当たる事があるな。
 蒼香は調子よく進めた証明問題の途中で、計算ミスを見つけたように顔を顰
める。

「昨日だって、お昼いっしょにしてたら、気味悪いくらいにっこりして、思い
出し笑いしながらぼんやりしたり、あれって……、その……」
「前の夜に、兄貴と何かあって、満たされたからだな、察するに」

 その辺の話は一切秋葉の口から聴いた事はないが、女としての本能的な勘か
ら、蒼香も羽居も何とは無くは察している。
 しばらく家に戻って、何やら長いこと引き離されていた兄さんとやらと同居
するようになり、いつの間にか、遠野秋葉の体が変わっているのに二人とも気
がついていた。
 宿泊研修の時に久々に一緒に風呂に入り、こっそりと丹念に観察をして、蒼
香と羽居は同じ結論に達していた。

 遠野秋葉は、女の体になっている。

 どこがどうと明確に表現するのは難しいが、その微妙な体の線、肌の艶で、
秋葉が誰かと、恐らくはその兄さんと結ばれたのだと、察せられた。
 一つ屋根の下にいて、恋人関係にあるらしいのだから、別段そういう関係に
あろうが他人がとやかく言う問題ではない。
 友達としてもあまりこちらからからかいのネタにすべき事ではないだろうと、
蒼香などは思っていた。
 ただ、異常に満ち足りた顔で登校して来た朝、首筋や胸に無意識にか手をや
ってとろんとした目をしたり、艶笑とでも言うべき蕩けるような笑みを浮かべ
ているのを目にすると、邪推するのを禁じえない……。

 ともあれ、確かに、ここしばらくは私の兄さんにちょっかいを出す泥棒猫と
やらの話も出て来ないし、遠野にストレスが溜まっている様子は無いな。
 そう蒼香は判断した。

「そうだな、どうもあたしの推論は欠陥があるようだ。うーん、残念」
「ねえ、蒼ちゃん。もしかして、お兄さんの命令とかかな?」
「へ?」
「だからね、お兄さんが秋葉ちゃんに命令するの。下着をつけずに学校へ行け
って。その姿で一日過ごさないと……って。
 それでね言いつけを守れないと、もっと酷い事をされちゃうんだよ」
 
 無邪気な笑顔で凄まじい推論を口にするルームメイトに、蒼香は強張った顔
を向ける。心持ち体が退いている。

「凄いこと考えるな、羽居」
「えへへ、アキラちゃんに貰った本に、そーいうのが描いてあったんだよ」
「アキラ?」

 あいつ、何てものを羽居に……。
 羽居はさらに、露出調教だの、放置プレイだのと、放課後とは言っても誰が
通るかわからない廊下で、女子高生には相応しくない単語を口にして熱弁して
いる。
 
「待て、羽居。ちょっと待て」
「え、何? 蒼ちゃん」
「そんな言葉恥ずかしげも無くだな」
「先輩、こちらにいたんですね」

 羽居の学園内の公序良俗に反する言動を、蒼香が止めようとしていると、新
たな声が割って入った。

「え、アキラ?」
「あ、アキラちゃんだあ」

 血相を変えて走ってきたのは、話題の一端となっていた瀬尾晶だった。
 いつもの快活な雰囲気は微塵もない。
 強いて言えば秋葉の前でブルブル震えている時に近い。
 しかし、そんな晶の常ならぬ様子に気を回さず、蒼香は叱り付ける調子で晶
に向う。
 
「おまえ、羽居にどんな本渡したんだ。既に悪影響が出てるぞ」
「あ、あの。イベントで、表紙が可愛かったんでよく確かめないで買ったら、
中身が凄かった本とか、隣の方と交換したらハード調教物だったのとか、捨て
る訳にもいかないしどうしようと思っていたら三澤先輩が、じゃあ私に頂戴と
かおっしゃって」
「相手を考えろ、相手を。
 羽居、おまえもだ、そんないかがわしいものを受け取るな」
「だって面白そうだったんだもん」
「すみません」

 なんであたしが、あたふたしてるんだろうと、蒼香は溜息を洩らした。
 恐縮していた晶は、思い出したように声を張り上げる。

「そんな事より大変なんです」
「ああ、どうした」
「遠野先輩が」
「秋葉ちゃんがどうしたのー」
「遠野先輩が……、その……」

 勢いこんだ割には、急にもじもじと声が小さくなる。
 頬も赤く染まっている。

 これは、あれかな?
 何とはなく蒼香には晶の言いたい事がわかった。
 蒼香だけでなく傍らの羽居にも、当然ながら思い当たる節があったから。

「アキラも見たのか」
「はい?」
「遠野のスカートの中」
「えっ? は、はい。そーなんです。よかった、わたしだけじゃなかったんで
すね。偶然、スカートがめくれて、そしたらお尻が、遠野先輩、パンツ穿いて
なくて……」
「見間違いじゃないよ。あたし達も見た。遠野は間違いなくのーぱんだ」
「うん、秋葉ちゃん何も穿いてなかったよね」
「どうしたんでしょう、遠野先輩があんな真似を……」


                                      《つづく》