帰宅した。
車の中では少し調子悪げに振舞った。
そうしていれば、少々普段と違っても変に思われないから。
家に入ると、さっさと部屋に退避したくて、急いで階段を上がった。
はやく私の部屋へ。
はやくタンスへ。
はやくパンツを。
「秋葉?」
名を呼ばれた。
心配したような響き。
兄さん?
はっと気がつく。
私は調子が悪いことになっているのだと。
それとも階段を駆け上るような真似をして、まさかとは思うが下にいる兄さ
んに見られたのでは?
慌てて振り向き、そして後ろ手に裾を押さえる。
え。
ぐらりと体が傾いだ。
「あ、きゃあっ……」
転ぶ。
手摺に手を伸ばすが、届かない……。
転げ落ちた。
幸か不幸か、振り向いたが為に、お尻から転んで階段をがたがたと滑るよう
に落ちる形で、痛い事は痛かったが、顔や頭はぶつけなくてすんだ。
それに、まだ数段上がっていただけだったから。
これが上から転げ落ちたのであれば、どんな酷い結果になっていたか。
とは言え、割合頑丈なお尻であっても痛いものは痛いのだ。
足や腰も打っているし。
「痛い……」
それに、ああ、なんて間抜け。
兄さんに笑われてしまう。琥珀もいると言うのに。
え?
どうしたんだろう。
駆け寄ってきたのに。
兄さんも琥珀も凍りついたように動かない。
いつもなら大丈夫かと声を掛けて、起こす為に手をさし伸ばしてくれる筈な
のに。
兄さんと琥珀の視線が顔でなく何処か少しずれた処に向けられている。
もう少し下の方に視線が落ちている。
?
……え、これ!!
大きく股を広げていた。
まくれ上がったワンピースの裾。
剥き出しの太股
そしてその奥の……。
つまるところ、私は何もつけていない性器を、恥毛も谷間も何もかもを兄さ
んの視線に晒していた。
せっかく無事に家まで辿り着いたのに、最後の最後で……。
……。
固まった。
ただ、顔がゆっくりと兄さんの方に向く。
終わった。
何もかもが終わった。
兄さんはどんな顔をしているの?
さっきもバレた時の事を妄想していたけど、その時の想像とはまるで違う恐
怖で体が満たされた。
兄さんはどう思っているだろう。
あんなに楽しく過ごしたデートの間、ずっとこんな格好でいた私を。
恥知らずと思っているだろうか。
軽蔑しただろうか。
嫌いになったのではないだろうか、私の事なんて?
え?
兄さんがようやく手を差し伸べてくれる。
機械的にその手に自分の手を重ねる。
ぎゅっと兄さんが私の手を握り締める。
暖かい手。
起こされた。
「どこか怪我はないか、秋葉?」
「大丈夫だと思います」
「そうか……」
平静な会話。
兄さんの表情からは、どう考えているのかわからない。
見なかった事にしてくれるのだろうか。
それなら……、それでも……。
少し心の暗雲が晴れる。
でも……。
突如、兄さんが私を抱き締めた。
軽く背に手を回しての抱擁。
「ごめんな、秋葉」
「え、ええ?」
少し沈痛な声。
何?
なんで兄さんが謝るの?
「そんなに、おまえが精神的に追い詰められているとは思わなかった。
そうだよな。毎日毎日、もの凄い重圧だよな」
「あの、兄さん」
わからない。
何がどうなっているのだろう。
それに体に触れている兄さんの手、腕、胸、脚……。
混乱して頭の中が沸騰しそう。
「ごめんな、わかってやれなくて。秋葉一人に背負わせて、俺はのうのうと暮
らしてて、それどころか心配かけたり我侭言ったり、最低の兄貴だな」
「そんな事ありません、兄さんは……」
何を言っているかはよくわからないが、反射的に叫んでいた。
私の兄さんは、世界一の兄さんなんだから。
兄さんの手が一瞬、ぎゅっとさらに強く私を抱き締めた。
「ありがとう、秋葉。そうだな、これからは良い兄さんになるよ。
秋葉が望むなら、いつでも一緒に付き合うから。何処でも何でも……」
え?
