――志貴SIDE
それは、ある意味清々しい朝だった。
重い疲労感が抜けた後のさっぱりする朝の目覚め。だったはずだけど、俺の
上に誰か載っている。一体誰が、と思いながら俺はその身体を押しのけようと
すると。
裸の身体で、女性だった。それも重さが先輩じゃない。
ぎょっとして俺はそれを見ると、秋葉の身体だった。もちろん裸で、胸が薄
い。
おまけに俺の身体を跨いでいて、腰と腰が触れ合っているわけであり――
「うぉぁあぁぁぁぁあああ!」
俺は言葉にならない絶叫をあげて、急いで秋葉の身体から抜けだした。
秋葉はどさっとベッドの上に崩れ落ちたけども、太平楽に「兄さん……むに
ゃむにゃ」とか寝言を言っている。俺はベッドの上で後ずさりながら、なんと
か離れようとすると。
どす、と何かが背中にぶつかる。
またか、と思って振り返り、また絶句する。
なぜか……まったくもってなぜか、翡翠が琥珀さんの上に被さって眠ってい
た。
翡翠はメイド服姿だったけども、その下の琥珀さんは裸の肩と足が覗いてい
る。腰も見えていて下着がないから、きっと裸なんだろう。
で、気が付くと俺も裸だった。
さらに、ここは俺の寝室ではなかった。調度品の数が違うし、色調も落ち着
いていたけども薄いブルー調の壁紙が涼しい、これは……翡翠の部屋だった。
朝陽が窓から差し込み、着けっぱなしの照明と混じってまぶしい。
で、何故か俺はこの部屋で朝を迎えていた。
まったくさっぱりわからない……
「……ことはないよな」
俺は思わずこめかみに指を当てて考え込む。昨日俺は琥珀さんに翡翠を夜這
いするように唆されたのは憶えている。で、キッチンで何故か肝心の翡翠が居
眠りしていて。
で、翡翠と一緒に部屋に来ると、なぜか秋葉が琥珀さんを緊縛陵辱していて。
「……ひょっとして俺のせいか……?」
つ、と伝う脂汗。
というか、秋葉に誘惑されたわけで悪くはない……とは言い切れない。翡翠
は逃げてしまったけども、それを追って逃げても良かったんだし、秋葉をいさ
めるべきだったのかも知れない。 でも、俺は琥珀さんの姿にくらくらきて
しまって、そのまま――
というか、なんで翡翠までこの部屋に居るんだ?それも琥珀さんの上に被さ
って寝てる?
俺はベッドの上で慌てふためいて転がり、このベッドの上から飛び退こうと
する。だけども、そんな俺の行動が引き金になって、ベッドの上の三人が身体
を動かしだす。
「……兄さん、お早うございます」
俺がようやくベッドから離れて立ち上がると、血圧が低そうな秋葉の挨拶が
聞こえた。お、おう、と震える声で俺が返事をすると、秋葉は裸の身体にまと
わりついた髪を鬱陶しそうに振り払う。朝陽の中で秋葉のすんなりとした身体
が……
うわ、朝から眼に毒な……俺は思わず眼を手で隠そうとするけども、指の間
から男の性か秋葉を見てしまう。秋葉はふるふると頭を振ると、すっと手を伸
ばす。
そこには、体を起こした翡翠がタオルを差しだしていた。一体どこから持っ
てきたんだ?と思うほど自然に渡されたタオルを秋葉は身体に巻き付ける。
「……琥珀」
「はい、なんでしょうか秋葉さま」
琥珀さんもベッドの上で身体を起こしていた。コンタクトが着けっぱなしで
寝ていたらしく、眼をしばたたかせながらそのカラーコンタクトを外す。
そして、翡翠からタオルを受け取ると、秋葉に向き直っていた。
秋葉はつと琥珀さんを見ると、ふん、と顔を反らせて宣う。
「シャワーを浴びたいわ。付き合いなさい」
「畏まりました、秋葉さま」
俺がおそるおそる見守る中で、タオルを巻いた秋葉と琥珀さんの主従は立ち
上がる。そんな、昨日の夜は縛るは嬲るはさんざんする、されるなのにこの二
人はなんでこんなに……
「あ、お、琥珀さん、秋葉……その、昨日は」
俺がしどろもどろに呟くと、秋葉は俺の上から下までじーっと白目混じりの
瞳で眺めてくるけども、何か頬が赤い。俺がその視線に射られながら困ったよ
うに琥珀さんに目を向けると、琥珀さんはアンバーブラウンの瞳で穏やかに俺
を見つめている。
でも、その瞳が俺の股間に向くと、くすり、と笑う。
俺が琥珀さんの瞳の先を追うと、俺は……あああっ!全裸だった!
