今。
 遠野志貴に、自分自身に腹が立っていた。
 何故、こうなってしまったのだろうか。答えの出ない中で、ひたすらにナイ
フを振り抜く自分自身に問いかける。それは自分のせいでもなく、彼女のせい
でもなく、世界のせいでもないのだろう。それぞれが、正しいと感じたことを
行った結果が今の状況なのだから。
 だからこそ。
 だからこそ、自分自身が苛立たしい。自分が求める結果に対して、する行為
に反吐が出そうだ。

「いいですか、遠野くん―――可能性は一つあります」

 記憶の中の先輩が真剣な表情で語る。
 再構成に入ったアルクェイドを元に戻す方法は皆無に近いらしい。リセット
のかかってしまった彼女は思い出すものが何もないのだから。無い袖は触れな
い、ということだろう。
 だが、彼女から受け取った記憶――今、自分の中にあるそれを彼女に写せば
可能性はゼロではなくなる。問題なのは世界の存在である。干渉を受けている
現在の状況では、写した記憶を再び消されてしまうのはまず確実であろう。そ
れを掻い潜って世界を出し抜くとなると、難度は急激に上昇してしまう。

「ですから、彼女と世界を一時的に隔離するのです……そして、その間に記憶
を写して、元に戻す。後は彼女に任せましょう……世界を変質させるほどの能
力を持っているんです、そのくらいは何とかなるでしょう」

 世界からの隔離。
 その具体的な方法を実行できるだろうか。

 扉を打ち抜いて、唸るような音を響かせている玉座の間に辿り着く。ひどく、
無機質な印象を与えるその部屋は冷たく、空間全体が凍り付いてしまったよう
でもあった。
 天井や壁など、あちこちから鎖が伸びていて、玉座の主を縛り付けている。
荘厳な印象を与える部屋にも関わらず、どこか現実感を消失させる内壁。
 その鎖は。

 彼女の戒めの具現なのだろうか。
 それとも。
 彼女を拘束する世界そのものか。

 白い、雪のような手足に朱色の雫がつたって落ちた。この部屋に来るまでに、
どれだけの強さで己を束縛していたのだろうか、足元には鮮血が泉のように広
がっていた。

 世界からの隔離。
 それは、彼女を殺すこと。

「―――――アルクェイド」

 彼女を殺すことで、世界に縛られた彼女を一時的に独立させる。後は真祖の
不死性に任せるといった算段。それで、彼女は元に戻るはずだった。世界から
隔離して、自己の記憶を写すことで彼女の独立性は一層強まって、世界もそう
そう干渉できなくなる、それがシエル先輩の見解であった。
 正直、上手くいくかどうか解らない。ここで彼女を殺すことが正しいことな
のかさえも自分の中で確立できていなかった。ただ、彼女を二度殺すという罪
を背負ってでも、世界から解き放ってやりたいと思っていた。このまま、彼女
に対して何もしなかったら、きっと自分は公開するに違いない。

 アルクェイド・ブリュンスタッド。
 彼女に対してここまで自分を掻き立てる想いは説明がつきそうにない。ただ、
放っておけないという気持ちと、好きで好きで仕方が無いという気持ち、その
他のたくさんの想いが胸の中を埋め尽くしているのは確かだった。

 こちらを拒もうとして、無数の鎖が身体を打ちつけた。鞭の様にしなった鋼
のそれは、刃のごとき鋭さで弾き飛ばそうとする。殺されることを拒絶した、
その鎖の動きにこちらの決心も鈍りそうになってしまう。だが、身を打つ痛み
が逆に決意を強く引き締める。

 鎖が、こちらを攻める度にアルクェイドの束縛も厳しくなってゆく。波打つ
ように動くたびに食い込む鎖は、強くなってゆき、血染めの床をさらに塗らす。
 その縛鎖が、不意に緩む。

「―――――」

 顔を上げて歩を進める。襲い来る鎖は、全てを一刀の元に殺した。
 その一閃は一線を薙ぎ。じゃらり、という鎖の音を断ち切って、凪ぐ。静か
だが、冷え切った底の知れない怒りを感じさせるような刃の軌跡だった。

「あ―――る、くぇいど」

 疲弊し、傷だらけの肉体を酷使して彼女の目の前へ。
 眠りについた真祖の姫は何も応えない。

「帰るぞ……お前の居場所はここじゃない……こんな冷たくて、硬い場所じゃ
ないんだっ! そんなとこで、いつまでも寝てんじゃねぇっ!!」

 はっきりとした声が、玉座の間全体に響く。響き渡る。

「記憶を俺によこして、勝手にこんな部屋に逃げ込んでいるんじゃねえ!」

 鎖が再びうねり、こちらへと肉薄する。今度は縛り付けるように、腕や脚に
絡みつくと、そのまま引き千切ろうと絞り込む。

「不安なのは解るっ! いや……その不安はお前にだけしか解らないのかもし
れない」

 さらに吼えた。
 喉の奥から搾り出した声は啼いているようにも聞こえたかもしれない。

「だけど、逃げるようなことは絶対にすんなっ! お前、楽しかったんだろ!
 生きているだけでやっと楽しいって実感できたんだろ! 失っていくことを
気にするなって方が無理かもしれない―――でも、でもっ! 失っても、お前
は、お前はちゃんと手に入れていたんじゃなかったのか!?」

 屋敷での短い生活。
 秋葉や、翡翠、琥珀と過ごしたあの一瞬で、彼女はちゃんと笑っていたでは
ないか。

「お前、一瞬だけど思い出したんだろ。ゼルレッチの爺さんが言ったことや、
あの日のことを! 楽しいことを感じていながら、みすみす手放すようなこと
をしてんじゃねえ! このっ、おおばかおんなっ!!」

