どうやらアルクェイドは部屋に戻ってしまったらしく、玄関には彼女の姿は
見受けられなかった。残念な気持ちがありつつも、気恥ずかしくて会うことを
躊躇う気持ちが交錯する。
 先程のことを思い出して朱に上気させる。そんな歳でも、いまさら恥ずかし
がるような関係でもないというのに。だが、彼女の唇はどこか鮮烈な印象を刻
み込んでいた。柔らかな触れ合いの感触や、求めるのではなくささやかな確認
のような初々しい感覚が未だに動悸を激しくさせる。
 あまりの恥ずかしさに頭を抱えて呻いていると、第三者の声。

「どうしました、遠野くん。貧血ですか?」
「って、うわぁっ! し、シエル先輩……」
「あら、どうしました、そんなに驚いて」
「い……いえ、珍しいなぁ、と思いまして……屋敷にはそんなに来ないじゃな
いですか」

 冷や汗を拭いながら告げる。シエル先輩はこちらの言い分に納得したような
表情で頷いていた。

「けど、どうしてまた今日は?」
「ええ、この前に遠野くんが出会った吸血鬼のことを詳しく聞こうかと思いま
して」
「はぁ……電話で詳しく話しとけばよかったですね。すいません……なんか気
が利かなくて」
「いいえ。私もこっちに来る口実が出来てよかったです」

 悪意など感じられないのではというような笑顔で答える先輩。だが、この表
情で言っている事が言っている事だけに、女性のしたたかさに舌を巻く。
 奥でお茶でも飲みながら説明しようかと思ったが、彼女はそれを丁重に断っ
た。あんまり長居して秋葉に嫌な顔をされたくないらしい。こちらを気遣った
が故のことなのかどうなのか、判断はつかない。
 あの真祖狩りの吸血鬼の説明はあっさりと終わった、それを聞いて先輩は何
やら納得したように頷いている。その事について聞こうと思って声をかけるが、
出てきた言葉はまったく別のものだった。

「先輩……その、アルクェイドのことなんですけど……」
「彼女がどうかしましたか?」
「ええ、その吸血鬼にやられた怪我が未だに治っていないんですよ。ここ最近
は激しい戦いも無かったから再生能力が低下するなんてことはなかったと思う
んですけど、どうにも納得がいかなくて……」
「再生しない……おかしくないですか? 吸血鬼というのは不死性において人
よりも特化した生物ですよ、真祖のことならなおさらです」
「ええ、だから聞いているんですけど……何かわかりますか」

 尋ねつつ思い出す。一瞬にして目の前の自分にバラバラにされる光景を。確
か、回復しないといった事例は自分がアルクェイドを殺したときのことくらい
だろうか。それは力を復活に使用したからであり、今回もその可能性は十分に
考えられるだろう。

「先程も言いましたけど、真祖の再生能力は在って然るべきなんですよ……そ
れが無いというのは、力が出し切れていない証拠です。そこまでの力が無かっ
たのかもしれませんね」
「成る程……確かに、空想具現化が使えなかったしな、アイツ」
「……は、はい? 今、遠野くんなんて言いました?」
「いや、空想具現化が使えないって……」

 さすがにこれには心底驚いた様子であった。笑顔がふと消失する。

「予想以上に深刻ですね……」
「本人はその気はまったく無いですけど……」
「はぁ、解決どころか原因すら解りませんね、相変わらず。幼児化、空想具現
化の消失、再生能力の消失、あ……そうそう、喋れないんでしたよね」

 溜息を交えつつ言う先輩の言葉に、言葉を失う。今までは意識していなかっ
た――いや、あえて意識しなかった――事実を語られるとその深刻さに押し潰
されてしまいそうだった。いや、ちょっと待て。思考が流れることを拒み停止
する。
 彼女は喋れない。
 確かに、そうだった。
 だが。

「せ、先輩っ! アルクェイドのヤツ、喋りましたよ!!」
「は、はい?」
「だから、昨日! 喋ったんですよ、確かに!」

 思わず大きくなる声に、先輩もはっとした表情でこちらを見た。そして、口
元に手を当てると何かを思案するように俯いてしまう。

「ど、どうしました?」
「いえ……そうなると色々と解らない部分が出てくるんですよ。何故、話せる
のに今まで話さなかったのか……いや、話せるようになったのか……」
「話したっていっても一言だけですよ“ゼル爺”って」
「はあ……どういう意味なんですかね?」