「うぉぉぉあああぉぉぉぉぉう!」
「兄さんも朝からそんなに元気なものを見せないで下さいっ!」
俺が股間を押さえて内股になっていたが、秋葉の言葉は俺を打ち据える。
「昨夜のことは仰らないで下さい」
「いやーでもその……俺、琥珀さんをしちゃったし、あまつさえ秋葉の処女を
……」
――失言だったかな。
秋葉は俺の言葉に茹で上がったように真っ赤になって震える。
琥珀さんはその後ろで、タオルの胸元を押さえてくすくすと笑っていた。
「いやですよー志貴さん、秋葉さまだって恥ずかしいんですからー」
「琥珀っ!」
秋葉は声では琥珀さんをたしなめていた。
だが、その手は俺に向かって枕をひっつかむと一直線に――
ばすっ!と俺の顔面に枕が命中する。
思わず仰け反って崩れ落ちると、秋葉が大股で部屋を横切っていく足音がす
る。
……なんか、納得行かないと言うか……俺が枕に狙撃されて倒れる中で、翡
翠の声がする。
「姉さん、その、昨晩は……ごめんなさい」
「……ううん、悪いのは私だから、翡翠ちゃんが謝ることはないわ」
「でも、姉さん」
「――琥珀!」
翡翠と琥珀さんの会話は秋葉の一声によって遮られる。
琥珀さんは秋葉を追って部屋を出ていくと、この部屋に残されたのは俺と翡
翠だけになっている。俺は枕をどけて立ち上がると……翡翠が俺の方を見つめ
ている。またしても、むき出しの股間を。
「うぉぅ!」
翡翠は俺に近寄ってくると、努めて冷静な顔をして俺にタオルを渡してくる。
だけども、瞬きの回数が不規則で目元も落ち着かない。俺は立ち上がって翡
翠の手からタオルと受け取り、腰に巻きながら翡翠に……
「お早う、翡翠。その……まぁ……」
「お早うございます、志貴さま。その……」
翡翠は赤くなって俯きながら話し始めようとするが語尾が口の中で消えてし
まって言葉にならなかった。俺も、ようやく腰を隠して一息つきながら答えよ
うと思うけども、なにか言葉が纏まらない。俺と翡翠は向き合って何とも言え
ない微妙な時間を過ごす。
ようやく言葉を切り出したのは、翡翠の方だった。
「志貴さま……ここは私の部屋ですので……申し訳ないのですが」
「そ、そうだったな、御免……じゃぁ俺は戻るから」
そうだった、俺はあんな成り行きはあったけども朝から翡翠の部屋に居るわ
けだから、さっさとここから退散しないとな。
俺がそそくさと部屋から出ていこうとすると、あっ、と声を上げて翡翠が俺
の背中にくっついてくる。俺は歩きながら琥珀を見る。
「……あれ?翡翠、部屋片付けなくて良いの?」
「いえ、それより志貴さまのお支度の方が先ですので……」
「そう……か」
俺と翡翠は言葉少なく早足で廊下を歩きながら部屋に向かう。
頭の中に昨日の痴態と、なんで翡翠が一緒にいたのかの謎を考えていたが―
―わからない。
顎を掻き、髪に手櫛を走らせながら俺はなんとか翡翠に……
「……翡翠、昨日のことは……いや」
俺は喋り掛けて顎に手を当てる。はい、と振り返った翡翠に一言。
色々尋ねたかった音はあったが、それは一つの危惧に取って代わる。
「なんでしょうか?志貴さま」
「……昨日の夜のことは、先輩には内密に」
……琥珀さんと秋葉と3Pでした、なんてシエル先輩に知られたら俺は命が
ない……
翡翠は俺の顔をちらりと一瞥すると、目を閉じて黙礼する。
「……志貴さまの秘密を漏らすことはございませんので、ご安心下さい」
「ああ、そうして貰えると助かる……悪いな、翡翠」
俺は安堵の息を吐きながら、思い出したように――燦々と日の射し込む窓に
向かって、身体を伸ばす。あの、狂おしい夜は終わって、眩しいばかりの朝が
訪れていた。
あの夜は夢のような――誘惑の夜。夢だったと思う方がいいのか。
――わからない。
ただ、今は不思議なくらいにさわやかな朝だった。
「志貴さま、お急ぎ下さいませ」
「ああ、わかったよ翡翠……」
《END》
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