 踏み込み、刃を振るう。
 その腕を拘束する鎖は、刻んでも刻んでも新しい鎖によって腕を縛られてし
まい、その一刀が彼女に向けられない。
 血でべっとりと朱に染まった床へと靴底を叩き込み、鮮血で紅く鈍く輝く腕
と刃で線を薙ぎ払った。

「忘れんなよっ! お前、約束しただろうがっ!!」

 残りの力を全て込めて、身を引き絞り。弓から放たれる矢のように跳んだ。
 無数の鎖がそれを引き止めようと、こちらの身体を引き戻してゆく。
 だが、構わずに叫ぶ。

「―――雪、降らしてやるって言っただろ! こんな、こんな千年城よりもま
しな景色を見せてやるっ!」

 鎖が、緩んだ。
 そのまま勢いを殺さずに一気に駆け抜ける。
 絶ち切った鎖が、ばらばらと崩れて拡散してゆく。破片すら残さずに、小さ
な微粒子となって消えていった。
 それを踏みしめて、息を零す。

 咆哮。

 それが自分のものだとは気づかなかった。
 何のために、何に対して吼えたのかも解っていなかった。ただ、何かを叫ば
ずにはいられないという気持ちだけで、喉を打ち震えさせていた。
 そして。
 十七に分割された彼女が、血の海に落ちる。

 彼女を再び殺してしまったことが。
 哀しくて啼いていたのかもしれない。
 吼えていたのかもしれない。



 分割された死体は夕日が射している間はそのままであったが、次第に宵が陰
り、月が姿を現すと元の肉体へと戻っていった。
 今ではすっかり元通りになったアルクェイドは穏やかな寝息を立てている。
 丘に広がる草原に腰を下ろして、泣き疲れた瞳で天を仰ぐ。

「ほーらみろ。降らしてやったぞ」

 ぱきん。ぱきん。
 ぱき、ぱき、ぴし。

 崩れ去った千年城は、渇いた音を立ててヒビを走らせた。その構成者のアル
クェイドが一時的ながら死を体験したことによって、もはや死の点を突くまで
もなく崩壊を迎える。
 その硝子のような破片が、丘を駆け抜ける風に流されて、花びらのようにひ
らひらと舞い落ちてゆく。掌で掬い取ると、その存在を消失させてしまった。
 まるで、雪のように儚い。
 その時、草原の蕾たちが微かな灯火を纏ってゆく。ゆっくりと、暖かく燈す
ようなその輝きは白く美しい。琥珀さんが言っていたのを思い出す、確か夜に
しか咲かない花だとか。これがそうなのだろう。
 月の光で咲く花は白く。
 丘一面に、真っ白な絨毯を敷き詰めた。

「…………」

 アルクェイドの手を握って、そっと微笑を向けてやる。
 その時だ。
 無口な風が騒ぎ出して、花びらの幾ばくかを舞い上げてしまう。
 風花と破片が絡み合うように円舞し、見上げたこちらの吐息と共に消えてい
ってしまう。どこかへ飛んでいってしまったのだろうか。

 両手を広げて横になっているアルクェイド。
 それは咲き誇るように美しく、微笑んでいるような表情で瞳を閉じたままだ
った。
 そんな彼女に、

「――――」
「――――」

 何も言わずに、キスをする。
 アルクェイドの記憶を自分から写しかえる為のものだったが、そんなことは
関係なかった。ただ、純粋に口づけしたく思い、した。
 それだけのこと。

 柔らかく、潤いを持った口唇。
 触れ合う瞬間は、心に何かが燈ったように暖かかった。


 彼女が起きたら、まずは謝らなくてはいけないだろう。どんな理由があれど、
彼女を再び殺してしまったのだから。
 クリスマスのプレゼント―――いや、誕生日のプレゼントも渡していない。
この雪と。予め用意しておいた手袋だ。今度こそ渡しそびれないようにしない
と。
 屋敷に帰れば翌日はパーティーの準備で大忙しだろう。おそらく、休んでい
る暇なんて無いのではないだろうか。

 明日のことを思うと、こんなにも胸がいっぱいになるというのに。
 キスしている間は、この一瞬が永遠に続けば、と思っている。
 だが心のどこかで理解している、永遠など続かないことも。


 それこそ崩れ逝く世界を具現した雪のように。



            <HappyBirthDay:Arcueid Brunestud>



 「後書 −土下座しつつ− 」


 今回は短くしましょうなどとはこれっぽっちも考えていませんでした。
 気付いたら、なんだかあれよあれよという間に長くなってしまいまして……
SSじゃなくて軽い中篇並に長いじゃん! という状態。テーマも何も、ただ
アルクェイドで何かSSを書こうと思っただけの作品です。うーん、なんて勝
手な………。

 本当にゴメンナサイ。
 もっと、読みやすくすべきだったと猛省しています。

 そして、今作においての真祖や世界についての考証ですが、完全なオリジナ
ル―――つか、むしろでっち上げですので生暖かい視線で見逃してください。
いや、もう「真祖は真祖でも、アルクェイドって普通の真祖とは誕生の仕方が
異なるんじゃなかった?」とか言われても、世界から情報をくみ上げているか
ら、今回のことくらいは多めに見てください、そうとしか言いようがありませ
ん。

 ただ、書きたいものは書ききった気がします。
 それが作品に反映されているかどうかはさておきですけど。

 頑張ったけど―――駄目だったんですかねぇ?(疑問系)

 よくよく考えれば、クリスマスを迎えてもいないし。
 イヴ止まりかよー。


 ではでは
 10=8 01(と〜や れいいち)でした。


推奨BGM:ムーンマーガレット(the pillows)
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