 思案顔のまま言葉だけを投げかける彼女に、こちらも悩む。主語一言のみだ
けではそれが何を意味するのかは予想もつかない。考えられる可能性があると
するならば。

「……ゼルレッチ」
「え?」
「魔道元帥ゼルレッチを意味しているんじゃないんですか……可能性としては
ありえない話ではないと思いますよ。天敵とはいえ、真祖の協力者ですからね
……それに成人の儀にはかけつけていたみたいですし。思い出すとしてはあり
得ない話ではないと思います。ゼル爺ってのは愛称みたいですね」
「成る程。五人の魔法使いの一人ですか……って、遠野くんがどうしてそんな
ことを知っているんですか!?」

 先輩は弾かれたように俯いた顔をこちらへと見上げた。だが彼女の驚きが自
分には理解できなかった。何故と問われても、知っていることを言っただけ…
……と、そこで言葉を失った。

「え? え、ええ? 俺、何で知っているんだ?」
「そんなことこっちが聞きたいですよ……愛称で真祖が彼を呼ぶほどの関係だ
なんて、知識では把握できないのに……」

 疑念の言葉が耳朶を打った。鼓膜を響かせる言の葉は脳内へと達し、思考を
何度も何度も反響させるように繰り返している。おかしい。何故、自分はゼル
レッチの存在を知っているのだろうか。その彫りの深い顔や服装、あの草原で
言ったセリフの一つ一つを憶えている、思い出せる。

「遠野くん……もしや彼女に何かされませんでしたか?」
「へ? な、何かって……言われましても。何ですか?」
「それが解らないから聞いているんですっ」

 急かされて、必死に何があったのかを思い出す。ここ数日で何かあったとい
えば、それこそアルクェイドが喋ったことくらいだろう。他には思い当たる節
など一つもない。
 いや。
 あると言えばある。

「あの……そのー、さっきなんですけど………アルクェイドに不意打ちでキス
されました」
「は?」
「いや……そのー、本当にそれくらいしか思い浮かばないんですよっ」

 呆れたような表情で肩を落とす先輩。だから言いたくなかったのに。しかし、
どういうことだろう。突然に魔法使いのことを解している自分。そのことで、
アルクェイドが感じていた郷愁は二人で来たときの思い出ではない、と悟る。
彼女が懐かしがっていたのはそれよりもずっと前のこと。おそらくはゼルレッ
チと会話をしたときのことであろう。鉄塔と丘の風景は、まさに千年城と付近
の草原と重なって映る。

 何も解らない苛立ちが込み上げてきた。情報は不足しているのに事態はそれ
を無視して勝手に進んでいく。感情を吐き出すわけにもいかずに、拳を握った。
思ってた以上に力強く、掌の中のものが歪む。
 そこで手袋を握ったままだということに気がついた。コートは渡したのに手
袋を忘れてしまうとは抜けている。しかも、クリスマスに贈ろうと思っていた
やつだ。
 思わず吐息が漏れる。
 それは肩を落としながらの苦笑であった。
 まったくもって駄目な男だ、自分は。彼女の異変に対しても右往左往するこ
としかできずに、現状の把握すらできていない。さらには、まともにクリスマ
スプレゼントも贈れていないではないか。出来ないことに悩んで、出来ること
を逃してしまった自分にため息を零す。

「遠野くん?」
「いや、先輩……ありがとうございます。まだ問題は色々とありますけど、今
日は助かりました。俺、ちょっと渡すものがあるんで」
「………はぁ。遠野くんには深刻さが足りないですね」
「これでも深刻に感じていますけど、足りないんですか」
「足りないんですよ」

 そう言って先輩は笑った。それにつられるようにこちらも笑顔になる。今は
不安や問題ばかりで押し潰されそうだが、こうして笑っていると“なんとかな
る”という気がしてきた。
 手袋を大事に抱え、彼女の部屋に行く。シエル先輩も様子を見るという名目
でついて来た。なんだかんだで心配なのかもしれない。そう思うと笑みを押さ
えることが出来そうになかった。どこか軽くなった気持ちで、ノックもせずに
部屋へ入る。

「おーい、アルクェイド?」

 部屋の中には誰もいなかった。
 そこにはスケッチブック。
 そこにはささやかな一言。

<さようなら>
「あのっ、バカはっ!」

 反射的に開けっ放しの窓へと駆け寄る。だが、そこには何もなく、ただ冬の
冷たい風が木々を揺らしているのみ。傾く夕日が視界を遮った。
 宵にそびえ立つ骨組み、荘厳な城。幻想的な草原、そして街を展望できる丘。
それらが互いに浸透するように記憶と重なる。