最後の方は涙声になっている。
抱き締めている手が震えていた。
抱擁が解かれた時、初めて見る様な優しい表情を、兄さんは私に向けていた。
その瞳は痛ましいものを見たかの様に濡れて、いや、確かに涙を湛えていた。
結局、兄さんが何を考えているのかわからなかったが、兄さんが促すままに
部屋に戻った。
少し休むといいと言われて。
何か考えていたのと違うけど、いいのかな……、これはこれで、そう思いな
がら。
兄さんとの意思疎通にどこか断絶を感じながら。
私は一人で自分の部屋に戻った。
◇ ◇
兄さんの涙の意味を教えてくれたのは、琥珀だった。
とりあえず、部屋で機械的にショーツを取り出し穿くと、しばらく何もしな
いでぼーっとしていた。
兄さんとも顔を合わせ難かったし。
そこへ琥珀が様子を見に、やって来た。
「よかったですねえ、秋葉さま。志貴さんがご理解のある方で」
「何よ、琥珀」
うんうんと頷きながら琥珀が話し始める。
私には当然、その意味はわからない。
「秋葉さまはただでさえ人目を惹きやすいから、ご一緒するって。何かあった
ら身を挺して秋葉さまをお守りするつもりなんだって。
ああいう志貴さんを見ると、かなりグラリと来ちゃいますね」
「何を言っているのかわからないわ。兄さんも琥珀も」
妙に感動した風なのが少々気に障る。
何で私にはわからない事を、琥珀にはわかるのだろう。
「だから、秋葉さまが下着もつけずに街を歩く様な露出プレイをなさるのを、
志貴さんは軽蔑したりしないで、肯定なさったんじゃないですか。
妹がそんな真似をしていたと知ったら、普通は反射的に嫌悪の念を抱くもの
でしょうけど、すぐに秋葉さまのご心配をして、自分の至らなさを反省なさる
なんて……、ちょっとできる事ではありませんね」
……。
ぞわっと背筋の毛が逆立つ。
「な、な、な、何よ、それ、誰も露出プレイなんてしてないわよ」
「今更隠さなくてもよろしいですよ。だってのーぱんだったのでしょう。志貴
さんとのデートの最中に。
他の時ならともかく、あれだけ念入りに服から何から準備なされて。まさか、
穿き忘れたとか、言いませんよね?」
「だって、本当に穿き忘れてたんだもの……」
琥珀は、私が冗談でも言ったようにおかしそうに笑う。
もう、秋葉さまったら、とポンと肩でも叩きそうな態度。
「いいですよ、私も秋葉さまにお仕えする身です。そんなすぐばれる嘘をおつ
きになられなくても。
そんな馬鹿な失敗、秋葉さまがなさる訳無いじゃないですか。
まあ、よしんばそうだったとしても途中で気づかれるでしょう? おトイレ
に行かれたりもするでしょうし」
「気づいたわよ。途中で」
「ほら」
琥珀は間違いを見つけた、というように指を立てる。
その態度は腹立たしいと感じる前に、私を不安にさせる。
何か私のした事に見落としでもあっただろうか。
「……何よ?」
「それで気づかれてから、屋敷に戻られるまでのーぱんで過ごしたと仰るので
すか? それを信じろと? 語るに落ちましたね、秋葉さま」
「だって仕方ないじゃないの、そんなの」
「それは、どこか山奥にでも行かれたのならわかりますけど、街の中なら幾ら
でも下着売っているお店なんてあるじゃないですか。こっそりとでも堂々とで
も幾つでもお買い物して、それこそトイレでも行って穿けば済む話ではないで
すか」
「ああ!!」
もっともだ。
何で気がつかなかったのだろう。
そんな簡単な事に。
そうしていたら、こんな事にならずに。
バカ、私のバカ。
「明敏な秋葉さまが、そんな事に気づかれない筈はありません」
「あの、琥珀、その、ね」
「いいですよ。秋葉さまがどんな性癖をお持ちになられても、私も翡翠ちゃん
も秋葉さまへの敬意に、微塵も揺るぎはありませんから」
ちょっと琥珀は真面目な顔になる。
背筋を伸ばし、宣誓する様に厳粛に言葉を口にする。
「秋葉さまがお望みなら、遠野の屋敷内ではどの様なお姿をなされても、どの
ような対応を求められても、わたしは従います。
見て見ぬ振りを望むなら、その通りに、自分の使用人に侮蔑の目で見られる
のをお望みなら、その様にいたします。
でも、学校や公式の場ではご自重いただけないでしょうか。遠野家、いえ、
グループ全体の醜聞ですし、志貴さんもそんな事になったらどれだけ心を痛め
られるか。
せっかく秋葉さまのご趣味におつきあいすると言っておられるのですし。
使用人としての分を越え、出すぎた事を申したと思いますが、御一考下さい」
「わかったわ」
気迫のこもった琥珀の言葉に、思わず頷いてしまった。
これって、肯定した事になるのでは?
「失礼致します」
丁重に一礼して琥珀が出て行くのを見守った。
止められなかった。
止めたとしても、何を言えばいいのかわからなかった。
何て事だろう
今日私は、何を得て、何を失ったのだろう。
どうやって兄さんと琥珀の誤解を解こうか。
呆然と閉まった扉を、私はいつまでも見つめていた……。
《FIN》
―――あとがき
いっせいのーで、の一発勝負という事で、正攻法で行こうかと思いましたが、
結局珍奇な方向へ。と言うか幾つかのお話をまとめたら整合性が……。
一人一作でなくてもいいと知ってたらもう少し……。
秋葉の妄想過多な感じを出せればなんとか、とか思っていたのですが。
中で志貴に酷いことされるのは、あくまで願望なので、秋葉自身の。
ラストあんなのだけど、まあ、「悪夢は終わらない」式のラストでは無いので
誤解は解けるでしょうけど。
これで兄さんとの仲が深まるのなら秋葉にとっては結果オーライですし。
あ、それと文中の映画は単なるお遊びです。わかる方のみ失笑して下さい。
お読みいただきありがとうございました。
by しにを (2002/6/2)
《つづく》
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