 その光景は焼き付いたように脳裏から離れることはなかった。



 秋葉に一言告げてから、屋敷を飛び出す。家の中の捜索は彼女らに任せるこ
とにして自分たちは外側の捜索だ。屋敷を出るときに、秋葉は躊躇いがちに言
った。

「か、必ず連れ戻してくださいっ……パーティー用の食事の材料が無駄になり
ますから」

 赤面し精一杯に虚勢を張った秋葉に苦笑しつつ了承。坂を下って十字路に出
る。
 隣で併走していたシエル先輩が、怒っているのか呆れているのか、といった
表情でため息を一つ。

「まったく、自分がどういう状況なのか自覚があるんですかね、彼女は……」
「自分から出て行くということは何か思うことがあるんじゃないんですか。あ
の様子だと深刻な問題っぽいですけど………まさか、あの真祖狩りを追撃に…
…」
「十分にあり得る話ですね。ですが、無謀すぎます……あの腕はまだ治っては
いないんでしょう」
「ええ、包帯はまだ解けてません……無茶な動きをすればくっつきかけていた
腕がまた真っ二つですよ」
「ぞっとしますね……今のアイツは空想具現化だってできないし……真祖とい
うよりもそこらへんの女の子と何も変わらない」

 無言でこちらの言葉に頷く先輩。西日は今にも沈もうとしているが、まだ完
全には沈みそうにもなかった。真祖狩りの吸血鬼が動くとなると、早くてもも
うそろそろだろうか。

「姿も子供、再生能力も無い、空想具現化も使えない……真祖として不完全な
彼女、下手をしたら負けてしまうかもしれませんね」
「…………」

 先輩の言葉を否定できなかった。確かに真祖はポテンシャルとしては最強の
部類に入るだろう。だが、その戦い方は力押しといった印象であった。能力を
ただぶつけるだけ。それを応用して使おうとはしない単純な暴力。その能力す
らも失ってしまった彼女に何が出来るというのか。

「まさしく、外見そのまんまですね……ただの少女―――っ?」
「あ―――」

 ふとお互いに違和感を感じた。それは単なる偶然だったのかもしれなかった
が、霞がかった今回の事態を一望できるほどの光明でもあった。意味の無い破
片が組み合わさっていくような感覚。繋がってゆくそれは、まさしく鎖と呼ぶ
べきものでもあった。
 知らず知らずのうちに先輩を見据える。
 彼女もこちらと同じ感覚を感じているのだろうか。いや、感じているに違い
ない。何しろ、今回の事態に関してはアルクェイドのことでありながら、先輩
はその事態を経験しているのだから。

 世界に縛られたことがあるのだから。



 もし。
 もし創りかけていたモノが。
 途中で失敗してしまったら、どうするだろうか。
 おそらく、大抵の人はこう答えるだろう。
 創り直す、と。

 それは間違いではなく当たり前の行為だ。壊れてしまったものをそのままに
しておく者などそうそういないだろう。無論のこと、それは世界も例外ではな
い。

 ここに一つの仮説がある。
 アルクェイドを襲う怪異は第三者の干渉によるものだと。
 普通に考えれば一笑しているだろう。真祖に干渉し、幼児化、言葉を封じ、
そして能力を奪い取る。そんなことが出来る生物など存在するはずが無い。そ
れは確かなことだろう。
 だが、ここで発想の視点を変えてみるとどうなるだろうか。
 生物が干渉したのではなかったら。
 もっとも厳密に言えば生物なのかもしれない―――その世界という存在は。

「はぁっ、はぁっ、アルクェイドっ!」

 シエル先輩とは途中で二手に別れて、今は彼女のいそうな場所を虱潰しに散
策している。冬の冷気を纏った強風が肌を叩きつけるが、走り通しで上気して
いるために気にならなかった。むしろ熱いくらいだ。
 走り、視線を廻らせ、そして思考も巡らせる。
 思い出すのはシエル先輩の言葉だった。

「世界の干渉ならば、今までの事態も説明できます……勿論、確証はありませ
ん。あくまで予想として聞いてください」

 だが、その予想は可能性においては充分すぎるほど。
 彼女が言うには、矛盾を直そうとした先輩への干渉に対して、アルクェイド
への干渉はいわゆる修復に近いものらしい。元々、真祖は世界の意思によって
生み出された超越種の中の一種族であり、人間を律するための存在であった。
 だが、今はどうだろうか。ロアの事件によって十七つに分割された彼女は以
前の真祖としての己を出すことは格段に少なくなっている。そんな彼女が今は
どうだろう。まるで人間のように、振舞っているではないか。いや、こちらが
それを望んでいるのだから、それは困ったことではない。それで困っているの
は世界の方なのだろう。

「あ、あっ……アルクェイドっ……どこだぁっ?」

 望まぬものは必要ない。
 ならば、創り直せばいい。

 それだけ。

 先輩との会話を思い出しつつ、さらに街中を駆ける。

「いいですか、遠野くん。わたしの不死性は世界が矛盾を直そうとしてのこと
です。今回の修正もそれと同じ……いわゆる矛盾があったからなんです」
「矛盾……ですか。世界にとっての矛盾……」
「そう。今の真祖の状態が世界にとって芳しくない……ただでさえ暴走して真
祖の数は激減してしまったんですから、これ以上の戦力を……世界の手駒を失
いたくないんでしょうね」
「まるで……世界に意思があるみたいな言い方しますね」

 こちらの疑問に彼女は抑止力の存在を説明することで答えた。だとしたら、
今までの彼女の生活も抑止されるべき行為なのだろうか。冷静に分析している
中で、胸の内では燃えるような怒りが渦巻いている。自分でも歯軋りの音が聞
こえるくらいだ。

「結果として、もっとも真祖として望ましい姿に戻すためにリセットをかける
ことにしたんでしょうね」
「リセットって……そんな。だったら俺のことを憶えているはずが……それに
子供の姿にまで逆行する理由が無いです」
「抗したのではないですか、彼女が」

 世界に対して抵抗をした。その言葉だけを聞くと実感がわかないが、その意
味することに対して戦慄すら感じてしまう。それでも抗いきれなかったのだろ
う。思い起こせば、朝にこちらの名前を思い出せなかったことや、言葉を失っ
たこともその影響なのかもしれない。兵器に余分なものは必要ないということ
だろう。

「幼児化ってのは世界にしてもやりすぎじゃあ……」
「書き直しに近いものだと思いますね……今度は世界にとって都合がいいよう
に創り直すつもりなんじゃないんですか?」
「それで、記憶も消えかけていたってわけですか……いや、逆行していたのか
な? ゼルレッチのことを思い出していたし……」

 リセットされたはずの記憶を思い出したのも、世界の逆行ならではといった
ところか。赤シック・レコードと呼ばれる世界の根源には全存在の情報が蓄え
られていると聞く。その影響を受けて成人の儀の記憶が戻ったのだろう。
 空想具現化が使えなくなったのも、一時的なものということになる。創り直
すために、彼女を未完成の状態にまで戻して再構成する必要があったとすれば、
その能力を使いこなせない、もしくは使えない状態にあったのも納得がいく。

「はぁっ、はぁっ……くっ、はぁっ」

 止まる事を忘れて街中を駆け巡った。だが一向にアルクェイドは見つからな
い。薄暗い住宅街の裏通りを抜けて人気の無い穏やかな坂道を昇る。足どりが
重く、坂道が何処までも何処までも続いているように思えた。刺し込む夕日は
胸を貫く刃のように鋭い。

 おそらくアルクェイドの取っている行動は二つの内のどちらか。
 兵器としての真祖になるため、完全な状態の己をどこかで構成しているか、
それとも先日の真祖狩りを追撃しているかだ。
 前者にしろ後者にしろ見逃すわけにはいかなかった。

「ちく、しょうっ……っの野郎っ!!」

 全力で大地を踏みしめる。世界に対して自分が出来るささやかな抵抗であっ
た。彼女は、生きているだけで楽しいということを、ただそこにいるだけで楽
しいということをやっと理解してこれからだというのに、それを無下に“無か
ったこと”にしようとするのが許せなかった。
 今。
 世界に対して自分は腹が立っていた。

 白い息が切れるまで飛ばして駆け抜けた坂道。その昇りきった先には青々と
した丘が広がっていた。深い群青とオレンジのコントラストが波打つ。茂った
草に混じって生えている蕾を踏まないように身長に歩きながら彼女を探す。
 千年城と重なる景色のここならばアルクェイドが来ていると思ったのだが、
見当違いだったのだろうか。

「ぁっ……はぁ、アルクェイド………」

 ここにいないとなると、もう探す当ては無かった。先日訪れたこの丘は、マ
ンションや公園など様々な場所を探して最後に行き着いた場所だった。
 長い金髪に可愛らしい顔。特徴的とも言えるほどの彼女を探し当てられない
ことに苛立ち、歯がゆさを覚える。
 自分はこんなところで何をしているのだろうか。
 言いようの無い無力感が疲労となって、走り通しの身体を襲う。

「――――」

 ふと、その疲労を拭い去ってくれるように風が頬を撫でる。背中から吹き抜
けるそれは冷たさを纏っていたが、火照った身体にはこのくらいが丁度いい。
走り通しで忘れていた心地よさを覚え、軽く息を落ち着かせた。

 そして、その風は朱を纏う。

 嗅ぎなれた訳ではないが、どこか馴染みの在る臭気に肌が粟立った。全身の
感覚が熱を失って冷えてゆき、硬質化、鋭敏化してゆく。まるで、全身を感覚
器にして全てを感じ取ろうかとするように。
 夕闇に被さるように、ツギハギの影が大地へと刃無き刻みを入れる。それは
見慣れた電波塔であった。振り向いてそれを確認するが、どこか記憶のそこを
掘り起こすような掻き乱れた衝動に襲われる。

「―――――」

 そんなこちらを一瞥するのは、コートを羽織った女性の冷めた瞳だった。伸
びた金髪に彩られた美しい顔や均整の取れた身体が印象的である。だが何より
も全身に纏う人外の威圧感が雄弁に事実を語っていた。
 彼女はまさしくアルクェイド・ブリュンスタッド本人だ。
 その足元には血煙を交えた風の元となった、真祖狩りの男の死体がそこにあ
る。だが数刻もしない内に灰となってそれは消えた。よく見れば、彼女も未だ
完全ではないのかあちこちが傷ついた様子。包帯が取れてその柔肌が確認でき
た。腕を二分割していた大きな傷も未だ健在だが、肉体の再構成に伴ってそれ
も消えつつある。

 しかし、当のアルクェイド本人はそんなことを意に介した様子も無く、ただ
ただ景色をこちらを見据えているだけ。いや、本当は何も見ていないのかもし
れなかった。

「アルクェイドっ!!」

 全力で彼女に呼びかける。だが対する彼女は一瞥しただけで、それ以上の反
応はない。
 無駄を省いてしまって、兵器としての彼女に近づいている証拠なのだろう。
 空気がざわつく感触を肌で感じる。冷え切ったそれは風というよりも無機質
的なものを感じざるを得ない。無機物に触れているような冷たく、熱のこもっ
ていないような触感。周囲一帯が反転してしまったかのような錯覚だ。

 そして、錯覚は現実へと。
 想いが形を纏って構成されてゆく。

 ゆっくりと、だが着実に千年城の光景と鉄塔の骨組みが重なってゆく。霞の
ようにぼんやりとしているが、実体を持つのはそう遅くはないだろう。ここに
千年城を呼び出して、彼女を再構成するつもりなのだろう。状況から見てもう
仕上げといったところか。そして、ここでまた永劫の眠りを与えようというの
だろう。

「ふざ、けるなぁぁっ!!」

 はっきりと外観を見たこともない城の様子がハッキリと解る。その原因を思
いながら、脚を踏み出した。草が引き千切られて、軽く舞う。

「ばかっ! この、おおばかっ! 勝手なことしてんじゃねぇっ!」

 今。
 アルクェイドに腹が立っていた。
 城のことやゼルレッチのことを知っていたのも、全て彼女が自分に記憶を写
したからだ。今までの覚えられる限りの全てを、たった一回のくちづけに込め
て。
 成る程。先輩との会話で、アルクェイドをバラバラにしたときのことを思い
出したときに、自分は確かに目の前の“自分”に襲われていた――つまりは、
アルクェイド視点で物事を思い起こしていたことになる。これも彼女の記憶を
得ていたからなのだろう。

「こんなっ、こんな風に! 全てを忘れることが嫌で、俺に託すくらいだった
ら―――っこの! 自分では解ってて、俺達から逃げるようなコトするんじゃ
ねえっ!!」

 眼鏡を取り、ナイフを取り出し、刃を向ける。
 壊れやすい世界が生み出されてゆく。生み出されたばかりだというのに、そ
こには死を約束された黒いヒビがあった。鉄塔を骨組みに構成されてゆく城を、
断ち、通し、振り抜き、絶ち切る。
 だが、それよりも早く構成された城は無機物が蠢くようにして全体像を形作
り、足元に固い感触を広げてゆく。ざわついていた草は床へと変質し、その丘
の光景は何処にも無い。

 それでも構わずに銀を通した。
 黒い線に必死に刃を刻んで、血路を作り出す。
 幸いにして、彼女の記憶から道順は解っている。

 遮るものの無い城の中で、ただ黒い線を切り刻んだ。
 刻み続けた。